[携帯モード] [URL送信]

日記やネタ倉庫 思い付いた物を書くので、続かない可能性大。
2014-12-18(木)
とある龍の話1(江戸)

天下泰平の江戸のいつか。
その男は旅回りの芸人一座の一員であった。

両親は生まれながらの芸人ではない。元は貧しい村の更に貧しい小作人だったそうだが、諸事情により親兄弟を捨てて一座の雑用係になった。この時代の旅芸人は蔑まれる身分だったが、土地に縛られる一般庶民とは違い手形がなくとも自由に土地を行き来出来る。そんな彼等に憧れる者は多く、貧しい農家の五男や六男が家から逃げ、旅芸人になる事は珍しくもなかった。

しかし、旅回りの芸人一座が両親を雇った時、母は身重であり更に臨月であった。父は農業で鍛えた体を持ち、母は内職で培った裁縫の腕があった為、江戸や堺に行けば腰をすえて稼げる術など幾らでもあっただろう。その方が安全だと思われるが、何故か二人とも旅回りの芸人の一座を希望した。身重の母を連れて一ヶ所に留まらない職を求めるとは、よっぽどの事情があったと思われるが両親は語らない。

幸いな事に、両親が入った一座は、美形の水使いの年増、年期入りの人形廻し、老獪な幻術師等の芸達者な者が揃っており、旅回りの芸人一座にしては豊かな部類であった。更にめっぽう人の良い性分の面のばかりだった為、身重の母を気づかい、産後熱によって母が暫く役立たずになっても辞めさせる事はなかった。

母から産まれた児は珠のようとはいかないが、まあまあ可愛いらしい赤ん坊だった。【日青(にっせい)】と名付けられた赤ん坊は病気も患わず、すくすくと育ったが、乳を異様に欲しがる児だった。乳が擦りきれて血が滲み、母が痛い痛いて呻いても乳吸いを辞めずに血交じりの乳を求めた。芸人達はそんな赤ん坊を見て、「織田信長公だ」だと笑った。かの第六天魔王殿は赤子の頃、乳母の乳首を噛みちぎったという。この赤子はそれに似た豪気な赤ん坊だと言うのだ。

芸人達は、ならば将来のこの児に養ってもらわないかんと軽口を叩きあった。そんな赤子は成長すると、水をよく飲む子供になった。

それは異常な量で、朝に昼に夜にところ構わず水を飲んだ。大の大人が飲めば体調を崩すような量を、スルリと小さな口で飲んだ。清流で有名な山間の小川を通り掛かった際、川の中に直接頭をつけて水をゴクゴクと飲んでいた。あまりにも長い間、頭を川に突っ込んでいた為、心配した強力(ごうりき)が彼を引き上げてみたら、水を飲みたい水を飲みたいと駄々をこねて泣いた。

そんな異常な様の息子に、両親は驚いたり医者を呼んだりする事なく、不自然なほど自然に対応していた。その頃から、児は【蟒蛇稚児】(うわばみちご)として一座の興行に出る事となった。この頃では両親も簡単な芝居はうてるようになり、両親が芝居しながら観客に水代を求め、代金に応じた量の水を飲むという芸であった。それは単純な芸であったが、量が半端ではない。しかも、不思議な事に体よりも遥かに目方が多い水を一度に飲んでも、日青はケロリとしており、その小さな腹は膨れもしなかった。見世物は好評となり両親は喜んだが、何故か悲しい目付きで日青を見詰めていた。

十数年経ち、その間に母は流行り病でフツリと死に、父は旅の途中で土砂崩れにあって死んでしまった。天涯孤独となった彼は一座に留まり、【水呑ム男】として興行をしていた。この頃の彼は、立派な青年になっていた。常に荷物を持って歩いている為か、肌は日に焼けており、筋骨隆々とはいかないがガッシリとした体つきの、良く働く気の優しい実直な青年だった。

飲み芸は更に磨きがかかっていた。三樽だろうが四樽だろうが軽々飲み、ある大金持ちが大枚をはたいて十樽を飲ませたが、日青は飄々としていた。

芸が順調な日青だったが悩みがあった。よく、性根は顔に出ると言うが、世の中には気弱なのに悪人に見られる強面や、笑っているのに怒っているよう見られたり、その性根と正反対な見た目の持ち主もいる。日青はその類の人間であった。日青の容姿はまぁまぁ整ってはいたが、常に笑っているような垂れ目に薄い唇という顔立ちに付け加えて、何とも言えない胡散臭さがあるのだ。胡散臭いとは何だと聞かれてもハッキリ言えないが、胡散臭いのだ。それと旅芸人故の軽快な口調と派手な衣服が合間って、軽薄な遊び人として見られる事が多かった。その実、芸以外では女子に抱き付いた事がないどころか手を繋いだ事もない、なんともウブで人見知りのする男だった。

彼は儚げな女性を好んだが、そのような女性は日青の見た目のよう軽薄な男を恐ろしがる。儚げな女性からしてみたら、日青はか弱い女性を騙して喰ってしまう怖い男に見えてしまうのだ。日青が「ちょいと、そこのお嬢さん」と声をかけただけで、女性は泣きそうになり、その親兄弟やら友人がすっ飛んできて日青を睨みつける。その度に、日青は布団を被ってメソメソと泣くのであった。

