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03
 トリガーを引けば構えた矢は真っ直ぐに男へ向かって射出されるだろう。ロイは相手を脅すように低く問いかける。
「夢を…」
「え?」
「夢を…見ていたんだ…」
 しかし、男から紡がれる言葉は、ロイの質問に対してのものでは無かった。こちらの質問に答える気は無いようで、男は聞かれた問いとは全く関係のない話をぽつり、ぽつりと話始めてしまう。
「ある時、私は鳥だった。大きな翼を広げ、光を受けて大空へと羽ばたく。眼下に見えるは青い大地。何処までも雄大な自然が広がり心地がよい。暫く自由な大空を楽しんだ後飛び疲れたなと思ったところで止まり木を探した。翼を休ませるためだ」
 男は相変わらず外に視線を向けたまま。誰に聞かせるでもなくただ話を先へと進める。
「休憩に立ち寄ったその木の下で私は一人の女性と出会った。彼女の名前はアンジェリカ。春風の様に暖かく柔らかな雰囲気を持つ女性だ」
 そこで一度言葉を切った男は、真っ直ぐにロイの方へと視線を移しふっと笑う。
「悔やんだよ。私という存在が鳥というものであることに。私は心から彼女という存在に近付きたいと願ってしまったんだ。たぶん一目惚れだったんだろうな。彼女に触れる指先を。彼女とともに歩く両の足を。彼女に話しかけるための声を…それぞれ欲しいと願ってしまった。小さな小さな鳥がそんな大きな事を願うなど、浅ましい話ではあるがね」
 まるで歌を奏でるように男は言葉を紡ぐ。そこに宿るのはほんの僅かな哀しみの色。
「奇跡的にも私の願いは天に聞き入れてもらえた様だった。気が付けば私の姿は一羽の鳥ではなく、一人の人間の姿へと変わっていた。多分、この時初めて神に感謝の気持ちを抱いたのだと思う。急いで彼女の元へと走った私は、勇気を振り絞って彼女に話しかけたてみた。始めは驚いていた彼女だったが、やがて優しく微笑んでくれた後私の気持ちを受け入れてくれた」
 「嬉しかった」。男の話は一度此処で途切れた。
 ロイは男の話に耳を傾けている間、複雑なものを感じていた。この話を語るという行為は自分を油断させるための演技かもしれない。警戒を怠るなと頭では理解はしている。しかし、不思議とその話を途中で遮ろうという気持ちは湧いてこないのだ。暫く目を伏せ静寂を楽しんだ後、男は再び話を続ける。
「空を翔ることしか知らなかった私は、彼女と会っていろんな事を学んだ。生活する知恵やコミュニケーションの取り方。私の知らない色んな知識を彼女は持っていて、全てが新鮮で楽しいと感じる。彼女と共にある喜び。それが私の全てであり生きる理由となるまでさほど時間は必要としなかった」
 ふと足音が一つ耳に届く。聴覚がそれを捉えるのに、頭の思考回路の回転は非常に遅く正確な情報が認知出来ない。響いた靴音が一歩ずつ自分へと近付いてくるのは何となく理解していたが身体が全く言うことをきかないのだ。それを頭では理解しているのに、金縛りにあったかのように奪われた体の自由。
「夢の中は確かに幸せで満ちていた。いつしか私は鳥であったことを忘れ、人として生を紡ぎ始めていた。隣には常にアンジェリカが添い、ただ穏やかな時間だけを過ごす。暖かな夢。小さな幸せだ」
 白い白い手。血の通わない透き通った白がロイの首に触れる。
「それなのに…」
 首に触れた指先に力が籠もった瞬間、ロイの意識は現実へと強制的に引き戻される。
「何故眠りを妨げた! 何故私を向こう側からこちら側へと呼び覚ましたのだ!!」
「離しやがれっ!!」
 乾いた音を立てて跳ね上がる掌。真っ直ぐに向かう殺意に背筋が凍り付く。
「アンジェリカは何処だ? 貴様が彼女を隠したのか?」
「アンジェリカなんて居ねぇ! 始めから此処にはテメェ一人だけが眠っていたんだ!! 他には誰も居やしねぇんだよっ!」
