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ECW選手名簿 このプロフィールはWikipediaから提供していただきました
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≫ RVD
By HBH
2006-09-12 22:41:05
デトロイトでザ・シークのコーチを受け1990年にプロレスデビュー。1991年12月に、ロン・スリンカーの命名で現在のリングネームを名乗る。名前はジャン=クロード・ヴァン・ダムに由来。1992年にWCWと契約。WCWデビュー時のリングネームはRobby Vであった。1994年にWCW解雇。その後リングネームを元に戻し、アメリカの独立団体や全日本プロレスに参戦(但し、全日本プロレスには、WCW契約時代の1993年2月から参戦)。1996年にECWと契約。

ECWでは、そのレスリングスタイルが観客に支持され、一躍トップレスラーとなる。またECW TV王座を、1998年4月4日から怪我で王座返上する2000年3月4日までの23ヶ月間保持する記録も樹立している。

2001年のECW崩壊後はWWF(現WWE)と契約。当初はECW軍、その後のWCW/ECW連合軍(アライアンス)としてヒールでの登場であったが、WWFにおいてもそのレスリングスタイルが観客に支持され人気は高かった。WCW/ECW連合軍崩壊後はベビーフェイスに転向した。WWEのTV放送がRawとSmackDown!に分割後は、Rawに所属した。2004年3月21日にSmackDown!へ移籍。しかしその後膝を故障し、試合を欠場。2005年1月27日に膝の手術を行った。

2005年6月12日に行われた、元ECW関係者が参加して行われたWWE主催のPPV、ECW ワン・ナイト・スタンドにマイクパフォーマンスで出演。但し、このパフォーマンスは後の試合の伏線となっていて、しゃべっている最中にライノが襲撃し、それをかつてのパートナーで「兄弟子」でもあるサブゥーが助けた。その後のライノ対サブゥー戦において、ロブ・ヴァン・ダムがサブゥーの勝利をアシストしている。

2005年6月27日にRawへ再移籍。約一年のブランクを経て、2006年ロイヤルランブルにてリングに復帰した。その後はフルタイムでの出場を続け、WrestleMania 22ではマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに勝利し、一年間の王座挑戦権を獲得する。その権利をECW ワン・ナイト・スタンドで行使、エッジやポール・ヘイマンの介入などもありジョン・シナからWWE王座を奪取した。そして復活後初回のECW番組内で、ヘイマンからECW世界ヘビー級王座を贈られる。しかし7月2日に違法薬物所持でサブゥーと共に逮捕され、翌日のRAWでエッジに敗れWWE王座を失い、さらにその翌日のECWでもヘイマンの裏切りでビッグ・ショーにECW世界ヘビー級王座を明け渡した。その後WWEが30日間の謹慎処分を発表した。

得意技
ファイブスター・フロッグスプラッシュ
ヴァン・ダミネーター
ローリング・サンダー
ハリウッドスター・プレス

タイトル履歴
WWE

WWE王座 : 1回
IC王座 : 5回
ハードコア王座 : 4回
ヨーロッパ王座 : 1回
WWE世界タッグ王座 : 2回(&ケイン、ブッカー・T)
WWEタッグ王座 : 1回(&レイ・ミステリオ)
ECW

ECW世界ヘビー級王座 : 1回
ECW TV王座 : 1回
ECW 世界タッグ王座 : 2回(&サブゥー)
その他

SAPWタッグ王座 : 1回(&Chaz Rocco)
NWCタッグ王座 : 1回(&Bob Bradley)
ASW 北米ヘビー級王座 : 1回
PSW Cordele City ヘビー級王座 : 1回
IWF TV王座 : 1回

pc
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≫ ビックショー
By HBH
2006-09-12 22:55:06
WCWのトレーニング機関であるWCWパワープラントでのトレーニングの後、1995年にプロレスデビューを果たす。デビュー時のリングネームはザ・ジャイアントであった。その巨体のため、すぐに注目を集めるトップレスラーの一員となり、当時のWCWの中心であったnWoに所属するなどの活躍を見せる。提携先の新日本プロレスにも招聘され、巨体ながらコーナーポストからのミサイルキックを放つなど、運動能力の高さを見せていた。


