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   第七章 秋生のホームページ

 大学受験志望校をワンランク落とした。
 ランクを落とすことで、僕は時間に少し余裕ができた。先生や塾の講師も「弱気にならないでまだ間に合うから頑張れ!」とハッパをかけられたが、今は勉強に専念できる気分ではなかった。秋生のことを分かっている両親だけは、無理しなくてもいいよと理解を示してくれた。
 秋生のお母さんの嘆きを見ていた、うちの母は「子どもが元気なだけでもう幸せ」とつくづく悟ったらしい。

 どうしても開くことができなかった『秋生のホームページ』をやっと開く決心がついた。
 持っていたサイトは知っているので、IDとパスワードを打ち込んだら見ることができた。秋生は亡くなる一週間くらい前から設定を〔非公開〕にしていたようだ。
 そこは小説の作品倉庫ともいうべきホームページだった。長編小説三篇、中編小説七篇、短編と掌編を合わせて三十篇くらいはあるだろうか。詩も二十篇くらいは書いていた。
 ――それらの作品こそが、今は亡き秋生が生きた証(あかし)だった。

 今、ネット界では「知的財産」の継承権について討論されているらしい。ホームページやブログなどで書かれていた日記や記事、創作作品などの持ち主が亡くなった後で、第三者が譲り受けて継承していけるかどうかについて、大きな問題になっている。
 素晴らしいホームページがあるのに、持ち主の死亡によって閉じられたり、埋没してしまうのはあまりに勿体ないのである。
 後世に受け継ぐ知的財産として共有できれよいと思うのだが、法律的に難しい問題のようだ。

 秋生は最後のメールで「このHPを守ってくれ!」と言っていた。――それは、死の瀬戸際に立っていた秋生の唯一の願いだった。
 いったい、誰から守って欲しいのだろうか? このホームページを誰かが狙っているということか? ここにあるのは秋生の作品だけなのに……。
 そして僕はこのホームページを守るためにも、秋生の小説を全て読んでいこうと決めた。今まで秋生とは親友だったが、彼の書いている小説にはあまり興味はなかった。――もう二度と秋生の声が聴けないのだから、彼の書いた文章を声の代わりに僕は聴くことにした。
 読書なんか、ほとんどしたこともない僕だったが、毎日少しづつ読んでいる内に面白くなって止められなくなってきた。

 秋生の小説は、僕の想像を超えるものだった。
 美しい言葉たちが透明のガラスケースから語りかけてくるような、心の機微に富んだ素晴らしい物語なのだ。僕は知らなかった――秋生にこんな凄い小説の才能があったなんて!
 ナッティーも言っていたな「小説の才能も凄くあったのに惜しいよ」確かに秋生の文章の上手さは最初の一頁を読めば、素人にだって分かる。発想も奇抜で最後まで面白く読み進めるのだ。
 生きてさえいれば、いずれベストセラー作家になれたかもしれない。そう思うとこの小説の才能は惜しい。
 秋生は、まさに天才だったんだ――。

    
    【 ジ・エンド 】

  僕の言葉で世界を塗り変えよう
  真っ白なスケッチブックに
  いろんな色を塗り籠めた
  赤 青 緑 黄 紺 橙 桃 

  僕のスケッチブックは賑やかになった
  色が踊っている 僕の心も騒ぎだす
  溢れだした色が暴れだした
  黒 灰 黒 灰 黒 灰 黒

  僕の頭の中で色が混じり合い
  グチャグチャなった なんて汚い色だ
  消さなきゃ! 白い色で存在を隠せ!
  白 白 白 白 白 白 死


 この詩は秋生が自殺する三日前に書かれたものだった。
 何者かに追い詰められて、混乱して、絶望していく様(さま)が分かるようで読んでいて胸が痛い。
 僕のしらないネットの世界で、いったい誰が秋生を苦しめていたんだ!?



