02



     *



 アパートの下から、先生のいる部屋を見上げてみると、風太の温かい手を握る手に自然と力が籠った。横の窓は、煌々とオレンジ色に灯されている。


(帰ってきている……)


 自慢しなくてはならない。風太に金木犀をプレゼントされてしまったと、今日は先生抜きの思い出の日になってしまったことを。心がふわりと浮き上がるようなじれったい気持ちになって、すっかり日が落ちて足元のおぼつかない階段をかんかんと上った。


 その間も、風太はぎゅっと握った手を離さなかった。


「風太、パパ帰ってきてるよ。夜ご飯は、三人で食べられるね」

「んー……そだねえ」


 風太の声は、ちょっと上ずっている。なんだろう、風太のことだから飛び跳ねて喜ぶと思ったのに。いつも家の照明がついているときは、階段を勢いよく駆け上って先に扉を開けてしまうというのに。

 扉の前にくる。ドアはきっと開いている。振り返ると、風太はさっきまできつく握っていた手をすこしだけ緩めて、「先に中に入って」と言わんばかりにおれの体ごと手を押した。不思議に思いながらも、ドアを開けていつものようにリビングへ向かう――。


 ぱんっ


 と、秋には似合わない花火が打ちあがるような、軽い爆発音。それはリビングに入ってすぐに、目の前にきて、同時にカラフルな花びらがひらひらと舞った。

 ぽかん、としていると、いつの間にか花火の犯人――先生の方へ回り込んだ風太も、どこからかそれを取り出しておれに向かって破裂させる。


 ぱんっ


 という音。


 目の前の先生は、花火の名残を片手に持ちながらやさしく笑っている。となりの風太が、今日一番の笑顔を見せた。


「すみちゃん、お誕生日おめでとう!」


 ……誕生日?

 カレンダーに目をやる。今日はいつもと変わらない、平凡な日曜日だったはず。ところがよく日付を追うと、たしかに……おれの誕生日だ。

 明るく照らされた目の前には、色とりどりの温まった食べものと、男三人にはちょっと大きすぎるようなイチゴのショートケーキ。真ん中のプレートには、「happy birthday すみちゃん」というデコレーションがかかっている。


「おめでとうございます、すみちゃん」


 先生がそういうのと同時に、風太が走ってきてぎゅうっとおれのおなかに抱きついた。おれはまだ状況がよくわからなくて、もらった金木犀を片手に唖然としている。

 えっと、これって。


「パパ! サプライズ大成功だねえ!」

「そうだね、風太。ただ、……すみちゃんもしかして、今日が自分の誕生日って忘れてました?」

「……はい、えと」


 体がうまく動かないのは、驚きだけではなかった。誕生日をお祝いしようとこちらを見ていてくれる二対のやさしい双眸とか、飾りつけられたテーブルとか、じゃあ今日は先生が家の準備をしているうちに風太がおれを連れ出していたのかと考えたりとかで、なんだかもう堪らなくて。


「ありがとう、ございます。うれしい」


 時間差で訪れる、もうこの家に来てから何度味わったかわからない、こそばゆい気持ち。うれしい――。


 誕生日なんて、風太や先生がくるまでいつもひとりだった。こういうキラキラな日が、一年に一回あるなんて知らなかった。目の前に絡みついてくる風太の腕ごと、その体を抱きしめる。

 風太の肩越しに、先生と目が合った。


「すみちゃんの大切な日、日曜日でよかったです。風太とこれからたくさんお祝いができる」


 なんの変哲もないけれど先生や風太のおかげでしあわせだったある日曜日が、もっともっとやさしい日曜日に変わる。


「あ! ねえねえパパ! 僕とパパで選んだ誕生日プレゼント渡そう!」

「ええ? 今渡すの? 食べてからにしようよ……」

「だめ今がいいの! すみちゃんちょっと待ってて!」


 新しく部屋に入ってきた金木犀のトクベツな香りが、もう既にあたりに充満している。




「風太に抜け駆けされました」


 いつもよりもはしゃぎすぎた風太は、いつの間にか電池が切れたようにコロンと眠りについてしまった。運んでやって、秋の夜の寒さに負けないよう布団にくるんでやってからリビングに戻ってくると、先生がちょっと悔しそうにそう言った。

