01
『おそくなりそう、ほんとうにごめんな』
返信する気力もなく、まだ新しい木のにおいのするテーブルに頭を突っ伏した。変換する暇もないほど急ぎで書かれたであろうそんな連絡なんて、返信したところでしばらくは見てくれないんだし。
(あーあ……)
うなだれたままの視線の先には、ビールばっかり飲んでるたけちゃんに珍しくかっこつけさせようと思って用意したシャンパン(おれじゃ買えなかったからネタばらししてたけちゃんに購入させた)、キッチンには作り終え時間が経ったために固まったシチュー、部屋の隅には小さなクリスマスツリー。
秋ごろに引っ越しした際、家主の意向に従ってシンプルに作りあげた1LDKのマンションは、この日が近づくとすこしだけ華やかになった。いやがるたけちゃんを黙らせていそいそと置いた小さなクリスマスツリーは、明るい室内で変わらずちかちかと輝き続けている。
節電方針を掲げているたけちゃんのためにも、もうコンセントを抜いてしまおうか。そう思うけれど、だらけきった体が動かない。
(久しぶりにゆっくりできると思ったのになあ)
最近、たけちゃんの仕事が激化しているのは知っていたけれど、今日は帰るってずっと前から約束してくれていた。だからこうして、既に家からはやや遠くなってしまったたけちゃんの家に早くから来て、夕食の準備をしていたのに。
数時間前まで浮ついていた気持ちは、既にしおしおと萎えている。
なんだか、すこし不安なんだ。たけちゃんとのことが。
――え、別れた!?
――そうそう。だからこれからはフリーを謳歌するの、フリーの大大大先輩としてよろしくなあ、真夏う!
絡みついてきた腕は、鬱陶しくて払いのけてしまった。……おれは全然すこしもフリーじゃないけれど、だからといってフリーだと言ったところでそれ以上の説明がつかないので、そんな感じにしているのだ。大を三個つけるとか失礼だ、……おまえとは違うぞ!
まさか、男で、ずっと一緒にいた年上の社会人で、男だなんて、言えないので。
――でもなんで? おまえ先輩ともう二年付き合ってたのに……。
そいつは一個上の美人なお姉さん系の先輩と、仲睦まじい交際を続けていた。元々きれいなひとがタイプだというそいつにとって、付き合えたのは夢のようだと、大切にしなければと、俺にはもったいないのだと、さんざん惚気られていたのをよく覚えている。おれは砂を吐きそうになりながら聞いていたんだ。
そうだ、あいつは先輩にぞっこんだった。それなのに、おまえからフッただと?
――いやあ、俺も絶対別れないって思ってたけど、向こうが大学生になって、慣れていってから、なんとなく俺の方が冷めたんだよなあ。俺、自分でもこんな風になるって思ってなかった。でも、なんかもうだめだった。
それは、おれの心に波を立てた。
だってそいつが、すごく真剣に先輩に恋をしている姿を知っていたから。
――環境が変わるってだめだなあ。
それなのに、別れはいともたやすく訪れる。それは、おれにとって恐怖の種になった。
『環境が変わる』
たけちゃんが仕事に追われるようになり、おれとの時間が取れなくなった。ついでに引っ越しもした、もう近所には住んでいない。
『なんかもうだめだった』
理由のない、突然の終わり。
『俺も絶対別れないって思ってた』
なんとなく、両想いになったおれたちはこの先、ずっと一緒にいられるものだと思っていた。今だって、おれはたけちゃんから全然離れるつもりない。でもたけちゃんは?
あれ? あれ?
(なんか、おれ、たけちゃんとすきあえたら勝手に安心してたけど……)
――いやあ二年ぶりのフリーは肩凝らないし余計な出費はないし最高だな! カラオケ行くぞ真夏!
肩を組まれてガンガン揺らされながら、首を傾げる。
(今って、ひょっとして、ちょっとヤバい……?)
おれの方は、やっとたけちゃんに手が届いて、半年たった今でもたけちゃんの隣にいられるのがうれしくて仕方がない。本人にそんな恥ずかしいことはいえないけれど。
……でも、たけちゃんにとっては違う場合があるんだ。
だってあいつは先輩をフッたけれど、先輩はまだすきだったかもしれない。
(だけど、恋愛ってそういうもの、だよな)
しあわせに目がくらんで、忘れてしまっていたけれど、恋愛はふたりが向かい合っていなきゃすこしも成立しない。もしもたけちゃんがそっぽを向いてしまったら、ぼくたちは終わりなんだ。
そして今――たけちゃんはおれよりも幾多の書類と顔を突き合わせることの方が多い。それに、たけちゃんは家のなかじゃだらしないし、ビールばっかり飲んでるようなおっさんだけど、それが会社で発揮されているわけがない。
……もしかしたら、とんでもなくいい男だと勘違いされている可能性もある。
おれはしがない一介の高校生だし、なんなら容姿も普通オブ普通だ。未だにたけちゃんとこうして一緒にいられるのがなぜだかよくわかっていない。
そんなわけで、考えれば考える程増大していく不安を食い止めるためにも、今日はおれにとって特別なクリスマスになるはずだった。ほんとうはクリスマスを一緒に過ごしたいなんて女々しいことを言うつもりはなかった、けど、こちらにもいろいろと事情があったのだ。
(で、結果……おれはしおしおしてるわけで……)
さっきから、もやもやが離れない。早く帰ってきたたけちゃんを迎え入れて、スーツを脱いでリラックスしすぎてだらしなくなったたけちゃんに悪態をつきながら、やっぱり買ってきたシャンパンじゃなくてビールを渡して、その隣でおれもオレンジジュースを飲んで……そうしていれば、不安は消えていくって期待していた。
視界の端で赤と緑の明かりがちかちかと煌めいている。見ないように、頭を突っ伏した。
(だって、不安にもなるよ。おれは、男だから、男女みたいにベタベタくっつけないし、えろいこともできないし、ただでさえたけちゃんはたまにしかちゅうしてくれない)
それでも一緒にいれば、欲張りになることなんてなかったのに。
――フリー最高!
脳裏に浮かんだ、すっかりやる気のないおれを巻き込んだまま、マイク片手に歌い狂う友人の姿に、ばかばかばーか!と八つ当たりした。
なんだか、癪なのだ。
片想いしていたときから、必死になって追いかけて一喜一憂しているのはいつもたけちゃんじゃなくておれの方だ。
たけちゃんは、不安になったりしないのかなあ。
(しない、かあ)
だっておれだもん。おれはたけちゃんのことだいすきで、そのすきすき光線は、圧倒的な強さを持ってたけちゃんにぶつかっていっている。同じようなすきすき光線は、こないけど。
不安になると、欲張りになるなあ。
「――なつ。……まなつ」
「ん……ぅ……いたい……」
「だろうなあ。そんなおかしな大勢で寝るからだな」
髪の毛をかきまぜられる感覚に、いつの間にやら沈んでいた意識がゆっくりと浮上する。あれ、……そうかあ、あのあと寝ちゃったのかあ。
クリスマスツリーの明かりから目をそらして突っ伏してから、どれくらい眠ったのだろう、体がきしきしと痛んでいる。
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