  

   第八章 謎の侵入者

 秋生が亡くなって、二ヶ月が過ぎようとしていた。
 もう世間では秋生のことは忘れ去られようとして、知り合いの間でも話題に上ることも少なくなってきた。僕は毎日、秋生のホームページの作品を読んだり、3ちゃんネルの掲示板を見張ったり、なにか動きがないかと目を光らせていた。
 ナッティーとは時々、秋生が好きだったゲームをして遊んだり、アバターのファッションショーに付き合ったりしていた。あれから秋生のマイページに悪口のミニメールがきてないかと訊ねたら、秋生が亡くなってからはエロサイトの高額請求も悪口のミニメールもきていないとナッティーは答えた。
 ――ということは、犯人は秋生が死んだことを知っている? 
 もう必要がないので、それらを止めているのだろうか。もしかしたら、リアルで知っている人たちの中に犯人がいるのかもしれない。そんな疑念が胸に湧く……。

「ところで最近なにか動きがあった?」
「――うん、それがおかしなことがあるのよ」
「なあに?」
「あのね、小説投稿サイトで『村井秋生』を名乗る人物が作品を発表しているのよ」
「ええっ? 死んだ秋生を名乗っている奴がいるのか?」
「そうよ。ネットの世界だから、誰も秋生くんが死んだこと知らないでしょう? だから秋生くんのファンたちの間で、その小説が話題になってて、凄い人気なのよ」
「いったい誰なんだ! 秋生を装って、人気まで横取りしている卑劣な奴は……?」
 怒りで思わずパソコンのデスクを叩いた。
「その小説投稿サイトを見張っていて、そいつが投稿した瞬間を捕まえて、パソコンのIPアドレスを調べてみるわ」
「おうっ、IPアドレスなら個人が特定できる!」
「そうよ、それで犯人の尻尾を掴んでやるわ」
「ナッティー頼んだよ」
「よっしゃっ! 任せておいて、伊達にネットの世界で生きてないわよ」
「だから、もう死んでるって……」
「また言ったなあー、このイジワル!」
 あははっ。これはナッティーと僕のいつものジョークなんだ。


  ※ IPアドレスとは、インターネット網の中のコンピュータを
    機械同士で認識できように1台1台に割り当てられた住所のようなもので、
    所有者名が判ります。
    サーバー名の検索など、IPドメイン関係の検索の決定版です。
    2chでも、これがあるのでやたらな書き込みはできません。
    個人名が特定されて「誹謗中傷」「名誉棄損」などで告訴されています。


 さっそく、僕はナッティーに教えられた小説投稿サイトにいってみた。
『のべるリスト』は、オンライン小説を主としたテキスト作品の公開、閲覧が楽しめる小説投稿型SNSのコミュニケーションサービスだった。
 投稿された小説にブックマークしたり、お気に入り作家を登録したり、コメントを残したり、また、そのサイトでは小説や作家の人気ランキングまである。

 確かに『村井秋生』というペンネームで小説が掲載されていた。しかも、作品名も作家も堂々の第一位だった。すごい閲覧数で人気はうなぎ昇りだった。――驚いたことに、その作品は秋生のホームページにあった長編小説の一本で、いったい誰が、いつの間に、持ち出したのだろうか? 僕は用心のために秋生から教えられたパスワードを一度変更しているのだ。……なのに、ホームページの中が誰かに覗かれていた?
 こうも易々とパス抜きができるなんて……見えない敵の不気味な影がシタシタと迫ってくるようだった。





   第九章 見えない敵

 学校から帰ったら、自分の部屋にあるノートパソコンを開いた。
 受験に必要だからと去年、親から自分専用のノートパソコンを買ってもらった。リビングにあるデスクトップは家族と共有なので、妹や弟が検索やゲームなどいろんな用途で使うので、自分に必要な『お気に入り』なども登録できないし、家族がいる部屋では長時間パソコンをいじっているわけにもいかない。すぐに妹や弟が「お兄ちゃん、何やってるの?」と後ろから覗き込むからだ。

 自分専用のノートパソコンを買ってもらってからは、パスワードをかけて他人に覗かれないように設定してある。
 まず部屋に鍵をかけてから、僕はパソコンの電源を入れて、立ち上がったらパスワードを入力し、メールなどをチェックする。その後『のべるリスト』を開き『村井秋生』という偽の秋生が作品を更新してないか調べにいった。
 つい、一時間ほど前に連載の続きを更新していた。
 やったー! これでIPアドレスを見れたはずだ。IPアドレスさえ分かれば、それを辿ってナッティーがそいつのパソコンの中に入って、どんな奴か相手の顔を確認できる。
 ――もう少しで秋生を嵌めた犯人を見つけられるんだ。

