02


 ぱ、と、急に目が開いた。


(……朝?)


 いや、朝じゃない。まだ薄暗い明け方みたい。しっかりと記憶があったのが昨日の真夜中だとすると、あれからずいぶん時間が経ったのだろうか。

 おぼつかない意識のまま、腕を突っ張るようにして上半身を起こす。


「ふくちがう……」


 こんなサイズの合っていないダボダボとしたスウェットで飲みに行っているはずがない。じゃあどこで着替えたのだろう。……それに、ここ僕の家じゃない。首を傾げて、不意に、となりにもこっとしたカタマリがあることに気づく。

 おそるおそる覗く。刹那、慌ててそのカタマリ――もとい眠る隆春のからだに布団を巻きつけた。


(な、なんでだ……全然覚えてない……)


 よく考えてみれば、このスウェットは隆春がよく着ているやつだし、ここ隆春んちだ。だけど、どうしてこうなったのか、記憶の糸はまるでぷつりと切られてしまったかのようにきれいさっぱりなくなっている。

 そもそも僕と隆春は、絶賛絶交中だ。それが、なんで、こうなったのか。


(とりあえず、僕の服……探そう)


 わからない以上、思案してもしょうがない。とりあえずまとまらない頭で布団から足を出そうとした――けれど、いつの間にやら回ってきた手によって阻まれ、引き戻される。


「わ!」


 なんていうあほくさい僕の声。おなかに絡まってきた手によってベッドにくくりつけられた、早業。布団にからだが沈む音と、目の前にそびえる眠っていたはずの姿。


「……どこ行くつもり。また内緒で帰ろうとするとか、ないよね」


 寝起き独特の掠れた低い声は、いつも以上に不機嫌そうだった。布団にくるまっていたカタマリは、いつ起きたのだろうか、はっきりとした意識の目で僕を見下ろす。


(き、きげん……わるいし……)


「服取りに行こうかな、と」

「さっきまで洗濯機で回ってたから無理。乾いてない」

「あ、そう……え?」


 洗濯機で回ってる?

 こんなことをいうのは失礼だが、こいつは夜中に洗濯機を回すような細かい男ではなかった、はず。思わず首を傾げた僕に、相変わらず不愛想な「覚えてないのね」という声とため息。

 覚えて、ないって?


 ――なんだかいやな予感がしてきた。


 昨夜僕はこいつのことがありかなり荒れた。そして荒れた飲み方をして。極めつけには記憶をどこかへ置いてきてしまっている。気づいたら僕は借り物のスウェットで眠っていて、服は洗濯機の中。それに……昨日やけ酒をしたにしては、なんというか気分が……。


「今度から吐くならトイレにして」


 やっぱり。


「ご、ごめん……おまえの服大丈夫だったか?」

「おまえのやつもろとも大ダメージ。洗ってみたけど、ダメなのあるかも」

「……ごめん」


 最悪、だ。


 落ち込んでひとりやけ酒して、しかもその渦中の張本人相手に醜態を晒すなんて。しかも、以前の喧嘩のときより割増しで機嫌悪くなってるし、なんかすごい怒ってるし。たぶん僕は取り返しのつかないことをしてしまったんだ。


「ぼ、く、服の状態見てくる……ダメそうだったら弁償、する」

「――ハア。んなことどうでもよくてさあ」


 押さえつけてくる隆春の手がいたい。同じ男同士だから明確な力の差があるわけではないけれど、隆春はでかいし、こんな不利な体勢でいれば勝てるわけがない。……やっぱり怒ってるんだ。僕が意地張って今まで連絡しなかったことも、コンパに行けって言っちゃったことも。

 もう恋愛なんて、面倒くさくて、いやだ。きらい。

 でもすきすぎてどうしたらいいかわからないし、怒られるのもいやだし。僕には向いていない。


「砂月さ、おまえほんとうは馬鹿だろ」

「え――……」

「俺とのクリスマス放置した挙句、あんな雰囲気むんむんなバーで飲んでるとかありえないし。……そろそろ連絡してやるかと思って携帯にかけたらおまえぶっ潰れてるとかいわれるしなんなの」

「え、ご、ごめ……ん」


 もうやだ。


「おまえの携帯には変な男が出るし、いざ迎えに行ったらしっかり見とかないと食われるとか横から攫われるとかさんざん煽ってくるし、当のおまえはまじで潰れてるし。どんだけイライラしたかわかる?」


 もう終わりだ。隆春は僕のこといらなくなったんだ。だから、こんな、ひどいことばっかり言うんだ。

 ぎゅう、と目を瞑る。

 そうしたら、存外やさしい手が下りて来て、僕のからだに静かに触れる。


「おまえ俺のじゃないの? むかつくんだけど普通に」


 ――……え?


