01


 文化祭が終われば、辺りは本格的に秋が深まる。お祭り騒ぎだった周りは、やがてすぐに試験機関へとシフトチェンジしていく。


「……でね、ここが――……和音?」


 俺もそんな風にしてやがて勉強に熱を入れて――、晴れてラブラブな恋人同士になった悠里とも順風満帆な新婚気取りで。なんて。


「はあ……」

「あの、和音? さっきから、問題集ちゃんと追えてる?」


 苦笑した悠里が、ポンポンと教科書をさす綺麗な指先を動かす。綺麗なその手に追われるようにしてそこを見ると、まるで呪文のようなそれの羅列。まったくもって、意味が分からない。

 ……ていうか、さっきやってたところとページ変わってる? いつの間に?


「ボーっとしてたでしょ」

「う……悠里のこと考えてた」

「なにそれ正直だなあ」


 でも今はこっちに集中してくれないと困ります。なんていうふざけた敬語なんか使って、悠里がちゃかしてくるのもまた可愛い。なんちゃって。

 全部が全部悠里のことではなかったけれど、悠里とのラブラブ生活を妄想していたということもあるので、半分ほんとうのこと。

 にやけていたら、悠里に頬をつつかれた。


「かーずーね!」

「分かってるって! 今は勉強ね勉強!」


 わずかにほの隠れする悠里の、すこし困ったような拗ねたような表情。そんな顔も文化祭を経て晴れて両想いに付き合った俺には、毒だ。今は悠里のなにもかもが可愛い、そんな時期。

 まあ俺は、何年経っても、悠里を可愛いなあと感じるようなカップルでいたいけれど!


「もー。和音が追試なんかになるから、仕方なく教えてあげようと思ってるのに。これじゃあ追追試になるよ? 先生怒るって絶対」

「……だよね」


 そう。目下の悩みは、この追試だ。

 ……悠里のことも手伝ってか、幸せモードそのままに試験期間へと突入してしまった俺に降りかかった現実は、なんとも辛酸をなめるものだった。元来俺の頭の出来はよくないけれど、あんなにもテスト返しの時間が怖かったことは、今までもなかった。

 そんなかっこ悪い俺に、成績優秀な悠里さまさまが勉強を教えてくれるというのである。テスト期間を終えて人がまばらになった図書館――なんておいしい空間で、俺は自分の頭の悪さを再確認させられる。しかも悠里に。すごい拷問。


「うわああ……でもやっぱり分からない……英語きらい!」

「和音は中学の頃から英語が苦手だもんね」


 テキストは英語、英語、そして英語。数字が出てくるとちょっとうれしい俺は、これからも英語に行き詰まることになるのだろう。国語、古典、世界史、日本史、化学がなんとか追試をすり抜けて、数学と英語が追試。数学はなんとかなりそうなものの、英語が万里の長城みたいに立ちはだかる。


「うん。きらい。……悠里はなんでそんなに英語できるの? もしかして、ハーフ?」

「和音ぼくのお母さんとお父さんの顔、知ってるじゃん。……ていうかぼくほどの人がハーフなら、この学校の人ほとんどハーフだよ」

「悠里は頭いいよ!」

「いや……そういう話でもないんだけどね」


 悠里が朗らかに笑って頭をかく。


 いよいよ最終下校時刻に差しかかっているのか、窓を開けたまま外からの風に揺られるカーテン。その隙間からのぞく日の光が、すこしずつ弱まっている。夕日は、すぐに闇に変わってしまうだろう。


「もうここまでにする? どのみち追試明後日だし、このままじゃ間に合いそうにないし、夜泊まりにおいでよ。夜更かしして教えるよ?」


 悠里の家に泊まるのは、よくあること。だけどなあ。

 こうして恋人になったのだから、なにか(そう、なにか! 俺はそんな見境なくなるようなケダモノじゃないけど!)あるとか思わないのかな。それとも、悠里は俺のこと、ほんとうはそういう意味ですきじゃないとか?


「……ん、やめとく。一緒に泊まったら、俺悠里に何するか分からないもん。悠里のいやなこと、したくないし」

「そっか、じゃ明日また頑張ろうか」


 それはこっちのセリフだけど。

 聞こえるか聞こえないかの小さな囁きに、散らばっていたシャーペンやら消しゴムやらを片付けていた手を止めて、思わず顔を上げる。


「ん? なんか言ったか?」

「いーや。なんでもないよ。ほら、早く帰らないと暗くなるよ」


 図書室には、既にカウンターの奥に引っ込んで何やら作業をしている先生以外、だれもいない。すこし赤く染まった教室は、カーテンを押しのける風の音以外何も聞こえなくなっている。


「俺、辞書返しに行ってくる!」

「辞書の場所、分かる?」

「あ……」


 そういえば、分からない語があったときのためにって、悠里がさっき持ってきてくれたんだった。


「こっち」


 ふわっと笑った悠里が、辞書を持つ手と逆の手を、ごく自然に掴んでくる。そのまま今はすっかり俺の身長を越してしまったその体におもむろに手を引かれる。


(たまに、かっこよく見えるんだよなあ……)


 いやいや! あいつはいつまで経っても俺の可愛い泣き虫悠里だ! 俺の二次成長期、ちょっと遅いだけだし、これから追いついて追い越して悠里の体をすっぽり抱き込めるようになるはず!

 きっと悠里は、それを待ち遠に思っているんだ!


(でも悠里の手、やっぱり綺麗だな)


 すらりと長くて、最近少し骨ばってきたというものの、やわらかくてしなやか。いつもなら俺が強引にしたくて悠里の手を繋いでいたけれど、付き合ってから、悠里はこうして自分から手を繋いでくれるようになった。


「ここ」


 本棚の間を抜けて、悠里がちょんと指さしたそこは、ぽっかりと穴が開いている。そこに辞書をしまうと、ぴったりと元通りになった。そうかあ、ここが辞書の場所。普段から図書館に来ない俺には、全然本の並びが分からない。

 悠里は本すきだから、よく図書館にいるけれど。


「ありがと、悠里」

「いえいえ」


 行こうか、と笑う悠里の目元が、夕方の光に当てられて赤く焼けている。辺りは、静寂。ふと、引っ張ろうとした悠里の手を引く。

 どうしたの、と聞いてきた悠里の唇を塞ぐように、距離を詰めて唇を重ねる。こっちは必死に背伸びをしているのに、気づいた悠里はただ瞼を閉じただけだ。なんだか、俺だけ必死みたい。


 それでも、キスは久しぶり。

 文化祭、以来だ。……今まで数えきれないほど、悠里が抵抗しないのをいいことにしまくってきたけれど、思いが通じているというキスは、すこしだけそれまでと違う。


(ドキドキ、する)


「……っ帰る!」


 俺の顔も、きっと赤く夕日に焼けている。だけど、そのせいだけじゃない。やさしく笑った悠里から目をそばめ、その手を引いてそこを歩き出した。

 だけど今度は、悠里が俺の手を引く。呆気なく俺が後ろに引きずられるほどの、いつもよりもずっと強い力で。


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