 いつもナッティーがいるゲーム&アバターのSNSのウインドウを開いて、彼女に呼びかけた。

「ナッティー、ナッティー」

 いつもなら、すぐに現れるはずのナッティーが……。五分経っても、十分経っても姿を現わさない。――いったい、どうしたんだろう?
 小一時間経った頃に、

「ツ……バサ……くん……」
 か細い声がパソコンの中から聴こえた。同時に、薄くぼやけたナッティーのアバターも表示された。
「ナッティーどうしたんだい?」
「……しばらく意識を失っていた」
「大丈夫かい?」
「うん、なんとか……」
 ナッティーのアバターは、少しずつ鮮明さ取り戻した。
「IPアドレスは確認できたの?」
「――それがダメだった。あの小説投稿サイトをずっと見張っていたの。そしたら偽者が秋生くんのファームで投稿したから、ナッティーは慌てて、そいつのIPアドレスを見てやろうとパソコンの中を覗き込んだら、その瞬間に……意識を失ったぁー」
「ええっ!?」
「そいつのパソコンには強い瘴気(しょうき)が漂っていて、とても覗けないよぉー!」
 ナッティーが泣きそうな声で叫んだ。
「幽霊を一撃する瘴気っていったい……? ただのパソコンじゃなさそうだ」
「そうなのよ。――あのパソコンにはIPアドレスも付いていなかった気がする」
「ええっ? そんなバカなことが……!?」
 IPアドレスが付いてないパソコンなんて常識的に考えて在りえない。
「いきなりドス黒い瘴気に当てられて、コトンと意識を失った時はもう死んだかと思ったわ」
「――ナッティーはもう死んでいるから、それ以上は死ねない」
「そりゃあ、そうだけど……」
 いつものジョークだが、とても笑える気分ではなかった。
 パソコンに瘴気が漂っているって……いったい敵は何者なんだ? 信じられないようなナッティーの言葉に、僕は自身『見えない敵』に対する恐怖が現実味を帯びてきた――。


  ※ 瘴気(しょうき)とは、古代から、ある種の悪い病気を
   引き起こすと考えられた「悪い空気」。
   もしくは、熱病を起こさせるという山川の毒気。
   気体または霧のようなエアロゾル状物質と考えられた。





   第十章 秋生の残像

 マンションのエントランスを抜けて扉が開くといつも飛び込んでくる残像がある。
 秋生が死んだ、あの日の光景――道に流れ出した真っ赤な血と白いシートに包まった物体。
 思い出したくないので僕は目を瞑るが、海馬に刻まれた記憶が何度も何度も、あの日の残像を僕に見せる。
 秋生の死体が発見されたあたりに時々花束が置かれている。たぶん、秋生のお母さんは供えたのだろう。僕もその側に秋生の好きだった炭酸飲料の缶を置いた。だが、いつの間にか取り払われている。マンションの管理人が片付けたのだろうか。
 きっと、マンションの管理者としては、ここが人の死んだ場所だという記憶を、みんなに早く忘れ去って貰いたいのだろうけど……。僕やおばさんにとって『秋生の記憶』は、秋生が死んだからと言って、簡単に消すことなんかできやしない。

 秋生のホームページの小説を読むことで、僕は『秋生の記憶』を新たにしている。ああ、秋生はこんなことを考えていたんだ。そうか、秋生はこんなことに興味があったんだなあ――。
 そんな風に、僕の中で『秋生の記憶』は今もなお更新されているのだ。

 それでも、あの場所だけは見たくない! ナッティーは自縛霊になって秋生は死んだ場所に居るかもしれないと言ったが……僕にはそうは感じられなかった。
 道路側に面した通路の奥には自転車置き場がある。通学に自転車を使っている僕は毎日、あの場所を通らなくてはいけないのだ。ツライので目を背けるが、意識とは別に、僕の目はそこに貼りつく。そして、いつも秋生を守ってやれなかった自分の不甲斐なさを嘆いているのだ。

