[携帯モード] [URL送信]

日記やネタ倉庫 思い付いた物を書くので、続かない可能性大。
2017-02-19(日)
とある龍の話7(江戸)

まるで鼈甲のように磨かれた床板の廊下を歩く。目的の部屋に辿り着くと、先導していた中間は障子を開き、日青に向かい合って頭をさげた。

「こちらでございます」
「へえ、ありがとうございやす」

ペコペコとしながら日青が案内された部屋に入った瞬間、強烈な香りの塊に包まれた。

「うっ、こりゃぁ」

それは白檀を基調として、幾つかの香木を混ぜたような匂いがした。高価な物なのだろう、強い匂いではあるが不快な物ではない。だが、その密度が強烈だった。三日三晩の間、密室で香を火事のように焚いて濃縮させたような匂いだった。

「主人は後ほど参ります故、座してお待ちくださいませ」
「いや、あのっ」

思わず後ずさるが、中間が有無も言わさず障子を閉めてしまった。しかたなく、日青は袖で鼻を庇いながら、恐る恐る部屋の中に歩みだす。歩く度に、爽やかで落ち着いた香りが日青を取り囲み絡み付き、息をする度に肺から臓腑へ染み渡る。それはまるで香りという名の湯の中を歩いているかのようであり、おそらく日青の為に敷かれた座布団へ辿り着く頃には頭は湯だったように呆となっていた。

なんとか座布団の上に正座する日青は、匂いから気をまぎらわそうと部屋に視線を巡らす。部屋は客間のように広かったが、戸が閉めきられており障子には薄絹が掛けられて昼でも薄暗く正確な広さは分からない。部屋の中心に座った日青の目の前にも、天井からも薄絹が垂れ下げられており大きな部屋を二分していた。

カチ カチ カチ カチ

「何やんしょ……」

何か規則的な音がする。目を凝らして見ると、日青と天井から垂らされた薄絹の丁度中間の辺りに不可思議な物が置かれていた。手のひら程の大きさの、小さな衣紋がけのような木工細工から紐が五本垂らされ、その紐の先に小さな金属球が結び付けられていた。1列に並んでいる金属球の右端の球が左隣の球へぶつかり、その反動で反対側の左端の球が持ち上がり、右隣の球へぶつかる。すると、またその反動で右端の球が持ち上がる。それが何度も繰り返され、先程から聞こえるカチカチという音を産み出していた。

薄暗い室内、満たされた心を和らげる性質を持つ香の匂い、聞こえる規則的な音。

それは日青の精神を遠い所へ飛ばしていった。体が弛緩し、眠りと覚醒の中間、人間の心が一番無防備になる状態。後世の学者達が催眠状態と呼ぶ状態に日青がなったのを見はかり、部屋の中に数名の影が入ってきた。身を清め、白装束を見にまとった人の少年少女達は日青を中心とし、彼に背を向けて座った。日青は彼等に気付かない。ただ、無心に音がする小さな玩具を見詰めていた。

子供の一人が緊張した面持ちで、手にしていた五色の紐の片端を隣の者に渡す。紐を渡された者は紐の一点を握ったまま、隣の者に渡す。それを繰り返し、最初に紐を取り出した子供に紐の端が戻った時、少年少女達を起点として五色の紐によって星形が出来ていた。紐の両端を右手で握った子供は己の右手を左手で包み、両手を頭上に掲げて畳の上へ降り下ろす。すると、その袖に縫い付けられた鈴がリンとなった。子供は拳を畳に押し付け、拳に頭をつける形で踞ると動かなくなった。その後、四つの鈴の音がし、五人の子供達は踞り動かなくなった。

「お待たせしたなお客人よ」

天井から垂らされた薄絹の向こうから声がした。声音は十代の少女のようであるが、その声は威厳に溢れて尊大で、声の主がこの屋敷の主人である事を示していた。

薄絹越しに見える微かな影が動き、主人が日青の対面に座った事がわかる。

「さぁて、少し話をしようかねぇ、婆の話にお付き合い願おうかい。あんた、竜って知ってるかい?」

老齢な少女の声が、笑いを含みながら唐突に告げた。催眠状態にある、日青はその問いに素直に答える。

「へえ…、雨とか降らしたりする」
「ああ、それは水神としての竜だね。この日の本では竜神信仰は深く広く浸透している。そも、竜神という概念は大陸から渡って来たとも言われているが、信仰自体はその遥か以前よりあると言われており、国の政には必要不可欠なものだ。分かるか?」
「いえ……、分かりやせん……」

