短編集
其の4

 そうなる前に、酒場から出ないといけない。しかしその時、一人の男に服を掴まれてしまう。それに力任せに引っ張られ、なかなか放してもらうことができない。一体誰がこのようなことをしているのかと振り返り相手の顔を見ると、その者は顔を赤くした酔っ払いだった。

「なんだ」

「せっかく酒場に来たのだから、酒を飲んでいけよ。飲まないで帰るのは、失礼にあたるぞ」

「それは、自由だと思うが」

 この場合、絡まれたと思うのが妥当か。アルコールの力で気分が大きくなった人間は、誰とも構わず喧嘩を仕掛けてしまう。アルコールが入っていなければ、少しは冷静な判断ができると思われるが、期待はできない。男は、完全に酔っ払っている。その証拠に、レスタが発する冷たいオーラに気付いていない。この男を殺めるのは簡単だが、小者を相手にするほど暇ではない。

 手を払いのけると、レスタは酒場から立ち去ろうとする。すると、無謀にも男が食って掛かってきた。一体、何を思っての行動か――全く理解できない動きに、レスタは溜息をもらしてしまう。男の行動に、理論的要素が見られない。つまり感情のままに動いたという、何とも短絡的で馬鹿馬鹿しいものであった。このような人間がいるから、この生き物は駄目だとレスタは判断する。

「我は、何もしていないが」

「目付きが気に入らない」

「人間とは、そのような理由で喧嘩を吹っ掛けるのか……実に阿呆で、何が高い学習力を持っているのだ」

 相手に聞こえないように、レスタは小声で呟く。本当に、理解できない行動だ。いや、その答えはレスタだけではない。精霊なら皆、同じことを言うだろう。目付きが気に入らないと言われても、創造主に創造された時からこの目付きだ。変えろという方が無理である。

(か弱い存在が、おこがましい)

 人間が精霊に、文句を言う筋合いはない。たかが百年しか生きることのできない生き物が、何を言うのか。あまり人間のことを詳しく知らないレスタであったが、第一印象はかなり悪い。寧ろ、存在自体を排除したかった。この瞬間、ズタズタに切り刻むことができれば清々する。

(主が恐れる理由、このような訳か)

 リゼルは、精霊界と人間界の間に結界を張った。その理由として「人間の欲が恐ろしい」と話していたが、レスタは今までその意味を知らなかった。しかしこのようなことを体験すると、リゼルが恐れていた訳を知る。実に、恐ろしい。彼等は、感情の赴くまま突き進む。

「何も言わないのか、腰抜けが」

 男が、レスタを罵倒する。しかしレスタが、特に顔色を変えない。ただ、鋭い視線を男に向けていた。

(ふっ、馬鹿が)

 強い者は、その力を見せびらかそうとはしない。逆に弱い者は、それを隠そうと煩いほど騒ぎ立てる。「弱い犬ほどよく吼える」とは、よく言ったものだ。まさにこの言葉は、この男に当て嵌まった。女王誕生祭だというのに、酒場で喧嘩を行う。女王が聞いたら、さぞ嘆くだろう。

「かかってこいよ」

 レスタに対しての挑発を、止めようとしない。だがレスタは、弱い者に自らの力を使うことはない。それは、己の力の大きさを知っているからだ。しかし、この男は違う。自分の力が弱いことさえ知らない。

「やめなさい」

 その時、酒場の女主人が喧嘩の仲裁に入る。恰幅の良い、四十代後半の女性だ。酔っ払いの扱いに慣れているらしく、適当にあしらっていく。このような騒ぎは年中なのだろう、その表情は意外にも冷静だった。

「御免なさいね」

「いえ……」

「此処に集まる連中は酒が入ると気が大きくなってね、誰でも構わず喧嘩を吹っ掛けるんだよ」

 それは迷惑な行為であったが、レスタはそれをおもしろいものだと思いはじめた。酒場で女王について聞こうと思っていたが、女主人に聞いた方が的確な情報を得られると判断する。

「何か?」

「これ、取りなさいよ」

 レスタが情報を聞こうとした瞬間、女主人が不可解な行動を取る。レスタが深々と被っていたフードに、いきなり手を掛けてきた。それに敏感に反応したレスタは、反射的に間を取る。

「止めて頂けませんか」

「フードを取った方が、かっこいいと思って」

「そうですか?」

「そうよ。綺麗な顔をしているもの」

 綺麗という基準は、何を基に綺麗と言っているのか。それがわからないレスタは綺麗と言われても、反応に困ってしまう。精霊が感じる美と、人間が感じる美は根本的に違う。人間の場合は、見た目に重点を置いた外見的な美。逆に精霊は、外見と内面を含めた総合的な美。


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あきゅろす。
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