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ビックショー By HBH
2006-09-12 22:55:06 WCWのトレーニング機関であるWCWパワープラントでのトレーニングの後、1995年にプロレスデビューを果たす。デビュー時のリングネームはザ・ジャイアントであった。その巨体のため、すぐに注目を集めるトップレスラーの一員となり、当時のWCWの中心であったnWoに所属するなどの活躍を見せる。提携先の新日本プロレスにも招聘され、巨体ながらコーナーポストからのミサイルキックを放つなど、運動能力の高さを見せていた。
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カートアングル By HBH
2006-09-12 22:51:57 アトランタオリンピックでの金メダル獲得後、ECWにゲスト出演したことがある。1999年にWWE(当時WWF)に初登場。以降瞬く間にWWEのメインキャラクターになっていき、王座を次々と奪取していく。2000年には当時はギミック上の夫婦であったトリプルHとステファニー・マクマホンと三角関係ストーリーを展開するなど、試合のみならずストーリにおいても中心人物の一人となっていく。
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2005年
Royal Rumble 2005ではWWE王者のJBL、ビッグ・ショーとトリプルスレット形式で王座に挑戦するも、JBLのクローズライン・フロム・ヘルを受けて敗戦。試合後にナンジオのロイヤルランブル・マッチ出場権を強奪し、急遽参戦するもショーン・マイケルズによって敗退させられる。激昂したカートは敗退後に乱入し、マイケルズをリングアウトにさせてから鉄階段を使って攻撃。この事件が後のカートとマイケルズの抗争の始まりとなる。
Royal Rumble 2005以降、WrestleMania 21で行われるWWE王座戦挑戦者決定トーナメントに参戦。2月5日に開催された日本初のTVショーでレイ・ミステリオを撃破して1回戦突破。2回戦の対戦相手となる予定であったジ・アンダーテイカーとレネ・デュプリーの試合がダブルカウントアウトで両者失格になった為、そのまま無条件でNo Way Out 2005で行われるトーナメント決勝戦に進出。
1月13日に開催されたSmackDown!でバティスタが怪我で返上した世界ヘビー級王座を巡るバトルロイヤルに急遽参戦して勝利を収め、王座に輝いた(この時ベビーターンする)。復帰理由としてはRAWとの契約が2005年12月31日限りで切れたという事。1月16日のRAWにも出場し、2005年に抗争状態となっていたマイケルズとRAW最後の試合を行う。この試合で介入したデバリがイスでカートに誤爆。この事が原因でマイケルズに敗戦した為にカートは激昂してデバリにアングル・スラムを浴びせ、マネージャーのクビを通達する。1月20日に開催されたSmackDown!でデバリと対戦。Royal Rumble 2006で王座戦を行う予定のマーク・ヘンリー陣営の介入により反則裁定で勝利するも、デバリがカートに決別宣言を叩きつけてヘンリーのマネージャーに就任。以降ヘンリー、デバリとの抗争を開始する。Royal Rumble 2006では、メインでヘンリーとの世界ヘビー級王座戦で勝利し防衛。その試合終了後にジ・アンダーテイカーが出現して、No Way Out 2006での王座挑戦を宣言。王座戦決定後もヘンリー陣営との抗争は続き、王座戦の対戦相手であるテイカーとも共闘している。No Way Out 2006のメインではテイカーと激闘の末に防衛。WrestleMania 22ではロイヤルランブル・マッチ優勝者のミステリオ、No Way Out 2006でミステリオから一旦王座挑戦権を奪取したランディー・オートンとトリプルスレット形式でSmackDown!のメインで対戦するも、ミステリオに敗れて王座陥落。
WrestleMania 22以降、SmackDown!で復活したキング・オブ・ザ・リングに参戦し、1回戦でオートンを撃破。しかし4月28日に開催されたSmackdonw!でミステリオとの世界ヘビー級王座戦中に乱入したヘンリーのテーブル貫通ボディスプラッシュを浴びて負傷。そのまま2回戦を辞退した。その後Judgment Day 2006でヘンリーに挑戦するが、カウントアウト負けを喫している。
5月29日に開催されたRAWでポール・ヘイマンからドラフト指名を受けECWに移籍。ヒールターンをしてECWと敵対したミック・フォーリーにアングル・スラムを浴びせた。ECW One Night Stand 2006ではオートンと対戦して勝利。復活したECW第1回放送でジャスティン・クレディブルに勝利した後、Vengeance 2006でのオートンとの再戦を宣言。Vengeance 2006では「WWEルール」でオートンと対戦するも敗戦。