千加(1)
新学期前日、寮の談話室では持ち寄ったお土産とジュース片手に夏の思い出話に花が咲いている。旅行の話をする者、まだ宿題が残っていると友人にすがりつく者、彼女ができたと自慢する者、それぞれが帰省の疲れも忘れて大いにはしゃぎまくっていた。


その談話室には3日前に寮に帰ってきた虎太郎の姿があった。
見える場所にはもう怪我のあとは無い。腹のあざさえ治れば暴行の傷痕はきれいに無くなる。でも・・・
友人達のたあいのない話に合わせて笑う虎太郎は、夏であるのに長袖のパーカーを着て首までぴっちりとボタンを締めている。クーラーが効いているのもあるが、千加はその暑苦しい身なりの理由を知っているだけあって、見ているだけであの嫌な事件が頭を掠める。






「遠野君これ、携帯に登録しておいてくれますか」


3日前、虎太郎が寮に戻った日、椎神に渡されたメモには2人の携帯の番号が書かれてあった。


「僕に?」


何故椎神が犬猿の仲である自分に電話番号なんて教えるのかと不審に思ったけど、理由は虎太郎にあることはすぐに分かった。

「コータに異変があった時は、すぐに龍成に連絡して欲しいんです。頼みます」

「異変って・・・」

そのとき僕は初めてこたろーがまだ普通の状態に戻っていないことを知った。

本当は紫風寮の龍成の部屋にしばらく住まわせたかったが、虎太郎自身がいつまでも甘えていると治るものも治らないと、頼ることを拒否したと聞いた。
ここ最近はパニックを起こすこともなくなり大分安定した状態らしいが、それでも何がきっかけで不調になるか分からないようだ。それゆえ同室であり事情を知っている千加に連絡を入れるように頼んできたのだった。






談話室で友達と戯れるこたろーは普段と何も変わらないように見える。
こうやって見ている分にはいつも通り。よく笑い自分からも話し、ふざけて寄りかかってくる友達に嫌がる素振りを見せることも無い。接触恐怖症と椎神は言っていたけど、ここ3日間は至って普通に見えた。

でも・・・・・本当はそうじゃなかった。
よくなってなんか無かったんだ。だからこそ、あいつは嫌いなはずの僕にまで頭を下げたんだ。



大丈夫かな・・・そう思っていたとき、虎太郎が自分の体を包み込むように両腕で体をギュッと抱え込み下を向いた。虎太郎の異変に気づきすぐにそばに駆け寄った。

「こたろー。部屋に戻ろ」

しゃがんで虎太郎の顔を覗き込みながら小声で話しかけると、ギュッと閉じていた目をゆっくり開けて、コクリと頷いた。
周りに変に思われないようにそっと連れ出し、部屋に戻ると虎太郎はハーと大きく呼吸をしてフローリングに座り込んだ。


「大丈夫こたろー。麦茶飲む?」
「あ、うん、ごめん・・・大丈夫」


ゆっくり呼吸をして自分自身を落ち着かせている。やはり無理をしてあの場に居たんだ。早く慣れようと必要以上に気を張っているんだろうな。そう思うと1人で頑張っているこたろーがあまりにもかわいそうで涙が出てきそうになった。

(でも・・・本当に泣きたいのはこたろー本人だ)

なのに僕が泣いたりしたら逆に心配を掛けて心を乱してしまう。だからどんなに悲しくてもこたろーの前で泣くわけにはいかなかった。

「ごめんな、千加。いつも心配かけて」
「ううん。そんなことないよこたろー。あの・・・どうして気分悪くなったの」

体調がおかしくなったときは理由を聞いておかないと、また同じことを繰り返すかもしれない。だから必ず確かめるようにしている。

「ちょっとな・・・声が・・・なんか、ざわざわしたのが頭に響いて・・・ぐらっときた」
「具合悪くなったら、すぐに言って。無理することなんかないんだから」
「ん・・・そうする。なんか、俺ってだめだな。千加に心配かけてばかりで」

うつむく虎太郎は、迷惑を掛けてばかりで申し訳ないと謝った後自室のドアを開けた。

「迷惑とかそんなこと言うなよ!」
「千・・・」

振り向いた虎太郎の目には、怒ったようなでもどこか泣きそうな目をした千加が映る。虎太郎には千加を危険にさらしてしまったという負い目があり、未だにそんな目に遭わせてしまった自分がふがいなくて許せないようだった。




