ハルヒSSの部屋
古泉一樹の情操教育おかわり! 2
僕から見えるように絵本の表紙を向けて、少女は首を傾げます。ほんの少し。ミリ単位の逡巡がそこから見て取れました。
「……ひゃくまんかいいきたねこ?」
「はい。期せず貴女からのプレゼントに対するお返しに、なりましたね。読んだ事は、有りますか?」
「ない」
「そうですか。それは良かった。もしかしたら涼宮さん辺りから既に読んで頂いているかもと、危惧していなかったではないのです」
なにしろ、名作ですからね。彼はこういった方面には疎いかも知れませんが、しかし今の有希さんには世話を焼きたくて仕方が無いといった感じのお姉さんが三人もいらっしゃいますから。
ですが、どうやら杞憂で済んだようで。取り敢えず一安心です。
「そのしんぱいは、ない」
「はあ。と、仰いますと?」
「わたしはあなたいがいにはえほんをもらわないと、そうえみりにもすずみやはるひにもあさひなみくるにも、いってある」
「おや、そうなんですか」
意外です。有希さんは非常に知識欲に旺盛な方でいらっしゃいますので、むしろ自分から強請っていても不思議でも無かったのですが。
ちなみに、彼女が知識に貪欲なのは「僕に早く近付きたい」からだそうで。男冥利に尽きるとはこの事です。
ただ、大人になるまで見守っていくと誓いました僕としましては、無理をして大人になって頂かなくても良い、とも思うのです。
彼女には健やかに、そして伸びやかに育って貰いたいのですから。
そんな事をぼうっと考えている、僕の膝に少しだけ重みが掛かります。
「おや」
「よんで」
彼女のお気に入りの席は、僕の腕の中。膝の上。
「朗読、ですか」
「そう」
少女が差し出す絵本を受け取って、僕は彼女の前でその本を開きます。
「あなたのこえが、すき」
「それは……光栄ですね」
ああ。君が喜んでくれるなら。この喉が潰れるまで。君に読んで聞かせよう。
世界に溢れる幾千幾万の、夢物語。
君に聞かせる為に先人が紡ぎ続けた、星の数ほどの御伽噺。

