03



     *



 水都様が到着早々、悪ガキ軍団の大将かというような統率力で世話人見習いの男の子たちを団子屋に引き連れて行ってしまったので、藤と同様暇を持て余していたところで、ちょうど雪影様がいらした。

 僕と直接話すには藤を買わないといけないのだが、ちょうど藤はここにはいない水都様に買われている身なので、それはご法度。……まあよいだろうということで、僕は雪影様の待つ部屋へ出向いた。

 まるで当たり前のことみたいに手づから淹れてくださったお茶を雪影様から出される。


「雪影様……こういったことは僕がやりますので……」

「いいじゃないか、お茶を淹れるのすきなんだよ。何人たりとも僕の趣味を横取りすることは許されないんだよ。ここは冷えるね、さあ召し上がりなさい」


 黄と薄青を重ねた着物を垂らしたまま、雪影様が立ったままの僕を誘う。……もう、やるっていっているのにこのひとは。

(藤といい水都様といい雪影様といい、僕の周りには規律を守ってくれない自由人が多い)


 気苦労はするだけ無駄なのだ。そう思って、これまた知らぬ間に用意された褥しとねに腰を下ろすと、まだ熱いお茶に手をつけた。

 あったかい。……藤の部屋が凍えるような寒さである分、お客さんのいるこの部屋は丹念に温められていることもあり、心地いい。


「寒そうだね。また藤は障子を開けっ放しなのかい?」

「はい……寒くて仕方ありません」

「朔は寒がりだからね。今日もあの子が他のお客さんに買われていなければ、注意してあげるのにねえ。僕より先に藤の予約を取りつけてしまう方がいらっしゃるなんて驚いたよ」


 雪影様は花宮の常連客だ。買うのはもっぱら藤だから、やっぱりこのひとも流麗な見た目とは裏腹にサバサバとした性格がお気に入りなのだろうか。でも、裕福なこの方でも、水都様の予約をはねのけることは出来ない。

 ……お客さんの情報を故意に流すのはご法度だから、水都様が藤を買っていることはこの方にお話出来ない。


「ところで朔。きみを身請けしたいという話だが、考えてくれた?」

「あ……えと、はい。……すみません」

「答えるのが早いなあ。僕のことはきらいかい?」

「いえ、そういうのではなくて……」


 ――花宮にはある掟がある。年が明けて十七になる者は、世話人を辞め、出て行かなければいけない。


 例外はない。……お客さんを絶対とするこの色街で、世話人と女たちがねんごろになるという疑いを完全に断ち切るためであり、その予防線だ。十三のころにここへ来た僕にとって、ここで過ごせるのは四年間だけ。あとは外の世界で生きなければいけない。

 それは僕にとって、いやな話ではなかった。ここはすこしだけ、心地よい場所へ変わってしまっていたから。でも、そうしてしあわせになることは、僕には許されない。僕はずっとひとりで生きていかなければならないから。ここで生きることが容易くなることは――あの子の記憶をしあわせのせいで薄れさせてしまうこと。

 もう年も暮れる――春が訪れる前に僕はここから出ていく。


「ひとりで、生きていくって決めているんです」


 もう諦めていた。あと数日でここを出て行かなければならなかったから、約束事なくあの御方が訪れる日を待ちあぐねていたから。……もう会えないと思っていたのに、三日の猶予をいただいてしまった。それで、十分。

 雪影様のお世話になるわけにはいかない。


「朔、きみが何を抱えて生きているのか僕にはわからないよ。でもそれは、そんなにもきみを縛りつけておかなきゃいけないことなのかな」

「……」

「僕はね、きみのその器量のよさを買っている。ただ私の元で働いてほしいだけなんだ。それはきみにとってひとりで生きていくよりもずっといやなことかい?」

「そういうわけじゃなくて……」


 目の前のこの方の、艶々と輝いた着物や、傷のないなめらかな手首を一瞥する。


 ――僕のところへ来てほしい。


 はじめに身請け話を持ち掛けてきたとき、この方の揺るぎない瞳を見て以来、知っている。この方は僕が思っているよりもずっとずっと、本気で考えてくださっている。獣人の世界で暮らす方が、僕みたいなちっぽけな人間を引き取りたいというなんて、酔狂にもほどがあるけれど。

