02



 目を開くと、すこしだけ息を切らしたたけちゃんが、苦笑した様子で立っている。スーツに、一日固めていた髪はちょっとだけ乱れている。


(急いで、帰ってきてくれたのかな……)


 その姿にわずかに溜飲が下がる。ほんとうは、帰ってきたたけちゃんに、「今日は帰ってきてくれるって言ったじゃん」って、不満を漏らしてしまいそうだったけれど、そんなヘンな表情されたからだろか、すこし眠ったからだろうか、そんな気持ちはなりをひそめてしまった。


「おかえり……」


 ちらりと見上げると、こだわりはないとのことで見やすい秒針のものを、と選抜されこの家にきた壁時計は、十二時がゆうに超えていることを教えてくれる。


「終電?」

「そ。……ごめんな、今日」


 ああ、たけちゃんはきっとキッチンを見たんだ。盛りっぱなしにされているサラダや、二敗目がビールになった時用の軽いおつまみ、気合を入れすぎて二人分以上作ってしまったシチュー。

 なんだか、楽しみにしていた自分が、恥ずかしくなってきた。


「んーん。大丈夫。……疲れたでしょ、シャワー浴びてきなよ」

「いや、先に食べるよ。シチューあっためなおしていい?」

「……ん」


 ジャケットを脱いで、首元に締めつけられたネクタイをくつろげたたけちゃんが、キッチンへと消えていく。火をかける音を聞いて、ため息。おれ、たぶん今、気を遣われている。


(そんなことしなくていいのに……)


 おれが、勝手に不安になって、勝手に一緒にいたいって言ったクリスマス。たけちゃんは、仕事が忙しいのを何とかしようとしてくれて、でもできなかっただけだ。おれが一緒にいたいなんて言わなければ、たけちゃんがこうして気を遣うこともなかったのかな。


(やっぱり、シャワー先に浴びて来てもらおう……)


「あのさ、たけちゃん」

「――なんか、ほんとうにごめんな。今日。……仕事がなあ。せっかく真夏が珍しくわがまま言ってくれたと思ったのに」

「いいよ、全然。それより、さ、シャワー」

「俺が社会人ってだけでもこう、上手く時間が作れないってのに、何年かしたらおまえも社会人だもんなあ。そしたら、どうすっかねえ」


 シチューのまろやかなかおりが、やさしくかおってくる。

 相変わらず明るい室内を彩る小さなツリーと、ひとの気配が濃密になっていくあたり。


「……なあ、したらさあ、もういっそおまえもここで暮らすか? 帰る家が同じだったら、まあ、こんなにすれ違うこともないだろうな。な、……真夏?」


 同意を取るようにこっちを向いたたけちゃんが、ぎょっとこっちを向く。慌てて火を消す音が聞こえて、おれの前にくると、すこしなだめるように腰をかがめて目線を合わせた。


「どうした? や、悪い……なんか、気に障ったか?」


 たけちゃん、珍しくおろおろしている。いつも何に対しても鷹揚に構えていて、おとなの余裕ばっかりで、焦ることなんてないのに。

 伸びてきたたけちゃんの手が、おれのほっぺたに触れて、それから眉間をぐりぐりと押す。


「すっごい、泣きそう……」

「な、泣かないけど」


 だって、びっくりしたんだよ。


 ――何年かしたらおまえも社会人だもんなあ。そしたら、どうすっかねえ。


「たけちゃん、抱きついていい?」

「急に何だよ……ってもうくっつき虫じゃん、おまえ」


 おれが今のたけちゃんとおれの関係にどうしようもなく悩んでいるのに、たけちゃんは何年も先のふたりのことを悩んでいて。……それは、たけちゃんがおれとずっと一緒にいることを信じて疑っていないからこそ出ることばで。


 ――したらさあ、もういっそおまえもここで暮らすか?


 ちっぽけなことでうだうだしているおれの、たけちゃんはずっと先に悩んでいて。

 うれしい。だいすき。


「く、暮らす。……いっしょに、暮らしたい」

「そうかあ。おまえほんとう俺がすきだよね、こんなおっさんより同級生とかの方がキラキラして見えたりしないの?」


 全力で首を横に振る。おれにとって、たけちゃんよりもいい男なんて他のどこにもいないよ。年中ビールばっかり飲んでて、家の中ではだらしないかっこうばかりしていて、たまに口をついて出る親父ギャグは最高につまらないけれど、――でもだれよりもすきなんだよ。

 理屈じゃないんだ。

 ちょっとだけからだを離すと、おれの拘束から自分の両腕を引っ張り出したたけちゃんに掴まって、一瞬のうちにくちびるをくっつけられる。早業に、目を瞑る暇を失ったことを後悔していると、「今度はちゃんと目を瞑ってくれ」と言われて、もう一回。


「……ん、ぅ」


 うわあ、久しぶり。

 こころの中に、じんわりとした温かさが広がっていく。もっと、と、背伸びをしてくちびるをくっつけたら、――なぜか名残惜しくもそれは離れていく。


「たけちゃん?」

「……そういえば、あれか。俺が帰ってきたのが終電なら、おまえの終電ないもんな」

「おれの下りだからまだあるかも……調べようか?」

「いやいいよ、泊まっていきな」


 じゃっかん頭を抱えておれから離れたたけちゃんが、何やら複雑そうな表情でブツブツと何かを言っている。いや、……念じてる?

 そういえば、おれいつも「コーコーセイだから」と夜は早めに家に帰されていたっけ。泊まるの、何気に初めてかもしれない。


「ハア……」

「たけちゃん、何か困った?」

「困った……おまえが悪い」

「ええ!?」

「今のおまえがちょっと可愛すぎておまえが全面的に悪い……ということで、俺は一回シャワー浴びてくるから待ってなさい」

「えええ!? どういうこと!?」


 全然意味わからない!


 さっきまでごはん先に食べるって、シチューをあっためていたのに……! あっという間に前言撤回したたけちゃんは、何か言う前になぜかそそくさと、シャワーへと消えていった。

 首を傾げた。

 まあ、いいかあ。ごはんの用意をして待っていよう。もう、さっきみたいに不安になることなんてないんだから。

 緩む口角を隠さないままに、おれは軽い足取りでキッチンへと向かう。


こ れ か ら も ず っ と


( たけちゃん、早くシャワー上がってこないかなあ。久しぶりに色んな話がしたい )

( しばらく落ち着こう……あんな可愛いことあと一、二回されたらどうしたらいいんだ。……菩薩、菩薩…… )

――End――

微妙にすれちがうふたり……。
実際問題、たけちゃんはわりとおっさんレベル高いです。

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