ハルヒSSの部屋
涼宮ハルヒの戦友どっかーん 10-2
「そういうのは勝ってから言って欲しいのね」
少女がそう呟いて……背後で何かが動いた気配がした。反射的に其方へと目をやる。
「え?」
忘れていた。キマイラの武器は三つ首と爪、そして巨体だと思い込んでいた。完全に意識の外だった。
蛇の尾が大口を開けて迫っているのが視界に入り込んだ時には既に遅く。
慌てて回避行動に移るも、完全に虚を突かれていた上に反射神経の無い俺には其の鋭利なる牙を避けられる道理が無い。逃がし遅れた右腕、上腕部に焼け付くような痛みが走る!?
「ぐァうゥァァアアァァッ!!」
ヤられた。

も ぎ 取 ら れ た 。
そんな感覚。

油断していたのは先刻までの阪中もだが、俺もだった、ってオチかよ、チックショウがぁっ!?
警戒していた心算になってただけで、早過ぎる勝利の美酒によって周りが見えなくなってた、ってか!?
力が入らずダラリと垂れ下がる腕。滅茶苦茶に痛い。痛過ぎて気を失いそうになり、痛過ぎて気絶出来ない二律背反。正直、叫び出したくて仕方が無い。
が、通り過ぎた蛇の尾の、其の第二波が襲ってくるのは時間の問題で。オチオチ気絶してもいられない。そんな甘い誘惑に乗れば……死ぬ。
力の入らない右手から落ちていく銀杖がやけにスローモーションに見えた。ことり、と。小さな音で我に返る。
深呼吸。落ち着け、俺。慌てず騒がずダメージリポートが被弾時の原則だ。其れは潜水艦であっても人間であっても変わらない。取り敢えず、首から上を動かして傷の程度を確認するのが何よりの優先事項だ。
そう思った。だから、見た。
「……冗談だろ、オイ……オイオイ……冗談に……なってねぇぞ……」
見なければ良かった。見るべきじゃなかった。所謂、力瘤と呼ばれる筋肉が……根こそぎ持っていかれていたからだ。
少しだけ白く見えているのは恐らく骨。其れも直ぐに止まらない出血によって見えなくなった。
傷口を見た途端に更なる痛みが襲ってくる、ってーのはよく聞く話だと思う。さて、元々が激痛だった場合はそいつは如何なるのか。そんな事は出来れば死ぬまで知りたくも無かったが、残念ながら自分の身を持って思い知らされた。
「……っがァ!!」
咄嗟の判断。叫びを堪える為に左腕に噛み付く。此処で叫び声をあげたら、自制が効かなくなり恐らく俺は狂う。
歯が突き刺さって更なる傷を生むが、其れを痛いと感じられない程に右腕から上ってくる電気信号が俺の脳を埋め尽くしていた。眼の裏でチカチカと星が瞬く。視覚情報すら上手い事届けられていないらしい。
そんな状態で、蛇尾をかわせたのは奇跡と言っても決して言い過ぎではないだろう。勿論、前述の加重魔法の影響は獣王の尾の先まで届いているので其の所為も有るのだろうが、其れにしたって無我夢中だった。
「っぐぅ……術式構成ッ……開始ッ……カリ=ガ=ネぇェッ!!」
取り落とした杖を無事な左で拾い、朝比奈さん仕込みの治癒魔法の構築を始める。口が詠唱で塞がれて、漸く俺は叫びを我慢する必要から解放された。
「――――――――!!!!!」
声にならない声を思う様に上げた。此の侭意識を失えば出血多量でか追撃でかは知らないが、一思いに楽にして貰えるだろう。
其れも悪くないかも知れない。そんなトチ狂った事を考えちまうレベルの激痛。
よく理性を保ったと、我ながら褒めてやっても良い。

完成した治癒魔法が形作る緑の光が傷口を包む。気の所為かも知れないが少しだけ痛みが軽くなった。
痛みに慣れてきたのか、痛覚が麻痺しちまったのかも知れない。人間の環境適応能力は凄まじい物が有ると聞いているからな。
しかし、肝心の流血が止まらない。
どれだけの出血量ならどれだけの時間で人間が失血死するのか、なんて専門知識は持っちゃいない。だが、専門知識無しでも分かる事は有って。
即ち、この血を早めに止めないと確実に死ぬ、って事だ。
傷口は深い。ってか、深いとかそういった単語では如何見積もっても足りそうに無いな。ウチの妹が噛み付いたトーストがたまにこんな形で放置されているのを思い出した。
治癒詠唱を何度行えば出血を止められるだろうか。俺には朝比奈さんの様な治療経験が無いので見当も付かない。だが、少なからぬ回数が必要になってくるだろう。
そして、現在一番の問題は……阪中と少女に連れ従う幻獣王が其れを黙って見過ごしてくれる訳も無い、って事だ。
「形勢逆転、ってこういう時に使う言葉で良かったかな? ふふっ。油断していたのはキョン君も同じだったみたいなのね」
改めて言われる迄も無く、痛いくらい……否、実際激痛と共に理解してるっつーの。一生ものの不覚だ。ああ、もう! そんな過ぎた事は如何でも良い!
「ごめんね。私、優しくないから。其の状態で動き回ったら、例え攻撃が当たらなくても死んじゃうのよね。人間って……本当に脆弱」
悔しいが坂中の言う通りだ。だが、如何やって血を止めれば良い!?
治癒魔法でも焼け石に水。どんだけ水を掛ければ熱が冷めるかなんて検討も付かない。更には、其れを黙って見てくれている意思が阪中には無いと来たモンだ!
呪文を満足に使えたとしてチャンスは後二回有るか無いか。其れ以上は痛みよりも出血から意識が保たないだろう。蛇尾の一撃はきっちり見ていればかわせない速度じゃない。が、しかし其れにしたって意識が途切れれば如何する事も出来ん。
クソッ! 一体如何すりゃ良い!? 兎にも角にもさっさと血を止めないと……こんな所で死んじまうのは御免だぜ!?
考えろ。考えろ、俺!
アイツの望むヒーローなら……ヒーロー物ならこんな場合如何やっ――