 ――あの場所に珍しい人が立っていた。
 秋生が入っていた『文芸部』の部長で創作仲間だった深野(ふかの)さん――。秋生の遺体が発見された場所をジーッと見つめている。
 手に何も持っていないので献花にきたわけではなさそうだ。何をやっているんだろう? 自転車置き場から出てきた僕は、彼の側を通り過ぎると間際に「――ちはっ」と軽く会釈をした。
「あっ! 君は……」
 深野さんは驚いたように振り向いた。
「ども、秋生と幼馴染だった福山翼です」
「ああ、確か君のクラスは3−Eだったね」
「秋生は3−Bだからクラスは違うけど、ずっと僕らは親友でした」
 薄い眼鏡のフレーム越しに、悲しい目で深野さんは僕を見ていた。
「そうか……じゃあ、君も辛いね」
「……はい」
 今さらながら、その言葉に僕はうなだれる。
「僕と村井は創作仲間で文芸部やネットの小説投稿サイトでも作品を発表して、お互いに触発されながら成長してきたのだ。――なのに、彼に死なれて……悲しくて、虚しくて、僕は創作ができなくなってしまった」
 深野さんは独りごとのように、僕の方を見ずに一気にしゃべった。
「……その気持ち分かります」
「僕たちは小説家になるのが夢だったのに……」
 あの日、火葬場で僕と同じように、秋生のために肩を震わせて嗚咽を漏らしていた、深野さんだから……。僕らは同じ傷を舐め合うようだった。
「なにか、秋生の自殺の原因とか知りませんか?」
 僕の知らない秋生を知っている深野さんだから、思い切って聞いてみた。
「自殺の原因? あれは堪えたかも知れないなあ……」
「なんですか?」
「僕らは『のべるリスト』という小説投稿サイトに作品を書いていたんだけど、村井の小説は人気があって、すぐに人気作家ランキングの1位になったんだよ。――それでね、村井の人気がオモシロクない連中がいて、同じサイトの作家たちから嫌がらせを受けていたようなのだ」
「本当ですか?」
「ああ、嫌な書き込みされたり、悪口をミニメールで送ってきたり、自分らのコミュニティの仲間同士で村井の小説のことをこけ落としたりと、かなり陰湿なイジメにあったようだ」
「そうですか……」
 やはり秋生は小説投稿サイトでも虐めに合っていたんだ。

 もしかしたら、3ちゃんネルの秋生に対する誹謗中傷の掲示板も『のべるリスト』の奴らの仕業かもしれない。
『のべるリスト』のプロフィールに秋生は自分の写真を載せていた。自己紹介文には都立高校の三年生で文芸部所属、血液型AB、10月17日生まれなど公開していた。そのせいで秋生の個人情報がネットに流れてしまった――。
 だから、あんな掲示板を挙げられて、いかにも秋生自身を知っている者の仕業のように見せかけたのかもしれない。さすが物書き、そういう悪知恵だけは働くのだ。
 なんて卑劣な奴らだ! 同じ趣味の者同士なのに……大勢でひとりを潰そうとするなんて、こんな虐めをするような連中は器の小さい奴らじゃないか。
 他人の才能を嫉妬する前に、もっと自分たちも創作に精進しろよ! と、僕はそいつらに怒鳴りつけたくなった。



   第十一章 二次元に導かれて

 あれから、動きがないままに数日が過ぎていった。
 3ちゃんネルの掲示板を見にいったら、いつの間にか消えてしまっていた。秋生が死んだので、これ以上は叩いても意味がないので消したのだろうか。しかし不思議だ、あのサイトでは〔不適切〕な書き込みの削除だってほとんどやってくれないし、仮に掲示板を移動させたとしても掲示板自体が無くなることもないのに……お気に入りに入れていたURLから探しても、どこにも見つからなくなった。――掲示板ごと、きれいに消えてしまっている。

