07



「雨衣は元々、人間だったんだ」

「へ? うん。そりゃあまあ、そうなんだろうけどさ」

「その雨衣がどうして、今鎮守の森で暮らせていると思う?」


 それは、さっきもちらりと疑問に思ったことだ。ぼくは見た目こそ多岐が驚いていたことからも分かるように、人間そのままだ。だけど、たしかに人間離れした能力が備わっている。森の気配を感じたり、湖の中を自由に泳ぎまわれたり。

 ぎゅう、とぼくの体に回った手が力を増す。


「私だよ。私がきみを「雨衣」という名前でこの森に縛り付けて、そして力のない雨衣に自分の神力を分け与えていたんだ。人間だった雨衣はすぐに私の神力をなくしてしまうから、補充しながら、今までずっと」

「でもどうや――」


 て、という前に、思い当たる。日を置いて定期的になぜかされ続けていた、ちょっとしつこすぎるくらいの。


 ――すこしだけ、力をもらうよ。


 そういっていつも南方さまはぼくの唇にキスをしていた。いつも、南方さまほどの膨大な神力を持った神さまがどうしてぼくなんかの神力をほしがるのかって、ちょっと胡乱には思っていたのだけど。


「……どうりで、分けている身分なわりには、体の中がぽかぽかとあったまるなって思ってた」


 う。なんか、思い出したら恥ずかしくなってきた。南方さまの肩に顔を埋めた。


「南方さま」

「うん?」


 肩に顔をうずめながら、南方さまの袖をぎゅう、と掴んだ。


「南方さまはお使いのぼくにいつも、仕事をくれない。だから、ぼくは使えない役に立たない存在なんじゃないかって思ってた」

「それは」

「うん、わかってるよ。あの、つまりぼくが元人間だったからお使いは無理だったってことだろ?」


 思い出す。

 森から抜ける道に差しかかるやいなや現れはじめた頭の割れるような痛み、辛くなる呼吸、重くなる体。あれはきっと、ぼくが人間じゃなくなっていたからこそ感じていたもの。さっきまでのだるさもきっと、南方さまの力がなくなりかけていたんだ。


「じゃあ、なんで、……どうして、南方さまはぼくをそばに置くの?」



 ずっと言えなかった。

 役に立たない、お荷物のような存在なら、どうして神力を渡してまでぼくを守ってくれたの。


(知るのは怖い。だけど、知らなきゃずっと、胸の奥がもやもやして堪らない)


 南方さまを掴む手に、力がこもる。怖い。

 気づかないうちに力を入れすぎてしまっていたのか、ぴんと張り詰めたように緊張したぼくの体を抱きしめなおした南方さまが、はあ、と思いため息をついた。



 まるで、しょうがない、とでも言うような、呆れたそれ。



「……雨衣。えーっと、……そっか、分からないかな」

「へ? あの、南方さま?」


 のめりこむほど深くくっついていた体を放して、隙間から伸ばした南方さまの手が、ぼくの顔にそっと触れる。そのまま、やさしくぽんと撫でた。


「つまり、ね」


 限界まですっと近づいた南方さまが、ぼくの耳元で低く甘く、囁いてくる。



 つまり私は、きみがすきで、すきで、どうしようもないという話をしているんだけど。



 南方さまの言葉はいつも、砂糖菓子みたいなのに。ぼくはこの耳に響いたものよりも甘いことばを、聞いたことがなかった。


「えと、す、き……?」

「弾きものにされた村の子どもを救うっていう大義名分が、それらしくぼくの欲望を隠してくれていただけだよ。要はぼくがきみをそばに置きたかった。ほんとうに、すきだったんだよ。雨衣」



 すきとは。

 すきとは、なんだろう。


 そばにいてぽかぽかと小春日和のように気持ちが温まっていくことだろうか、いやなことがあったときに助けてと手を伸ばすひとだろうか、一緒にいるとむずむずとくすぐったくなるなにかだろうか。