「おれは100万回もしんだんだぜ。いまさら、おっかしくて!」
「なにがおかしいの?」
有希さんにとっては当然の疑問でしょうか。何がおかしいのか。厭世主義というものを理解するのはまだ少し難しいかも知れません。しかし、逆に言えば良い機会で有るとも言えますね。
「例えば有希さん」
「……なに?」
「もしも、貴女が100万回生きたとします」
「だが、ことわる」
「……」
その仮定を断られたら、僕は以降何の話も出来なくなってしまうんですが……。
「だって、そのひゃくまんかいはあなたにあえない。おうさまもふなのりもさーかすも、おばあさんもこどももいらない」
少女は顔を上げて、僕を見る。
「あなたがいい」
……これではどちらが情操教育を受けているのか分かりません。
「そうですね。僕も嫌です」
右手を絵本から外し、少女の髪を撫で付けながら。
「だから、彼は生きる事がもう嫌になってしまったのですよ。僕にとっての有希さんに、有希さんにとっての僕に。彼は会えなかったから」
「……そう」
「そうです」
「わたしなら、ないてしまう」
もしも君が宇宙人のままなら。決してそんな事は言わなかったでしょう。「泣く」なんて行動自体が、君のプログラムの中には無かったから。
デジタルから、ロジカルへ。
君が変わった事を、成長した事を実感して、涙汲んでしまいそうな僕です。こんな事では保護者失格ですね。
「猫は泣きたくなかったのですよ。自分は100万回も生きた立派な猫だと、そう思っていたのです。彼の考える『立派な猫』は決して涙など流さない猫だったのでしょう」
「だから、なかなかった?」
「はい。そして……『だから』彼は言ったのですよ。いまさら、おっかしくて、と」
「……かなしいから?」
「悲しいから。強がる事しか出来なかったのでしょう」
それは、まるで。
昔の彼女みたいだと。
そう僕が思わなかったと言ったら嘘になるし。それがこの絵本を僕にレジに持って行かせたのかも知れない。
「このねこは、とてもかなしいねこ」
少女は俯く。君はとても優しい子。僕はそれを知っている。本当はとても感情豊かな子。ただ、それを外に出すのが苦手なだけ。
まるで強がっているみたいに見えるけれど。君はただ感情の表現方法をまだ知らないだけ。
「そうですね。でも、彼にだって転機が訪れるんです。言ったでしょう。神様は可愛そうな物語なんて許しません、と」
涼宮さんがこの絵本を知らない訳は無いでしょう。あれだけセンスの良い方です。彼女はあえて、この絵本を有希さんに与えなかったと。そう見るべきでしょうね。
恐らく……譲ってくれたのでしょう。その役目を。
有希さんの新しい感情を、表情を、一番最初に見る役柄を、僕に。
全く、気が利く人です。いつまで経っても敵いそうにありません。
僕はページを捲り、朗読する。君は僕の膝の上でじっと真剣な目付きで、大きな瞳をいっぱいに見開いて、絵本に夢中。
君の成長を見守って行きたい気持ちに相反して、こんな時間がずっと続いていかないかな、などと。
少女を見ていると僕は柄にも無く「今、この瞬間にも時間が止まってしまえば良い」。そんな愚考をしてしまいそうになるのです。
恋愛と親愛が綯い交ぜとなって、僕の胸に渦巻く。そんな形容し難い胸中であっても、絵本を読む唇は滑らかに動いていく。
終わらない絵本なんてものが有れば、僕はそれを購入してしまいそうで。
子供特有の、少し高い体温を感じていられる時間を引き延ばす、その為だけに。いけませんね、僕は。少女は僕に釣り合おうと、一生懸命になってくれているのを知りながら。
それを少し惜しいと思ってしまうのは……ええ、エゴでしかないでしょう。
でも……それでも。
僕は……このしあわせがいつまでも続いていけば、なんて。
絵本の中の猫みたいな事を考えてしまう。ふふっ。誰の為に購入した絵本なのか、これではまるで分かりませんね。

「そばに、いても、いいかい?」

僕がそう読むと少女は絵本の、文章の部分に小さな手で目隠しをしました。
そして、ただ一言「ええ」と。彼女はそう言って、僕の事を見上げ。君のきらきらとした瞳に、吸い込まれそうになる僕は口から出て来そうになった言葉を飲み込むのです。
「ねこは、しろいねこのそばに、いつまでも、いました」
君の言葉に、息を呑む。そのふっくらとした唇は、次いで、朝露に濡れる朝顔のように、開く。
「あなたは、わたしのそばに、いつまでも、いてくれる?」
……絵本の続きを、僕は知っていました。だから、少女の質問に何と返せば良いのか逡巡してしまう。
けれど。
きっと僕の大切な君なら、この絵本の意味を理解してくれるんじゃないだろうか、と。そう思ったから。
「ええ」
僕はそう返しました。
「そう」
「ええ」
「ありがとう」