 ナッティーは『のべるリスト』を見張っているようだ。毎日、偽者の『村井秋生』は小説を更新しているが、パソコンの瘴気が怖くて近づけないでいる。
 おかしなことに秋生のホームページのパスワードを何度変更しても……作品は転載され続けているのだ。
 この見えない敵に、僕らは討つ術もなく、やりたい放題にされていた――。

 そんな、ある日、パソコンの画面の向こうでナッティーが興奮した声で話しかけてきた。
「ツバサくん、大変よ!」
「どうしたんだい? ナッティー」
 パソコンが起動すると同時にナッティーの声が飛び込んできたので僕は驚いた。僕らはパソコンを介さないとコミュニケーションが取れないからだ。
「偽者の秋生くんがゲームの世界にも現れたのよ」
「えっ! また偽者が現れたの? それもゲームって……」
「前から、秋生くんとナッティーでやっているゲームなんだけど……そこに秋生くんのキャラを使ってプレイしている人がいるんだよ」
「ナッティーのいるSNS、そこで秋生のアカウントが勝手に使われているのか?」
「そうよ。絶対に許せないわ! 秋生くんが育てたキャラを勝手に使っているなんて、最低よっ!」
 なんて奴だ! 小説の盗用だけでは飽き足らず、秋生のゲームのキャラまで勝手に使っているなんて……とんでもない厚顔無恥な奴だ。――僕は怒りを通り過ぎて呆れ返ってしまった。
「ねぇ、ツバサくんもきて!」
「うん。今からゲームサイトに入って見てみるよ」
「違うの。一緒にゲームの世界にきて欲しい」
「……えっ?」
「ナッティーのいる二次元の世界へ、ツバサくんもおいでよ」
「――まさか!? そんなことができるのか……?」
「一度だけ、秋生くんともやったことがあるのよ。ナッティーに任せておいて」
 秋生はナッティーのいる二次元の世界を覗いたことがあるのか。その事実に驚いた――。
「秋生くんにはパソコンをやっている最中に寝落ちして、夢をみていたのだと説明したら、それで納得してくれたけどね」
 うふふっと、ナッティーがイタズラっ子のように笑った。
「そうか、じゃあナッティーがネット幽霊だってことを秋生は知らなかったんだ」
「もちろん内緒にしていたわよ」
「バレたら殺されるぞぉー」
「もう死んでいるからヘーキですぅ〜」
 あははっと、久しぶりにふたりで笑った。

「ツバサくん! いくわよ」
「よっしゃー!」
「ナッティーの掌(てのひら)に、ツバサくんの掌を合わせて」
 そう言うと僕のパソコンの画面いっぱいに、ナッティーの物と思われる二次元の掌がニョキと二つ現れた。
「これに両方の掌を合わせるんだな?」
「そうよ! 心を『無』にして導かれるままにこちら側へきて」
「うん」
 パソコン画面のナッティーの掌に僕の掌を合わせると、心を『無』にして静かに目を瞑った。
 パソコンの中から微かな波動のようなものを感じる。段々と合わせた掌が熱くなってきた、向こう側から僕の掌を引っ張るような感覚に襲われた。「ああっ!?」と叫んだ瞬間、ぼくの身体は強烈な吸引力でスルリと画面の中を通り抜けていった!

「ツバサくん、大丈夫?」
 ナッティーの声が耳元で聴こえる。しばし僕は意識を失っていたようだ。
「ああ、ナッティーここは……」
 目を開けると、広い空間にいろんな絵が描かれていた、チカチカ点滅する文字やら、ピコピコというゲームの機械音や楽しげな音楽も聴こえてくる。ここが二次元の世界なのか? 

