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   ◆ 紫のあじさい ◆

「くっそー! またダメだった」
『日高会計事務所』の所長室のドアを開けると、中からそんな声が聴こえてきた。
「何がダメだったんですか? 日高所長」
「おお、見習いの日高くんか、いい質問だ」
 新聞を広げながら、ここだと指をさす。『趣味人句会』と書いてあった。
「毎週、俳句を詠んで投稿しているんだが……また、選から外れたよ」
「残念でしたね」
 僕の父、日高俊夫は公認会計士で、経営コンサルタントもやっている。適切なアドバイスと面倒見がとてもいいので、顧客にも評判が良い。だから、小さな会計事務所だが顧客を減らさず、ずっと手堅くやってきた。
 十年前に妻を亡くしてからは、ひとり息子の僕とふたり暮らしである。まだ五十八歳だから老けこまず、少しはロマンスでもあればと思うのだが、本人は仕事と最近懲り出した俳句にしか、興味はなさそうである。
 ――僕らは、まるで友だちみたいな親子なのだ。
「どんな俳句を送ったのさ?」
「聞いてくれ『よしできた 青色申告 颯爽と』どう?」
「はあ……?」
「どうだ、いい句だろう? 自信あったのになあー」
「俳句だろう? 季語はなにさ?」
「もちろん、青色申告だよ。春の季語に決まっている」
「そんなこと……、一般人は分からないだろう。しかも、字あまりだし」
「えっ? あ、本当だ」
 そう言って、おやじはわははっと笑った。『よしできた 青色申告 颯爽と』これって俳句というより、税務署の標語みたいだし。数字には滅法強いおやじだが、文学的センスはゼロである。――そこまで言ってやったら、さすがに可哀相なので……僕も一緒に、わははっと笑ってあげた。

「父さん、お客のことでちょっと訊きたいことがあるんだけど……」
「ん、なんだ? 見習いの日高くんがお客のこと訊くなんて珍しいじゃないか」
 ちょっと嬉しそうな顔でおやじが応えた。
「伊達さんって、お客について教えて欲しいんだ」
「伊達さんか? 先代からのうちの顧客だよ。先代はもう夫婦ともに亡くなっていて、今は息子さんが継いでいる。かなりの資産家で駅前に五階建てのビルが二棟、十階建てのマンションが三棟、借家が六軒、駐車場三カ所、その他諸々の借地なども持っている。働かなくても一生食べていける裕福さだよ。今の当主は道楽で輸入家具のお店を経営していて、一年の半分はヨーロッパで暮らしているさ、まあ、いいご身分だよ」
「家族構成なんかはどう?」
「えっと……たしか、奥さんが三年前に亡くなって、今の奥さんと去年結婚したのかな? 外国で知り合ったって噂だけど……そういう事情は、俺より朋子さんが詳しいぞ」
 そうか、あの人は後妻なのだ。――そう言えば、朋子さんが前の奥さんは自殺したとか言っていた。なんか深い事情がありそうだ。伊達家の噂はいずれ朋子さんから聞くことにしよう。
 何しろ事務員の朋子さんは顧客の超個人情報に詳しいのだ。おばさんのクチコミネットワークをバカにしてはいけない。『日高会計事務所』に訪れる、商店主の奥さまたちとの何気ない世間話から、顧客の家族構成、近所の評判、家庭内のいざこざ、経営状態、浮気問題など、超個人情報をいつの間にか朋子さんは把握しているのだ。
 君の多重人格の謎を探る情報を、あの朋子さんなら持っているかも知れない――。
「で、その伊達さんになにか?」
 いきなり顧客情報を訊きたがった僕に、おやじはちょっと不審そうな目を向けていた。
「うん。ちょっとね……」
 曖昧に笑って誤魔化す。

 あくる日の早朝、僕の携帯が鳴った。
 まだ夢の中を彷徨っている時間だというのに……いったい誰なんだよ! 眠い目を擦りながら携帯の番号を見ると君だった。時刻は五時半。
「もしもし……」
 と、通話に出た僕の耳元でいきなり。
「怖いの、助けて!」
「えっ! なに? どうしたの?」
 切羽詰まった君の声に、いっぺんに僕は眠気が飛んだ。
「怖い、怖い、怖い……」
「落ち着いて!」
「助けて!」
「大丈夫? 今どこに居るの?」
「殺されるかも知れないの、お願い、助けてぇ……ううぅ……」
 最後はほとんど泣き声に変った。この声は誰だろう?
「君は誰ですか?」
「わたし、紫音(しおん)よ」
 また違う名前が出てきた、四番目の人格だろうか? 
 飛び起きて、急いで支度をすると、僕は紫音が居る場所へと自動車で向かった。

