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夜風の旋律
014:For you
“無”とはどんな色だろうか。

漆黒? それとも純白?
全ての色の嚥下(えんか)か、もしくは全てからの拒絶か。
それなら白が生で黒が死というのも納得できる。
さしずめ生は母親からの拒絶で、死は世界への嚥下だろう。

いや、そんなことはどうでもいいとセレナは首を振った。
それよりも問題なのはこの状況だ。
自らの意志に反して動き続ける足に、下を向いても影すらない見知らぬこの場所。
一体自分はどこで何をどうしたいのだろう。
さっぱり分からなかった。

とうとう私は世界からも拒絶されてしまったのかしらとくだらないことに思考を費やしていた時、何もない場所から一人の少女が走ってきた。
漆黒の髪を左右に揺らし頬を染め、勢いよくセレナに抱き付いた。

「え、ちょっと」

「かくれんぼしてるの! 早くしないと緋牙(ひが)に見つかっちゃうわ!」

そういうや否や少女はセレナの手を取って駆け出した。
訳の分からないセレナは呆然として彼女について行くしかない。

しかしそれだけではなかった。
少女のその髪も顔も服も靴も、とても見覚えがあったのだ。
昔、毎日のように鏡の前で出会った彼女を自分自身が忘れるはずもなかった。

「ねえ、なんで、どうしてあなたがここにいるの? それにここはどこなのよ?」

「どこって……おばあさまのお屋敷に決まってるでしょ?」

「え……?」

なに変なこと訊いているのと言いたげな目で、少女から平然とした答えが返ってくる。
慌てて視線を外し辺りを見渡せばいつの間にか見慣れた廊下が続いていた。
敷き詰められた絨毯に、等間隔に装飾が施された古風な壁、たった今通り過ぎた巨大な壺は割ったら家から追い出すとまで言われた高価な彼女のコレクションだ。
ちゃんと覚えている。
いや、忘れるはずがない。

何もかもがセレナの記憶の中にある、昔住んでいた彼女の家そのものだった。

「どうして……?」

「こっちこっち!」

セレナの困惑を他所に少女は今まで続いた廊下の突き当たりのドアを開ける。
分かっている。

ドアの向こうにはセレナの予想通り大きな暖炉がある広い居間があった。
――あの暖炉が、あった。

「ここ! ここがいいわ。早く隠れましょ!」

あろうことか少女はその暖炉を指さし、セレナをぐいぐい引っ張って中に入ろうとする。
冬場しか使わないこの暖炉は大人一人が優に入れる程のスペースがあり、綺麗好きな彼女の手入れが行き届いて炭まみれになることもない。
更には外からは内部は暗くて見えづらく、隠れるには格好の場所だった。
こうやって室内かくれんぼをする時は定番とも言われる程にみんなが使っていた。
そして――……

「…………あれ?」

仕方なく少女を追って暖炉の中に入ったが、行き止まりに着いても少女の姿が見つからない。
暖炉の中が広いはずもない。
手を左右に伸ばしても少女が見つからないのは少し異常だった。

「え、ちょっとどこに……っっ!!」

もしかしたら入れ違いで出ていったかもしれない。
あり得ないと思いながらも少しでも早くこの暖炉から出ようと振り向いた瞬間、セレナの身体は硬直した。

暖炉の入り口から漏れる部屋の明かり。
低い男性の声としゃがれた彼女の声。
いつの間にか誰もいなかった居間から複数の怒鳴り合う声が聞こえるではないか。
それも、すぐ近く。
セレナが潜む暖炉の手前で、時折何かが壊されるような乱暴な音を交え自分の耳に届いてくる。

「…………いや……」

一歩一歩暖炉の入り口から離れ奥に戻る。

「……いや、嫌よ……見たくない」

セレナは自分の顔が醜く歪んでいるのが分かった。

だってこれはどう考えても“あの時”の再現だ。
ようやくこの場が現実でないことを理解したが、だからといって耐えられるわけがない。

悪夢のような惨事。
セレナの充実した人生が180度変わったこの日、この時。
もっと悪いのは、今、自分がこの場に干渉できないことだ。
黙って見ていろということなのだろうか。
誰だか分からないが、どれ程自分を狂わせれば気が済むのだろう。

「お願いよ……もうやめて。……もうやめて!!」

手で耳を塞ぎ、一滴の木漏れ日も通さないように目を瞑る。
これから聞こえてくる悲惨な音を捉えないよう、必死に叫ぶ。

忘れはしない。
自分が無力で愚かだったことは重々承知している。

そしてもう、あの時には戻れないことも。

喧騒がどんどん激しくなっていく。
もう聞いてはいられなかった。

「お願い! もう十分よ! だから帰して!! もういやああ!!」

どのくらいの間叫び続けていたのか。
声が枯れ始め、そこでようやく辺りが静かなことに気づいた。
さっきまでの罵声も聞こえず、セレナが押し黙ると静寂が戻ってきた。
暖炉の中にいると思いきや、壁もなければ入り口から漏れる光もない。
勿論あの少女もいない。

今度はここに来たばかりとはうって変わって、辺りは一面の闇に覆われていた。
不安が拭われないよりも、セレナは先程の悲劇が終わったことにほっと息をつく。
袖で涙を拭き取りゆっくりと腰を浮かせて辺りを見渡した。
やはり何もない。

「もう…………帰りたいわ」

一刻も早く得体の知れないこの場から逃げ出したかったが、如何せん夢の醒まし方なんて分かるはずもない。
しかしセレナが途方にくれていたその時、微かな希望が見えた。

“………………ん……”

「! えっ?」

“………い……………ん……”

僅かながら、声のような音が聞こえる。
もう一度辺りを見回しても何も変わりはなかったが、確かに自分以外に何か、ある。

「私をここに呼んだのはあなたなの? だったら早く帰してよ!」

“……いけ……せん………”

少しだけ、声が大きくなった。
だがまだはっきりとは聞こえない。

「聞こえないわ。あなたは誰? どうして私にこんなことするのよ?」

“……いけません……帰りなさい……”

「何言ってるの? 私をここに連れてきたのはあなたじゃないの!?」
“……来てはいけません……帰りなさい”

「どういうこと!?」

セレナが叫んだその時、いきなり闇が消し飛んだ。
何事かと慌てて後ろを振り返れば、眩いばかりの光がどんどんと規模を増してこちらに飛び込んでくる。

「なっ……きゃっ?!」

わけが分からず、しかしあまりの眩しさに目も開けていられなくなったセレナは咄嗟に腕で顔を覆い、そして――…………






「……ナ……セレナ!!」

「――ん……?」

目を醒ませば、至近距離にあるカノンの顔。
慌てて腕で退かし、身体を起こして辺りを見渡せば、一面の森林に小さな湖があった。
生い茂った葉の隙間から零れる太陽の光が湖に反射され、眩しさに目を細める。
そしてカノンに軽く小突かれた。

「あたっ!」

「凪ぎ払うなど酷いことをする。うなされていたから親切に起こしてやったというのに」

「ええと、ごめんなさい? 私、うなされていたの?」

そう言われ、確かに自分が汗をかいていることに気づいた。
寝起きの割りに呼吸も荒い。
どうしてだろう。

「ああ、かなりな。一体セレナはどんな夢を見たんだ?」

そんなカノンの問いにセレナは暫し考え、そしてゆっくり首を振った。

「……さあ? 何だったのかしら?」

探しても見つからない。
夢の中の出来事を、セレナは全く覚えていなかった。





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