 高さの無い世界、平面の世界を二次元空間と呼ぶから、アニメのような絵に描いたものや、多分3DやSNSの世界も二次元なのかも知れない。ここはナッティーがいるSNS、アバターのナッティーは二次元だ。
 ――そして僕もアバターになっていた。

    
   第十二章 不思議な二次元空間

「二次元へようこそ!」
「おおっ、アバターになってる!」
 ゲーム&アバターのSNSで、いつも使っているアバターに僕は変えられていた。
「アバターのツバサくんも素敵だよ。あははっ」
 ナッティーは相変わらず、レアアバターで決めている。今までどんだけアバターに課金したんだよ。
 ふと、空間を見渡すとあっちこっちに四角い窓のようなものがある。いったいなんだろう?
「ナッティー、あの窓みたいな四角い物はなぁに?」
「あー、あれ? 覗いてみる」
「うん」
 そう言われて……恐る恐る覗いてみたら、誰かの顔が見えた。マウスを動かして、あっちこっちと小刻みに目を動かしているのはゲームの最中なのか? どうやら四角い窓はリアルの世界、三次元を覗くパソコンの画面だったみたい。――ここからナッティーはいつも僕らを覗いていたのだ。
「ナッティー、僕のパソコンの窓はどれさ?」
「ツバサくんの、うーんと、あっ、あれよ」
 ナッティーが指差した窓は高い位置にあったが、僕は滑るように二次元の壁を移動して、自分のパソコンを覗いてみた。
 そこには、パソコン用デスクにうっぷしてグッタリしている僕がいた。微動だにしない、まるで死んでいるようだった――。
「……僕はどうなったの?」
「大丈夫よ。今は幽体離脱した状態なの。魂が抜けているからグッタリしているけど、元に戻ったら平気だよ」
「幽体離脱ってことは……僕もお化けなんだ?」
「そうよ。ツバサくんもナッティーの仲間だよ〜ん」
 ナッティーがはしゃいだ声で言う。
「うわーっ! 死んでもイヤだぁー」
「あなたも今は幽霊ですから……」
「南無阿弥陀仏」
「お経を唱えても、成仏させてあげないよ」
 笑えないジョークに笑いながら……僕らは今から、この二次元で正体不明の敵と戦わなければいけないのだ。

「ナッティー、それで秋生に成りすました奴はどこにいるんだい?」
「モンスターランドってゲーム知ってる?」
「ああ、秋生と以前に遊んだことがある。秋生はずっと続けていたけど、僕は長いこと放置してて、レベルあんまり高くないよ。hpだって低いし……」
 このゲームはむしろ苦手だった。
「めちゃくちゃ弱いけど、足手まといにならないかなぁ〜」
「ナッティーは結構ヤレルから大丈夫だよ」
「うん、頼んだよ。ナッティーの後ろからこっそり付いていくさ、すぐにモンスターに殺られたくないから……」
「ゲームで死んでもリセットできるわよ」
「そうだな! よっしっ頑張るぞぉー」
「さあ、モンランの世界へ行くわよ」


  ※ hpとは、ヒットポイント (hit point) または、
   ヘルスポイント (health point) と呼ばれる。
ゲームにおけるキャラクターの生命力。


 ナッティーと僕は、秋生のキャラに成りすました奴がいる『モンスターランド』を目指して、二次元を移動していった。
 凶暴なモンスターたちと戦いながら、島の財宝を集めて回るこのゲームはユーザーに大人気であるが、モンスターたちが強過ぎるため、ギルドというモンスター狩りのチームを結成してないと、一人では攻略が難しいゲームなのだ。
 そして、ついに僕らは『モンスターランド』へ。





   第十三章 モンランの世界へ

 まるでスケートをするように、平面の上を滑りながらナッティーと僕は『モンスターランド』に向かって移動していった。
『モンスターランド』の入口で、アバターの服を着替えることにした。ゲーム用の装備に変えたのだ。
 おしゃれなナッティーは女盗賊の衣装にチェンジした。頭に赤いバンダナを巻き、ティンカーベルのような緑のパンツルックに肩から小型のバズーカ砲を提げていた。僕の衣装はナッティーが与えてくれたもので、銀色に輝く甲冑のようなものを身に付け、背中には大きな剣を背負っている。どうやら僕は戦士のようだ。
『モンスターランド』では、自分のキャラを盗賊・魔術師・僧侶・戦士と四種類のキャラから選べる。

 僕らは秋生に成りすましたキャラがいると思われる。『モンスターランド』のステージ(stage)の奥へ進んでいった。
 ナッティーの話に寄ると、昨日見た時の、そのキャラはレベル90以上だったそうだ。このゲームの上限レベルは100だから――相手はかなり強い。
 ちなみに、ナッティーがレベル70で、僕はたった23しかない……これっぽっちのレべルで戦えるのか? こんな弱い僕のために、ナッティーが『不死身の甲冑』と『無敵の剣(つるぎ)』という強いアイテム(武器)を付けてくれた。
 ――とにかく、どんな敵か分からないが、秋生のキャラを使っていることは見過ごせないし、絶対に許せない!
 
