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日記やネタ倉庫 思い付いた物を書くので、続かない可能性大。
2017-04-10(月)
とある龍の話8(江戸)

吾が自分を認識した時には、既に殻の外から泣き声が聞こえていた。

まず感じたのは寂しいという強い感情。次に声の主が半身である雨竜である事、自分が晴竜である事が本能で分かった。愛しい片割れ、なぜ泣いている、守らなければと思い手を伸ばすと、つるりと堅い曲面に触れた。吾は羊水に満たされた殻の中にいた。

そうだ、吾はまだ産まれてない。諦念にも似た感情が湧き上がる。その時、初めて自覚したが、吾は余りにも永い間、その感情に浸されていたようだった。

会いたいと泣く半身の声を聞き、胸が締め付けられるように辛かった。吾も会いたくて仕方がなく、己の体が早く出来るように願った。ずっとずっと、毎日毎刻毎瞬願った。だが、いくら経ってもどれだけ時間が過ぎても吾は孵らなかった。何故と自問しても、そもそもどうやって孵るのか分からない。

ごめんなさい

悲しい悲しい

ごめんなさい

嫌いじゃないよ

ごめんなさい

出たいけど出れないの

ごめんなさい

だから、貴方のせいじゃないよ

どんなに貴方に訴えても、声は貴方に通じない。
貴方は自らを責めながら吾に話し掛ける。

謝りながら何もできない苦しみ。何故、此処から出れないのだろう。体すらも出来ていない出来損ない。あまりにも長い間ここに居るから、意思を持ってしまった。貴方を抱き締める体を持っていないのに、悲しみを感じる心を持ってしまった。

寂寥感は耐えきれず、殻が割れてしまいそうだった。

ある日を境に、貴方は泣かなくなった。その代わり、貴方は沢山の事を話してくれるようになった。

独り身の晴竜に武術を教えてもらっている事。初めて青空を見た事。同じ雨竜達と駆けっこをした事。花を育てている事。狩りの腕が上達した事。

その全ての言葉を一字一句聞き逃さないように耳を澄まし、忘れないよう貴方の言葉を復唱した。産まれた時、貴方を誉めてあげたかったから。頑張ったね、凄いね、偉いねと誉めて頬を撫でてあげたかったから。

でも産まれない。

暫く経つと、殻の向こうの貴方の声は変わっていった。以前の小鳥のように高く可憐な声ではなく、まるで巌のように太く低い声になっていた。声の聞こえる位置から、貴方の背丈が伸びた事もわかった。

その時の気持ちを何と言えば良いのか分からない。貴方が変わらなければならない状況下においた自分が不甲斐なく、苦痛をともなう自己の改変を行う貴方が痛ましく、そして憐れだった。だって、吾は産まれない。貴方がどれだけ頑張っても産まれない。そして、そこまで愛されている事に僅かな安心を得てしまった自分が途方もなく情けなかった。

話す内容も変わった。

保護してくれていた晴竜から巣だった貴方は、自分が産まれた樋川上の地に居を構え治めた。土地の主となった貴方は沢山の仲間を得て、同時に失い、配下を護る為に戦い、裏切られて傷付いた。強くなったと言えども、恵みを司る雨竜、貴方を狙う悪辣な輩は少なくなかった。そいつらは時には拳や言葉で貴方を害そうとした、時には貴方を使役しようとした、時には勝手に期待して貴方を罵った。柔らかい貴方の心は傷付き、それでも何度も立ち上がり立ち向かって行った。だが、心が限界にくると、貴方は吾を抱き締めて、心の内を吐露した。

友と思っていた者に乱暴されそうになった、自らの力によって懇意の陰陽師が狂った、自分のせいで幼い鬼の兄弟が死んだ、配下が自分を無能と責める、同じ雨竜を救えなかった。

何でだろう。

本来ならば、貴方が今いる場所は吾がいるべき場所だ。吾が悪辣な輩と戦い、吾が酷い言葉を受け、貴方は吾の背に守られて大事に大事にされるべきなのに、綺麗に着飾って笑って幸せにならないといけないのに。

ごめんね、吾には体がないから、だから君を守れないの。

吾は殻の中で貴方を慰めて謝り、存在しない瞳で泣いたが、それは貴方に通じなかった。

更に時は流れた。

貴方は大きく立派な竜となった。同族でも貴方よりも強いものはいないだろう。そして、貴方は吾に会いたいと泣き請うことはなくなった。滅多に楽しい事や辛い事を話す事もなくなった。ただ、貴方は吾の傍らに横たわり静かに抱き締めるようになった。

もう、それで満足したかのように。吾が傍にいる、それだけで満足したかのように。

いつしか吾は、暇さえあれば存在しない膝を抱えて丸くなり、何度も何度も呪詛のように呟いた。

産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ産まれろ

それでも産まれない。

寂しさと悲しみと焦りと怒りで、頭がどうにかなってしまいそうだった。だけど、吾は壊れる事も狂うこともなかった。

だって、吾にはおかしくなる頭もなかったから。

そんな中、あの男が来た。まるで虫が湧くように、梅雨の激しい時期にやってきたその男は、人の道から外れた外法師だった。外法師は貴方に面会して貴方に告げた、「晴竜を孵したくはないか」と。貴方の部下がその時の事を話していて、それを聞いた。吾はもう嬉しくて嬉しくて、貴方は絶対この話しを受けると思った。狂喜だった。だって、やっと会えるのだ。2千年も待ち続けていたのだ、狂わしい程に待ち続けていたのだ。触れ合い言葉を交わすその時を。