1999年にWWF(現在のWWE)に移籍。当時ヒールであったビンス・マクマホンのチームの一員としての登場であった。WWFに移籍後、リングネームをビッグ・ショーに変更。このリングネームは現在も用いている。WWFおよびWWEにおいてもトップレスラーとして存在し続け、またストーリーに応じてヒール、ベビーフェイスにターンしている。

2002年の番組分割時にスマックダウンに所属する。

スマックダウンでは、その巨体のため、ブロック・レスナーやジョン・シナとの抗争の中彼らに投げられることが試合の見所となっていた。中でも、レスナー戦において雪崩式ブレーンバスターで投げられた直後、リングが崩壊したシーン(リング下のワイヤーが切れた為)は今もなお語り草となっている。

2005年2月5日のテレビショーさいたまスーパーアリーナ大会において、曙を、「日本のビッグ・ショー」と公言して意気投合。同年4月3日のレッスルマニアにおいて曙とスモー・マッチを実現。

2005年のドラフトにてにロウに移籍。タブー・チューズデイではケインと組み、世界タッグ王座を獲得した。

2006年、スピリット・スクワッドに世界タッグ王座を奪われるとケインと仲間割れ、その頃ケインは「5月19日(メイ・ナインティーン)」という言葉を聞くと状況に構わずブチギレを起こすようになり、これを巡ってケインと抗争した。その後ECWvsWWEの抗争が始まると、WWEを裏切りECWの仲間入りを果たした。

その後、ECW世界ヘビー級王者のロブ・ヴァン・ダムに挑戦。ロブ・ヴァン・ダムのマネージャーについていたポール・ヘイマンの裏切りを受けて、ECW世界ヘビー級王座を獲得。ECW入りしてからは、ECW本来の環境に親しみ、流血戦とも真っ向から向き合うようになった。

得意技
ショーストッパー(チョークスラム)
ファイナルカット
ビッグブート

タイトル履歴
WCW
WCWヘビー級王座 : 2回
WCWタッグ王座 : 2回(&スコット・ホール、スティング)
WWE
WWF王座 : 2回
US王座 : 1回
WWE・ハードコア王座 : 2回
WWE世界タッグ王座 : 3回(&ジ・アンダーテイカーx2、&ケインx1)
ECW

ECW世界ヘビー級王座 : 1回

pc
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≫ カートアングル
By HBH
2006-09-12 22:51:57
アトランタオリンピックでの金メダル獲得後、ECWにゲスト出演したことがある。1999年にWWE(当時WWF)に初登場。以降瞬く間にWWEのメインキャラクターになっていき、王座を次々と奪取していく。2000年には当時はギミック上の夫婦であったトリプルHとステファニー・マクマホンと三角関係ストーリーを展開するなど、試合のみならずストーリにおいても中心人物の一人となっていく。

2002年のWWETV番組分割時にスマックダウンに所属。シェルトン・ベンジャミン、チャーリー・ハースらのアマレス経験者と共に、カートがリーダーとなってチーム・アングルを結成。後カートはチーム・アングルから追い出される。

2003年のWrestleMania XIXでのブロック・レスナーとの試合以降、首の治療のための欠場を経てベビーフェイスに転向する。


2004年8月2004年の2月にヒールターン。持病の首や2003年末に痛めていた足の怪我の治療を行うために、レッスル・マニア20の後レスラー活動を一旦停止する。但し、スマックダウンのGMに就任し、番組には出続けた。GM就任の際は、足の怪我が原因で車椅子生活となり二度とレスラーに復帰できない、というギミックが設定されていた。怪我の具合がよくなると、マスクマンに扮して試合に乱入したり車椅子から立ち上がって松葉杖で攻撃したりなどしていた。2004年7月にプロレスラーに復帰。復帰の際はビンス・マクマホンがスマックダウンにやってきて、GM職からの解雇と試合復帰を命じるストーリーが描かれた。デビュー前の「地元の英雄」レスラーをリングに招待し、3分間自身の攻撃に耐えたら金メダルをプレゼントするという「招待試合」を行う。