 ステージも最終面に近い所まできた――。
 パソコンの画面で見るゲームの世界と違って、二次元に入り込んで見た『モンスターランド』は3Dのため、音や振動、熱まで感じて、真に迫るど迫力だった。
 リアル世界で僕は剣道部員だが、ゲームの世界で、果たして、その技が使えるかどうかは分からない。秋生の偽者キャラとも戦わなければいけないが、ここには凶暴なモンスターたちがウジャウジャいるのだ。
 時々、モンスターの咆哮が轟いて僕はびっくりして首をすくめる。

「ナッティー、モンスターの声が聴こえるね」
「ここは『ソドムの魔境』っていうステージで、強いモンスターたちが棲んでいるのよ。前に秋生くんとクエストできたけど、モンスターがめっちゃ強くて……もう歯が立たなかったわ」
「大丈夫かなぁ……敵に会う前にモンスターに殺(や)られそうだ」
「今はツバサくんも幽霊の仲間だけど、外部に肉体があるから殺られたら、ちょっとマズイかも知れないなぁ……」
 ナッティーの言葉で余計に不安が募ってきた。
「――もし本物の幽霊になったら、ナッティーに弟子入りするさ……あははっ」
「幽霊道をバッチリ仕込んであげるからね。うふふっ」
 など、と力なく笑っていたら、いきなり真っ赤な炎の球が飛んできて、目の前で爆発した。
 間一髪、避けられたが肝を冷やした。

 で、出たっー! 巨大なモンスターがこっちに向かって全力で走ってくるではないか!? ナッティーと僕は戦闘態勢に身構えた――。


   ※ クエストとは、ロールプレイングゲームにおいて、
     ゲームマスターから提示されたミッションをこう呼ぶ事がある。



   第十四章 二次元の戦い

 そのモンスターは、恐竜のステゴサウルスとティラノサウルスを合体させたような奴だった。剣竜と呼ばれるステゴサウルスは背中に剣のような骨質の板がある。しかも、そいつはティラノサウルスのように二足歩行で、もの凄いスピードで迫ってくるのだ。
 大きな頭には耳まで裂けた口があり、鋭く尖った牙が異様の大きく、あれで噛み付かれたら一溜まりもない。
 そいつを見た瞬間、恐怖で僕の身体は硬直してしまった――。

「ツバサくん! なにボーとしているの!」
 ナッティーの叫び声で、ハッと我に返った。いきなり戦局は大いに不利だった。目前にモンスターが迫ってきている。
「戦うのよー!」
「おうっ!」
「うりゃああああぁ―――!!」
 奇声を発しながら、ナッティーはモンスターに向けてバズーカ砲を乱射している。それに対して炎の球を口から飛ばしてモンスターが応戦してくる。バズーカ砲と炎の球がさく裂して、あたり一面は炎と白煙、そして爆風が吹き荒れた。
 ヤバイ! 僕も背負った『無敵の剣』を抜くと、モンスターの頭部に一撃を与えたが敵はビクともしなかった。今度は目を狙って斬り込んだが、口から吐く炎の球に阻まれて近づくこともできない。ナッティーは手榴弾のようなものをモンスターに投げつけて応戦していたが、まったく歯が立たない。
 ――な、なんて、強いモンスターなんだ!