 君が指定した場所は街外れの小さな公園だった。
 早朝なので人通りはなく、森閑としている。君はベンチにぽつんと座っていた、グレーのセーターと黒いスカート。まるでお通夜帰りみたいな野暮ったい服装で、ひどく疲れた顔だった。遠くからでも小刻みに肩を震わせているのが見える。――たぶん泣いているのだろう。
 僕は公園の脇に駐車すると、急いで君の元に駆け寄った。
「大丈夫? なにがあったんだ」
 僕の声に、わあーと号泣して君は縋ってきた。
「怖い、怖い、助けて……」
 なにをそんなに脅えているのか分からないが、この紫音という人格は気が弱く、常に脅えているような子で、歳も十代後半といった感じである。
「落ち着いて! 話を聞かせて」
「わたし聴いちゃったんです。みんなで話し合っていることを……」
「みんなって?」
「わたしの心の中にいる、わたしたちです」
 いったい何人の人格が存在しているのだろうか? 
 そして、それらは心の中で、それぞれの人格で話し合っているようなのだ。まったく信じがたい話だが……。

「ねえ、詳しく教えて。――君以外に何人の人格が存在するんだい?」
「……ダメ! 教えられない。あの人が怖いの」
 紫音は脅えたように、頬を引き攣らせている。
「僕が守ってあげる、怖がらなくていいから」
「うん……」
「真亜子、青羅、桃華、紫音……それから後何人いるんだい?」
「七海(ななみ)って三歳の女の子がいるわ、それから……」
 ――と、言いかけて急に「ううっ……」紫音が苦しそうに呻いた。
 顔を手で覆って震えている、また人格が入れ替わるのか?
「紫音、大丈夫?」
 胸に抱きしめて、背中をさすっていたら……。
「うせろ!」
 いきなり、もの凄い力で胸を突かれ飛ばされた。
「あたしに構うなっ! さっさっとうせろ! このクズ野郎が」
 ひどい罵倒に僕は言葉を失った。
「……き、君は誰なんだ?」
「うるさい!」
 その女は憎悪を込めた目で、キッと僕を睨みつけた。
 ゾッとするほどの殺気を感じて身体が硬直してしまった。どうやら、ひどく凶暴な人格が現れたようだ。
「今度、あたしの前に現れたら、おまえをブッ殺す!」
 ケッと、唾を吐きかけて女は去っていった。その後ろ姿を茫然と僕は見送っていた。

 あの口の悪さは桃華とも似ているが、あんな凶暴で冷酷な目を桃華はしていなかった。もしかしたら五番目の人格か? 七海という三歳の女の子もいると言っていたな、分かっただけでも六人は人格がいるようだ。
 とてつもないトラブルに巻き込まれそうで僕は怖かったが、どうしても見過ごす訳にはいかなかった。夕立の日に出逢った君、そして何人もの君たち。そのひとりひとりに僕は興味を持っている。
 ――恐怖のステージに立っていた、もう逃れることは出来ない。





   ◇ あじさい屋敷 ◇

『日高会計事務所』では、毎日、午後三時になるとティータイムがある。
 だいたいお客からの頂き物のお菓子や出張帰りのお土産などをおやつにして、お茶を頂く習慣である。たぶん、この仕来りが定着したのは、朋子さんが事務員になった十年くらい前からだろうか。見習いの僕は事務所に居ることも多いので、このティータイムは楽しみのひとつである。
「遼くん、コーヒーが入ったわよ」
 コーヒーメーカーから、淹れたてのコーヒーの香りが漂う。
 今日のおやつは、お客が手土産に持ってきたユーハイムのバームクーヘンだった。朋子さんとふたり、応接間のソファーに座って、ティータイムを楽しむ。お客さえ来なければ、このティータイムは延長有りなのだ。
 先日から気になっていたことを朋子さんに聞いてみようと思った。

「うちの顧客の伊達さんについて、朋子さんの知っていることを教えて欲しいんだ。特に個人的な情報とか……」
「こないだ、事務所に来ていた伊達さんのことね」
「そう。家族構成とか人柄について訊きたい」
「先代からのうちの顧客だから、前はいろいろ知っていたけど……先代が亡くなって、先妻が死んで、今の奥さんに代わってからはビジネス以外では、ほとんど付き合いもないのよ」
「じゃあ……、今の当主と先妻について、訊かせて」
「今の当主の伊達尚樹(だて なおき)さんは三十八歳で典型的な金持ちのお坊ちゃんタイプ。道楽で輸入家具のお店をやっていて、そのためにイタリアやイギリスによく行っているわ。あちらにも家があるらしく一年の半分は海外暮らし。趣味はクルーザーと絵画の収集とか。人柄は洗練された紳士で穏やかで、すごく素敵な人よ!」
 すごく素敵な人よ。――と言った時の朋子さんの目にハートに見えた。
 たぶん、生まれも育ちも良い伊達尚樹という男には生活感がないのだろう。きっと女性が憧れる、いわゆる『白馬の王子さま』という風貌をもっているのかも知れない。