例え、死が二人を別とうとも。

そして、絵本はクライマックスを迎えます。

ねこは 白いねこと いっしょに いつまでも 生きていたいと 思いました。

ある日 白いねこは ねこの となりで しずかに うごかなく なっていました。

ねこは はじめて なきました。

ねこは100万回も なきました。

朝になって 夜になって ある日の お昼に ねこは なきやみました。


ねこは 白いねこの となりで しずかに うごかなくなりました。


そこまで読み終えた所で、有希さんは静かに言いました。
「しあわせって、なに?」
それは彼女にとっては初めて抱く、疑問ではありませんでした。けれど。
「どうしてねこのねがいをかみさまはかなえてくれない?」
今までの彼女には、どうしてもそれが理解出来なかったのです。
「どうして、しあわせでいつづけることをゆるしてくれない?」
表情の変わらない君の瞳から、それでも一筋、涙が流れて。僕は君の感受性の強さを、嬉しく、そして心苦しく感じてしまう。
「おわかれなんて、しあわせじゃない」
僕の服の袖を強く掴みながら、君は問う。
「どうすれば、ずっといっしょにいられるの?」
僕は……大人たちはその問い掛けに対する質問を、知っている。
永遠なんて、そんなものは、世界のどこにも、ないのだと。
だけど、僕はその問いに真っ向からそんな事は返せませんでした。
君の真摯な瞳にそんな「現実」を告げる事が出来ませんでした。僕はずるいですね。自分が嫌な思いをしたくないという、ただそれだけで少女の真っ当な疑問……いえ、訴えから逃げ出すなんて。
卑怯者も、良い所です。
だけど、だからこそ。
この絵本には、大人たちが上手く伝えられない「答え」が載っている。僕たちの代わりに「しあわせとは何なのか」を伝えてくれる。
僕はゆっくりと、ページを捲り、絵本を見られない、君に向かってはっきりと、その絵本の最後の一文を読み聞かせました。