――有った。恐らく唯一無二の俺が生き残る手段。

って……オイオイ、マジかよ。頭の片隅から引っ張り出した少年漫画の一シーンを二度見の要領で追再生して他に手を思い浮かばない事に愕然とする。
出来る訳が無い。そう思う。そんな真似、俺はヒーローじゃ、ない。だけど。
やらなきゃ、死ぬ。出来なきゃ、死ぬ。
頭を振り、思い付いた映像を脳裏から振り払う。そりゃ、そうだ。「あんな事」は普通の人間である所の俺に出来るとは、耐えられるとは到底思えない。
だがしかし、代案を考え付く事が出来れば良いが、そんな都合の良い物なんざ咄嗟に思いつくモンでも無く、又、そんな思索に耽る暇も無い。
腹は括った心算でいた。今だって、死なない為なら何だってやってやろうと考えているさ。
だけど……ちょいとこいつはハードルが高過ぎやしないか、俺?

痛いのはもう良い。仕方が無いと諦める事も出来るさ。どうせ今だって死ぬ程の激痛に、休む暇無く苛まれ続けてんだ。上書きされても五十歩百歩。同じ激痛なら甘んじて受けよう。
けれど。
脳髄に叩き込まれる更なる痛覚に、果たして俺の神経が保つのか。其れがこの場合の新たな問題で。
とは言え迷っている暇は無い。迷っていては死に至る。何もしなくても死んじまうんなら。此の侭抗う事無く死んじまっても良いかと本気で思える程、俺は人生を遊び尽くしちゃいない訳で。
呪文詠唱を開始する。杖先に赤い光が点る。
「諦めが悪いのね」
うっせぇよ、阪中。言っただろうが。「諦める」ってコマンドを選択する事を、SOS団の人間は許されちゃいないんだ。
そうだ。全部、ハルヒの所為だ。嗚呼、もう、チクショウ。元の世界に帰ったらしこたま文句を言ってやる。アイツの自覚の有無なんか知った事か。身に謂れの無い罵倒をされる俺の気持ちを一度くらい味わってみるのも一興、てなモンだろ!?
ふらふらと、血が足りない所為で覚束無い足取りの侭、其れでも三つ首の死角になるように走る。大蛇が背後から迫ってくるのを転がって何とか回避し、立ち上がると共に術式構成が完了した。

「ジョウネ=ツォモ=テアマス!!」

杖から産まれるは炎。原初の始まり。光と熱のカタマリにして、焼き尽くすモノ。
「攻撃魔法……この期に及んで、なの? 其れとも、もう失血で理性も保てない? ルソーには効かないって、涼宮さんの忠告も覚えていられないくらい」
未だだ。未だ狂っちゃいない。意識も、はっきりしてるとはお世辞にも言えないが、混濁と評価するには早いだろうよ。
「ふぅん? なら、一発逆転の手に出たのかな? そうだよね。ルソーに攻撃魔法が効かない、っていうのはキョン君にしてみたら伝聞だから、確定した事実では無いし……でも、浅はかと言わざるを得ないのね」
其れも違う。この状況で勝ち目の薄い博打をする気はさらさら無いんでな。
「なら、如何する気なのね?」
少女が興味津々と俺をねめつける。そうかい。そんなに知りたいなら教えてやるよ。目ん玉開いてしっかり見てろッ!
「こうするんだよォッ!!」
叫んで俺は、杖の先に有る炎を自分の右腕上腕部、つまり――

傷 口 に 押 し 付 け た 。

「んぎがぁァァァぁあアァぁァッっっッ!!!!!」
肉の焼ける匂い。人間の灼ける臭い。燃えているのは、誰あろう、俺。
この時の痛みを言い表す事は、一寸俺の少ない語彙では出来そうに無い。陳腐を承知で言わせて頂くなら「死ぬ程痛い」となるのだが。どうか笑ってくれるなよ。
本気と書いてマジで死んだ方がマシだとさえ思ったね。括った覚悟なんざ襲ってくる真赤な感覚にいとも容易く押し流されて。
「……嘘?」
「……其処まで……やるのね……?」
そんなハルヒと阪中の呆けた様な声が聞こえた気がしたが、恐らく幻聴だろう。何せ、俺の聴覚はそん時にはもうマトモに機能なんざしちゃいなかったからな。
聴覚だけじゃない。視覚も、平衡感覚もオカしくなっていた。目の前が見えなかったし、立ってなんかとてもじゃないがいられなかった。
自分の焼け爛れる、気持ちの悪い臭いだけがやけに鼻に付いて。……そして、其れすら少しづつ失われていく。