 ――さらに、朋子さんの話は続く。
「伊達さんも、前は事務所にも来てくれたけど、再婚してからは今の奥さんばっかりで、海外からのエアーメールと電話しかかけて来なくなったの。日本には、ほとんどいないみたいだし……」
 ちょっと不満そうな顔で朋子さんがぼやく。
「亡くなった先妻について教えて」
「先妻は侑子(ゆうこ)さんといって大人しくてきれいな人だったよ。病弱だったのであまり見たことはなかったけど……可哀相にねぇー」
「自殺したって言ってたけど……原因は?」
「……詳しい事情は分からないけど、侑子さん結婚して三年目で、やっと妊娠して、待望の赤ちゃんが生まれたんだけど……気の毒に死産だったのよ。そのことがショックでノイローゼ……えっと、今は欝病とかいうのかなあ? それになって療養のために、気候の良いイタリアへ行ったらしいけど……」
 そこで、朋子さんはひと息入れて、バームクーヘンをつまみとコーヒーをゆっくりすする。先が気になる僕は、朋子さんの口元ばかり見ていた。
 マグカップをテーブルに戻すと続きを話し始めた。

「水の都のヴェネツィアに滞在している時に、水上バスから飛び降りて自殺したらしいの。バチャーンと飛び込む水音がして、船の中には履物とバッグが、波間には彼女のエルメスのスカーフが漂い、滞在先のホテルの部屋には夫宛ての遺書が置いてあったとか、二日後にはコートとサングラスが波打ち際で発見されたらしい。だけど、肝心の遺体は上がっていないのよ」
「遺体がないの?」
「そうなのよ。いろいろ捜査したけど……結局、遺体なしで死亡と認められたみたい。海外のことだしね」
「ふーん……」
 ――謎めいているなと、僕は唸ってしまった。
 紫音が脅えていたことと何か関係あるのかな? 僕は黙り込んで、しばし考えていた。
「遼くん、どうしたの? ずいぶん真剣に聞きたがるわね」
 朋子さんが興味深げに、僕の目を覗き込んだので……慌てて、続きを聞く。
「――今の奥さんはどんな人?」
「えっと……名前は知らない。伊達さんの奥さんって呼んでいるから。たしか三十代半ばでおしゃれで頭の切れる人。伊達尚樹さんとは海外で知り合って、結婚したって聞いたけど……ビジネスのことしか話さないから、詳しいことは分からないの」
 世間話をしないお客が、朋子さんのもっとも嫌いなタイプのお客なのだ。超個人情報(噂話)が大好きな朋子さんにとって、そんなお客には面白みがない――。
 たぶん、青羅というキャリアウーマン風の人格が『日高会計事務所』の担当なんだろう。
「朋子さんの情報網から外れるお客もいるんだなー」
 僕がニヤニヤ笑うと、ちょっと憤慨した朋子さんが。
「だってねえー、今の奥さんは屋敷に入って、すぐに今までの使用人を全員解雇しちゃったのよ! 先代の時から働いていたお手伝いさんたちも、みんなクビにしちゃったんだもの……ちょっと異常よね。もしかしたら先妻と比べられるのが嫌だったのかしら?」
「それはひどいなあー」
 使用人たちをクビにしたのは、自分の病気が世間にバレるのが怖かったからだろう。
「けど……伊達家に、やけにご執着なのね? 遼くん、何かあったの」
「う、うん。ちょっと意外な場所で奥さんを見かけたから……」
 いきなり、自分に振ってこられて焦った。
 超個人情報集めが趣味の朋子さんの網に引っ掛かりそうで、僕は慌てて口を噤んだ。

「ねえ、これ届けてきてくれない」
 デスクに座っている僕の目の前に、朋子さんがA4サイズの茶封筒をもってきた。
「なに、これ?」
「遼くんが、伊達家に興味もっているようだから、これを屋敷まで届けてきて欲しいの」
「ええー、それって郵送すればいい書類だろう」
「そうだけど……いいじゃない。それ持って伊達家を調査にいくのよ」
「まるで探偵みたいだなあー」
「そうよ。ここは税金対策に強い探偵社だもの」
「あははっ」
 会計事務所兼探偵社かあ? そりゃあ面白いな、朋子さんとふたりで笑った。
 どうやら、朋子さんも謎の多い伊達家にはかなり興味をもっている様子だ。さては、僕に行かせて、後で根掘り葉掘り聞こうという魂胆だな。まあいいや、この茶封筒を持って行けば訪問のよい口実にもなるし……。実は僕も伊達家に行ってみたいという気持ちはあったのだ。
「伊達家はあじさい通りにある、一番大きく立派な家。あじさいがたくさん植えられている家だからね。通称あじさい屋敷って近所では呼ばれているよ」
「あじさい屋敷……」
「そうよ。先代の奥さんがあじさい大好きで、世界中から集めたあじさいが3000株以上あるらしいよ。梅雨時は特にきれいなのよ。元々、あの界隈をあじさい通りって呼ぶようになったのは、伊達家のあじさいからイメージして命名されたのだから」
《あじさい屋敷とあじさいの君かあ……》そんな言葉を心の中で呟く。
 あの日、あじさい通りで出会った君はあじさいの花束を手に持っていた。僕に花泥棒をしたと話したが、本当は自宅に咲いていたあじさいだったのだろう――。
 僕は朋子さんから茶封筒を受け取ると、事務所の自動車を借りて伊達家へ向かった。