 先生が用意してくれていた料理はほとんど食べた。ケーキは……やっぱり余ってしまったので、また明日食べることにしようと風太と約束した。

 ソファーに座る先生の隣に、ちょこんと座った。ちょっとだけ空いていた隙間は、先生がこちらに寄ってくることで、ゼロになる。


「何がですか?」

「あれです、あれ」


 先生が、窓際の日当たりのよい場所に生けられた金木犀を指さした。


「金木犀……?」

「あれが、今日すみちゃんがもらった最初のプレゼントになってしまいました。二人で選んだプレゼントがあったのに、抜け駆けして先に花を贈るなんて……」


 ずるい、という響きは、まるで子どもそのもの。こうしておとなだけでなく、拗ねて見せるところもすべてさらけ出してくれるのが、おれにはしあわせだ。


「でも、パジャマもうれしかったです」


 がさがさとしたプレゼントの中身――先生と風太が選んだというパジャマは、二人で延々と悩んで購入したものらしい。最後まで先生は黄色、風太は青で、どっちの色にするかバトルを繰り広げたらしい。結局先生が風太の頑固さに負けて折れたのだとか。

 二人で買い物をする姿を想像して、ちょっと笑ってしまう。そうしていたら、いつの間にか伸びてきた手に、ぎゅうっと引き寄せられた。先生の吐息が、頬にかかる。


「せんせ……」

「二人になったら、恋人の時間でいいよね」

「……っ」

「お誕生日おめでとうございます、すみちゃん」


 さっきまで風太と一緒だった温かい空間が、急に甘美ですこし恥ずかしいそれへと変わる。先生とこんな風になってずいぶん経つのに、おれはその一挙一動に全然慣れなくて、いつも心臓が病気のように高鳴る。


「うん……ありがとう、ございます」


 家族と、恋人と、過ごす誕生日は、涙が出るほどしあわせ。後でばちが当たるんじゃないかって、不安になってしまうくらい。

 おずおずと先生の方に回そうとした手を、不意に先生の手が捕える。そのまま、手の中になにか四角いものがぎゅっと押しつけられた。あれ、と、視線を下に向けると、手の中には綺麗にラッピングされたプレゼント。

 見上げると、先生が恥ずかしそうに笑った。いたずらっこのようなそれ。


「先に風太より抜け駆けしようと思ったのは、実は僕の方なんだよね。これは、恋人としてのプレゼント」


 先生の深い瞳が、やさしく見下ろす。ちょっとだけ緊張しながら、包装紙をぐちゃぐちゃにしないように気をつけて開けると、キラキラと光る――。


「……時計?」

「すみちゃん、前まで持ってたけど、最近は持ってなかったなあと思って」


 おっしゃる通り。3000円の安物時計は、あっという間に壊れてしまったので、新しいものを探そうとしていたところだったのだが。箱にはまったシルバーの時計は、やや細身で繊細な作りだった。

 きれい。


「うれしい」


 無意識のうちに、口元がほころぶ。


「ありがとうございます。大切にします」

「うん」


 明日から、この時計をつけて暮らす。家の中には風太のくれた金木犀の放つ匂いを堪能しながら、夜になったらあの青いパジャマを着る。しあわせの時間。

 そんなことを思いながら時計を眺めていると、不意に伸びてきた手に箱ごと攫われた。先生の長い腕が、あっという間に机の上へとそれを移動させてしまう。反射的に伸ばそうとした手は、そのまま、先生の体に吸い込まれて失敗に終わった。


 一気に体重をかけられて、弾力のあるソファーに二人そろって倒れ込む。天井を遮って見上げた先生のやさしい眼差しが、おれの視線ときつく絡み合った。


「あの……先生……?」

「誕生日は、ベッドがいい? それともこのままソファーでいい?」

「え、ええ?」


 先生の手が、おれの顔を髪の毛ごとくしゃっと挟み込む。


「僕はすみちゃんとエッチなことができるなら、どっちでもいいです」

「……っ」


 顔中に、かかか、と熱が集中するのがわかる。先生のそれは、既に風太なんて絶対に知らないような、ひどくやさしいけれどどこか妖艶な顔つきで。逃げられない。

 みっともなく動揺するおれをどこか楽しそうに見下ろしながら、先生の手が怪しく動く。って……ここでする気満々じゃないか!


「22歳になったすみちゃんが、早くほしい」


 耳元で先生がそんな風にささやくから、おれの心臓の音は限界を知ることなく加速していく。それでもおずおずと先生の首に手を回すと、よくできました、というように先生の唇が降ってきた。



 そんな、風太と先生とのあるやさしい日曜日のお話。

 リビングに薫る金木犀と、転がる時計と、青いパジャマ。



(金木犀の花言葉は――“初恋”。風太は、無意識なのかもしれないけれど)

 ――すみちゃん争奪戦は、まだはじまったばかりだなあ。


 先生がそんなことを考えていたなんて、しあわせの温度に包まれてまどろむおれには知る由もないのだけど。


風 太 と 先 生 と の あ る や さ し い 日 曜 日 の お 話


――End――

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