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悪魔も喘ぐ夜 Character Episode
*



「カイル」


 父が自分の名を呼ぶのは幾年ぶりか。

 あまりにも唐突で、驚きすぎて抱えてい

た氷枕を取り落してしまいそうになって、

慌てて抱え直す。

 直後、信じられない言葉が耳に飛び込ん

できた。


「明日のパーティにはお前を連れていく。

 準備をしておけ」


 正面を向いたままの父の視界に相変わら

ず自分の姿は映っていなかったし、氷枕を

抱えたまま顔を伏せる自分の視界にもかろ

うじて父の衣服の端が見えるだけだった。

 それでも氷枕を押し当ててた胸の奥で心

臓がすくみ上るようだったし、その短い言

葉の一言も聞き漏らすまいと耳へ血液が駆

け登った。

 が、その言葉の真意を理解するより早く

ベッドで寝こんでいた長兄が起き上がって

抗議していた。


「父上、それは…っ」

「反論は許さん。

 そもそも体調管理のできぬ者をパーティ

 に連れて行くことなど出来ん。

 お前は自己管理の甘さを一年かけて反省

 しろ」


 長兄のそれとは違い、父の声は大きくも

なかったし震えもしていなかった。

 けれども静かでありながらそれ以上の怒

りや苦みを含んだ声で、自分のみならず長

兄をも黙らせた。

 それ以上の言葉を出る前から断ち切るだ

けの静かな迫力があった。

 そのまま部屋を出ていく父の背中を呆然

としたまま見送った兄は、同じように驚い

て動けずにいた俺の存在を思い出したよう

に無言で睨みつけてきた。

 掛布団を握り締める手の爪は力を入れ過

ぎて白くなり、俺を映す目の奥は憎悪とも

嫉妬ともとれる熱で燃え盛っている。

 誰かにこんなにも激しい感情をぶつけら

れたのは、生まれて初めてだった。

 空気のように、最初からいない者のよう

に扱っていた者に一晩と言えども一家の次

期代表としての座を奪われたことは長兄に

とって初めての挫折だったのかもしれない。

 しかもそれで自己管理がなっていないか

らだと詰られれば、矛先は自分に向けるし

かない。

 けれどもそれだけでは納得できない感情

がその胸の奥にはあるのだろう。

 そんな感情を抱くことがなかった自分に

は本当の意味で兄の気持ちを理解すること

は出来なかったが。




 そしてクリスマス当日、初めてクラウデ

ィウス本邸を訪れた俺は本邸のダンスフロ

アの装飾の豪奢さや自宅の敷地面積の何倍

もあろうかという庭園の広さ以上に、ごっ

た返す淫魔と人の多さに驚き戸惑った。

 広いダンスフロアだけでは足りずに、手

入れされた庭園の前にも美しい細工のガラ

ス容器のキャンドルがいくつも配置され、

夜の庭園を薄暗く照らしていた。

 ロンドンのターミナルとまでは言わない

が、クラウディウス家の親族・親類とクラ

ウディウス家の招待を受けた客しかいない

はずなのに、広いはずのフロアが少々手狭

に感じる程度には淫魔と人が溢れていた。

 俺は会場に着く前に父から受けた言いつ

け“お前はフロアの隅に居ろ。誰とも話さ

ず目を合わせるな”を忠実に守り、クラウ

ディウス家の現当主に父と共に挨拶に伺っ

た後はフロアの隅で壁に凭れて俯いていた。

 父に言われずとも俺は自主的にそうして

いたと思う。

 招待客の中には人間もいる関係もありフ

ロアの一角には人間用の食事が用意されて

いた。

 けれど会場の大半は淫魔である為、人間

用の食事を口にすることはない。

 むしろその人間をダンスや談笑の合間に

リップサービスを兼ねて味見するのが暗黙

のルールのようで会場の空気はどこか重く

ねっとりと喉の内側に絡みついてくるよう

な気さえした。

 またフロアの別の一角には通称“鳥籠”

と呼ばれる装飾された大きな檻の中に鎖で

繋いだ人間を入れ、それを若い淫魔に犯さ

せる余興も行われていた。

 淫魔は己の持つテクニックを駆使して人

間から精気を吸い取り、吸われる人間は歓

喜して快楽を貪った後に壊れてむせび泣き、

観客たちはそれに触れることなく目で愛で

ながら談笑する。

 その様がまるで鳥を愛でるのに似ている

からと誰かが命名したらしい。

 淫魔がクラウディウスの縁者であれば自

分の技量を公で誇示するという意味合いを

もつし、そうでない淫魔であればクラウデ

ィウス家にアピールをするためのパフォー

マンスなのだと知ったのは後の事。





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あきゅろす。
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