   ◆ 額あじさい ◆

 君はあじさいの海に浮かぶ白い小舟のようだった。
 一面あじさいの咲き乱れる庭先に立って、ハサミで花を摘んでいた。祈るような真摯な目であじさいの花を一本一本摘み取っていく、それは、まるで何か儀式のような荘厳な印象を受けた。僕は声も掛けられないまま、塀の向こうから、ただ佇んで、じっと君を見つめていた――。
 あじさい通りの中でも、ひと際目立つ伊達家のあじさいの庭。少し低めの塀で外からでもよく見られるようになっていた。僕は伊達家の来客用の外ガレージに自動車を停めて、正面の門からインターフォンを押してみたが返事がない。それで長い塀の周りをぐるりと歩いていったら、君が庭先に立っていた。
 たしか使用人を全員辞めさせて、今は週に三、四日だけ通いの家政婦がきていると朋子さんが言っていた。こんな大きな屋敷に夫婦ふたりか、夫が海外に居る時は、ひとりぼっちで暮らしているのかと思うと……君の生活はずいぶんと孤独だ。

 僕の視線に気づいたのか、君がこっちを見て軽く会釈をした。その瞬間、君に見惚れて魔法にかかったように硬直していた、僕が動き出した。
「こんにちは。あのう『日高会計事務所』の者ですが……」
「あら、遼さん」
「えっ! あははっ……」
 いきなり名前で呼ばれて、僕は訳もなく照れてしまった。
「君は誰ですか?」
「真亜子です」
「真亜子さんか、良かった。君となら話が出来る」
 あの日と同じ、君はあじさいの花を手に持っている。
「どうぞ、中にお入りください」
 そう言うと、正門に回って門扉を開けてくれた。門から屋敷に向かう君の後ろから、あじさいの庭を眺めながら僕はついて行った。
 それにしても立派な屋敷だった。古い西洋建築でよく映画なんかに出てくる洋館といった造りである。とんがり屋根と風見鶏、外壁は赤い煉瓦造り、神戸にある異人館でみたことがあるような、そんな洒落た洋館には住む人の拘りを感じさせる。
 玄関を開けると、三階まで吹き抜けの天井からゴージャスなシャンデリアが吊られていた。室内の家具もアンティークで落ち着いた雰囲気だった。壁や飾り棚には絵画や陶器などの美術品が飾られている。
 目を見張るばかりの調度品の数々、贅を尽くすとは……こういう暮らし振りのことをいうのだろうか? 
 伊達家は何もしなくてもお金が入ってくる、桁外れの金持ちなのだ。だけど、いくら財産があっても、こんな広い屋敷にひとりで暮らしている君のことを、僕は幸せな人間だとは……とても思えなかった――。
 三十畳はあろうかと思う広い応接室に通された僕は、豪華過ぎるソファーに落ち着かない。ゆったりとした肘置き、包み込むような質感、使い込むほどに艶が出る渋いグリーンのなめし皮。輸入家具のお店をやっている当主が選んだリビングセットだから、かなり高価な家具だろうと容易に想像がつく。
 応接室の大きな出窓からはあじさいの庭がよく見渡せる。古いアンティークオーディオのレコードプレヤーからはモーツアルトのデイヴェティメントが流れてくる。白いレースのカーテンが風で揺れていた。――ここは現実世界から隔離された、まるで夢幻の部屋だった。

「お待たせしました」
 君がティーセットを運んできた。
 ティーポットにはちゃんと布のカバーを掛けてあって、どうやら本格的な紅茶をご馳走してくれるようだ。
「アフタヌーンティーをご一緒できて嬉しいわ」
 カップに紅茶を注ぎながら、優しい笑顔で君が言う。
 多重人格さえ出なければ、こんなにチャーミングなのに……しかし、待てよ。この真亜子が基本人格なのかな?
「どうぞ」
「ありがとう」
「紅茶のシャンパン、ダージリンです」
「甘く上品な香りだね」 
 紅茶はシャンパンゴールドの薄い茶色だったが、口に含むと甘みのある豊かな味わいがする。僕はいつもコーヒーしか飲まないけれど、こんな雰囲気の部屋で飲む紅茶は格別だと思った。マイセンのティーセットとイギリス風にスコーンが添えてある。馥郁たる紅茶の香りと、優雅な君のしぐさに僕は見惚れてしまっている。
 君とは身体の関係を持ってしまったが、人妻であることを今の僕は知っている。真亜子と桃華、別人格のふたりを抱いた僕は、それぞれ違う女を抱いた印象だった。
 今、目の前に居る君。この人が僕の中で一番深い印象だ。――白いあじさいの人、真亜子。

