血の味(2)
極悪龍の凄惨な所行に、立ちはだかる連中が再び道を開けたが、その先に龍成が見たものは・・・
素足。
(何だ)
横たわる裸体。
(あれは・・・何だ!)
そこには目を疑いたくなるような光景。
裸体。傷。血。散らばる衣服。
立てたままの膝ときつく閉じられた目は苦悶の表情。
壊れた人形のように横たわるそれは・・・生気が感じられない。
(タ・・・・ロ・・・・・!?)
目の前に突きつけられた惨状。歩み寄る体に脳天から稲妻が落ちたような激震が走る。
「コータ!!」
先に駆け出したのは椎神。
歩みを止めたまま動かなくなった龍成の横をすり抜けて、無残な姿で地面に転がる仲間のもとに駆け寄った。
ぐったりとした虎太郎の頬は腫れあがり、口からは血を流している。体中にひどい暴行の傷痕があり、特にみぞおちに浮かんだ内出血はひどく、執拗な暴行が繰り返されたことを物語っていた。
ぼろきれのように傷んだ体は冷たいコンクリートの上に打ち捨てられていた。
身を包むものは何も付けていない哀れな姿で。
その目じりには、苦渋に耐えた涙の後が乾き始めていた。
暴力だけじゃない。明らかな・・・・・・レイプの痕跡。
いつもは冷静な椎神もさすがに狼狽を隠せなかった。虎太郎の痛ましい体を包むように自分の着ていたジャケットをかけて、震える手で痛みを与えないように優しくジャケットの上からその体に触れた。
「コータ・・・コータ・・・聞こえる?私が分かる?」
俺を呼ぶ声に硬く閉じたまぶたを薄っすらと目を開けると・・・・・そこには天使がいた。天使は慌てたような困ったような顔で俺を見ていた。
(ああ・・・きれいな天使・・・だな・・・・・・・・・・・・・・・・)
ぼやけた視界が少しずつクリアになり、2,3度瞬きすると、ぼやけていたものが輪郭を持って目に映りだした。
(・・・違う・・・・。天使じゃ・・・な・・・・い・・・・・)
「・・・・・・・か・・み・・?」
苦しそうな表情で自分を呼ぶ真剣な椎神の顔。
こんなあせったような・・・真剣な顔、あんまり見たことが無いからどうしたんだろう、珍しいな・・・・と混乱する頭で思った。そしてなぜ彼がここに居るのだろう・・・・・・・・と思い出そうとした。
―――――――――― そうだ・・・・電話したんだ。うちに帰れって言われたのに・・・
約束を破ったからこんなに困ったような、怒った顔をしてるのかな?
「し・・・・がみ・・・ご・・・めん・・・おれ・・・・・・」
「しゃべらないでいいんだよコータ。もう大丈夫だから・・・・・・何も心配しなくていいから・・・・・・・・・・コータ・・・」
大丈夫って、心配って・・・・何が?
椎神は何を言っているんだろう。
「いっ!!」
起き上がろうとした体が痛みを訴え、首さえも起こすことが出来なかった。
「動いちゃ駄目だよ。怪我してるから」
怪我?
なんで?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだ・・・・・・。そうだ、俺ケンカして・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・ ああ・・・・・・ 思い出した。
俺、ケンカしてたんだ・・・・そんで、ボコボコに・・・・・・
だんだん記憶が鮮明になってきて、メモを寮に残してきたことも思い出す。
「ち・・・か・・・・は・・・」
「大丈夫です。遠野君は無事ですよ」
「よか・・っ・・・・」
(よかった。千加は助かったんだ・・・)
しゃべると口や腹のあたりに痛みが走った。体中が痛くて何処が悪いのかもよく分からない。感じるのは痛みと苦しさと、地面から伝わる冷たさだった。
ふと視界が暗くなり、体に大きな影が落ちる。
首さえも動かすのがおっくうで、視線だけ上げると自分の上に大きな影を作っていたのは龍成で、黙ったまま俺を見下ろしている。
龍成も来てくれたんだ・・・・・・・
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何?)