また、軽薄な見た目を好む女性はいるが、逆に日青はそのような女性が恐ろしく、尻尾を巻いて逃げてしまう。「ちょいとお兄さん」と呼ばれた日には、「いやはや、明日の興行の準備をしなけりゃ」とか「腹が痛い」と呟きながら立ち去ろうとする。女性が逃がすかっ!と抱き付こうものならば、「兄さん、強力兄さーん」と泣きながら兄と慕う強力自慢の男に助けを求めてしまう。四十になった強力は、溜め息をつきながら日青を助けるのであった。

そんなある日、一座がとある地方の豪商に呼ばれた。訪れた町は、平安の時代に都であった事もある古い町だった。その町の一番古くて一番大きくて立派な屋敷が、豪商の屋敷だった。

豪商の主の立ち振舞いや身に付けている物は、まるで殿様のようであった。その豪商は日青の芸を人伝に聞き、是非とも見てみたいと、一座を呼び寄せたのである。興行は豪商の屋敷の庭で行い、豪商やその家族は縁側に並んで観覧していた。

うんと給金を貰えると日青は張り切り、一樽二樽を飲み込んだ。豪商はニコニコ笑いながら「凄い凄い、ほら飲め、もっと飲め」と日青を促す。そこで「はてな?」と違和感を感じた。日青の芸は水を飲む芸である。口上で客を盛り上げたりはするが、しょせんその程度。何回も見るような物ではなく、日青が一樽か二樽の水を飲めば、大体が満足して次の芸を所望する。

しかし、豪商は日青の芸だけを求めた。日青の体を案じた水使いの年増が、「私の芸を見てくださいよぅ」としなを作っても、「いやいや、私はこの御仁の芸が見たい」と止めさせない。その顔はニコニコと童のように笑っているが、言い様のない凄みがあって、日青は芸を止める事が出来ず、水をゴクゴクと飲んだ。

ニ十樽を越えた辺りで、樽を抱えて日青に水を飲ませていた強力が白旗をあげた。「もう勘弁してくだせぇ」樽をドンと地面に置いた強力は、頭を地面に擦り付けて謝った。その時、日青の腹は相変わらず膨れてもいなかったが、半泣きになりつつ水を飲んでいた。豪商は笑いながら「何故、止める?その御仁の腹は膨れておらんぞ」と尋ねた。

日青は上半身裸となり、芸を行う前に「この腹が膨れるかどうか賭けましょう。もしも、膨れぬ事なければ御駄賃頂戴」と客と賭けを行うのが常であった。当然ながら、豪商とも賭けを促す前口上を唱え、豪商は「うん」と頷いていたのだ。

慌て出てきた興行主が豪商に頭を下げる。「後生でございます。この者は水を飲みすぎると前後不覚になり、暫く夢から帰って来なくなります。賭けは居宇右衛門様の勝ちでございます」興行主がそう言った瞬間。

「かっかっかっ」

豪商が笑った。

「目出度い目出度い、盆と正月が一緒に来たようだ」

かっかっかっ
かっかっかっ

笑う笑う

豪商のみならず豪商の妻や小さな子供、爺や婆も笑う笑う。異様な空気を感じ、一座の相撲取りや剣術使いが構える。土地土地を回るとは、危ない橋を幾つも渡るという事だ。ある程度の荒事ならば、一座の者は対応できるように仕込まれている。様々な修羅場を掻い潜って来た老長けた興行主の勘が、金など気にせずに早く逃げろと警告していた。

「さて、申し訳御座いませぬが、これにて失礼させて頂きます。お代は不要です故」
「それはならぬ」

興行主の言葉を遮って豪商がパンッと手を叩いた瞬間、一座の者が居なくなった。「へ?」間抜けな声を出した日青は、右、左と首を回して仲間を探す。しかし、誰もかれも居なくなってしまっていた。

かっかっかっ
かっかっかっ

笑う豪商家族が縁側から降りて近付いてくる

「もっと兄ちゃんの芸が見たいよう」
そう言って豪商の子供が足に抱き付いて来る

「あなた様の芸が見とうございます」
そう言って豪商の妻が右手に絡み付く

「もっと見せておくれ」
そう言って豪商の母が腹にしがみつく

「早く見せてくれ」
そう言って豪商の父が日青の口に漏斗を突っ込み、水を流し込む。日青の喉からくぐもった声が響くが、水音にかき消されてしまう。

どんだけ水を飲んでも、日青が苦しんだり腹が破裂する事はない。しかし、凄まじい量の水が喉を通る度に頭がぼやけて朦朧となっていく。体が水に満たされ、頭の中に水音がチャプチャプと響いていく。次第に希薄になる意識の中、誰かの泣声が聞こえた気がした。

「とある龍の話1(江戸)」へのコメント

By すみれ
2014-12-19 12:36
続きが気になる…!
933SH
[編集]
[1-10]
コメントを書く
[*最近][過去#]
[戻る]

無料HPエムペ!