「あのう、ご用件はなんでしょうか?」
 一杯目の紅茶を飲み終えて、次のお茶をカップに注ぎながら君が訊いた。そういえば、用件も聞かずに屋敷に通してくれたのだ。
 僕は膝に乗せていた茶封筒をチラリと見せて、
「――これは口実で、実は君の話を聞きたくてきたんだ」
「そうなの?」
「うん。君の多重人格のこと、ご主人は知っているのかい?」
「ええ、気付いていると思う」
「ご主人はなんて言っているんだ? 病院には行ったの?」
 そう聞くと君は首を横に振り、困ったように俯いてしまった。
「ちゃんと病院で治療を受けて治した方がいいよ」
「……だけど」
「人格を統合して、ひとりの君に戻さないと苦しいだろう?」
「……そうしたら、わたしは消えてしまいます」
「えっ! 真亜子が基本人格ではないのか?」
「違います! 基本人格は眠っています。起こすと……彼女は自殺してしまうから……」
 真亜子が基本人格ではない事実にぼくはうろたえた。
「どうして、そんな風に人格が分裂してしまったんだろう? 真亜子は何か原因を知っている?」
「時々、わたしの心の中で人格たちが話をします。古くからいる人格に寄ると……基本人格は子どもの頃、厳格できびしい両親の元で育てられました。期待に添える子どもになろうとして、自分自身を抑えて、抑えて……生きてきたらしいのです。内面に籠った不満やストレスが『桃華』という自由奔放な人格を作りました。そしてもうひとり……とても凶暴な人格も生まれたのです」
「それは……こないだ僕を突き飛ばした人格だな?」
「彼女は危険です。怒りと憎悪と破滅の人格なのです」
「うん。すごく殺気立っていた」
 あの眼は、今思いだしても寒気がするほど冷酷な眼差しだった。
「凶暴な人格を押さえるために、わたしが生まれました」
「まだ、他にも人格はいるの?」
 その問いに答えずに、真亜子はガクリと頭を垂れた。しばらく苦しそうに呼吸をしていたので、慌てて傍にいって背中を摩ってやる。今度はどんな人格が現れるのだろうかと僕は怖る怖るだった。
 ふいに顔を上げて、目をパチクリさせて君が言う。
「あれ〜? ここはおうち?」
「君は誰?」
「あたち、ななみ三さい」
 君は無邪気で可愛い三歳の少女になった。
「そうか。七海ちゃん、こんにちは」
「ねぇ、おじちゃん、ななみとあそぼう」
「七海ちゃんはいつも何して遊んでいるの」
「ななみ、なかにいるときはおとなしくちてる。だってぇ、みんながちいさいから、おそとにでてはいけないっていうの」
「退屈だろう?」
「うん。だけど、ときどきパパがあそんでくれるよぉ〜」
「パパって……?」
「ななみのパパはかっこいいのぉー」
「パパのこと、もっと教えてくれる」
 そう言って、七海の手を握るとまた人格が入れ替わった。
「ううーん、ビジネスの話をしてよ!」
 気難しい顔で現れた君は青羅(せいら)かな。
 僕の膝から茶封筒を引ったくると『日高会計事務所』で算出した数字に目を通す。そんな君はキャリアウーマンの顔だ。
 その後は、ずっと青羅のままでビジネスについて少し話し合ってから、僕は事務所に戻った。
 七海が言っていた『パパ』とは伊達尚樹のことだろうか? 基本人格が真亜子ではないとすると……基本人格はいったい誰なんだ? それはどんな人物なのか、僕の中で疑問が広がるばかりだった。
 ――真亜子、人格が統合さしまったら、君が消えてしまうなんて……。