「ねこは、もう、けっして、生きかえりませんでした」

僕の腕の中で少女は、悲しそうに、不思議そうに僕を見上げます。そんな彼女に僕はキスをした。
そして少女が絵本に向き直るのを待って、もう一度、読み上げました。

「ねこは、もう、けっして、生きかえりませんでした」

そのページの絵には猫も、白い猫も、描かれてはいません。ただ、どこかの草原と、そして真ん中に、麦が力強く伸びている、そんな絵で締め括られている。
何かを象徴するように。
君に何かを伝えるように。
ただ、麦が揺れている。
君の瞳には、どう映っただろうか。この物語は。ただ悲しいだけの物語と。そう見えたのだろうか。……いいえ。そんな筈は無い。
心に、引っかかるものは有ったでしょう? ねえ?
僕の大切な貴女なら。分からないまでも、引っかかりは、有ったでしょう?
さあ、ここからが大人の仕事です。絵本の力を借りて。そうすれば、君の不安なんて吹き飛ばしてみせましょう。
君に信じられた、世界広しと言えどもとびっきりの騙り者が、見事に花を咲かせてみせましょう。
君の心に。
僕に限りないしあわせをくれる君に。
今度は僕がしあわせをあげる番ではないですか? そうでしょう?
「どうして、ねこはもういきかえらなかったの?」
「それを語る前に。どうか裏表紙を見て頂けますか?」
絵本を閉じて、君の目前に差し出す。君はその裏表紙を手のひらでなぞった。
「有希さん、その絵を見て、貴女はどう感じましたか?」
猫と彼の連れ合いの白猫が仲良く抱き合っている、その絵を見て。
「しあわせそうに、みえる」
「そうですね。僕にもそう見えます。そしてそんな『しあわせな二人の絵』がこの絵本の最後なんですよ」
「……どういういみ?」
「分かりませんか?」
「ふたりはしんでしまったあともずっといっしょにいたの?」
ああ、嬉しくて、嬉しくて。
君がそんな非科学的な事を平然と口にしてくれるのが、ああ、とても嬉しくて。
僕は少しだけ意地悪をしてしまいたくなってしまう。
「地の文と、会話分の違いをご存知ですか?」
「……わからない」
「地の文は嘘を書いてはいけないのです。例えば女装している男を『彼女』と書いてはルール違反と。そうなります。会話文であれば、その登場人物が思い違いをしていただけで済まされますが」
それを擦り抜けて推理小説は誤読(ミスリード)という罠を張る……と。これは本題には関係有りませんでしたか。
ページを巻き戻し、そして見つけた一文を口にする。
「ねこは、白いねこの、そばに、いつまでも、いました」
この一文が無ければ、きっと僕はこの絵本を名作とは思わなかったのではないかと、そう考えます。
「いつ……までも?」
「はい、いつまでも」
「……分からない。いつまでも、とは、いつまで?」
「ふふっ。いつまでも、とは、有希さん」
背後から、少女の耳に、少女が驚かないように注意してそっと囁きかける。
「いつまでも、ですよ」
ミスリードを許さない、確固たるその一文が、この物語の中核にして、全て。
いつまでも。
その言葉の意味は……いつまでも。
ずっと。
いつまでも。いついつまでも。
どこまでも。どこどこまでも。
「ねこは、白いねこの、そばに、いました」
例え死んでしまっても。そばに居ます。僕は、君の。
「ねえ、有希さん」
「なに?」
「死が二人を別つまで、って結婚式の常套句なのですけれど」
「そう」
「僕、あの時、彼に言ってその文句だけを変えて貰ったんですよ。覚えていますか?」
あの時。五人だけで執り行った、小さな教会での結婚式の時に。僕は君がその日で消えてしまう事を知っていたから。無理を言って彼にそれを変えて貰った。
君は小さく頷いて、そして彼の言葉を一字一句間違えずに復唱してみせた。
「しがふたりをわかとうとも」
それは、その時の僕の覚悟で。そして、今日、今一度この絵本を通して君に伝えたい事。なのかも知れません。
「絵本の最後のページ。ああ、草原が描かれているあのページです。人によって幾らでも解釈は出来るのですけれど。例えば僕はこう思うのですよ。二匹は同じ場所に眠った、という暗喩なのではないのかな、と」
生きて連れ添い、死してなお、連れ添い。
「それは、しあわせ? わたしには、そうはおもえない」
「どうでしょうね。僕にもそこは何とも……ああ、少し見方を変えてみましょうか、有希さん。どうして猫はもう生き返らなかったのでしょう?」
まあ、僕がその猫で、君がこの白い猫だったとしたら。やはり僕も生き返ったりはしなかったでしょうけれど。
だって、そんなのは悲しいじゃないですか。
「おうさまもふなのりもさーかすも、おばあさんもこどももいらない。そこにしろいねこはいないから」
ですよね。そこに君が居ないなんて、僕はもう御免です。
「あってる?」
「さあ? 真実は猫のみぞ知る、といった所でしょうか。でも、僕もそう思いますよ。ねえ、有希さん。後十年したら、正式に籍を入れましょう」
「いれてくれないと、こまる」
「ええ。僕だって困りますよ」
死が二人を別とうとも。
君の傍に居続けると、僕は誓ったのですから。
「それで、一緒にたくさん楽しい事をしましょう。一緒にたくさんしあわせになりましょう。そうしたら」
「そうしたら?」
「いつか僕も君も死んでしまっても。一緒に思い出話をするだけでしあわせになれますよ」
いつまでも。
いつまでも。
「きっと、この国に『夫婦は一緒のお墓に入る』という決まりが有るのは、そういう理由なのではないかと思います」
君を抱き締めて、そう言う。君は無表情で、絵本の背表紙を見つめていた。
「だったら、わたしははやくおとなになってあなたとけっこんする。したい」
「焦らなくとも。ゆっくり大人になって下さいね。実は僕、こうやって小さな貴女に読み聞かせをしてあげられる時間というのが、結構好きなんですよ」
「だいじょうぶ」
少女は力強く頷いて、そして。
「こいずみいつき。あなたはきっとやさしいちちおやになる。わたしはあなたがこどもにむけてえほんをよんでいるところをよこからみる」
それはなんて素敵な未来予想図。
「わたしはそのとき、きっと、しあわせ」
「そうですね」
「そう」