だけど、貴方は断った。断ってしまった。

その時、貴方の部下は貴方を酷く問い詰めていた。あの子は貴方の部下の中でも古株の一人で、幼い貴方に寄り添い貴方を弟の様に思って大事にしていた。貴方が孤独に耐える姿も見ていた。だから、例え外道でも貴方と吾を会わせたかったのだ。吾がいる卵の前で貴方たちは激しく言い争い、貴方はあの子の腕を切り落としてしまうほどだった。あの子は力の強い女郎蜘蛛だから生えてくる。だが、慈悲深い貴方が普段ならば絶対する事のない所業に吾は絶望した。だって、それほどに決意が固く頑なだという事だから。

「大丈夫だよ、安心してくれ晴れ。某は君を守る。妖しい外法なんかを使用したりしない、君を危険な目に合わせる事なんて決して行わない。君が自然に満ちて産まれてくれるまで、万年でも待つよ。だから、安心してゆっくり産まれてくれ」

違う。違う違う。吾は今すぐに貴方と会いたい触れ合いたい。もう嫌だ待つのは嫌だ。月足らずでも良い、肺や心臓が出来てなくてもいい、血が溶けても産まれた瞬間崩れ落ちても良い。ただ一言、貴方に話しかけ貴方を見つめる事ができれば、それで良いんだ。会いたい会いたいよ雨、私の宝物、貴方に会いたいよ貴方を見つめたいよ貴方に触れたいよ。外法でも良いじゃないか、人間を使っても良いじゃないか。お願い雨、あの男を帰さないで、お願い雨。

その時の吾の狂騒は凄まじいものだったと思う。一度希望を感じてしまった分、その絶望は深く、世界を呪い、他の竜を羨み、あろうことか大切な半身を責めるような暴言すら吐いてしまった。そして、その2千年分の絶望が濃縮されたような感情は、この世の決まり事さえも捻じ曲げた。

この時、吾は初めて外に干渉し、外法師に語り掛けた。おそらく、産まれていない吾が外に干渉できたのはこの時だけ、外法師に話しかける時だけと思う。2千年の絶望が向かう先は愛おしい雨竜ではなく、この状況を打開する外法師であった。いや、全く無関係で吾を孵す術以外に価値のない外法師だからこそ、吾は干渉できた。だって、あの時の吾は歪んで歪んで腐りかけて、そんな吾が干渉したら、優しい雨が傷ついてしまったかもしれなかったから。

外法師は驚いていたが、吾は有無も言わせずに契約を交わした。あの子の思いや決意を蔑ろにして、事が起こった後にどんな騒ぎになるか考えもしないで、なんと自分勝手で軽率な事か。

だから、あの時に起こった事は自業自得なのだろう。吾の母胎となった百姓の女は、貴方を崇める樋川上の地に住む子のない夫婦だった。その女は学もなく思慮深くもない、愚かな女だった。だからこそ、女は夫婦は全てを捨てて吾を守ろうと逃げた。ああ、母の愛とは何と深いものか。そして、子が母を慕う気持ちは何と強いものか。人間なんてどうでも良かったのに、吾を孕むだけの女なぞ、吾を産めば死のうが苦しもうがどうでも良かったのに。子となった瞬間から、この女を慕って求めてしまう。吾を貴方から引き離す憎い相手なのに。この時、吾にとって貴方よりも大切な存在となってしまった。

「晴れぇぇぇぇ!何処だ何処なんだ、ああぁぁぁ、嫌だ嫌だ某の某の晴れ、嫌だ、会えないなんていやだぁ!そんな嫌だ、見えない触れない、居なくなった某の晴れが居なくなったぁぁぁぁ!嫌だ嫌だ嫌だぁぁ!うあぁぁぁ殺すっ、探せ!草の根を絶やしても探せ!下手人は某が殺してやる、この世の苦痛を全てを味わせてやる、目をくりぬき、舌を抜き、鼓膜を破き、蟻の巣に捨てて、自らの臓物が腐る臭いを嗅がせてやる。呪われろ呪われろ呪われろ地獄に落ちろ腐り落ちろ未来永劫終わらぬ苦痛をっ」

だから、吾は腹の中から逃げる両親を守った。吾を探す沢山の妖怪、精霊から見えないようにした。吾がいないことに気が付いた貴方の慟哭と絶叫を耳にしても、貴方を呼ぶことはなかった。もし、気付かれたら、怒り狂っていた貴方は母を殺し母の腹から吾を引きずり出して取り戻そうとするだろうから。

ごめんなさい、ごめんね雨
吾は貴方を苦しめて傷付けてばかり
ごめんなせぇ、おっかぁ、おっとぉ
あっしは人でなしでやんす

夫婦は旅芸人の一団に拾われた。それから一月後に吾は産まれ、産まれる以前の事は忘れた。


「とある龍の話8(江戸)」へのコメント

By .96ガロン
2017-04-25 20:57
狂喜乱舞
pc
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By にくみく
2017-11-08 20:31
ほんと好きです。いつも有り難うございます。
意思疏通はできなかったけどずっと側にいてくれた晴が突然消えてしまった雨の気持ちを思うとつらい。
続きが楽しみです!
pc
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