   ◇ 雨の合間に…… ◇

 僕は中学・高校と同級生だった、坂野茜(さかの あかね)の家を訪ねることにした。
 先日の夕立の日に行こうとしたのは彼女の家で、あいにく、その日は茜が留守だったので帰ってきてしまった。あの時、夕立ちにあったのが、そもそも真亜子とのなれそめだった。
 今日は是非会いたい用件があって行く。だから事前に、こちらからアポイントメントを取った。
 あじさい通りを抜けて閑静な住宅地の中、こじんまりした三階建てのお洒落なマンションが建っている。建物の前には入居者用の駐車場があって、来客用と書かれたスペースが空いていたので、そこに自動車を停めさせて貰った。
 茜の部屋はエントランスから入って、すぐの101号室だった。現在、彼女はアメリカに住んでいて会うのは三年振りくらいになる。
 マンションの扉のチャイムを鳴らすとインターフォン越しに返事が聴こえて、オートロックを開けてもらった。101号室の側に行くと、ドアを細めに開けて「ここよ、ここよ」と茜が嬉しそうに手招きをする。
「お久しぶりね!」
「おう! 元気そうじゃないか」
「遼ちゃんは変わらないね」
「茜はたくましくなった」
「まあ、それってどういう意味よ。肥ったことバレたかぁー?」
「わははっ」
 そんな軽口を利きながら、茜は僕を部屋に通してくれた。
 広いワンルームとキッチンだけのシンプルな部屋だった。「適当に座って」と言われて、本や雑誌の散らばった部屋の中で、辛うじて自分のスペースを空けると、そこに座った。
 短いショートカット、アウトドアが大好きな彼女は一年中日焼けしている。化粧っ気もなく、タンクトップにショートパンツ姿の茜はまるで少年のようだった。
 アメリカの大学に通っているが、勉強のために時々日本にも帰国する。海の向こうには、青い目の婚約者がいて、一緒に暮らしているようだ。
 僕と茜は中学からの友人で、ある時期は恋人同士でもあった。
 お互い相手を縛る気持ちもなかったので、いつの間にか恋人から友だちの関係に戻ってしまっていた。それでも気の置けない女友達として僕にとって茜は大事な相談相手である。
 実は高校一年の時に、初めてセックスをした相手がこの茜だったが、そんなことは忘れてしまうほど古い話で、もうお互いにそんな恋愛感情などない。

「どうぞ」
 いきなり冷蔵庫から缶ビールを渡された。
「おいおい、まだ事務所に戻って仕事があるんだ」
「ああ、そうなの? じゃあ、こっちね」
 今度はコーラを投げて寄こした。しばらくプルトップは外せない、絶対に噴き出してきそうだから……相変わらず、アバウトな性格の茜には笑ってしまう。
「遼ちゃんから相談したいことがあるって、珍しいね。恋の悩みでもカウンセリングするわよ」
 実は茜は心理カウンセラーの資格を持っていて、アメリカの大学と日本の専門学校で勉強をしている。主にスクール・カウンセラーとして思春期の子どもの悩みの相談などをしているが、アメリカでは、たまに犯罪者の心理ファイリングなんかもやっているようである。
「うん。自分のことではないんだけど……多重人格って信じる?」
「多重人格? 解離性同一性障害のことね」
「そう……」
「多重人格については専門家の精神科医や心理学者の間でも意見が分かれていて、多重人格そのものを認めていない医師も多いのよ」
「芝居だって思うんだろうね」
「たしかに、お芝居だと思う人も多いけど……人格が入れ替わると性格はもちろん。表情や話し方、好みや特技まで変わるのは不思議。全くの素人が芝居で言葉に訛りがでたり、音痴が治ったりはできないもの」
「うん。目つきや言葉使いが全然違うんだ!」
「あれ? 遼ちゃんの身近にそんな人がいるの?」
「実は……」
 そこから僕は茜に包み隠さず全てを話した。彼女は心理カウンセラーの耳になって、それらの話を興味深く聞いていた。
 ――僕からの説明を聴き終わってから、茜がポツリと言う。
「基本人格が眠っているのが気になるわね。オリジナルの人格の性格が分からないと治療の手立てがない。なぜ眠らされているんだろう?」
「たしか、目を覚ますと自殺するからだって……」
「たぶん、強い人格に抑え込まれて出て来れなくされているようね」
「うん。かなり凶暴な人格がいたが……」
「まず、なぜ人格が分裂したのか理由から探って、心のケアをしながら統合させていく治療方法なんだけど……それぞれの人格から話を聴いて、よく納得させてから消えていってもらうしかないんだ」
「素直には消えないだろうな?」
「それぞれ存在の意味があって生まれた人格だから、簡単には説得には応じないと思う」
「……うん」
「とにかく、基本人格にしっかりしてもらわないと、他の人格を封じ込められないのよ」
 茜は僕の話に強く興味を持ったようで、是非、そのクランケに逢いたいと言い出した。
 ――それで、友人のセラピストを連れていくと真亜子に電話で話した。





   ◆ 彩るあじさい ◆


 事務所に帰ってきたら、朋子さんが電話応対していた。「誰から?」と何気なく聞いたら、伊達尚樹だと答えた。
 その答えに驚いた僕は、
「伊達さんは、今、日本にいるんだ?」
「そうみたいよ。出張で北海道にいるって言ってたけど……」
「自宅には帰らないんだろうか? あんな大きな家に奥さんが一人きりなのに……」
「そうね。結婚したって聞くけど、一緒にいる所をあまり見かけたことがないわね」
「幸せな結婚生活ではないのかな?」
「あらっ、遼くんったら、ずいぶんと伊達家のことを気にしているのね? 奥さん美人だし。うふふっ」
 朋子さんが意味深な顔で笑った。
 男女の恋愛話には特にレーダーを張っている彼女は、僕の表情から何か感じ取っているのだろうか? 僕の真亜子に対する気持ちを読まれたみたいで……勘の鋭い朋子さんは、やっぱし侮れないなぁー。
 それにしても伊達尚樹は、日本にいるのに病気の妻を放って置いて、どうして北海道なんかにいるんだろう。ずいぶん薄情な夫だと僕は憤慨した。
 あんな広い屋敷にひとりでいたら、病気は悪化するばかりだろう、誰かが傍に付いていてあげないとダメなんだ。
 ――真亜子を救ってあげられるのは、自分しかいないように思えてきたのは、単なる思い上がりではないだろう。