読み聞かせの時間は終わり。僕は自分用と少女用にミルクを温め、ココアを淹れる。彼女のは砂糖をたっぷりと。僕のは小匙に半杯。
彼女の身長に合わせて買った膝丈の高さのテーブルにそれを置きながら、さて、ここからが僕の本領ですね。
「時に有希さん。貴女は裏表紙を見て、この猫と白い猫が百万回生きた猫とその奥さんだと思われたようですけれど」
「ちがうの?」
飲み物で汚してはいけないと、既に本棚に戻っている絵本。それを取りに行こうと少女は立ち上がり、しかしそこで少し戸惑う。
「もってきて、いい?」
彼女には一度、お気に入りの絵本(確か「白雪姫」ではなかったかと僕は記憶しています)をココアで汚してしまった前科が有りました。
「飲み終えてからにしましょうか」
「……わかった。あつくてのめないからこおりをいれてほしい」
そんなに一生懸命になって飲み干そうとなさらなくても……。
「ゆっくり飲んで下さい。折角貴女に合わせて作ったココアなのに、一気に飲まれてしまったら悲しくて僕は泣いてしまいますよ?」
「……わかった。わたしもちょこれーとをあじあわずにあなたにたべられてしまってはかなしい」
僕がそんな勿体無い事をするなんて仮定がもう既に、ありえないのですけれど、ね。
「ゆっくりのむ。だから……なかないで」
ああ、もう。なんて素直な少女なのでしょう。なんて優しい少女なのでしょう。涼宮さんや朝比奈さんが骨抜きにされているのも分かろうと言う物です。
いえ、言うまでもなく、一番骨抜きなのは僕ですよね。
失礼しました。
「……ここあなのは、きのうがばれんたいんでいだったから?」
「ええ。最近は逆チョコというのが……ええと、男性から女性にチョコを送る事を言うのですけれど。そういったのも有りだと聞きまして。ほんの思い付きですけれど」
本当はホットチョコレートがこの場合の飲み物としてはベストなのでしょうが。
流石にそんな準備はありません。
「ここあは、すき。あなたがくれるものは、いつもわたしのすきなあじ。どうして?」
「愛情は最高の調味料なんですよ。知りませんでした?」
そこばかりは、喜緑さんにも負ける訳にはいきません。
「なるほど」
だからこそ、有希さんの作ってくれたチョコレートは特別な味がしたのですけれど。まあ、その事実は秘すれば華、なのかも知れません。
「飲みながらで良いですから。それほど記憶力を必要とする話でもありませんし」
「わかった。なら、うらびょうしのはなし。あれはねことしろいねこではなかった?」
「縞々の猫と白い猫でしたよ。貴女の記憶で、間違ってはいません。ですけれど、そのどこに物語中の猫だと書いて有りましたか?」
裏表紙には絵しか描かれていません。
「そういえば、かいてなかった」
「なれば、あれは推理小説で言う所のミスリードではないのかと。僕は天邪鬼ですからね」
類は友を呼ぶ。誰かや誰かと同じで、僕も類に漏れず天邪鬼。
「そこに疑問を抱いてしまった訳です。ふふっ」
「でも」
熱くて中々飲めないココアを少しだけ眉を顰めて見つめる少女。きっと絵本を確認しに行きたくて仕方が無いのでしょう。
そんな彼女も、愛らしい。
「でも、にひきじゃなかったら、あれはだれ?」
「さあ、誰でしょう? 誰だと思いますか、有希さん?」
「わからないから、きいている。きかせて」
君の堪え性の無さは、飽くなき知識欲から来るものだと僕は知っている。良いでしょう。好奇心は誰にも止められません。
僕だって。
君が僕なりの回答を告げた時にどんな表情をしてくれるのか、それが知りたくて堪らないのですから。
「そうですね。僕なりにこのお話に続きを創るとしたら。それはきっとこんなタイトルになるのではないのでしょうか」
それはきっとしあわせな物語。
それはずっと続いていく物語。