虎太郎は助けに来てくれた龍成を目にして安堵したのもつかの間、その顔を見て一気に不安に襲われた。
うつろな目で見上げた龍成の目は、見るものを視線だけで殺せてしまいそうな怒りをはらみ、ゾッと寒気のするような鈍い暗色の微光を湛えていた。
(・・・・こいつは、なんて目をしてるんだ?お前・・・・・・・・・・それって・・・・・・怖いよ・・・)
その怒る形相、凶悪すぎる目つき。顔を見てしまったことを後悔するくらい底知れない怒りを感じた。
(その顔、どうにかしろよ・・・)
虎太郎はきっと自分に対して怒っているんだと思った。そしてその怒りの原因を聞くのが怖かったけれど、声を振り絞って言わなければならない約束事を口にした。
「りゅ・・せ・・・俺・・・負けた・・・・・・・・これっ・・・・て・・・・・・・・・・・・やっぱ・・・罰になる・・・・」
「!!」
痛む顔でなんとか笑って見せたが、うまく笑えたかどうかは定かではない。
『ケンカに負けた』
それはペット条項のその2に反したわけだ。その罰を考えると一層気分が悪くなる。少しは怒りの度合いを下げてもらわないと・・・
微妙な笑顔でもとりあえず作っておかないと、怒ったこいつの顔があまりにも怖くて、少しはその顔緩ませろって思ったんだ。なのに・・・
笑って見せたのに、なんで龍成のこめかみには、更に青筋が浮かぶんだろう・・・
俺を睨んだまま立ち尽くしていた大きな影がゆっくりと落ちてくる。
龍成は俺の横に膝を付いて頬に両手を添えると顔を近づけてきた。そして切れた口の端から流れる固まりかけた血を舌先でペロリと舐めた。
「いっ・・・」
2回、3回と痛む切り口を舐めては自分の口内に舌を戻し、味わうように舐め取った血を口の中で味わいそれを嚥下する。
「痛・・・っ、りゅ・・いた・・・・って・・・」
この非常時に、こいつは・・・
龍成にこんなことをされるのは久しぶりだった。
あいつは俺に触れなくなっていたから。久々に流血した俺を見て、しばらく眠っていたいたずらの虫が疼きだしたのだろうか。昔はよく噛まれて出血してそこを舐められたよな・・・
傷口の血を舐め取られながら、チリチリする痛みと懐かしさを感じ、心は昔の思い出に浸っていた。
俺の血を舐めた龍成はもう一度舌なめずりをして、舐めたときに自分の唇に付着した俺の血をまだ味わっている。うまそうに舐めやがって・・・・・・・・・・こんなことするからお前獣じみてるとか言われるんだよ。
「タロ・・・・・・罰は・・・・・・・・ねえから」
ボソリと、飼い主から免罪の言葉が落ちる。
こんな状況にも関わらず、ペット条項に違反したことが怖い虎太郎は完全に“パブロフの条件反射”を刷り込まれてる。
罰が無いことにホッとした表情はおそらく顔に出ていたことだろう。でもそんなことを気にする余裕も無かった。罰が無い。それだけでいい。こんな目に遭って罰まで追加されたらたまらない。
凶悪な面とは正反対な、いつもよりどこか弱く、でも労わるような優しさが見え隠れする声色で言葉を返す龍成に、少しは怒気がそがれたかと思い安堵する。
「そ・・・・・よかっ・・・・・た」
「だから、もう少し寝てろ・・・・・・・・すぐ連れて帰ってやる」
静かに立ち上がる大きな影。
それは目には見えない黒いオーラを放ちながら、眠りに就こうとする虎を守るように立ちはだかった。
振り返った龍の目には・・・どす黒い怒りの炎。
怒りの矛先を向けられる獲物達は、その凶眼に身の毛がよだつ思いだった。
一歩、また一歩と、近づいてくる獣にジリジリと後退しつつも、どんどん間合いを詰められるこの切羽詰った状況は、肉食獣に追い詰められたひ弱な動物のようだった。
「椎神」
「はい」
「1人も逃がすな」
「・・・・当然でしょ」
それは牙をむき、
獰猛な獣となって恐怖に顔を引きつらせる男達に襲い掛かった。
次回・・・「震える心」
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