浅はかだったかと、薄れゆく意識で思う。傷口を焼いて塞ぐ、なんて真似はやっぱり漫画のヒーローにしか許されちゃいないんだろうな。しくじったね。何を勘違いしたか、ヒーローでもあるまいに。
ヒーローになろうとして、勢い余って、下手を打っちまった。
神経回路が切断されていく感覚がはっきりと分かった。世界が闇に落ちていく。
やっぱりと言うか、当然と言うか。何の訓練も受けていない俺みたいな一般人が許容出来る感覚を、ソイツは上空千m程飛び越えていた。

切断。破裂。焼却。消却。裂断。回路、緊急停止。

程無く俺の脳味噌には、何年も使い古して寿命を迎えたテレビみたいに砂嵐しか映らなくなった。
嗚呼、之が死ぬ、って事かい。もう少し安らかな、花畑とかそういうのを期待してたんだけどな。
けどまぁ、現実なんてこんなモンか。

上も下も
右も左も
前も後ろも
分からない所へ
落ちていく

言葉も無い。言葉も出ない。言語野も例外無く死んでいる。視覚も聴覚も、およそ感覚と呼べる代物は全て消え失せて。
何も聞こえる事の無い世界に落ちた。筈なのに、何でだろう。聞こえたんだ。はっきりと。
聞こえたんだ。其の声は。
届いたんだ。アイツの声は。耳に、じゃないんだろう。耳は死んでる。
きっと心に。そう。直接に。届けられた。

「キョン! 立ち上がりなさい!!」

「こんな所で終わって貰っちゃつまらないでしょうが!!」

「立て! 立ちなさいよ!!」

「立って! あたしを! もっと!! もっともっともっと!!!」

「 楽 し ま せ な さ い よ ! ! ! ! 」


女神の言葉は、強引で。目覚めを促すにしちゃ、最悪に傲慢で。
地獄の底から引きずりあげるにしちゃ、豪腕で我侭で、この上なくサイッコーで。

分かったよ、ハルヒ。お前が呼ぶなら。
お前が俺を呼ぶなら。
お前が俺を必要とするなら。
お前が俺に立ち上がる事を望むなら。
お前が俺をヒーローに仕立て上げようと考えるなら。

俺は何度だって。
立ち上がって。
這い上がって。
這い戻って。
お前の期待に応えてやる。

お前の為に、生きてやる。


俺の意識はそりゃもう見事な一本背負いよろしく、最強に自分勝手な女神によって無理矢理に世界へと引き戻された。

立ち上がる。ふらふらと、ゾンビみたいに。立ち上がる。ヒーローみたいに。
満身創痍。激痛。でも、もう顔は歪まない。どころか、笑みまで零れて来やがる。
「よっしゃぁ! やれば出来るじゃない!!」
目の端でハルヒがガッツポーズをしているのが見えた。コラコラ。一応、俺はお前の敵な訳で……気持ちは分かるが、そうあからさまに喜ぶのは如何かと思うぞ。
ま、しかしお前には感謝しなきゃいけないんだろう。今回だけだぞ。今回だけは、お前の声が届いてなきゃ死んでたからな。流石の俺だって少しは謝意を感じてやる。
ありがとう。助かった。
「さて、と。其処で呆けてやがる阪中。如何したよ。幽霊にでも遭ったような顔してるぜ?」
地面に落ちていた杖を拾い上げ、ソイツを口に咥えて自由になった左腕でローブに付着した土をパンパンと払う。一通り払い終えると杖を握り直した。
「そんなに、俺が生きてるのが不思議かよ。立ち上がってくるのが不思議かよ。失礼だな、全く」
勝手に殺してんじゃねーよ。ピンピンしてるとは言えないが、正直今にも気絶してしまいたいが、ベッドが視界に有ったら問答無用で飛び込んで行っちまいそうな位疲れてるが、しかし、俺は生きている。

「なんでなのね!?」

阪中が激昂して叫んだ。いや「なんで」だけじゃ意味が分からん。お前はハルヒか。主語と目的語をはっきりさせて喋りなさい。
「なんで、そんな思いまでして涼宮さんの想いを拒むのね! 其処まで彼女の感情が迷惑なの!? 其処まで彼女の僕になるのが嫌なの!?」
そういう訳じゃないさ。只、アイツが本当に望んでいる展開に従っているだけでな。
「意味が分からない!!」
だろうね。之ばっかりはSOS団の人間でもない限り理解出来るとは思えないし、理解して貰おうとも思わんよ。
「SOS団!? 何よ、其れ! 何なのね!? 何で、キョン君は立ち上がれるのね!? キョン君は……何者なのね!?」
玩具屋のショーケースの前で駄々を捏ねる子供の様に阪中が半狂乱で喚き散らす。俺が何者なのか、ね。そうだな……只の一般人である事は確かだが、今ならもう一寸似合いの呼称が有りそうだ。
ニヤリと笑って、杖を持ち上げる。主人を心配そうに見つめる巨獣に向き直ると、俺は高々と、朗々と、世界に向けて、自分に向けて、ハルヒに向けて、宣言した。

