2017-01-25(水) 木登り 確か、小学校3年生ぐらいの頃だったと思うんだけど 休み時間に、レクリエーションと言う名で、強制参加のドッジボールが開催された。 休み時間に、強制参加 自分の自由が、侵害される これにものすごく不快感を感じた。 なんだそれ、ふざけるな! 参加したくないと意思表示しても無駄だったので、僕は逃げて、木に登った。 高いところだったので、誰も追いかけてこれない。 アホと煙は高いところに登ると言えば、まあそんなところでしょう。 なんにしてもそうして木の上で過ごす時間は至福でした。 普段見えない景色で過ごす、自分だけの時間。 今でも木登りをしたいと思うけれど・・・体が重すぎてだめかもしれない。笑 ある日、そんな僕に自分勝手だと誰かが言って、僕はめちゃくちゃカチンと来たと思う。 人の自由時間を侵害するほうがよっぽど自分勝手だ、と。 そしてレクリエーションの意味を調べてみれば、心身を休息し、リラックスするための活動というようなことが書かれているではないか。 みんながみんな、ドッジボールが好きなわけじゃないんだぞ。 というか僕だってそのときドッジボールは結構好きだった。 投げるのは下手だけど、避けるのを楽しんでた。 それを強制されることに猛烈に抵抗心が芽生える。 つまるところ、人間というのは誰でも自分のやりたいことをやっていいんだ。 ドッジボールだって、木登りだって、折り紙だって、鬼ごっこだって やりたい人だけでやればいいんだ。強制する権利なんて誰にも無い。 しかし、みんながみんな自分の好きなようにやっていたら社会の秩序は崩壊するので、法律があって、規則があって・・・ 人は一人では生きていけないんだから、それはやっぱり、守らなきゃいけない。 それも、誰かが勝手に決めたわけではなく、直接ではないとは言え、民主的に決められたモノだ。少なくともこの国では。 そしてそれが気に入らないなら出ていくという選択肢だってある。 つまり、そういう最低限の義務があって、そして人は限りなく自由だと。 そこまで難しく考えなかったけれど当時の僕は木の上でそんなことを思ってたんじゃないかな。 僕は自己決定性思考がとても強い人間だ。 大学に行かずに、高卒で働きたいと思ったのは僕だ。 親から大反対されて大学に進学したが、最終的にそれを決めたのは自分だ。 そうして大学を決めてから、頑張って合格しようと勉強したのも自分だ。 入学してから、理想と現実のギャップで鬱になって自殺未遂をやらかしたのも、自分の意思だ。 そして休学という形で実家に戻って、大学を辞めたいと思ったのは自分だ。 親に反対されて、悩んだ末にコイントスをして、大学に戻ることにしたのも 大学に戻ってから、頑張ったのも、就職先を決めたのも 就職してから嫌だなと思うことがたくさんあっても続けたのも でも結局辞めたのも 辞めてから今まだ、こうしてふらふらしているのも 全て、自分の意思だ。 ああしろ、こうしろ、あれはダメ、これはダメという存在が周りにいくらいても、最終的に決めてるのは自分だ。 そういう意味で、僕は尊敬という言葉の意味があまりわからない。 すごいなあと思う人はたくさんいるけれど、あんな人になりたいな、と思うような人は一人もいない。 自分は自分であって、なりたいという感情にはならん。 例えば、ばあちゃんに一度、なんかのスポーツ選手はアンタと同じ年で大変な思いを沢山して、素晴らしい舞台で・・・というようなことを言われたことがある。 そのスポーツ選手はすごいんだろう。僕はどうしたってその人には勝てない。間違いない。 しかしその人は、好きでそれをやってるんだから、そのスポーツに興味が無い僕にそれを言われても困る。 だから、すごいな、とは思うけど、尊敬?という気持ちにはならない。 ハードなトレーニングに耐え抜いた、という言葉を聞いても。 僕はドンくさいから絶対脱落するが、それは単に意思の問題であって 耐えようと思ったから耐えて、強くなろうと思ったからなっただけであって 無理に決まってると思って、それをしない僕がいて。 イチローでも何でもそう。 というか優秀なスポーツ選手の名前がイチローぐらいしかパッと出てこないぐらいスポーツに興味が無い。 そういう人を見ても、すげえんだなあ。ぐらいしか感想が出てこない。 もっと身近な存在で言えば、同じ大学を卒業して、一緒に入社した同期はまだ仕事を続けていて、90万の腕時計を買ったようだ。 僕にはそんなお金は無いけれど、同時に、そんなに高い腕時計をほしいと思うことが無い。 僕は仕事に耐えられずに辞めたが、彼は続けている。 それも、辛いと思いながら続けるか、続けないか、それは意思の問題だと思っている。 僕の家族・親戚の人々は、最低でも東証1部上場企業、下手したらNYSE上場企業という超エリートだ。 一方自分は大学を留年して現在フリーター、社会のクズだと自覚している。 しかしそれでも別に、卑屈に思うことは無い。 劣等感や、嫉妬は、理想と現実のギャップから生まれるでしょう。 家族はあんなにいい会社なのに僕はどうして・・・ アイツはもう結婚して子供もいるのに・・・ 僕はいい会社だとか、年収だとか、家庭を持つことに理想を置いていないからギャップが無い。 だから苦しくない。 上を見て卑屈にならない分、蔑視も無い。ゼロではないけれど限りなく少ないと思う。 ドッジボールがやりたい人 木に登りたい人 スポーツを極めたい人 興味が無い人 一流企業でバリバリ働きたい人 金よりも心の豊かさを求める人 結婚して家庭を持ちたい人 自分自身の人生を豊かにしたい人 色んな人がいて、みんな、みんな自由だ。 僕も自由だ。 だから僕はまた、高い木に登りたい。誰も追いかけてこれないような。 小学校3年生のとき、そんな僕と同じ考えで、一緒に木に登った友達がいた。 そんな人がまた現れたらいいな。 「木登り」へのコメント コメントはありません。 コメントを書く [*最近][過去#] [戻る] |