 素早くボウガンを構えトリガーを引くと鋭く尖った矢の切っ先が男の肩の肉に食い込む。
「っっ!!」
「良いか! よく聞け、化け物! 俺が此処に来たとき、この城は茨に覆われて堅く閉ざされていた。一体何時からこうだったのかは知らねぇが、少なくともここ何十年とこの城に人間の入った形跡は見あたらねぇ。それを証明するかのように埃が層になって辺り一面に積もっていたんだからな」
 矢のストックをボウガンにセットし構えながらロイはゆっくりと距離を取る。
「今は…」
「何が?」
「今は何年になる?」
 矢が刺さった肩が痛むのだろう。男は端麗な顔を歪めると縋るようにロイの方を見ながらそんなことを聞いてきた。
「今は五一××年になる。それが何だ?」
 酷く寂しそうに揺れる翡翠色の瞳。
「そうか…もう…そんなに経ってしまったのか…」
 左肩からの出血で白のブラウスが赤く染まっていく。男は瞼を伏せ気を落ち着かせると、一気に肉にめり込んだ矢を引き抜いた。
「……すまなかったな…」
 小さな音を立てて転がる鉄の矢。男はもうロイの方を見ようとはせず再び窓の外から景色を眺める。
「外の景色はこんなにも変わってしまっていたのか」
 記憶の中にある優しい色はもう何処にもない。日が出ていると言うのに暗く重い色を見せる城の中と外。美しく咲き誇っていた花は一輪も残さず消え失せ、代わりに歪な蔦が灰色の城壁に溶け込むようにして絡み付いている。
「お前は此処に何をしに来た?」
 ようやく自分の存在に興味を示したのだろうか。今更ながらロイが此処に居る理由を男が聞いてきた。
「アンタを狩りに来たんだよ」
 投げられた質問に対し、村人からの要請で古城の調査とクリーチャーのハントを依頼されてきたのだと答えれば、目の前の男は僅かに表情を崩し笑う。
「馬鹿にしているのか? 人間なんざ足下にも及ねぇ非力な存在だって」
「いいや。そうではないさ」
 ぽたり。袖を濡らし指先を伝う紅い滴。それは無機質な灰色の上に落ちて小さな円を形作る。
「私にも終わりが訪れることはあるのだろうかと不思議に思っただけだ」
 ずっと感じていた違和感の正体。この部屋に…否、この男に出会ってからというもの、何かしら気持ちの悪い不快感を感じていたが、その形がようやく見えてくる。
「もしかして…アンタ、死にてぇのか?」
 そう問えば、男は素直に首を縦に下ろした。
「…………なら、他を当たるんだな」
 自殺願望者に要は無いと。構えていたボウガンを下ろすとロイは持っていた荷物を片付け始めた。その間一言も言葉は発さない。全てを一つに纏めた荷物を肩に背負うと、部屋の扉に手をかけ出ていこうと足を動かす。
「殺さないのか? 仕事なんだろう?」
 背後から己を呼び止める男の声。
「死にたがりの化け物を殺して何になるんだ。アンタが人を襲うってんなら俺もそれなりに戦わねぇといけねぇんだろうけど、アンタにはもうそんな力も気力も残されてねぇみてぇだし。放って置けば勝手に自滅すんだろ? 生憎、命乞いすら出来ない敗北者に終止符を打ってやるほど俺は優しい人間ではないんでね」
 何故だろう。この男の事が無性に腹立たしく、吐き捨てるようにして呟いた言葉。
「それじゃ、邪魔したな」
 これ以上この男と話をしていると気分が悪くて吐きそうだ。さっさと此処から出て次の依頼でも請負い仕事がしたい。そう判断したロイは振り返ることなく部屋の扉を開け一歩足を踏み出す。
「待ってくれ!」
 何時の間に近付いてきたのだろうか。不意に左腕を引っ張られるような感覚を覚えロイは動きを止めた。
「このまま…居なくなってしまうのか?」