其れは昔、只の人だった。只の人でしかなかった。だけど、只の人の侭じゃ誰も守れなかったから、其れは只の人である事を辞めた。
今なら、名乗っても良いだろう。文句は言わせない。誰にも。
俺が「なる」と決めたんだ。其の瞬間から、俺は「其れ」だ。
この手で守れるだけの人を守ろう。この手で救えるだけの人を救おう。この手で笑わせられるだけの人を笑わせよう。……そう、決めた。
だから、俺は名乗る。ハルヒ、見てるか。聞いてるか。随分時間は掛かったが約束通りだ。連れて来てやったぞ。お前が会いたがっていた奴を。
今、この瞬間。お前の視線の先に。お前の望み通りにな。
「俺が何者なのか……ね」
そうか。之がこの世界の規定事項かよ。今更ながらに納得だ。最初から、そういうシナリオだった、って事で良いんだな。そして、俺は自分でも知らず知らずに其のシナリオを遵守してた訳だ。
流石は超監督ハルヒ様だよ。そして……今回ばっかりは主演役者を褒めてくれても良いんじゃないか? 我ながら主演男優賞モノだぜ、なぁ?
「決まってるじゃねぇか」
さぁ、阪中も、ハルヒも。そして世界も。其の耳の穴かっぽじってよく聞けよ!
コイツは俺の一世一代の啖呵切りだ!


「通りすがりの勇者だよ」


神様にだって、絶対に文句は言わせない。そういう事で、如何だろうか?


さて、こっから先は最早蛇足だと思うが一応最後までやらせて貰う。

ゆらり、ゆらり。俺の視界が揺れるのは足元が覚束無いからだ。其れでも、膝を突く事はもう無い。地に根ざす雑草の如く、何度踏まれても立ち上がる。
雑草、か。ははっ。違いない。俺は雑草だよ。だが、知ってるか? アスファルト舗装された道にだって、植物は根を張るんだ。
根を張って、花を咲かせるんだ。春先、道端の蒲公英(タンポポ)を見て、俺だって悪くないと思うぜ? そういう事だろ?
負け犬上等。格好良くなんざ、俺には荷が勝ち過ぎるのも分かり過ぎるくらい理解した。だったら。
だったら、俺は俺の侭で、見苦しく、醜く、意地汚く……だけど其れでも、生きてやる。
さぁ、如何した? 此処まで来て怖気付いたなんて言うんじゃねぇぞ、獣王。
此処が漸くスタートラインだろ。
此処で漸くスタートラインだろ。
本気にさせた分、お前にはきっちりと其のツケを払って貰わなきゃいけないんだ。最後まで、付き合って貰うからな?
「覚悟しろよ」
ぐらり、ぐらり。頭は左に右に揺れる。けれど芯はブレない。
「お前の目の前に居るのは勇者だ。古今東西、勇者ってのは」
一歩、踏み出す。俺の動きに連動する様に阪中がじり、と下がる。
「どんなピンチを迎えても」
また一歩、前へ進む。主の危機を悟った獣が身体を無理矢理に地面から引っこ抜いて俺と阪中の間に入り込む。其れは堅固な壁だったが、今の俺には乗り越えられない高さじゃ、全然無かった。
どけよ。邪魔だ、犬っころ。お前の出番はもう終わったんだよ。分からないか。引き際ぐらい心得ておけって、そう言ってんだ。
巨獣が吼える。産まれた烈風が身体を襲い、そして血が足りず踏ん張りの利かない両足に其れを支える事は出来ない。結果として俺は成す術無く其れに転がされて、地面に仰向けとなり倒れ込んだ。
空が高い。自棄になりそうな青い空。雲一つ無い空。見蕩れていたいが、ソイツはちょいと後回しだな。
「どんなに絶望的な状況でも」
立ち上がる。支えは要らない。杖を突かなくても、俺は俺の両足を信じている。
俺の脚は、飾りじゃない。其れは何度だって、立ち上がる。
そうさ。何度だって立ち上がるんだ。左足を切られれば右足一本で。右足を切られれば左足一本でだって。
両足を切られようと、其れでも。
根性? 違うね。残念だが俺はそんな大層なモノ持っちゃいない。俺自身はイカした属性なんざ何も持っちゃいない。
悪いが俺は何処にでも居る只の根性無しにして自主性無しの、流され体質を持つ一般人さ。
「……どんなにクソッタレな現実を目の前にしても!」

だけど、俺にだって意地が有る。そいつはそんな格好良いモンじゃないが、けれど死ぬまで放さず握り締めていたい、俺の持つ唯一の誇りだ。
長門、朝比奈さん、古泉、朝倉、鶴屋さん。
そして、ハルヒ。
お前らの信頼が俺を奮わせる。信頼が力になるとか臭い事は言わない。
俺がこうやって何度だって立ち上がって見せるのは。
お前らの信頼に応えて見せるのが、俺の持つ唯一にして無二の誇りだと思うからさ。信じられたんだ。託されたんだ。だったら応えてやらないのは、嘘だろ。