竜神という概念以前に信仰があったという言葉の矛盾に、日青の頭の中に疑問符が飛び交う。

「ふふふ、簡単な事さね。竜神という概念が入ってくる前に、大和の民は細く長い存在を祀るという事をやっていた。川や洞窟、山脈なんかをね。それが大陸からやって来た竜神という概念と結び付き、竜神信仰が生まれたのさ。竜神と言いながら蛇を祀っている社とかあるだろ?ありゃ、蛇が竜神の眷族だからってのもあるがね、形に意味はないから適当になってるやつもあるのさ。そこにある物を祀る為、分かりやすく竜神ってのの形を使っているだけ、てな具合にね。何が言いたいかって言うと、大陸の竜とは違い、ここ日の本の国では一口に竜神と言っても沢山の種類がいるのさ。山を守っているありがたい竜もいるし、男にふられて焼き殺すようなちんけな竜もいる」
「あい」
「そこで、とある竜の話をしよう。それは雨竜と晴竜だ。国津神の系譜である。この竜は一対で産まれ、互いに陰と陽を司る。陽は晴竜。その名の通り、晴れを司る。土地の陰の気を吸い上げ、陽の気に変え、土地を照らす。陰は雨竜。雨を司り、陰の気を産み出して土地を潤す。この竜はね、面白い習性があんだよ。まず先に晴竜が産まれ、後に産まれる雨竜の子育てを行うのさ。産まれた雨竜は晴竜に陰気を与え、それによって力を増した晴竜は雨竜を手中の珠のように可愛いがり、慈しみ、護る。その後、番となった雨竜と晴竜は土地を治め、その土地は完璧な陰陽のバランスを持つ豊かな地となる。だがね、この竜には少し困った問題がある。時々、産まれる順番を間違えちまうのさ。雨竜が先に産まれた時は、悲惨なものさ。守ってくれる晴竜がいない雨竜は、妖怪の格好の餌となってしまう。死んじまったら、次は晴竜だ。番がいない事に絶望し、邪竜になっちまう。おやおや、なくんじゃないよ。あんたが泣くと乾く」

日青の瞳から涙がこぼれ落ちる。すると、それに呼応するかのように空気が渇いていく。

ほとほと
ほとほと

日青の瞳から涙が滑り落ち、その涙が削ぎ落としたかのように乾く。乾くのは空気だけではない。日青が座っていた座布団が色褪せたかと思うと、まるで梅雨明けの紫陽花のように萎びて厚みを無くし、しまいにはサラサラと砂のように崩れてしまった。それは日青の真上に位置する天井、日青が座る畳にも広がり、乾きによって発生した家鳴りが雨垂れのように部屋中に響き渡っていた。

パキパキパキパキパキパキパキ

上から下から左右の壁から激しい家鳴りが発生する。その乾きは五色の紐の内側に留まってはいるが、恐怖を感じてしまう程だった。

「困った仔だねぇ」

屋敷の主の影が薄絹の向こうで二三度手を振ると、途端に家鳴りが収まった。だが、渇きが完璧に止んだ訳ではなく、先程よりは勢いが弱まったものの、日青の周りの畳や座布団はサラサラと朽ちていた。

「話を続けよう。ある晴竜がいた。邪竜との戦で番をなくしてしまった晴竜は、このような悲劇を二度と起こしてはならないと心誓った。嗄野と呼ばれた晴竜は一人で生まれた雨竜を晴竜が産まれるまで保護し、守役をつけた。嗄野のおかげで雨竜が死ぬことはうんと減った。そうするうちに、新しい問題が出てきた。産まれない晴竜だ」