 もうフラれる――と覚悟して瞑った目を、おもむろに開く。天井を背にして僕を見下ろす隆春の双眸は、たしかにきつく歪んでいる。だけど、そのことばは僕が想像していたものではなくて。


「き、きらいに……なったんじゃ、ない?」

「こんな我が儘に振り回されて、ゲロ吐かれて……きらいにならないなんて俺は末期かもね」

「……っ」

「すきなんだからしょうがないけど――むかつくもんはむかつくんだよ」


 イライラ、むかむか、隆春は僕に怒っている。それなのに、そのことばは僕にはどこか甘くて、からだからすこしずつ力が抜ける。呆気にとられたみたいに。

 気づいたら、僕を通せんぼするその腕ごと、目の前の大きなからだにしがみついていた。あったかい体温と一気に距離がゼロになる。背中を浮かせたせいで不安定になった体勢がつらかったけど、そんなことはどうでもいい。



「ご、ごめ――……ほ、ほんとうは、女々しいって思われるかもしれないけど、隆春と一緒にいたかった……っ」

「あ、そ。……それで?」


 隆春の声は、依然として冷たいまま。それに、手も、いつもみたいに僕に巻きついてくれない。触れてくれていた手は、だらりと垂れ下がったまま僕のところへ来てくれない。


(や、やっぱり怒ってる……)


「何日も放置されたんだ。そんなことばじゃ足りない」

「……っえ、と、それで、昨日は、ごめんなさい」

「いいよ。で?」


 で?

 で、あとは、なんだろう。

 隆春のからだはまだ、棒みたいにそこにあるだけだ。僕が不格好なかたちで、かろうじて距離をゼロにしているだけ。


(あと、あとは……何を伝えればいい?)


 自分の気持ちをひとに伝えるのは、苦手だ。恥ずかしいし、いたたまれなくなるし、特に隆春には、一番苦手。でも今回は全面的に僕が悪いから。

 早く、いつもみたいに僕を力強く抱きしめてほしい。甘やかしてほしい。

 喧嘩していたせいで、もうずっと隆春の顔を見ていなかったし、こうして近くにもいなかった。隆春が足りなくて、限界なのだ。


 ――もうこれしか、思いつかない。


 すこしだけからだを放して、情けなく緊張で震えた手で、そっと隆春の頬に触れる。目を合わせた隆春は、やっぱりまだ不愛想。怒ってる。


(これで、違ったら、いやだけど……)


 掴んだ頬をそのままに、そっとそのくちびるに、顔を寄せた。――数日ぶりにくっつく、隆春と僕のそれ。


「……すき、隆春」


 ――刹那、僕の求めていたそれが首元に絡みついて、勢いよく顔を引き上げられる。さっきやんわりと押しつけたくちびるが、今度は降るように何度も重ねられた。だらりとやる気なく弛緩していたはずの手が、意志を持って僕の首筋を撫でる。


「や、たか……んぅ」


 何度もくっつくうちに湿ったくちびるから、間髪入れずに隆春のそれが僕の口内に入ってくる。性急なそれに合わせるように、おずおずと引っ込んでいた僕のそれを出すと、そのまま絡められた。

 からだが痺れる。それに、さっきまで浮いていたからだはいつの間にか元のベッドに縫いつけられている。おかげで、もう、隆春のくちびるから逃げることができない。


「魔性だな。砂月は」

「そ、……な、ことない……」

「俺も大概、おまえのこと甘やかしすぎだけどさあ。……後でクリスマスやり直そう」

「ん」


 もう、クリスマスケーキは売っていないかも。限定ギフトも、店の奥にしまわれて、ツリーも街から姿を消していくだろう。……それでもいい。クリスマスという理由をつけて、隆春と過ごしたいだけだったのだから。


「……でも、なんで、後で?」

「今はクリスマスやり直してる暇、ないから」


 先に補充――そう言ってまたいつものように柔和に微笑んだ隆春が、また僕にキスをくれる。罠にかけるみたいにあっという間に深くなっていくそれに、抗えない。

 魔性は隆春だ。……こうしていつも、こいつのペースに乗せられる。


(フラれる、かと、思った)


 こんな我が儘を爆発させて、かわいくないことばかり言うし、もうダメだと思っていた。そもそも顔の広い隆春の周りにはたくさんの魅力的なひとがいる、その中で奇跡的に僕を選んでくれたのだから、いつ「男は違った」って捨てられてもおかしくないって。

 でも、――隆春も、僕の隆春に見せる“すき”の半分くらいは、同じように思ってくれているのかな。


「……考えごとする余裕あるんだ、ふうん」

「へ? え、や、ま……っ、まってっ」

「待たない」


 う、ダメだ。……こんなペースでいったら、たぶん、クリスマスのやり直しは明日に持ち越しだ。

 久しぶりに触れてくる隆春の温度を感じながら、なんとなくそんなことを思って、それがひどく――しあわせに感じた。


け ん か す る ほ ど 、


――End――

はっぴーめりーくりすますでございます^^
あんまりクリスマスっぽくなかったですがよろしければどうぞ♪

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