そして……ソイツが俺を立ち上がらせる力って奴になる。

だから、奮う。流し過ぎた血を意思で補って。
だから、叫ぶ。

「其れでも最後には全部ぶっ飛ばしてみせるから、勇者って言うんだよ!!」

術式構成開始。飛んで来た蛇尾は、しかし遅い。しっかりと見据えていれば俺にだってかわせるレベル。潜り抜ける。そして放つ。
「ジョウネ=ツォモ=テアマス!!」
左手の杖から轟音と共に爆炎が辺りに吹き散らされた。ソイツの狙いは一直線。獣の三つ首に向けて飛び掛る!
「攻撃魔法は効かないって、何度言ったら理解するのね!!」
阪中の言葉通りに。ソイツは多少ウザったそうに巨躯に纏わり付く赤い舌を一瞥しただけで、ダメージを受けている様な素振りはまるで見せない。
まぁ、理解してたけどな。だが俺がこの期に及んで何の意味も無い詠唱をすると、お前が本気で思ったのだったら谷口にも匹敵する楽観主義者だと断じさせて貰う。
「忘れたか、阪中? 俺には二重詠唱って世にも便利なスキルが有るんだぜ?」
「なっ!?」
そう。本命は既に詠唱折り込み済み。俺の姿は今、炎に遮られて獣王の眼には入っていない。其の火炎はちょいと派手な目晦ましに過ぎないのさ。
「ゲン=ジ=ツォミロ!」
炎が晴れた時、其処には二十は下らない数の俺が立っていた。否、正確に言うなら「俺もどき」と。そう表現するべきかも知れん。
マヌー○なんかに代表される俺が詠唱した呪文を、より的確に説明するならば。
「幻術……ね。ぜんぜん面白くないけど、ま、あんたらしいと言えばそうなのかも」
イエス、ウィーキャン。悪いが、お前みたいに何でも力技で叩き伏せちまえる奴と俺を一緒にするな、ハルヒ。
なんて心の中で毒づきながら俺は疾走する。俺の動きに合わせて前述の「俺もどき」達も其々ばらばらの方向に走り出す。
さて、ドレが本物か分かるかい、犬っころ!? ご自慢の鼻は地面の焼けた臭いで利きやしないだろ!?
「くぅっ……ひ、卑怯なのね!」
「「卑怯? 何言ってやがる。格好付けるのはもう止めだ。勝つ為ならどんな手だって使ってやるさ」」
俺達が異口同音に前後左右から喋る。悪いが、この侭一気に押し切らせて貰おうか!

蛇の尾が嵐の様に動いて前後左右の俺を噛み砕く。しかし、何れもハズレ。
「「ほらほら、如何した!? 俺はこっちだぜ!?」」
疾走&詠唱。重ねられた幻術によって「俺もどき」の数は更に増える。獣王の周囲をぐるりと囲み、離れ、近付き、そして本体の場所は決して悟らせない。
「ルソー! 尻尾じゃ埒が空かないのね! ブレスよ!! 一掃しちゃいなさい!!」
はいはい、そう来るのは読んでた、っつーの。竜の頭が口を開き、今まさに灼熱を吐かんとする其の顎に向けて俺は更なる術を放つ。
「ジョウネ=ツォモ=テアマス×2!!」
もしもこの世界がRPGを遵守する造りになっていれば、加重魔法で相手を疲労させるなんて真似も出来なかっただろう。だがしかし、この世界はゲームじゃない。
リアルだ。
であれば、威力さえあれば炎を炎で押し返す、なんて真似すら出来ちまう。
「戦えてる……獣王と……互角以上に……只の人間の曲(クセ)して……これが、勇者?」
ハルヒがポカンと此方を見つめて呟く。そうだ。望んでたんだろ、こんな展開を。
「「ちょいとプロローグが長引いたし、俺が決意するのも遅くなっちまったが、待たせたな」」
激突する赤と紅からなる二色の炎を見据えつつ、俺はハルヒに向けて叫ぶ。

「「さぁ、物語のハジマリだッッ!!!」」

そう、散々言った通り、此処がスタートライン。

ブレスを相殺して、俺は走る。途中で何人もの「俺もどき」と入れ替わって行方を晦ますのも忘れない。
「「さぁさぁ、如何した阪中! もう終わりか!? だったらお前自身に攻撃を仕掛けて終わらせちまうぜ!?」」
空間に木霊する「俺達」の声。しかし、余裕たっぷりの言葉とは裏腹に俺はちょいと困った事態に陥っていた。
ブレスを散発的に放たれれば其れから「俺もどき」を守る為に相殺を強制される。文字通り、この幻覚が俺の生命線だからな。守らざるを得ない。
しかし。
そうなると俺は壊された分の幻術の掛け直しか、もしくはブレスに対抗する火炎魔法しか詠唱出来ない訳で。追加で巨獣に対して攻撃を仕掛ける事が出来ない。まぁ、攻撃魔法は効かないので其の手段すらそもそも怪しい訳だが。
重ね掛けは二回まで。其れがこの世界のルール。ならば之以上の加重を仕掛ける事も出来ないってんで。
有態に言ってしまえば、俺は決め手に今一つ欠いていた。
勿論、一つも手が無い訳じゃない。考えた付いた限りでは二つ程が脳裏に浮かんでいる。
だが、一方は完全に準備不足だし、もう一方だって其れなりに長い詠唱を必要とする。となると、この「何らかの詠唱を強制される状況」では手も足も出やしない。
ルソーの体力が尽きるのを待つのも、もしも俺が健康体ならば有りだっただろう。けれど、俺は怪我人である。其れも、結構深刻な。
ま、血は止めたので何も今すぐ死ぬとかそんな事は無いだろうが、其れにしたって根比べをするには少し、否、かなり分が悪い。
……この幻術の欠点に早く、気付いてくれないだろうか、阪中も。そんな期待を乗せて少女をチラリと見やる。と……眼が合った。慌てて眼を背けるが、気付かれたな、コレは。