 手に取るようにわかる。この方の元へ連れて行かれたら、僕はきっと大切にかしずかれて、しあわせになってしまう。――それは、それだけは、だめだ。

 この方が隈なく僕を見れば見るほど、逃げたくなる。


「変な意味じゃないのだけどね、きみをずっと見ていた。ひたむきに頑張るきみを手元に置きたいと思うのは、僕のエゴだ。それでも、だめかい?」


 ――ずっと。

 この方は元々、胡蝶様を買っていた方だったから。


(やさしいお言葉……)


 胡蝶様にも、藤にも、紳士的だとすこぶる評判がよいのを考えても、やさしくて聡明な方なのはわかる。こうしたお話をしてくださるのも、ひとえに僕を思ってくれてのことだ。

 もう一度頭を下げようとしたときだった。


「さーくー!」


 無邪気なその声に、一瞬、寝床にいるときの世話人見習いかと眉をしかめる。女たちの世話にクタクタになって自室へ戻った子どもたちは、よくこういうべたっとした声を出して僕の元へ飛び込んでくる。

 でも、咄嗟に閉じられた障子を開いて縁側を見つめたのが、その声がちょっとテンションが高いときの水都様だと気づいたから。

 すいません、と目の前で鷹揚と構えていた雪影様に深く頭を垂れると、「いいのいいの、元気な方ですねえ」と笑われた。うう……大のおとなが恥ずかしい。

 チラリと縁側と出入り口に面した扉をわずかに開くと、待ち構えていた冷えた冷たさが舞い込んできた。二階のここから見下ろした先、階下の出入り口にぽつぽつとした影。わずかな隙も見逃すまいと言わんばかりに一層大きな声でもう一度僕を呼ぶそれ。


(ああもう……何をはしゃいでいらっしゃるのか……)


 日が短いせいか、既に辺りは薄暗くなり、花宮には提灯がともっている。その明りので、こちらへぶんぶんと手を振る水都様と、取り巻きの子ども――世話人見習いたち。手には団子を持っている。


「これから買い物に行くんだ、きみも暇だろう、来なさい」

「いえ、僕はちょっと今忙しいので結構です……」

「おやおやあ? 今日藤ごときみを買っているのは僕だよ?」


 ――藤ごと、きみを買うなんて、どうしてこうこの御方はそういう心臓に悪いことをいうのだろう。水都様が買っているのは藤で、ほんとうは僕ではないというのに。

 水都様はここにだれもいないと確信しているのか、誰かいたとしても花宮関係の者だと思っているのか、いたずらっぽい目のままこちらを見上げている。


「と、とにかく、今は無理です! あとで行きますから!」

「ええ? 本気かい?」

「本気です! ていうか、あなたも子どもと遊んでいないで、花宮に戻ってください!」


 ……すぐ後ろに雪影様がいる手前、藤の名前も、水都様の名前も、ぼかすことしかできない。なにやら不服そうに見上げる子どもじみた表情を一瞥して、「とにかくもうすこしで戻りますから!」といい捨てて障子を閉めた。


「す……すみません。馴染みのあるお客さんで、蔑ろにもできなくて……」

「いいんだよ。きみがそんなに焦っているのを見るのは新鮮だねえ……花宮じゃあすっかりお兄さんだからね」


 まったく、水都様は何を考えているのか……いや、何も考えていないのか。居住まいを正して、諦める様子のない瞳と向き合う。


「迷いのない目だね」


 沈黙の隙間、雪影様は観念したように肩の力を抜いた。体をたたむようにして床へ頭を近づけると、こぼれた髪の毛がそこへパラパラと落ちた。


「はい――雪影様がエゴとおっしゃるなら、こうしてよくしてくださる雪影様のご恩に背いてしまうのは、僕のエゴです」


 花のように美しく咲き乱れる女たちの世界……その向こうに、永遠と曇天が続く灰色の世界がいつも開かれている。そこで出会った者たちのほとんどを幼い記憶は忘れてしまったけれど、一つだけ――まるで烙印として残されたみたいに残るあの子の声がこだまする。


 ――おにいちゃん。


 舌っ足らずで、甘えたで、どうしようもなくかわいかった、僕の弟のもの。


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