夜風の旋律
006:Her slap
セレナがソファーで紅茶を飲みながら待っていると、少し経ってから三人が部屋に入ってきた。
「紅茶、淹れといたわ。残念ながら砂糖もミルクも見当たらなかったからストレートで飲んでね」
「ああ、ありがとう」
カノンはそう言うと紅茶を持ってセレナの隣に座り、他の二人も礼を述べてテーブルの椅子をソファーの前まで移動させ、座った。
膝丈の小さな机を囲むようにして打ち合わせが始まった。
さっそくセレナは切り出す。
「で、単刀直入に言うけど、どうして私達が危険な目に遇うのかじっくり説明して頂戴」
目線だけずらして軽く隣を睨む。
今までカノンにつっかかって騒いでいたが、ずっと気になっていたのだ。
カノンは少しめんどくさそうに頭をかくとセレナに向き直り、おもむろに話し出した。
「皇帝陛下がご病気で、それを治療しに行く。これはいいか?」
「愚問ね」
「煽るな。そして病気のことは城内で働くある程度の地位のものなら皆知っている」
「政治や軍の上層部さんたち?」
「そうだ。そして、その中には…………陛下をよろしく思っていない人間もいる」
ここでカノンの表情が一層険しくなり、その一言で悟ったセレナも顔がひきつった。
「…………つまり、」
「このまま不治の病でお亡くなりになってほしい人間はたとえ何もできなくても医者が来ることを拒む」
「……刺客を送ってまでも、ってこと?」
「やはりセレナは鋭いな。その通りだ」
「嬉しくない……」
そんな、とセレナは手で顔を覆い頭を垂れる。
断ったら反逆者、承諾したら命を狙われる始末。
あまりにも暴挙すぎる行為に目眩(めまい)を覚え、そして沸々と怒りが沸き上がってきた。
なにゆえ自分がこんなに振り回されなくてはならないのか。
なにゆえ刺客に狙われなくてはならないのか。
感情の赴くままに叫びたい衝動に駆られる。
「どうしてそれを最初に言わないの! それに危険なのって私だけじゃないの!!」
乱暴に紅茶を机に置いてカノンの胸ぐらを掴んだ。
なすがままのカノンを自分に引き寄せこれでもかというくらい睨み付ける。
そんなセレナをお構い無しにカノンは淡々と答えた。
「言ったらセレナは頑として来ないだろ。しかもどっちにしろ巻き添えで俺達の命も狙われている」
「巻き込まれたのはこっちよお!!」
その態度に思わず叫ぶ。
皇帝が聖王か暴君かは辺鄙に住んでいるセレナには知りようもないが、そんな奴のために命を危険に晒されろなんて誰が喜んで行くものか。
今からでも帰りたい、というか帰らせろと怒涛の勢いでセレナは抗議した。
「おお落ち着いて下さいセレナーデ殿! わ、我々が命に換えてもお守りしますので!」
「話し合いましょうセレナーデ殿。これではいつまで経っても話が進みません!」
見かねたハギスとレイガがなだめにかかり、ようやく大声をあげて取り乱したことに羞恥したセレナが謝ったことでなんとかこの場は収まった。
こほんと小さく咳払いしてセレナがしゃべり出す。
「取り乱して悪かったわ。ごめんなさい、今さら帰れないくらいは理解してる。でも私が行くことって周知の事実なの? どうしてこっそり連れて来ようとしないのよ」
まして城内の医師でも治らず、頼みの綱がセレナだけであるならば余計内密にするはず。
もっともなセレナの意見にカノンは前を向いたまま答えた。
「知っているのは俺達近衛隊と宰相のウードだけだ」
「は?」
近衛隊は皇帝直属の兵。
宰相は皇帝の補佐として最高位の官職。
皇帝の右腕だ。
だとしたらどこに狙われる要素があるというのだ。
セレナは首を傾げ説明を促す。
カノンは目線を合わすことはせず、続けた。
「……実は、反皇帝勢力の首謀者が宰相ではないかとの噂がある」
「…………」
「あくまで噂だ、確証はない。そこで、彼にセレナのことを伝えたと同時にこのことは上層部だけの機密で容易に談義するなと言っておいた」
「宰相にしか話してないのに?」
「……そうだ」
そこで一端会話は打ちきりになり気まずい沈黙が続いた。
カノンは前を向いたまま、ハギスとレイガはセレナの顔色を伺っている。
もはやセレナは笑うしかない。
「ふうん、何それ。私、囮? 私が襲われたらその宰相さんは黒って訳? へえ、私の命って随分安っぽいのねえ」
ふふふ、と不気味な笑みを晒すセレナにハギスとレイガは顔を真っ青にしたがセレナは気にせずカノンを無理やりこちらに向かせた。
怒りを通り越したセレナは妖艶に微笑むと滑らかに音を綴る。
「ねえ、勿論私のこと守ってくれるんでしょう」
「無論だ」
「そう、ならいいわ。そのかわり―――――― 一発叩(はた)かせて」
パシンッと乾いた音が室内に響いた。
平手打ちしたセレナも、されたカノンも、それを目(ま)の当たりしたハギスとレイガも数秒時が止まったかのように動かなかった。
「……痛い」
最初にしゃべったのはカノンだった。
「当然よ、痛くしたんだから。むしろ殴らなかったことに感謝しなさい。」
セレナも痺れるのかぶんぶんと手首を振る。
「本人の許可もなく勝手に囮にして危険に晒すなんて常識はずれもいいとこだわ。ましてや戦闘能力もない一般人。 おかしいわ、軍人の仕事は国民を守ることよ!」
「……悪かった」
カノンが頭を下げ、他の二人も同じように謝る。
セレナはそれを眺めていたが、はあ、と首を振ってため息をついた。
今さら何を言っても過去が変わることはない。
カノンも大人しく叩かせてくれたし、問題は今後どうするかだ。
「もういいわ、過ぎたことだもの。頭を上げて。他の町民じゃなく私で良かったと思うべきところね。さ、今後の予定を聞かせて頂戴」
「…………ああ」
暗い空気が流れる中、ようやく本当の打ち合わせが始まった。
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