「分かったのね!」
遅い。遅過ぎる。もう少し早目に気付いてくれ。
「ルソー、偽者には影が無いの! 影が有るのは本物だけ!!」
そう少女が喜色満面に叫びを上げる通り。数十にもなる俺の内、影を持っているのは俺だけだった。実体を持っているか、いないかの差だな。
まして、今日は雲一つ無い快晴。影はくっきりはっきり地に伸びる、ってモンで。
「ブレスは相殺されるから、身体で押し潰すのね、ルソー!!」
そう来るよな。良い判断だ。俺は一度杖を口に咥えると、腰に掛けた布袋から植物の種を掴み出して其れを咀嚼した。激不味だが、之でMPが回復するなら安いモノだと思っておこう。良薬口に苦しとはよく言ったものだ。
もう一度袋に手を押し込む。目的の物を引きずり出して……さて、こっからが大仕事だ。しくじるなよ、俺。
巨大なる合成獣が三つ首をぐりぐりと動かし、そして俺の姿を認める。ゆっくりと、足を地面から抜き、沈めて向き直った。
対峙、って奴だな。もしくは勝負所ってか。俺は杖を掴み直した。
「術式構成開始」
少しづつ、着実に、ソイツは俺の方へと歩を進める。其の足元に群がっていた幻が踏み散らされて消えていくのを見ながら、俺は其の場を動かない。
杖をゆっくりと持ち上げる。迫る壁。俺のちっぽけな生なんか一発で圧殺する事が出来るだろう、巨躯が最後の力とばかりに強引な突進を始める。
眼と鼻の先。生と死の瀬戸際。タイミングは完璧。

「複層式防御結界展開ッ! キン=ソ=クジコウだッ!!」

俺と獣の間に複数の黄色のテープが高速で張られていく。朝比奈さんが使用した時はピンクだったが俺の場合は黄色って、芸が細かいな、オイ。
ソイツは瞬く間に頑強なる壁となり、キマイラの突進を喰い止める盾となった。
激突。風こそ結界に阻まれて俺には届かなかったが、衝撃はMPへと見事に跳ね返ってきた。
……っつか、なんだこの魔法!? MPの消費が馬鹿だろ!?
そりゃ、炎に物理、確認した訳じゃないが其れ以外の大概の攻撃に対して有効な防御魔法なんだから其れに見合ったMP消費であって当然な訳だが、其れにしたってこのMPの減少速度は有り得ない。
まるで毎ターン「クイックタイム」ぶっ放してるみたいにMPのカウンターが回る回る。
獣王がそのご立派な身体を盾にぶつける度に、更にMPがドスンと目減りして。今更ながら、対竜相手に朝比奈さんがどれだけ頑張ってくれていたのかを知る次第だ。
だが、此処で早々に結界を解く訳にはいかない。
「色々言っていたけど、やっぱり最後には純粋に強者が勝つようにこの世界は出来ているのね!」
防戦一方の俺に向けた言葉であろう。確かに。強い者が勝つように出来ているとは俺も思う。だが「強い」ってーのは腕っ節だけじゃ、無い筈だ。
戦い方は幾つも有る。例えばお前ご自慢の合成獣がボードゲームであれば俺に勝つ事が出来ないように。古泉相手でさえ勝負にすらならない様に。
俺には俺の、戦い方が有る。
そして俺は杖を構えた侭、事前に地面へと置いておいたソレに動かない右手を接触させた。MPが更に消える。

やがて、耐え切れずに結界が解けて。
「終わりなのね!」
主に応える様に獣が吼えた。
そして、黒いローブを食い破り、獣王から見れば小さ過ぎる身体は鋭い爪で八つ裂きになった。


俺はぱくぱくと口を震えさせる事しか出来なかった。少女が笑う。
「随分、梃子摺らせてくれたのね」
ひくりひくりと、痙攣する身体を害虫でも見るかの様な眼で見つめて阪中が嘲笑した。
「でも、流石にそんな姿になったらもう無理だよね。立ち上がるはおろか、下半身と上半身が繋がってないんだから」
「キョン!!」
ハルヒが嘆く様に叫んだのが聞こえる。しかし、俺には応えられなかった。少女の視線の先に有る身体には影が有って。
幻術の類ではない、紛れも無い実体が、其処には転がっていて。
「嘘……嘘でしょ……あんた、自分は勇者だって……見てろって……そう、あたしに言ったじゃない……何、考えてんのよ……こんなの……こんなの全然勇者じゃないじゃない……」
「泣かないで、涼宮さん。キョン君は最初から勇者じゃなかっただけの話だから。一寸頭が回るだけの、只の非才な魔術師だったのね」
酷い言われようだ。コラコラ。人が反論出来ないからって好き放題言ってんじゃありません。
「……一寸……一寸だけ期待したのに……アホキョン、ドジキョン、ウスノロキョン!!」
ハルヒ、お前も……いや、之は仕方ないか。

