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夜風の旋律
010:Invisible
木陰を抜け出したセレナは脇目も振らずカノンに向かって走っていった。

「カノン!!」

「なっ! 馬鹿か! なんで来たんだ!!」

セレナの姿を見つけた途端非難の声を上げたカノンだったが、敵に注意しながらすぐさまセレナの元まで駆け寄ると彼女を背中で隠し再び敵と対峙した。

カノンの思ったより大きな背中を見つめながらセレナはふふ、と微笑む。

「随分と優秀なナイトなのね。さながらどこぞの王女にでもなった気分だわ」

「それなら戻って木陰に隠れていろ。王女ならこんな愚行には出ないぞ」

「それは――……」

その時対峙していた炎竜がいきなり飛び上がったと思うと、セレナたちに向かって垂直落下してきた。
このままでは二人ともまとめて火炙りになってしまう。

「くそっ、上からか! おいセレナ、狙いはお前だ! 俺が引き寄せている間に逃げろ!」

「――お断りね」

「セレナ!!」

「少し離れてなさい。――深淵の縁より絶えず紡ぐその業よ、脈打つ源を越えて君臨し、我に神奥なる存在を示せ」

「おい……?」

途端に訳の分からない呪文を唱え出したセレナに困惑気味のカノンも目の前まで迫る炎竜も視界の隅に追いやり、セレナは自分の親指の平を噛み切って赤い雫を数滴地面に染み込ませた。
そして力一杯叫ぶ。

「狭霧(さぎり)! 我に仇なす者を惑わせ制裁を与えよ!!」

その詠唱を終えた瞬間、血が染み込んだ場所を中心にして目も開けてられない程の巨大な竜巻が舞起こり、この場をあっという間に支配した。
女性など軽く吹き飛ばす勢いだ。
カノンはなんとかセレナをたぐり寄せると抵抗されるのも構わずその場に無理矢理伏せさせた。
そして暴風の中腕で庇いながら頭上の炎竜を確認すれば、何かに圧迫されるように悶える姿が見え、次の瞬間には弾けるようにして炎竜の火の粉が飛び散り跡形もなく消滅してしまった。
気づけば竜巻も凩(こがらし)程に弱まっている。
訳が分からない。

「…………どうなってんだ?」

「っ、ちょっと! 早く上から退きなさいよ!! 今のうちに逃げなくてどうするの!!」

呆然と空を見上げているカノンを強引に引き剥がしたセレナは立ち上がるや否やカノンの腕を掴んで走り出した。
こんなところでねっころがっている時間などないのだ。

「っ待て! まだ敵が何するか分からないぞ!」

「大丈夫だから!」

敵の姿を確認しようとするカノンだったが、セレナはどんどんカノンを引っ張って森の奥を足を運んでいく。
何を根拠にと思ったが、不思議と追撃される様子もない。

「どうなっている……? セレナ、何をしたんだ?」

「その話は後! 今は足を動かしなさい!」

カノンの言葉も一蹴して、セレナはひたすら森の奥へ奥へと逃げていった。
道から逸れる程に鬱蒼とした木々たちが真っ赤に染まった夕空を覆い隠していく。
セレナはこの時初めて日が傾き始めていることを知ったが、人目につく場所には出られない。
見つからないように木々の深いところを目指すしかなかった。

そうして疲労によりセレナの歩調が遅くなり、今度はカノンがセレナを引っ張って森の中を歩くようになる頃には星ひとつ見えない宵闇と足の踏み場も危ない程に生い茂った草木が拡がっていた。
どちらも明かりとなるような物は持っていなく、手探りで一歩一歩進んでいく。
あがった息は落ち着いてきたが、極度の疲労が二人を襲った。
それでも野宿、もしくは休憩できる場所探してひたすら足を動かしていく。
互いを気遣う言葉もなくなり二人の足音だけが途切れることなく続いた。





「……ねえ」

「なんだ」

それは空が色を失ってからしばらく時が経った頃だった。
セレナには何時間も過ぎたように感じられたが実際のところは分からない。
今の二人に時を知る術(すべ)はないのだ。

「……何か、聞こえない?」

「なんだと?」

鳥の鳴き声すら聞こえないこの場所で、自分たちの足音とはまた別の音がセレナには聞こえたような気がした。
足を止め、二人で聞き耳を立ててみる。




「…………水の音?」

遠くの方から微かだが、水の流れる音がセレナたちの耳に入ってきた。
近くに小川があるのだろうか。
セレナとカノンは目配せすると足音で流れる音をかき消さないようにそっとその川を目指して歩調を速めた。

襲われてから水分補給もろくにできずセレナの喉は水を欲していた。
体調から考えてもいつ脱水症状を起こしてもおかしくはない。
それに一番まずいのはカノンの右腕だ。
セレナはちらりと前を進みカノンを伺う。
生い茂った葉を退かすため左腕はひっきりなしに動かしているが、右腕は指一本も動かそうとはしない。
赤く爛れているだけでも見ていられなくなりそうなのに、恐らくは痛みで動かすことすらままならないのだろう。
焦る気持ちを抑えて、流れる川が綺麗な水でありますようにと願うセレナだった。

そして数分歩いたのちに、細いながらも澄んだ小川が見つかった。
セレナは手で掬い、少しだけ口に含む。

「……大丈夫、飲めるわ。カノン、場所はあまり良くないけどここで休憩していきましょう」

無事綺麗な水が手に入れられたことにほっと息をついた。
そして未だ立ってどこかを見ていたカノンにそう話しかけるも返事が返ってこない。
カノン?と裾を引っ張ると逆にその手を捉えられてカノンの隣に立たされた。
何事かと思ったが、カノンの指さす先に視線を這わせれば茂みの間から少しだけ見えたものがあった。

「広場……? え、あれ湖かしら!?」

「行ってみよう」

「ええ!」

木々の生えていない場所が見え広場かと思ったが、どうやら湖があるらしい。
セレナは置いておいたカバンを掴むとカノンの後を追った。





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