夜風の旋律
003:Shiny monochrome
「嘘だったんですね」
この家ができたばかりの頃にあった客間は既に診断室として大量の道具に溢れていた。
軍人をこの部屋に招くわけにもいかず、二階のセレナの趣味部屋として造った小さな空間へ青年を案内した。
他の二人は外で待機らしい。
セレナにとっては厚苦しい男達が三人も入って来ない点は良かったが、この部屋しか案内できない状況に不満たっぷりだった。
(なぜ私の癒しの空間に軍人を招かなきゃいけないのよ)
セレナの趣味は専ら読書である。
故にこの部屋には壁を覆う大量の本と読むための小さな机しかなかった。
時間が空いたらこの部屋に籠り、たまにはアリアも一緒になって静かに本を読む。
この時間がセレナは大好きだった。
それをこの青年を招き入れたことでなんだか神聖な場所を汚された気がしなくもない。
「あと一押しだったのに」
アリアが淹れてくれたアールグレイをすすりながら軽く青年を睨む。
本当、アリアは悪くないが、この状況は頂けない。
癒しの空間でもセレナは青年に対する警戒心を解かなかった。
「もし私達があの場を去ったらセレナーデ殿はどうするつもりだったのですか?」
青年の言葉を無視して言った愚痴も無視され、仕方なしにセレナは青年の質問に答えていった。
「今更敬語はいらないわ。気持ち悪いし。勿論アリアが帰ってきたらすぐに薬草採取のための山小屋に籠るに決まってんでしょ」
それがセレナの家が町から離れている一番の理由だった。
セレナの家はちょうど山の麓に位置するのだ。
薬師なのだから薬草は不可欠。
この山にはセレナの望む沢山の種類の薬草が生息していた。
そして山の中で見つけた小屋は専らセレナの私用と化していた。
この三人が諦めるまで山籠りでもしようと考えていたのだが、本当に残念だとセレナは何度目かのため息をついた。
「それで、要件は何かしら? 言うこと言ってスッキリしたら帰ってもらえる?」
「綺麗な色だな」
(ちょっと!)
先程から会話が噛み合っていない。
と言うかこちらは律儀に質問に答えているのに、向こうはセレナの話を全然聞いていない。
深刻な話があると言ったのはどちらだったか。
しかも今度は私の外見の話かとセレナはあきれながらも恨めしく思った。
自分の外見が周りからどう思われているか重々承知している。
綺麗だなんて皮肉すら聞き慣れてしまった。
「遠回しじゃなくて直接気持ち悪いと言って結構よ。遠慮されるのは嫌いなの」
セレナはその漆黒の瞳で青年を睨み付ける力を更に増した。
黒髪と黒眼。
色素の薄い者が多いこの土地において、セレナの漆黒は大変奇抜だった。
セレナだって自分の家族以外で同じ色を持つ者に会ったことはない。
黒は全ての色が混じり合ったものだ。混沌と闇の象徴。
決して誉められた色ではない。
ましてセレナは髪だけでなく瞳もそうなのだ。
子供の頃(だけではないけれど)、悪魔だ死神だと散々いじめられてきた。
普通なら持って生まれてきた色を憎むだろうが、セレナは自分の色が嫌いではなかった。
罵声はうんざりだったが、尊敬する祖母の色と同じだという妙な誇りがあったのだ。
大人になった今でも定まらないのは昔の両方の思いが根強く残っているからだろう。
だから、青年の言葉には大変驚いた。
「違う、美しいと言っているんだ。黒髪独特の艶めきが綺麗だな。触りたい」
「…………遠慮するわ」
赤の他人にこの髪を誉められたのは初めてだ。
セレナは軍人は変人なんだろうかと本気で悩みたくなった。
そしてふと気づく。
それじゃあこの青年の髪と目は何色なのだろうか。
部屋の中でも軍帽を脱がないので瞳どころか髪の色さえわからないのだ。
他人の家に上がり込んでも脱がないのを非常識と知らないわけがないのだから、何かしらの理由はありそうだ。
しかしセレナの色を指摘したのは向こうである。
少し強引に見ても咎めはしないだろうと結論づけた。
そして行動する。
左を向いてちょっと驚いた顔をすれば思った通り、ひっかかった。
「っな!」
「うっそ、それ本当に地毛なの? あなたの方が何倍も綺麗じゃないの!」
軍帽の下から現れたのは太陽の光を受けて輝く薄い金色の髪と凝視したくなるような薄紫の瞳だった。
少し長めの金髪は美青年を引き立てる。
そして隙をついて引ったくった軍帽を意地になって奪い返す時の表情には若干だがあどけなさが残っていた。
「何をする!」
堅苦しい言葉遣いも可愛らしく見えるから不思議だ。
「ふふふ、まさかあなたが年下だとはねぇ。もしかしてまだ20になってなかったり?」
「失礼な! 俺は今年で20だ。セレナ殿こそ未成年だろう!」
これには舞い上がったセレナの機嫌も再び急降下した。
言っておくが、初対面で年相応に見られたことは一度としてなかった。
「そっちこそ失礼ね。私はこれでも23よ、にじゅうさん! 3歳も年上なの!」
セレナは童顔だった。
黒髪黒目というきつい印象をもろともしないくらいには。
セレナにとって23にもなって未成年に間違われるのは苛立ちも勿論あるが同時に哀しさまで襲ってくる。
「嘘だろう」
「こんなことで嘘ついてどうすんのよ……」
青年はこれでもかというくらい目を見開いてセレナを見てくる。
そんな歳には全く見えないという年下の言葉と仕草に軽くショックを受けた。
「ああそうだ、セレナ殿は俺の外見を見て疑わないのか?」
「何がよ。はあ、もういいわ、いい加減本題に入りましょう」
虚ろになったセレナは青年の言葉を右から左に流し、これ以上自分の外見の話にならないよう本題をせかした。
軍帽を取るんじゃなかったと今更ながらに後悔したセレナだった。
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