体中の震えが消えていく。やがて、口も動かなくなる。


術 式 詠 唱 完 了 。



「勝手に殺すな、って。お、今回二度目だな、この台詞」
ハルヒと阪中が揃って振り返る。其の視線の先に居たのは、立っていたのは……もう、誰だか言わなくても分かるよな。
「あん……た? なん……なんで!?」
ハルヒ。お前は俺がそうあっさりと死んじまうような奴だと思ったのか? だったら此処で残念なお知らせだ。
「俺はしぶとい事に関しちゃ定評が有るんでな」
「だって、あんたはバラバラにされて!!」
「涼宮さんの言う通りなのね!! 其処に立っているキョン君がキョン君なら、一体此処でバラバラになっているキョン君は誰だって言うのね!?」
あー、種明かしの時間か? オーケー。だったら、ソイツを良く見てみろ。
「「へ?」」
ハルヒと阪中が同時に間抜けな声を上げる。ま、其の反応もむべなるかな。二人の眼前で、俺の姿をしていた物が元の形――

――スライムへと変貌していったからだ。

「これって!?」
「お風呂場の!?」
正解。魔王城の浴室に置いてあった擬態化スライムだ。
「其の侭使ったら俺があんまりあっさり殺される事に阪中もハルヒも疑問を抱いただろうからな。だから、一芝居打たせて貰った」
そう。だから幻術を行使して「影が有る=本物」という公式をお前らの頭に刻み込んでから使用した。
そして入れ替わりを悟られない様に結界を張って一時的に俺の身体を誰の眼からも見えなくさせた。
「案の定、其れが本物だと、お前らは信じて疑わなかっただろ?」
俺の言葉に少女二人が絶句する。良いね。ハルヒが絶句するシーンなんざ、そうそう拝めるモンじゃないからな。
「必要だったのは油断。そしてちょいと長い呪文を悟らせずに詠唱するだけの隙と時間だった」
だった。過去形。詠唱は既に終わっている。
「之で、終わりだ」
杖が一際力強く光り輝く。気付いてたか? エンドロールは既に始まっているんだぜ?

「ワタ=シハコ=コニール!!」

其の呪文は、巨躯を持つ獣の王者をも例外無く、其の場から消失させた。

「空間移送魔法。補助魔法だからキャンセルもされない。之にてゲームセットだ。……さて、阪中。未だやるか?」
俺は少女に向けてウインクしてやる。
「そ……其れが如何したって言うのね。もう一度召喚し直せば良いだけの話なのね!」
本当にそう思うか? 俺が其れくらいの対応を考え付かなかったと、何の対策も取っていないと思うか?
「良いぜ。やってみろよ。邪魔はしないさ」
俺は座り込む。杖を脇に置いて、其の意思が無い事を誰の眼にも明らかに示してやった。尤も、妨害が必要が無いのを俺は知っていたしな。
「魔方陣は先刻のを流用! 来なさい、ルソー! サモン=ヴァーバリアス!!」
応答は無い。魔方陣は紫の光を放ち、そして何事も無く光が止む。
「サモン=ヴァーバリアス!!」
再度、少女が叫ぶ。しかし、彼女を守る使命を帯びた獣は何処にも姿を現さない。
「ど……如何いう事なの!? 先刻から召喚は成功してる! 手応えは有った! なのに……なのになんでルソーは現れないのね!?」
「何をやったのよ、キョン?」
ハルヒが俺の隣まで歩いてきて聞いてくる。いんや、俺は何もしちゃいないよ。
「嘘。何もしていないなら召喚が失敗する筈無いじゃない」
だから、阪中の召喚は成功してるんだよ。
「意味分からないんだけど」
いや、だからだな。召喚は成功して、ルソーは其の呼び掛けに応じてるんだ。
「だったら! ルソーが出て来てる筈じゃない。答えなさい! 何をやったの!? 真逆……魔王城に掛かっていた結界と同じ物を張ったっての!? 二重詠唱が出来る位だから、やって出来ない事は無いわね!」
えっと……なんだっけ、其れ。
「あんた、其の歳で若年性痴呆症なの? 『空間移送魔法の座標指定に乱数を自動入力して其れを無効化する結界』……って、其の様子じゃどうも違うみたいね」
嗚呼、ハズレだ。そうだな。そろそろ、種明かしパート2を始めても良いか。良い感じに時間、だしな。
「何が『そろそろ』なのよ」
そう言って見下すハルヒの疑問には答えず、俺は解答編を始める事にした。
「さて、阪中の召喚は先刻から成功してる。呼び掛けにルソーが応えてない訳でも、俺が妨害してる訳でもないんだが。此処までは良いか?」
ハルヒがこくりと頷く。顎をしゃくって……さっさと先を言え、ってか? まぁまぁ、そう話を急ぐな。
「つまり、ルソーは召喚されてるんだ。にも関わらず、姿が見えないのは何故か。嗚呼、透明化の魔法とかじゃないぞ。そんな事をしてみろ。透明になったルソーにざくりとやられるのは俺だ」
「だったら……だったらなんでルソーは出て来ないの! 返して! 私のルソーを!」
阪中が召喚円の真中に、力が抜けて立っていられないのか座り込んで怒鳴る。
「怒鳴るなよ。俺はちょいと空間移送魔法に細工をしてやっただけだ。ってか、以前から疑問だったんだがな。お前らの使う、召喚を含む空間関係の魔法はなんで緯度と経度だけなんだ?」
俺の質問に訳が分からないと目を丸くする二人の少女。おや? 此処まで言っても気付かないか?
「平面世界なら其れでも良いけどな。悪いが此処は立体世界だ。なら、一つ、足りていない軸があるだろ」
「海抜?」
「当たりだ」
高さ。純粋なRPGであれば必要の無い概念。そりゃそうだ。あっちは2Dだからな。だが、其れが現実の世界に持ち込まれたとあっては3Dに進化せざるを得ないのは道理。
阪中の召喚魔法には其の概念が無かった。当然と言えば当然だが。アイツはこの世界の人間で、高さなんて端から考えちゃいなかっただろう。
しかし、この世界に呼ばれた俺は違う。
「召喚魔法は成功してる。つまり、ルソーは経緯だけで言うならば確かに其処に居るんだよ。さて、此処で俺からも阪中に質問なんだが」
「何なのね」
そう言った阪中の顔に小さな影が掛かる。
「ルソーは翼を持っていたが、果たして其の体重の五倍の重量の荷物を持った侭空を飛べるかね? 嗚呼、試した事は無いだろうな。
俺が推察する分には、だ。多分、飛べないだろうなと思う。俺との戦闘中、アレが一度も翼を使わなかった事が其れを証明してる」
俺が何をしたのか、勘の良いハルヒはもう気付いたようだった。さっと、俺の背中に身を隠す。
「何が言いたいのね」
阪中の顔に降りた影は、今や其の身体を覆い尽くす程に広がっていた。前述の通り、雲なんざ一つも無い青空であるにも関わらず、だ。
「つまり、だ。俺は先刻使った空間移送魔法に高度も設定してたんだよ。経緯は其の召喚円の中心。高さは遥か上空」
少女がはっとする。しかし、最早遅い。遅過ぎた。ソイツは加速している。よけられるスピードと、距離ではない。俺の様に、事前に其の場を離れていなければ。
「阪中、上方注意」
俺は言って、其の場に伏せた。ハルヒが俺に倣って伏せる。次の瞬間、爆発音が世界に轟いた。烈風が俺の身体の上を通過していく。伏せていなければ吹っ飛ばされていたな。