 当然だろう? 此処にはもう用がない。帰る途中でこの城の報告書を纏めハンター協会に転送してやればロイの仕事は終わりである。要監視とでも備考欄に記載してやれば、直ぐにでも代わりのハンターがこの魔物と古城の監視に訪れるだろう。二度とこの地に来てやるものか。そう心の中で悪態を吐き表情を歪めると。男がするりとロイの前に移動し、視線を合わせてきた。
「行かないでくれ」
 その言葉に対しロイは明らかに厭そうな表情を浮かべる。
「何故? 死にたいんだろう? それなら他の奴にでも殺してもら…」
「もう少し話がしたい」
 先程と全く関係ない事を言われ唖然となる。呆気に取られていると男の頭が自分の肩口に埋まる感触を感じた。そっと男の腕がロイの身体を抱きしめる。何故こうされなければならないのかと理由を考えていると、ふと首筋に触れる唇の感触。
「何すんだ!!」
 これで二度目。直ぐに状況を理解し、慌てて男の身体を突き飛ばし距離を取る。
「油断も隙も無ぇな、テメェはよ!!」
「……違う…」
 男がもし吸血鬼と呼ばれるフリークスならば、今ここで自分の喉元に牙を立てられていたのかもしれない。鋭い犬歯が皮膚を破り肉に食い込み血管を傷つける。そこから溢れ出す紅い滴を喉を鳴らし啜る光景を想像してぞっとし歪める表情。
「血を吸うつもりだったんだろ?」
 殺してくれと口では言いつつも行動は実に巧みに生きる術を探す。そのやり方は非常に巧妙で汚い。だが、これでこの男を狩る理由が出来てしまった。
「おめでとう。テメェは立派にハントの対象になったようだぜ」
 片付けたボウガンの代わりに抜き取ったコンバットナイフ。それを目の前で構えるとロイは低く姿勢を落とす。
「違うんだ…血が吸いたいわけじゃない…」
 だが男はそんなロイの殺気にも動じることなくただひたすらに悲しそうな表情を浮かべ瞳を揺らした。何だか調子が狂う。非常にやりにくい。
「それなら何をしようとした?」
 この男は理解不能だ。今まで出会ってきた化け物のどのカテゴリにも分類されない。対処の仕方が判らない。どうしてこんなにも引っ張り回されてしまうのだろう。無意識に自分のペースを崩され苛苛が積もる。
「ただ…温もりを感じたかっただけだ」
 空っぽの腕を広げて宙に投げ出すと男は力無く笑った。その笑顔が今にも泣き出しそうで思わず動揺してしまう。
「この腕は冷たいんだ。もう…生を刻む事がないからな。それがとても寂しく悲しい。なぁ、ハンターさん。少しだけ俺に温もりを与えてはくれないだろうか?」
 いつの間にか溢れだした涙。それは白い頬を伝い服に小さな染みを作る。
「もう一度だけ触れてみたい。アンジェリカがしてくれたように…ほんの僅かな時間だけで構わないから…」
 幼い子供が母親の温もりを欲するように、目の前の男はロイに縋るように腕を伸ばす。この手に捕まったりしたらいけない。そんな危機感から一歩、また一歩と後ずさり距離を置く。
「何もしない…約束するから…」
 温もりが欲しい。そう言われ無意識に足が止まってしまった。
「俺は…」
 一体何がしたい?
 気が付けば、ロイは再び男の腕の中にいた。その腕は男の言った通り酷く冷たい。今なら目の前の男の心臓めがけてコンバットナイフを突き立てられる。そんなことを頭のどこかでは考えているのに、その考えを行動に移すことが出来ない。自分の意志で制御出来ない自分の身体が疎ましいと感じる。男の思惑通りに運ぶ事の展開が非常に腹立たしい。
「ああ…暖かいな」
 一体どれくらいの時間をそうやって過ごしていたのだろう。突然男の身体が後ろへ引くと、腕の中から解放される。こいつはそれで満足したのだろうか。

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あきゅろす。
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