「赤くなったね、雨衣」

「え、ええ!? な、なってないよ! ばかじゃないの!」


 慌てて両頬を抑えると、「頬とは、だれも言ってないんだけどねえ」と苦笑される。余計に緊張が高まる。


「雨衣」


 その名前は、南方さまがきっと、最初にぼくにくれたもの。


「ぼくはね、きみの人間の力を戻してあげられる。きみの中の神力を完全に抜いて、代わりにぼくがきみをこの森に連れてきたときに奪った人間の力を、もう一度きみに返せるんだ」


 そのとき頭の中にはっきりと浮かんだ、おかしなタイミングでのキスの仕掛け方。


 じゃあ。さっきのキスは。

 さっきの哀しい目は。

 ぼくを、人間に戻そうと――。



「そんな顔しないでよ、もう。……やめたよ。……うん、やめた」


 ぼくの頬を撫でながら言う南方さまの最後の言葉は、それだけまるで自分に言い聞かせるみたいだった。


 あの湖みたいな南方さまの紺碧の瞳が、きらきらと輝く。さっきとは違ういつもの笑みをたたえながら、ぼくの髪の毛をすくように触る。心地よい、波みたいな手つきだ。


「雨衣は、気づいているかな。いつも私を見るきみ自身の目に」

「……ぼく?」

「南方さまのおそばにいたい。南方さま、南方さま、南方さま。っていう、目」

「ば……っ!」

「どこまで赤くなるの? 心配になるな。……お使いってだけじゃ、そうはならない。ぼくが雨衣に仕込んだものは、お使いとしての忠誠心だけだ」


 まただ。顔中に、全身の熱が集中するのが分かる。それは、からかわれたのが気に入らなかったからなんかじゃない。だって、紛れもなくそれは――。

 目の前の体を押しのけようとした手首を、大きな手に掴まれる。


 それは事実だ。自覚があるだけ、すごくすごく厄介。

 すきとは。恋しいとは。愛するとは。


 ぼくの世界は南方さまの色一色だ。神さまである南方さまがそのお使いのぼくを振り向いてくれることが、すべて。南方さまのお役に立ちたいと思うのは、お使いの心としてはある意味至極当たり前のこと。

 だけど、じゃあ、南方さまと一緒に眠る夜に心が温かくなるのは。キスをされると恥ずかしいのは。迎えに来てくれると涙が出たのは。


 ……それを説明するのに足りないものは、なんだ。


「わから、ない」

「雨衣……焦らなくて、いいよ。ゆっくり、時を過ごせばいい」

「でも、ぼく、人間には……戻りたくない。南方さまの、そばに」


 顔を上げた先に太陽の光を遮るようにしてぼくを見下ろしていた南方さまが、こくりと頷いた。今はそれで十分だよ、と、ぼくを甘やかす。

 答えはもうきっとそこだ。もうすこし大きくなって手を伸ばしたら、きっと掴める。


「じゃあとりあえず、雨衣、キスをしていいかな」

「……」

「え、ええ。だめー?」

「人間に、戻さないならいいし」


 蚊の鳴くような呟きひとつとして、南方さまは取りこぼさない。あ、と思ったときには、大きな両手で頬を挟まれて、あっという間にくちびるを奪われる。

 感触を楽しむように合わせて、角度を変えて、すこしだけ顔を離した南方さまが、息がかかるほど近くで、困った、と呟く。


「ほんとう、可愛いよ、雨衣」


 その言葉にどれだけ動揺して、どれだけ心臓がひっくり返りかけたか、口論に至るまえに、また唇が寄せられる。


 ぎゅ、と目を瞑る。

 やっぱり南方さまのそれは、どこか温かくて。気づけば細められたその紺碧の双眸は、いつもぼくをやさしく見下ろしていた。


恋 ふ ら く は 、


( たかがあと数年なんて、これまでの十数年に比べたら我慢できるよね、私も……たぶん )

 ぼくがそれを「恋」と認めるまえに、南方さまが色々とフライングしたりしなかったりするのは、また別のお話だ。

――End――

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