あのとき椎神の言うことを聞いて寮で待つべきだったのか、それとも時間通りに駆けつけた自分が正しかったのかそんなことは今になっては分からない。そもそもそれを言ったら実家に居なかった自分が悪いと言うことになるし、椎神に言わせれば自分が連絡しなかったことに問題があったと責任を感じていたようだし、龍成は何も言わなかったけど表情は暗く・・・というか怖く、神妙な態度だった。千加に至っては完全な被害者なのに自分が捕まったのが悪いと思っている。

みんなが悪いわけじゃない。
悪いとしたら、自分自身だ。

ケンカが強くなってきたと天狗になっていた部分が自分の心の中にあった。
狙われていたのは分かっていたんだから、友達から言われた時点で椎神に連絡を取るべきだったんだ。なのに大丈夫だろうと高をくくって出歩いた。
勝てると思ったから、どうにもならなかったら逃げればいいと思ったから。そんな安易な考えが、今回の事件を引き起こした。

レイプって言っても最後まではされなかった・・・みたいだけど。
自分は途中で半分意識がなかったから本当のところは何を何処までされたのかよく覚えていなかった。
椎神が「未遂」って言ったから、それを今は信じている。
だからそんなに深刻になることもないのに。
女の子じゃないんだからもし、もしレイプされてたって減るものも無いし・・・



なのに何でこんなにまだ怖いんだろう。



夢もほとんど見なくなった。
人に触れても大丈夫だと思う。
みんなとも普通に話せたし。
部屋を真っ暗にしても、1人で眠れるようになった。


大丈夫だ。
千加だってそばにいるし、何かあったときはさっきみたいに助けてくれる。


・・・いや、それじゃ駄目だ。頼ったら勝てなくなる。
・・・でも本当に頼らなくても大丈夫?




大丈夫じゃ・・・・・・・・・・・なかったとしたら?




自分の中にある恐怖に勝てるのは自分だけなのに、1人で何とかしないといけないのに頼っていたら何にもならないのに、それでも自分に自信が無い。だからいつまでも・・・怖いんだ。




「こたろー・・・僕じゃ、頼りない?」
「え・・・」

「僕はさ、京極みたいに強くないし、椎神みたいに何でも出来るわけじゃないし、こたろーにのために何もできないし」
「そ・・そんなこと」

「そんなこと無いって言うなら、頼ってよ。迷惑だなんて言わないでよ。僕は本当に非力だけど、こたろーの傍に居ることくらいはできるんだよ」
「千・・・」
「だから、・・・だからさ、1人で頑張ろうとしないで」


ズキリと言葉が胸に刺さる。


千加には分かっているんだ。俺の迷いが。不安が。恐れが・・・



(ああ・・・そうなんだ。俺はこうやって千加や周りのみんなに、負担ばかりかけてしまうんだ)



自分ばかりが悩んでいる。自分のことで精一杯だから、周りの人がどれだけ心を痛めているかが見えていない。人に頼らないようにすればするほど、自分の殻に閉じこもって逆に心配をかけてしまう。




自分はなんて身勝手で浅はかで、弱くて愚かなのだろう。




「ごめんな・・・ごめん・・千加・・俺・・・」


千加の姿がにじんで見える。

気が付くと、次から次へと涙が頬を伝う。

あれ以来、泣かないようにしていたのに。泣いてしまうともう立っていられないような気がしたから。



「痛いときは痛いって言おうよ、辛いときは辛いって言ってよ。・・・我慢できないときは泣いていいんだよ、こたろー」



ドアを背にズルズルと座り込んだ俺を、そっと抱きしめてくれた千加。そして千加も・・・泣いていた。
触れられても怖くなかった。むしろ・・・人の温かい体温に安堵した。


1人じゃない。ひとりじゃこのぬくもりは生まれない。
大丈夫、俺は1人じゃない。

千加がいる。椎神も、龍成も・・・
助けてくれる、仲間がいる。



「あり・・が・・と・・・」

「ん・・・」



自分よりも背が高くて、ケンカも強い彼が今はとても小さく見える。膝を抱えて泣き続けるこたろーを抱きしめながら、千加は痛ましい記憶から立ち上がろうと必死にもがく友人に寄り添い続けた。




明日から学校が始まれば、精神的にも体力的にもつらい日々が続くだろう。僕が頑張らないと。僕がこたろーを守らないと。
千加はあの日何もできなかった自分を悔やみながら、この壊れそうな友人が少しでも安らかに過ごせるように、自分が出来る限りのことをしようと心に誓った。

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