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2005年
Royal Rumble 2005ではWWE王者のJBL、ビッグ・ショーとトリプルスレット形式で王座に挑戦するも、JBLのクローズライン・フロム・ヘルを受けて敗戦。試合後にナンジオのロイヤルランブル・マッチ出場権を強奪し、急遽参戦するもショーン・マイケルズによって敗退させられる。激昂したカートは敗退後に乱入し、マイケルズをリングアウトにさせてから鉄階段を使って攻撃。この事件が後のカートとマイケルズの抗争の始まりとなる。

Royal Rumble 2005以降、WrestleMania 21で行われるWWE王座戦挑戦者決定トーナメントに参戦。2月5日に開催された日本初のTVショーでレイ・ミステリオを撃破して1回戦突破。2回戦の対戦相手となる予定であったジ・アンダーテイカーとレネ・デュプリーの試合がダブルカウントアウトで両者失格になった為、そのまま無条件でNo Way Out 2005で行われるトーナメント決勝戦に進出。

2005年のドラフトによりRAWに移籍。ユージンと金メダルを賭けての抗争を経て、GMのエリック・ビショフと組みジョン・シナとの抗争を開始。11月からはデバリがカートのマネージャー役としてジョン・シナとの抗争に加わった。

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2006年
1月2日に開催された2006年最初のRAWではWWEでは5年ぶりとなるファースト・ブラッド・マッチを行い、シナに勝利。New Year's Revolution 2006では自身初となるエリミネーション・チェンバー・マッチに参戦するも敗退。

1月13日に開催されたSmackDown!でバティスタが怪我で返上した世界ヘビー級王座を巡るバトルロイヤルに急遽参戦して勝利を収め、王座に輝いた(この時ベビーターンする)。復帰理由としてはRAWとの契約が2005年12月31日限りで切れたという事。1月16日のRAWにも出場し、2005年に抗争状態となっていたマイケルズとRAW最後の試合を行う。この試合で介入したデバリがイスでカートに誤爆。この事が原因でマイケルズに敗戦した為にカートは激昂してデバリにアングル・スラムを浴びせ、マネージャーのクビを通達する。1月20日に開催されたSmackDown!でデバリと対戦。Royal Rumble 2006で王座戦を行う予定のマーク・ヘンリー陣営の介入により反則裁定で勝利するも、デバリがカートに決別宣言を叩きつけてヘンリーのマネージャーに就任。以降ヘンリー、デバリとの抗争を開始する。Royal Rumble 2006では、メインでヘンリーとの世界ヘビー級王座戦で勝利し防衛。その試合終了後にジ・アンダーテイカーが出現して、No Way Out 2006での王座挑戦を宣言。王座戦決定後もヘンリー陣営との抗争は続き、王座戦の対戦相手であるテイカーとも共闘している。No Way Out 2006のメインではテイカーと激闘の末に防衛。WrestleMania 22ではロイヤルランブル・マッチ優勝者のミステリオ、No Way Out 2006でミステリオから一旦王座挑戦権を奪取したランディー・オートンとトリプルスレット形式でSmackDown!のメインで対戦するも、ミステリオに敗れて王座陥落。

WrestleMania 22以降、SmackDown!で復活したキング・オブ・ザ・リングに参戦し、1回戦でオートンを撃破。しかし4月28日に開催されたSmackdonw!でミステリオとの世界ヘビー級王座戦中に乱入したヘンリーのテーブル貫通ボディスプラッシュを浴びて負傷。そのまま2回戦を辞退した。その後Judgment Day 2006でヘンリーに挑戦するが、カウントアウト負けを喫している。