 モンスターの巨大な尻尾にはらわれて、僕らは跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられた。hpがどんどん下がっていく……このままでは回復できないまま死んでしまう。
 ナッティーも僕も満身創痍でほうぼうの体だった。地べたにうっぷし、這いずり回って逃げる。
 ……そんな僕らに笑い声が聴こえてきた。

「あははっ、なんだ、だらしがないなあー、おまえらの戦力はその程度か?」
 見上げると真っ黒な魔術師の衣装を付けたアバターが立っていた。そいつはまさしく秋生が使っていたキャラだった。
「おいっ、虫けら立ち上がって俺と戦え!」
 そういった瞬間、僕の身体はふわりと起き上がった。
「お、おまえは誰だ!? なぜ秋生のキャラを使っているんだ?」
「ふん! 屑どもめ、俺が叩き潰してやる!」
 そいつのレベルを見て驚いた、280もある。このゲームのレベル上限は100のはずなのにどういうことだ? ゲームの仕様を変えるほど強烈なパワーをこいつは持っているというのか!?

「今から仲間のいる所へ送ってやるぜ! おまえの行き場所はHell(地獄)だ!」
 そいつは魔法の杖を天にかざして呪文を唱え出した。
 僕の身体は金縛りにあったように動けない、魔術師の身体から真っ黒なオーラがうねる蛇のように発散されている。たぶん、そのオーラに包まれたら、間違いなく僕は死んでしまう――。
「ああ、もうダメだ……」
 観念して目を瞑った瞬間、もの凄い力が僕を弾き飛ばした。
「ツバサくん、逃げてぇ―――!!」
 必死の形相でナッティーが僕を二次元の壁に放り投げていた。ナッティーのさく裂ボンバーに魔術師も一瞬ひるんだようだ。
「自分のパソコンへ帰るのよ! 早くー!!」
 僕のhpは低過ぎて、これ以上は戦えない――。

 あたふたと二次元の壁を這い上がって、スルリとパソコンの画面を抜けると、僕はリアルの世界へ戻ってきた。
『モンスターランド』では、たった一人でナッティーがモンスターと戦っている。
「スマナイ……ナッティー……」
 自分の無力さに僕は涙が込み上げてきた。

 その時だ、ゲーム画面のナッティーがモンスターに掴まれた! 
 そして頭から噛み付かれて、鋭い牙にナッティーは挟まれていた。モンスターに咥えられた無残なナッティーを映したまま、急にパソコンの画面がフリーズして動かなくなってしまった。
 もう一度『モンスターランド』に戻ってナッティーを助けたいが――それもできない。
「ナッティー! ナッティ――――!!」
 僕はパソコンの画面に向かって、叫ぶことしかできなかった。





   第十五章 ほぞを噛むの日々

 僕は情けなかった……。
 ナッティーを置き去りにして逃げ出した自分が許せなかった。
 こんな意気地なしで、弱虫の自分を堪らなく嫌悪していた――。

 僕のパソコンは断末魔のナッティーを映したまま、フリーズしてしまった。
 何とかしようと、あれこれ僕の知りうる限りのパソコン知識でやってみたのだが……まったく画面が動かない。奥の手で、ctrl+alt+Deieteを押すと、タスクマネージャーがでてきたので、そのページだけを消去しようとしたが……何度やっても消えない。不思議なことに電源を落としても、その画面は消えなかった。

 こうなったら、リビングのデスクトップから『モンスターランド』へ侵入しようと試みたが、自分のIDとパスワードを打ち込んでもマイページがどういう訳か開けなかった。仕方なく新規会員登録をしたが承認メールは、いくら待っても送られてこない……。
 どうやら……何者かの力で僕は入れなくされているみたい。これじゃあ『モンスターランド』に戻って、ナッティーを助けることもできないじゃないか!

 ――ほぞを噛む思いだった。
 あの画面は動かすことも、消すこともできないままに、ナッティーの無残な姿を映している。まるで僕の無能振りをあざけ嗤っているかのようだった。
 秋生の無念を晴らすために、僕らは罠に嵌めた犯人探していたんだ。ナッティーは自分から、かって出て協力してくれたのだ。ある時は瘴気に当てられて気を失いながらも、健気に頑張ってくれていたナッティー……。そんな彼女を身捨てて僕はひとりで逃げだした。いくら  ナッティーが逃がしてくれたとはいえ……自分は卑怯者だ。
 その画面を見る度に悲しくて、悔しくて、情けなくて、ナッティーに詫びながら、僕は涙を流していた。


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