 日曜日に茜と一緒に伊達家を訪問することにした。
 茜は自宅の近くだから自転車で行くと言っていたので、ふたりは伊達家の前で待ち合わせることにした。
 僕が来客用のガレージに自動車を駐車すると、茜は長距離用のマウンテンバイクを正門の前に停めてチェーンを掛けているところだった。今日の茜は紺のパンツスーツをパリッ着ていた、この服装なら、なるほどセラピストに見える。いつものラフな格好しか知らない僕は、初めて仕事着姿の彼女を見た。
「やあ!」と茜に挨拶をすると、僕は伊達家のチャイムを鳴らした。
 訪問を告げていたので、君はすぐに門扉を開けて僕らを招き入れてくれた。まるであじさいの海のような庭を眺めて茜は感歎の声をあげた。
 小声で僕が「真亜子?」と確認をしたら、君はゆっくりと頷いた。今日の真亜子はきなり色の麻素材のサマードレスを着て、スッキリと涼やかな印象である。

 僕らは先日とはまた違う、応接室に通された。たぶん、伊達家には応接室が二、三室はあるのだろう。今日通された部屋は十畳ほどの広さでソファーセットも黒のエナメルでシンプルなデザインだった。部屋の片隅にはOA機器とオーディオセットが置かれていて、ここはビジネスや商談に使う、書斎兼用の応接室なのだと分かった。
 真亜子は僕らを部屋に案内すると、お手伝いさんがいないので自分でお茶の用意をするために「お待ちになって……」と告げるとバタンとドアを閉めて出て行った。
「すごく立派な屋敷ねえ」
 茜が開口一番に言った。
「うん。伊達さんはこのあたりで一番の資産家だよ」
「こんな広い屋敷にあの女性はひとりで暮らしているの?」
「いや、旦那さんはいるようだけど……留守がちみたいなんだ」
「ふうん。なんか寂しいね。お金があっても孤独は癒せないもの」
「……そうだね」
 まさか、寂しいから人格が入れ替わって独り遊びをしているとは思わないが……この孤独な暮らしが、少なからず君の病気に悪い影響を与えていることは否めない。

「お待たせしました」
 大きなトレイにコーヒーとドーナツを乗せて、君が運んできた。
 コーヒーとドーナツ、先日のイギリス風のティーセットと代わって、今日はアメリカン調だ。はて、君に茜がアメリカから帰国中だって話したかな?
「どうぞ」
 それぞれのテーブルの前に、君はコーヒーを並べていた。
「ありがとう」
「いいえ、訪問してくださって嬉しいです」
「初めまして、私、坂野茜と言います。遼ちゃんの同級生でして、今は心理カウンセラーをやっています。よろしく!」
「こちらこそ、私は真亜子です」
 ふたりは挨拶し合っている。
 その後、茜がカウンセリングする予定だが、果たして、真亜子の中から、どんな人格が出てくるのか……僕は不安だった。