5月29日に開催されたRAWでポール・ヘイマンからドラフト指名を受けECWに移籍。ヒールターンをしてECWと敵対したミック・フォーリーにアングル・スラムを浴びせた。ECW One Night Stand 2006ではオートンと対戦して勝利。復活したECW第1回放送でジャスティン・クレディブルに勝利した後、Vengeance 2006でのオートンとの再戦を宣言。Vengeance 2006では「WWEルール」でオートンと対戦するも敗戦。

6月27日に開催されたECWでのロブ・ヴァン・ダムとの対戦以降、しばらく欠場していたが、8月1日に開催されたECWで復帰。8月8日に開催されたECWでサブゥーとのECW世界ヘビー級王座第一挑戦者決定戦を行うも、ロブ・ヴァン・ダムの介入によりノーコンテスト。8月15日に開催されたECWでロブ・ヴァン・ダム、サブゥーとのトリプルスレット形式ラダー・マッチに出場する予定であったが、股間の怪我で欠場した。

8月25日、個人的な問題や健康状態を理由にWWEから解雇された。ただし近い将来に再契約の可能性も残されている。

殺技
アングル・スラム(オリンピック・スラム)
アンクル・ロック(アングル・ロックとも)
ジャーマン・スープレックス

タイトル履歴
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プロレス
WWF/WWF・WCW統一王座 : 1回
WWE/WWE王座 : 4回
WWF/世界ヘビー級王座 : 1回
WWF/IC王座 : 1回
WWF/ハードコア王座 : 1回
WWF/ヨーロピアン王座 : 1回
WWE/WWEタッグ王座 : 1回(&クリス・ベノワ)
WWF/2000年キング・オブ・ザ・リング優勝
WCW/世界ヘビー級王座 : 1回
WCW/US王座 : 1回
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アマチュアレスリング
ペンシルバニア州レスリング王者(1987年)
1988年度新人賞(クラリオン大学)
NCAA(フリースタイル)レスリング選手権王者 : 2回
エスポワール世界選手権2位(1989年)
Yasar Doguトーナメント2位(1989年)
カナダ杯優勝(1990年)
アトランタオリンピック - フリースタイル100kg級金メダル(1996年)
National Amateur Wrestling Hall of Fame (2001年)

pc
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≫ マット ストライカー
By HBH
2006-09-12 22:49:19
元教師。たびたび仕事をずる休みしてたとゆう。
RAWをたまたま見ていた生徒にそれを発見され校長にクビを言い渡された。
それから、WWEでは活躍している
pc
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≫ ヴィトー
By HBH
2006-09-12 22:44:35
プロレスデビューは1990年。インディ団体、ECWを経てWCWに所属する。WCWではジョニー・ザ・ブルと共にイタリア系であることを前面に押し出したユニット「ママルークス」を結成していた。

2004年にはTNAに所属し、2005年にWWEと契約。契約後はOVWに所属した後、同年6月からダークマッチに登場開始。同年8月にスマックダウンの前座番組であるヴェロシティに登場。同じイタリア系であるナンジオとチームを結成する。このナンジオとのタッグにおいて、両者ともイタリア系であることから、F.B.I.(フル・ブラッデッド・イタリアンズ)の再結成と位置づけられている。

2006年には、「ヴィトーは実はオカマなのでは」と言う噂が持ち上がるストーリーが展開されるようになり、ナンジオは否定していたが、ヴィトーは本物のオカマである事をカミングアウトし、ナンジオとタッグを解消。ワンピースの出立ちで試合をするようになり、清算マッチでナンジオを撃沈した。

得意技
スイングDDT
サドン・インパクト

タイトル履歴
WCW
WCWハードコア王座 : 1回
WCW世界タッグ王座 : 2回(&ジョニー・ザ・ブル)
OVW
OVW南部タッグ王座 : 1回(&グイドー)

pc
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