慌しく兵が行き来する拠点で、徐晃は人を探していた。 規模は大きくなかったものの、戦に勝利することは素直に安堵する。 無論、損失が無いとは言い難い。必ず何かを失ってゆくのが戦であった。 指揮官位の武将に割り当てられた天幕。その前に立つ見張りらしき兵に尋ねた。 「張遼殿は戻られているか?」 「はい、しかし怪我をされたと治療を」 「何!?張遼殿が怪我を!?」 兵の話を最後まで聞く前に、徐晃は幕舎へ飛び込んでいた。 「張遼殿!」 「徐晃殿?、如何された?」 「如何も何も、貴公が怪我をされたと聞いて…」 徐晃が中に入れば、そこには平然と向かえる張遼の姿があった。しかし一人ではなかった。 傍らには治療兵が一人、張遼の手に包帯を巻いているところだった。怪我を負ったというのは事実だと知る。 「その手は?」 「ああ、この程度の傷ならば、次の戦までには治るだろう」 「拙者が聞いているのは、何故そのような傷を負うたかという事」 「たいしたことは無い、貴公が気にするまでも…」 「張遼殿」 徐晃がやって来てから一向に顔を向けようとしない張遼の様子に、何か後ろめたい事があると感じたのか、徐晃は敢えて口調を強く尋ねた。 それでも、張遼の顔が向くことは無く暫し沈黙が訪れた。 やがて傍らに控えていた治療兵に、もう大丈夫だと言って幕舎から帰した。 二人きりになって、徐晃は更に近づき張遼の座る椅子の前に立つ。 ふと見れば、直ぐ傍に立てかけてある二本の鉞、張遼の得物。その柄には赤黒い染みが付き、乾き始めていた。 そして張遼の手を見れば両の掌に巻かれた白い布。 「張遼殿、手を」 今度は優しく呼びかける、それでも張遼は向き合おうとはしない。やはり言い難いことが有るのだろう。 渋る張遼に構わず、その前に跪いた徐晃はゆっくりと手をとった。 「やはり、豆が潰れたと見える。痛いでござろう?」 「たいした事は、ない」 「無理は禁物、大事な手を傷めては満足に得物も振るえまい。拙者も通った道でござる故、その痛み察せよう」 跪く徐晃の姿が目の前にある、張遼の手を取りその痛みをわが身の痛みと労わってくれる。 心優しき武人。今、傍に居てくれるのは嘗ての君主とはまるで正反対のはずなのに、思い出さずには居られない。 「痛むのは、傷ではない」 「他に何処か怪我をされたか?」 「違うのだ、私は…」 「張遼殿、拙者の前では気負わず居て下されと、申し上げたはず。不安や悩みも遠慮せずに言っても構わぬ故…そのような悲しい顔をせんでくだされ」 痛みで歪む表情は、手の傷からではなく、心の傷。 張遼がこんな表情を見せながら徐晃を避けるときは、大概にしてその心を占めているのが何なのか、徐晃は気付いていた。 気付いても尚その傍らにあり続けようとする、徐晃の優しさと労わりに張遼も気付いていた。 だから、後ろめたさに苛まれる。 「私は、思い出してしまうのだ。こんな些細な事でも、今は亡き彼の人を…」 「呂布殿…でござるか?」 他人の口からこの名を耳にする機会も減った今でも、心の奥底に決して消えない礎となって張遼を支えている名前。 「今は、貴公が居てくれるというのに、私は今でもあのお方を忘れられずに居る、其れが…痛む」 「其れは致し方ないこと、気に病む必要はないでござろう。張遼殿にとっては大事な一部、そう簡単に捨てられては拙者は貴公の武人としての義を疑わざるを得ん」 跪いて手を取り、以前と変わらぬ笑顔を見せながら諭してくれる徐晃に、更に胸の痛みは増す。 比べてしまう、比べても意味がないというのに。 「呂布殿と手合わせすると、何時も豆が潰れるまで厳しいものだった。あのお方は平然とされているのが悔しかったのかもしれない、手が血まみれになっても私は引かなかった」 昔の記憶、色褪せても言葉もおぼろげにしか覚えていなくても、手の痛みが覚えていた。 「私もまだ若かったのだろう、何時か呂布殿を超えられると本気で願っていたのだ。強さだけではなく、その進む道も」 掌に巻かれた白い布に、微かに滲む紅い色。その手を労わる様に添えられた徐晃の手。 豆が潰れた数だけ、強くなってきた。そう思っていた。 だが、未だに血を流す掌を見る。 弱かったのだ、何もかもが。だから失った。 「私の心は、まだ呂布殿と共にありたいと願っている。こんな事を言えば貴公には失望されよう、だが…痛みが忘れられぬのだ、忘れてはならないと願ってしまう」 「張遼殿、やはり痛むのでござろう?。そんな時は、存分に泣くとよい、泣けば痛みも紛らわせよう」 指でなぞる掌。そこに零れ落ちる雫をただ受け止める。 今はそんな存在でありたい、其れが徐晃の願い。 「掌の豆も、潰れた数だけ強くなろう。ならば、心も…泣いた数だけ強くなれると思う。思い出が痛むのならば、泣けばいい、さすれば何時か、痛まぬ思い出になれると、拙者は思うのでござるよ」 「…徐晃殿…、貴公は…強いのだな」 「いや、拙者はまだまだ修行の途中でござる」 徐晃は立ち上がると、そのまま張遼を抱きしめた。胸の中に納まる慈しみ。 戦場では、勇ましい装飾を身に纏う、其れが今は取り除かれ、目の前に居る身体の温かさを知る。 「痛みに泣くのは武人の羞、しかし人には、耐えられぬ痛みがあると言うもの。今は唯の人でござる、拙者も貴公も」 「そうだな、私達は武人である前に、唯の人だ…」 彼の人を、想い悼む。 それが、今の人を欺く、後ろめたさに苛まれる必要はない。 「傷が癒えたら、また手合わせ願おう…徐晃殿」 「喜んでお相手いたそう、張遼殿」 これからも、些細なことで想い出すことがあるだろう。 彼の人と今の人とを比べて、涙を流すのだろう。 そして何時かは、痛まぬ思い出になれば、今の人と本当に向き合える。 張遼は抱きしめる腕の温かさに、そっと瞼を閉じた。 (懐が深く広い男前徐晃に絆されかけてる、昔の男を引きずる張遼の進展は意外と早そうです) [*前へ] [次へ#] [戻る] |