 アメリカ人はドーナツが大好きである。
 一日一食はドーナツでもオッケーな国民なのだ。映画に出てくるタフガイも朝はたらふくドーナツを食べている。かのプレスリーもドーナツ大好き人間だった。
 アメリカ生活が長いせいか、茜もドーナツがかなり好きである。お皿に乗ったドーナツを二つぺロリと食べて、まだ食べ足りない顔をしていたので、真亜子が大皿からドーナツ三つ取り分けてくれた。
 そのドーナツもパクパク食べている茜に「少しは遠慮しろよ」と渋面で僕が言うと……、「あと二つください」とお皿をつき出し、真亜子にドーナツのおねだりしている。
 思わず肘で突いて「いい加減にしろ!」怒ると茜は笑って誤魔化す。――そんな僕らを君はにこにこしながら見ている。
 ドーナツも食べ終わり、お代わりのコーヒーを頂きながら僕らは談笑をした。
 打ち解けた雰囲気になってきたところで、茜は自分の小型パソコンを開いて、真亜子のカウンセリングを始めた。
 最初は名前や年齢など個人情報を訊いていたが、何しろ真亜子は基本人格ではないので事実かどうかは分からない。それは真亜子という人格が、自分自身で作った偽りのプロフィールなのだから……。
「真亜子さん、あなたの中の別の人たちともお話させてくれないかしら?」
「ええ、他の人も出たがっているので交代します」
 いとも簡単にそう言うと、君の中から別の人格が現れた。
「……先日、届けてくれた資料だけど、よく検討してから返答します」
 小難しい顔で現れた君は、青羅だろうか。
「あなたはどなたですか?」
「ビジネス以外のことで煩わせないでちょうだい。青羅よ」
 茜は青羅と二、三言話したが、ビジネス以外は興味がない青羅が戻りたがったので面接はすぐに終わった。
 次はひどく脅えた人格が現れた。
「怖い、怖い、怖い……」
「あなたは誰? 何を脅えているの?」
「あたし紫音、私の中の人たち、みんな怖い!」
「その人たちがあなたに危害を加えるの?」
「ううん。違うの! とっても怖いこと企んでいる!」
「それはどんなこと?」
 茜が聞くと「ひいぃー」と呻いて紫音は急に消えた。
「パパー?」
 瞳をパチクリさせて出てきたのは、三歳児の七海のようだ。
「あれぇ〜、こないだのおじさん」
 どう見ても、僕より年上の君の分身に「おじさん」と呼ばれて苦笑した。
「こんにちは。君は誰かな?」
「あたち、ななみ三さいだよ」
「七海ちゃんのことをお姉さんに聞かせてね」
「うん。いいよ」
「いつもはどこにいるの?」
「うん……と、こころのなかだよ。そこでねんねしてる」
「そこから出てきたら、何をやっているのかな?」
「パパとあそんでるよ」
「パパ? パパの名前は?」
「だてなおき」
 伊達尚樹だって! 彼には子どもはいないはずだ。
 待てよ、たしか前の奥さんとの間に子どもが出来たが、死産で……それが原因で奥さんは外国で自殺したんじゃなかったか。なにか関連があるのだろうか?

「ねぇ〜、おじさん、ななみとあそぼうよ」
 七海が甘えて僕の膝に乗ってきた。
 いくら本人は三歳児のつもりでも、身体はれっきとした成人女性だ。しかも彼女とは肉体関係もあるし……茜の前なので、七海を膝から降ろそうとしたが、ギュッと僕に抱きついたまま離れてくれない。
 そしてキスをされた「うぐっ」舌まで入れてきた! お、おまえは誰だ!? 七海を無理やり引き離した。 
「やめろ!」
「やーん! 乱暴しないでよ」
「ああ! 君は桃華か?」
「そうよ。遼ちゃんのセフ……レ……」
 僕は慌てて桃華の口を押さえた。
 最悪の人格が出て来た。こいつだけはベッド以外では絶対に関わりたく女だ。
「あらっ、他には女がいるじゃん。女ふたりで3Pがしたいの? うふふっ」
「はじめまして、あなたが噂の桃華さんね」
 チラッと茜は僕の顔色を窺ってから、平然とした顔で言う。
「あなたのことを聞かせてください」
「桃華のこと? うーんとセックスが大好き!」
 きゃははっと大声で笑う桃華は、頭の中までピンク一色の女だ。
「あなたの他にもまだ人格はいますか?」
「まだ、いるよ。でも用心深くて出て来ないさ」
「じゃあ、基本人格について、何か知っていることを教えてください」
「うーん、それは無理だよ。彼女はずっと眠っているし、何も話してはいけないんだ」
「――それは、誰がそう決めたの?」
「あ、あたしの口からは何も言えない……」
 急に桃華の目が脅えはじめた。
 途轍もないモンスターが君の中にまだ隠れているみたいで、その人格が一番強くて、どうやら全員を束ねているようだ。
「うわっ、ダサい! なんで、こんな野暮ったい服着ているのよ。真亜子の趣味ね! あの女はイモなんだから、あたし着替えてくるわ!」
 そう言って桃華は部屋から飛び出て行った。

「イテッ! 何するんだよ」
 途端に茜が僕に肘鉄砲を喰らわした。
 ドーナツの時の仕返しのつもりか、桃華と寝たことを非難してか……たしかに女から見たら桃華のようなタイプは嫌悪すべき存在なんだろう。
「男って、あんなタイプの女性と遊ぶのが楽しいのね」
「違うよ」
「全身からフェロモン発散させてる」
「違うって!」
「でも、寝たんでしょう?」
「……うん」
 男は愛情がなくともセックスが出来るそういう生物なんだ。
 心理カウンセラーをしている茜でさえ、そのあたり男の生理的なことが今一つ理解できないようだ。僕らの間にしばし気まずい沈黙が流れた。――すると、部屋の外から誰かの話声が聴こえてきた。いったい誰だろう? それは低い男の声だった。
 その後、慌てて応接室に、たぶん真亜子が入って来て、
「主人が帰って来たので、今日はお引き取りください」
と、告げられた。
 僕らは追い立てられるように伊達家を後にした。きっと君は夫にカウンセリングしてもらっていることを知られたくないのだろう。









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