さて、此処まで来れば説明するだけ無意味だと思う。がしかし、オチは何事にも必要らしいので解説をさせて頂くと。
爆発音は地面と大質量が高速で激突した、其の結果であり、落ちてきたのは、言うのすら馬鹿らしいが先刻まで飼い主に散々行方を尋ねられていた「獣王」ご本人(ご本獣?)様である。
感動の再会。音速のハグ。涙まで出てくるね。ま、砂が眼に入った所為で溢れた涙であり、感激など皆無だが。

之にて、対獣王戦も漸く決着、である。

阪中が獣王の身体からずりずりと這い出てくる。自分の身を犠牲にして、無理な着陸姿勢を採ってでも主へのダメージを最小限に留めた、ってか。見上げた忠犬精神だ、ルソー。
だが、這いずり出てきた先に居たのは、誰あろう俺。其の左手に握り締めた杖には黄色の光が点っている。
阪中の表情が一気に強張る。泣きそうだ。と言うか、泣いてた。
「トドメだ」
少女が何かを言おうとする、其の間も無く俺は杖の先端を阪中に突き付けた。
「お前とは直接戦った訳じゃないから実力の程は分からないが、例えばこの距離で俺が使える最強の呪文を喰らって、果たして無事でいられるのか?」
俺は意地悪く笑って見せた。少女の顔が絶望に塗り潰されていく。世界の果てでも見てきたかのように。其処には何も無かったとでも言うかのように。少女の眼から意思の有る光が失われていく。
硝子玉の、其の眼に照り返すのは杖先の黄光ばかり。
「じゃあな」
俺は光を阪中にぶつけた。声も無く、阪中が倒れ込む。

「なーんてな。只の明かり(ライティング)だっての。誰かさんと一緒で、介錯の趣味なんざ無いんだよ」
見下ろした少女は、余りの恐怖に耐え切れず失神していた。


さて、と。
「こんなモンで良いか、ハルヒ」
魔姫を振り返る。ソイツはまるで何時も通りの、百Wの笑みを浮かべていた。
「こんだけやってやったんだ。文句は言わせん」
其れを見ていると、意味無く俺も笑えてきて。
「連れて来てやったぞ」
俺はすっくと立ち上がり、胸を張った。
「お前が会いたがってた、勇者ってヤツを。今。此処に。お前の目の前に。約束通りだ。連れて来てやった」
杖を取り落とす。体力は限界だった。
「一人で魔族の将軍を倒す事が出来る実力を持った奴だ。勇者じゃない、とは幾らお前でも言わせないぜ?」
眼を閉じる。目蓋が重くて、開けていられない。
「遅くなったか。でも、一週間の猶予は有った筈だからな。ギリギリとは言え、約束は約束だ。守ったからな」
膝が折れる。前のめりに倒れ込んだ先は地面じゃなかった。
「借りは……返したからな」

「よくやったわ、キョン」

耳元で聞こえたハルヒの台詞を最後に、俺の意識は今度こそ闇に落ちた。
安心して、意識を閉じた。



Inserted song "Virgin's high!"by MELL

2nd track "Replay"closed.
Do you advance to the following track "Remember" with me ?

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R e a d y ?


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