主の言葉を聞いて日青の喉がヒュウと鳴り、彼は拝むように両手を合わせて頭を垂れた。それは、生前の己の罪を閻魔様に言い当てられた亡者のようだった。

「今まで死んでいた雨竜に埋もれていた産まれない晴竜。おそらく、雨竜が死ぬと共に死んでいたのだろうね。普通は百も経てば産まれるんだけど、雨竜が心身ともに健やかなのに産まれない。半身が産まれない雨竜は、一人ぼっちで卵を抱えて泣いてないてねぇ、本当に可哀想だった。一番長い仔は千をゆうに超え、自分が悪い自分が悪いと己を責めて卵に謝っていた」
「っ……う……」
「その仔はある日、不甲斐ないと言った。雨竜だからと言って晴竜に護られて当然と考えているような、そんな腑抜けた不甲斐ない者のもとに産まれたいと思う者がどこにいると。先に産まれた自分達が晴竜達を護り導く気概がなくてどうすると。だがね、それは酷な事なんだ。雨竜は晴竜に愛され慈しまれ護ってもらう存在。そういう風に出来てるんだ。隔り世の存在がその性質を曲げると言うのは、大変なことだ。苦痛すら伴う。だが、あの仔達は苦痛に堪え、強くなった。細く柔らかな手で武器を握り、霊気を操る術を学んだ。また、心を鍛えるために神霊や妖の御用聞きのような事もしてねぇ。うんと頑張っていたよ」
「う……うぅ」
「柔らかな掌は堅く大きな物となり、小さく可愛いらしい見た目だったあの仔達は大きく逞しくなった。自らの有り様すら変えるあの仔達の想いが通じたのか、何柱の卵が孵った。だが、全員ではなかった。やはり、孵らない卵もあった。あの仔の卵は帰らなかった。…………なあ、【日青】よ。この名は誰がつけた?貴方の父母ではあるまい。土の者である彼等がつけるような名前ではない」
「ババが……占い婆が、うっ、つけてくださいやした。この仔の名は……それ以外はあり得ぬ……つけてはならぬと」
「占い婆は全て知っていたね。恐らく民に還った陰陽道の使い手だったのだろう。貴方達一家を竜達から隠し続けたのも占い婆だ。常法ではできぬ。恐らく外法にも通じていたのだろう。そんな女が貴方の父母を庇ったとは、貴方の父母はよっぽど必死に貴方を護ろうとしていたのだな。だが、貴方が戻るときに不便がないよう、この名をつけたのだろう。だから、他の仔と違い、貴方は陽の強い気に満ちている……どんな女だったのだろう。生前に会ってみたかったねぇ。さて、話を戻そう。今から五十年前、とある外法師が産まれない卵を持つ雨竜に近付いた。外法師は卵を孵してみようと言った。雨竜にとって、晴竜の卵は唯一無二の存在。晴竜の卵を盗まれ、人間に使役される事もあった。だから、最初は雨竜達も外法師を無視した。だが、ある雨竜は孤独に堪えきれずに晴竜の卵を渡した。それは、二番目に長く晴竜を待っていた仔だった。そして、外法により晴竜は産まれた。それからは大混乱さ、狂乱と言っても良い。雨竜は番を誕生させた外法師を手厚くもてなし、金銀財宝のみならず、霊験あらたかな品物も惜しげもなく渡し、末代までの守護を誓った。他の雨竜達は外法に拒否感を持っていたものの、孤独には勝てなかった。外法により、産まれなかった晴竜が次々に産まれた。そうして、最後には皆を諌めていたあの仔も外法に頼った。だがね、外法師も雨竜も産み親の気持ちを考えていなかった。外法とは、卵を胚にして子に恵まれない女に産ませるというものだった。願っても授からなかった夫婦に、一時だけ親の役割をさせ、産まれてすぐに引き離してしまう。雨竜は残酷な事をしたよ」
「違う!」

俯いて啜り泣いていた日青が、屋敷の主の一言で弾かれたかのように立ち上がった。異を唱えるその顔は、普段の軽薄でヘタレな風情が嘘のようで、目がつり上がって瞳孔が縮まって激昂していた。その口角は引き裂かれたように上がり、彼が息を吐く度に青い燐光がチロチロと漏れていた。およそ人とは思えない有り様となっていた。

