g.long オレンジ色の匂い (山崎) 文化祭の準備期間が明日から始まる。 こうやって、夕焼けの中を帰るのは今日でひとまず終わりかな。 「ん?」 「なに?退、忘れ物?」 「んー‥なんだっけ、これ」 「これ?」 空中を指されても、一体なんのことだかわからない。 「ほら、この匂い」 匂い? 2人して立ち止まって周りの空気をたっぷり吸い込む。 「‥‥あ」 これは。 「こっち、かな?」 あたしは、退の手を引っ張ってすぐ前の公園へ入った。 「うん‥これだ」 目的の花の前で退は満足そうに頷く。 「退、花の名前知ってる?」 「毎年誰かに教えてもらうのに忘れちゃうんだ。 去年は神楽ちゃんに教わったなぁ」 「‥ふーん」 「いや、違うよ? たまたま帰りが一緒になっただけで、新八くんも姐御も一緒で‥」 「ふーん、妙ちゃんも一緒だったんだー」 「だーかーら、本当たまたま! だって、そういう人に教えてもらったなら、簡単には忘れないって!」 「わかってるよ、ごめんごめん」 退とは春に知り合ったばかり。時々、知り合う前の退の思い出に嫉妬したりしてしまう。退を困らせるつもりはないんだけど。 今まで一緒にいなかったんだんだから仕方ない。これから2人でいる時間を大切にすればいいだけだ。 「金木犀だよ、退」 「‥‥‥うん、そうだ」 教えてあげれば、言われれば思い出す、と退は笑う。 それから金木犀を見上げて、 一度、本当にゆっくりと瞬きをした。 あたしにはそれが映画のワンシーンみたいに見えてドキドキする。 繋いだ手が急に熱い気がする。 「こういうことだったんだなぁ。銀八かなぁ?」 金木犀を見上げたまま退が一人納得して。 「なにが?」 「神楽ちゃんが、今の俺みたいにじっとこの木を見つめてたんだ。 今なら、その気持ちがわかる」 新八くん達が昔のご両親との思い出話をしていたから、てっきりホームシックなのかと思ってたんだけどね。 大事な人に教わったのなら、毎年金木犀を見る度に、その人のことを思い出すと思うんだ。 俺は夢乃のことを思い出すだろうし。 「‥‥‥‥‥‥」 照れるそぶりも見せずに退はにっこりと言ったのに。 なんであたしが照れてるの? 「‥寒くなってきちゃったね。帰ろっか」 「うん」 金木犀の季節。 夕暮れは一番寂しい。 私にとって、金木犀の香りは 物悲しく切ないもの。 「また明日ね」 そう言って別れても、 明日が遠くて寂しいよ。 部屋でごろごろしながらメールでも送ってみようかと迷っていると、携帯が震えて驚いた。 『今大丈夫? ごめんね、さっき別れたばっかりなんだけどさ‥』 退、もしかして、あたしと同じだった? 『夢乃?何笑ってんの?』 「あたしと一緒だなって思ったの」 『へ?‥‥そっか。へへ』 この電話を切るときは、「また明日」って言っても寂しくないよ。 あなたも寂しいんだってわかったから。 また、明日ね。 . *前へ次へ# [戻る] |