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ECW選手名簿
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ビックショー
By HBH
2006-09-12 22:55:06
WCWのトレーニング機関であるWCWパワープラントでのトレーニングの後、1995年にプロレスデビューを果たす。デビュー時のリングネームはザ・ジャイアントであった。その巨体のため、すぐに注目を集めるトップレスラーの一員となり、当時のWCWの中心であったnWoに所属するなどの活躍を見せる。提携先の新日本プロレスにも招聘され、巨体ながらコーナーポストからのミサイルキックを放つなど、運動能力の高さを見せていた。


1999年にWWF(現在のWWE)に移籍。当時ヒールであったビンス・マクマホンのチームの一員としての登場であった。WWFに移籍後、リングネームをビッグ・ショーに変更。このリングネームは現在も用いている。WWFおよびWWEにおいてもトップレスラーとして存在し続け、またストーリーに応じてヒール、ベビーフェイスにターンしている。

2002年の番組分割時にスマックダウンに所属する。

スマックダウンでは、その巨体のため、ブロック・レスナーやジョン・シナとの抗争の中彼らに投げられることが試合の見所となっていた。中でも、レスナー戦において雪崩式ブレーンバスターで投げられた直後、リングが崩壊したシーン(リング下のワイヤーが切れた為)は今もなお語り草となっている。

2005年2月5日のテレビショーさいたまスーパーアリーナ大会において、曙を、「日本のビッグ・ショー」と公言して意気投合。同年4月3日のレッスルマニアにおいて曙とスモー・マッチを実現。

2005年のドラフトにてにロウに移籍。タブー・チューズデイではケインと組み、世界タッグ王座を獲得した。

2006年、スピリット・スクワッドに世界タッグ王座を奪われるとケインと仲間割れ、その頃ケインは「5月19日(メイ・ナインティーン)」という言葉を聞くと状況に構わずブチギレを起こすようになり、これを巡ってケインと抗争した。その後ECWvsWWEの抗争が始まると、WWEを裏切りECWの仲間入りを果たした。

その後、ECW世界ヘビー級王者のロブ・ヴァン・ダムに挑戦。ロブ・ヴァン・ダムのマネージャーについていたポール・ヘイマンの裏切りを受けて、ECW世界ヘビー級王座を獲得。ECW入りしてからは、ECW本来の環境に親しみ、流血戦とも真っ向から向き合うようになった。

得意技
ショーストッパー(チョークスラム)
ファイナルカット
ビッグブート

タイトル履歴
WCW
WCWヘビー級王座 : 2回
WCWタッグ王座 : 2回(&スコット・ホール、スティング)
WWE
WWF王座 : 2回
US王座 : 1回
WWE・ハードコア王座 : 2回
WWE世界タッグ王座 : 3回(&ジ・アンダーテイカーx2、&ケインx1)
ECW

ECW世界ヘビー級王座 : 1回

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