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日記やネタ倉庫 思い付いた物を書くので、続かない可能性大。
2016-05-24(火)
とある龍の話6(江戸)

「日青様」

障子の向こう側から控えめに声を掛けられ、日青は目を覚ました。深い眠りから浮上したばかりの意識は眠りの靄から抜け出せず、暫くは惚けて「あー」とも「うー」ともつかない唸り声を上げて瞼を擦っていた日青であったが、もう一度声を掛けられた瞬間、跳ねるように布団から飛び出して畳の上に正座した。その声は一座の者ではなく、その落ち着いた声音から上等な部類に属する人物だと判断した。旅の一座をやっていると、人の性質を見抜く技術が磨かれる。でないと、よからぬ輩に目を付けられてしまうからだ。漂泊の民とは自由である代わりに身寄りがなく危うい立場である為、人身売買の犯罪に巻き込まれて下手すると大陸の果てに売り飛ばされてしまう。

「ああ、ご就寝中でございましたか。申し訳ございません」
「へ、へい、おはようございやす」
「私は当屋敷の中間をやらせて頂いている者でございます。主人が貴方様との面会を求めていらっしゃいます。どうぞ、身支度をお願いいたします」
「はひっ、ご丁寧にどうも」

障子越しの会話であるにも関わらず、まるで米つきバッタのように頭を下げる。江戸時代では身分差や財産の差による立場の位置づけが現代よりもはっきりしている。正直な話、富める者は立派で貧しい者は卑しいのだ。もちろん僧やら神職の間では清貧という概念はあるが、それは俗世には適応されない。日青にとって、屋敷を所有するようなお大尽様の中間は自分よりもはるかに格上の存在なのだ。

ゆわり

障子がまるで波間に揺れる帆船の様に左右に開き、しゅうと冷たい外気が太陽の光と共に部屋の中に入って来た。この屋敷に来てからずっと室内にいた日青にとって、いきなりの太陽の光は洞穴から外を見たかのように眩しい。思わず浴衣の袖で顔を隠し、日光から顔を守る。

「あら、驚かせちゃった?ごめんなさいね、小さな同胞さん」
「え?」

年を経た女性の声が耳元で聞こえた気がして日青は周りを見渡す。だが、彼がいる範囲から見えるのは、見慣れた室内と開かれた障子から中腰で入って来る中間の男。その背中越しに縁側とよく整えられた庭園が見えたが、それ以外の人影は見えなかった。

「こちらにお着換えください」
「へ?あ、あの……」
「何か?」

日青は戸惑いながら今起こった異変について中間に訴えようとしたが、中間の厳格そうな四角い顔に見つめられて口をつぐんだ。宿を借りている身であるにも関わらず、いないはずの女性の声が聞こえる等、失礼な事は言えない。気を取り直して中間から着物を受け取ると、その素材を見て先程の不思議な声のことなぞ吹っ飛んだ。

「き、着れませんっ」
「何か不備でもございますか?」
「あっしはしがない河原者でございます。あっしがこんな立派なお召し物を着たら手垢がついちまいます」

中間が手渡した物は、まるで空を落とし込んだかのような爽やかな青色の小袖であった。それは太陽の光を浴びて綺羅と僅かな光沢を発しており、糸寄りなどのムラが一切ない均一で滑らかな手触りだった。これはお召と呼ばれる生地であり、先代の将軍が好んでお召になった事が由来という超高級生地だ。日青のような下層民が着て良い物ではない。あわてて突き返そうとした所、中間は張り手の様に彼の顔の前に手のひらを突き出した。何か武道でもやっているのか、傷だらけの重厚な手のひらによって瞬間的に風が発生し、日青の髪をたなびかせる。ぶわりと日青の体から冷汗が滲み出た。

「我が主が貴方様に相応しいと判断し、お自らお選びになった品でございます。それを要らぬと申されますか」

言葉こそ丁寧であるが、その言葉には隠れきれぬ威圧がある。確認するかのように問われた日青は、赤べこの様に顔を左右に振ってその着物を手に取った。

さてはて、美しい着物を身に纏った日青。彼は【生まれてから】一度も着た事のない上等は着物を身に纏い、非常に居心地が悪そうにしていたが、その着物は彼に良く似合っていた。いや違う。この屋敷に来てから独特の雰囲気を身に纏った彼が澄清の如し青の小袖を纏う様は、何かがカチリと
嵌ったようなあるべきもののような風情であった。

「晴れましたな」

振り向くと、屏風の傍に立った中間がついとその中身を指さしていた。見間違えようもない差異。水の絵から水面から太陽が昇る絵という分かりやす過ぎる変化。あれほど絵に見とれていた日青ならば気づくだろう驚くだろう。

「ああ、はい」

だが、その一言は日青らしくもない平坦なものだった。まるで何も興味がなくなってしまったかのように、絵を見て頷く日青。唐突に、その唇の端が上に引き上げられ、彼らしくない蠱惑的な笑みが浮かんだ。

「美味しかったです」
「ああ、だからずいぶん減って」
「此処に来てからお腹がいっぱい」
「こちらの雨様もよく食べると感心なされておりました」
「美味しい、だけど、私の雨のほうがもっと……」

ニコニコとまるで童のような無垢な笑みを浮かべていた日青は、いきなりハッと目を剥いた。まるで白昼夢から醒めた様な日青は、中間に尋ねた。

「あ、あれ?すいやせん。あっし、何か言いやしたか?」
「はい、お食事を誉めておいででした。貴方様の為に作りました特別な物故、とてもお気に入りになられたようですね」
「へぇ」

釈然としない顔の日青を無視し、中間は縁側へ移動した。日青を導くように片手を縁側の先へ伸ばしながら一礼する。

「さあ、日青様。主人がお待ちでございます」
「とある龍の話6(江戸)」へのコメント

By テレピン
2016-07-30 02:59
前々から、このサイト様が好きでよく通っていたのですが、コメントするのは初めてです!
大分久しぶりに(2014年後半ぶり?)覗きにきたのですが、今回のお話も面白く次の更新が楽しみです!!応援しています!
pc
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