「京の女老に何が分かる。お前はただ場を引っ掻き回して困らせただけだ。妖のくせに人間の味方をして。穴渡の時、あの仔がどれだけ苦労したと思っている。忌々しい京の女老がっ。それが軽々しく残酷だと?笑止っ、お前に分かるか?二千にもなろうかという孤独が、近くにいるのに、吐息すら感じられるのに、殻に隔てられて触れもしない!」

激情によって自らの胸を叩き、髪を引っ張り、屋敷の主を罵りながら日青は困惑していた。次から次から出てくる言葉は止めどなく、まるで地中から湧く湯の源泉のように熱く煮えたぎっている。産まれてこのかた身に覚えのない言葉だったが、それは日青の言葉であった。日青は身に覚えのない感情に動かされて屋敷の主に襲いかかろうとするも、それは五色の紐による結界に阻まれてしまう。

「二千年だぞ!二千年!」

ガドガド

結界に阻まれても日青は諦めない。鈍い音をたてて、透明な壁のような結界を殴り続ける。

「あの仔が悲しむ声を聞き、あの仔が寂しがる声を聞き、何度も出ようとした。吾を護ろうと強くなるいじらしさ、吾を楽しませようと花を捧げてくる愛しさ、何度もその体を抱き締めて良くやったと誉めてやりたかった事か!それが出来ないのだっ」

結界を殴り続ける拳の皮が破け、血が飛び散る。それでも日青の両手は止まらない。それは、結界から出ようとしているというより、自らを痛め付けているようだった。

「待って待って、産まれていないのに意思を持つほど待って、それでも吾は孵らない。二千年たっても体すらも出来ていない出来損ないのせいで、あの仔は苦しんで自分を責めて痛め続けて……護るのは吾の役目なのに、吾があの仔を護らないといけないのに……二千年も待たせたのに……」

あの仔は待つと言ってくれた

「吾が悪いのだ。あの仔は孤独に負けていない。待ってくれると言ったのだ。例え万年を超えようとも待つと。妖しい外法を使用し、吾を危険なめに決して合わせないと。吾を撫でながら言ってくれたのだ。負けたのは吾、堪えきれなかったのは吾、あの仔の覚悟を裏切り、哀れな百姓を利用したのは吾」
「日と青……貴方は最初から晴れだった」

屋敷の主の言葉に答える余裕は日青になかった。日青は思い出していた。自分の素性、自分の役割、豪農の正体、目の前の屋敷の主の正体、自分の罪を。

この時、既に五色の紐による結界の中にいる日青の姿は大きく変わっていた。その肌は晴天にたゆたう雲のように白く、その瞳と毛髪は太陽が宿ったかのように鮮烈な金色だった。耳は魚介のエラのような形状となり、その頭には小さな鹿の角が生えていた。そして、肩甲骨の間辺りに大きな青色の鱗が逆向きに生え、そこからまるで首飾りのように鱗が広がっていた。

「あっしは、あっしは、晴竜。樋川上の晴竜。二千と百余年も産まれない出来損ないの卵」


「とある龍の話7(江戸)」へのコメント

By umgm
2017-03-05 03:41
楽しみにしていました。とても面白かったです。過去の伏線が一気に回収される流れは爽快でぞくぞくしました。過去のお話を改めて読み直して発見がたくさんありました。
卓越した表現や描写がいよいよ神がかり的で、この奇妙で不可思議な世界観を愛さずにはいられません。BLという枠を超えて、春子さんの描かれるお話は唯一無二です。これからも応援しています。
pc
[編集]
By 匿名さん
2017-03-23 03:26
続きを心待ちにしていた者です。遂に日青の正体や伏線が回収されていき、今後の展開がとても気になるところです。気長にお待ちしております。
pc
[編集]
By .96ガロン
2017-04-02 22:40
狂喜乱舞
pc
[編集]
[1-10]
コメントを書く
[*最近][過去#]
[戻る]

無料HPエムペ!