「百万回生きた猫の子猫」

世界は、円環だから。

「猫……父猫と母猫と、同じように。二匹のこどもたちは連れ合いを見つけて、それぞれしあわせになった。そういう事で、どうでしょう?」
「でも、えはしましまねことしろいねこ。えほんのなかのにひきとおなじ。どちらかかたほうがにてるなら、それでもいい」
有希さんの賢さに少しだけ感心します。そうです。僕の言い方ならば、どちらかはまるで別の猫でなければならない筈。
ですが。
大人とは、こと、それが絵本作家ともなれば。婉曲迂遠な表現こそが子供の心に辿り着くと信じて疑わない困った生き物なのです。
「僕がその推論を持つに至った理由は絵本の最後のページです。あそこには草原と麦が描いてありましたね」
「かいてあった」
「麦とはパン……食べ物です。その象徴と言っても良いでしょう。それを作者が最後に描いた理由。それはつまり、命は繰り返すという、そういう事を伝えたかったのではないかと」
「いのちは、くりかえす?」
「そうです。生き物は、いつか必ず死にます。が、死んでしまったぼくらの体は空や海や……そして土になるんです」
「ほしになると、すずみやはるひは、そういっていた」
なるほど。まったく、涼宮さんらしい教えです。
「それは心の話ですね。心は星に、体は地球(ホシ)になるんですよ、有希さん。そうして僕らの体は、次の命がお腹を空かせない為の食べ物を作る土になる。それを伝えようとしたものが、最後のページに描かれていた一本の麦ではないのでしょうか」
「……くりかえす」
「そうです」
万物流転という言葉は君にはまだ難しいかも知れません。ですが、その概論ならば理解出来る筈です。
君は、賢いから。
「そうして実った食べ物のお陰で、また新しいしあわせが育まれていく。貴女や、僕のように。そう考えた時に、ふと思ったんですよ。あの猫と白い猫が一番、土になった後でもしあわせにしてあげたかったのは誰だろう、なんて」
君は、この疑問には悩まなかった。すんなりと、僕が君の唇から引き出したかった言葉はこぼれ出た。
「にひきのあいだにうまれた、こねこ」
十年二十年経って。僕と君の間に子供が産まれたら。
「ですよね。きっと、そうなんです」

ねこは 白いねこと たくさんの 子ねこを 自分よりも すきなくらいでした。

きっと、自分よりもよほど好きになってしまうに違いない。
「だとしたら。子猫の姿として縞々の猫と白い猫が描かれているのも『二匹の幸せはいつまでも、どこまでも続いていく』とそういう暗喩なのではないのかな、などと」
そんな作り話。
どこまでも、おとぎばなし。
だけど、君がしあわせを信じてくれるなら。
僕は騙ろう。騙って騙って騙り続けよう。
君が僕にした「しあわせって、なに」という疑問。これが僕なりの答え。
「わたしたちがしんでしまっても、わたしたちはしあわせでいられる?」
「貴女がそれを信じてくれるのなら」
「わかった。なら、しあわせになるために」
部屋中に溢れ返る、チョコレートの香りは。
しあわせの香り。
「わたしはあなたのことばをしんじる」
「光栄です」
君と飲むココアは、しあわせの味がする、僕が生きていく意味となって全身を巡る。


でもね、僕は君に言っていない事が一つだけ、有るんですよ。
「百万回生きたねこ」の裏表紙。
有希さん。貴女は裏表紙を見て、この猫と白い猫が百万回生きた猫とその奥さんだと思われたようですけれど。
僕は本屋さんで最初にこの絵を見た時に。
まるで僕と貴女みたいだな、なんて思ったんです。

そして、絵本と同じように。僕は君の肩を抱いて。
僕は有希さんに言うのです。

「そばにいても、いいですか?」
「そばにいてくれなきゃ、いや」

いつまでも、いつまでも。

僕は 君の そばに いつまでも いました。


いつか、僕らの物語はそんな言葉で締め括られると良いな、なんて考えながら。

今日は二月十五日。
君が僕にしあわせのチョコレートをくれた日。


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