Tricksters
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「……おはよ、寧ちゃん。」



 残暑がやっと去り始めた朝の光の中、名前を呼ばれる。その一瞬間、永遠の幸せに包まれたような気分になった。

 例えば、土砂降りの雨の中派手に転倒して、周りの憐れみに満ちた注目を浴びていても。例えば、お気に入りの服をダメにしてしまっても。そんな憂鬱も吹き飛ばしていく力が、その一言には備わっていた。

 ――こんなことは、今までなかった。まるでこれが初恋であるかのように、鼓動が鳴り止まない。



「……おはよう、ヤス君。」



 寧が返すと視線が交わって、ふわり、唇が重なる。優しく、何度も何度も口付けられる。二人にとって今、この空間は“祈りが要らない世界”になっている。



「ね、朝から一発ヤる?」

「……何言ってるの。私、昼から仕事なのよ?先輩との大事な打ち合わせが入ってるのに。」

「冗談だよ。えーっと、俺らのライブレポまとめるんだっけ?」



 和洋の言葉に、寧は頷く。「その後は先輩と飲むの」と嬉しそうに語った。沙伊花と会うのは久し振りだ。

 彼女は最近デビューした現役女子高生シンガーソングライターの専属取材を任され、今はその子との距離を縮めているところ。「素直な子でね、あの子が書く詞みたいで親しみやすいのよ」と言っていた沙伊花だったが、女子高生と20代後半の女性が仲良くなるには、少なからず年齢の壁がある。しかし、長年多くの人と接してきた彼女は、着実に親密度を上げているらしい。流石はプロの編集者だ。



「その先輩、トリスタのファンなのよねぇ。CD全部持ってるみたいよ。ライブのDVDもあるって言ってた。」

「へぇー……じゃあ、俺らのライブにも来たことあるのかな?」

「ううん、チケット争奪戦でいつも負かされてるみたい。だから、タダでライブに行けた私のことを羨ましがってたわよ。
今日は絶対、相談ついでに色々聞かれるわね。」



 クスリ、笑い合った二人。「シャワー浴びてきなよ」という和洋の言葉に頷いて、床に落ちていたシャツと下着を拾った寧は、彼に渡されたバスタオルを羽織り、ゆっくりとベッドから抜けていった。


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