01


「委員長この資料のチェック……」

「チッ」

「ひいいいぃぃぃ!」

「みーかーげーてめえは舌打ちしてる暇あったら仕事しろやボケ!」

「ひいいいぃぃぃ!」


 タバコというものは依存性が高いと聞く。一回やってしまったらやめられないと。だがそんなの馬鹿かと思ってしまう。馬鹿かそんなの、すきになったらなんだってそうだ。


「委員長も副委員長も怖いっす!」


 つまるところ俺は今、そういう不足がメーターを振り切っていて、とてつもなく機嫌が悪い。かくいうはす向かいでパソコンに向かっている真柴の目も、かなりイッていることには変わりないが。あいつの形相、鬼も殺せるに違いない。

 あー紘。紘足りない。紘、紘、紘。


「ひろ……」

「委員長口に出てますから! ていうか忙しいのはあと一日ですって! お願いだから辛抱してくださいよ!」

「草野うるさい」

「ひいいいぃぃぃすんません!」


 受験勉強中に、追い打ちをかけるようなこの仕事の量。たしかに草野の言う通り忙しさは今日で終わる。だからといって、紘不足が今どうにかなるものでもない。


 ――ぼく、大丈夫だよ。御影。


 受験勉強があると、紘は遠慮する。

 仕事が重なれば、紘は遠慮する。

 紘が俺をすきであることは分かっている。控えめに突き刺さる視線が雄弁に語っている。周りから見てダダ漏れだとは言うが、周りよりも紘をよく見ている俺が紘のほんとうの気持ちを知らないことなんてありえない。

 だからこその、フラストレーション。

 もっと、我が儘を言ってほしいなんて、贅沢な悩みなのだろう。

 パソコンを凝視する視界の端で、同じくイライラを募らせている真柴が荒々しく席を立ちあがる。


「どこへ行く真柴」

「書類出し」


 飄々と言っているが、この野郎。俺には分かってるんだぞ、おまえが生徒会に書類を出しに行くという名目で水無瀬の顔を見に行っているのが。


「フケたらどうなるか分かってんだろうな、真柴」

「んなことするか!」


 ぎゃーぎゃーうるさいなほんとう。ていうか何がよくて水無瀬はあんなやつと付き合えるのだろうか。小柄だが中身はさながらライオンじゃないか。素直じゃないし、うるさいし、可愛げないし。紘の方が素直だし、おっとりとしているし、可愛いに違いないのに。

 やめよう。

 真柴のそんなところはあまり想像したくない。


「あー……」

「あの委員長……あんまり寝れてないのは知っていますが、もうすこし我慢していただけないかなあ……と」


 目の前のパソコンに寄りかかった俺を、遠慮がちに草野がたしなめてくる。きっと真柴に俺にサボらせるなとかなんだとか言われたのだろう、うるさいことこの上ない。


「なーにおまえ。もしかして、真柴の手先なの?」


 突っ伏して真っ暗にしていた視線を動かして、横を向く。ちょっとビビりながらも、草野が「まあ」と曖昧に頷く。草野が俺の席の隣だから俺のお目付け役にされたのだろう。


「確かに最近紘さん風紀室に来ないからイライラするのも分かりますけど」

「俺の癒しだからー。ほんとう大事にしてるし、すきだし」

「ちょっとぶっ壊れないでくださいよ……普段そんなこと絶対言わないくせに」


 そうだ。紘は聡い。そして空気を読みすぎる。良くも悪くも。

 風紀の忙しさに気づけば、俺の邪魔をしまいとここに来なくなる。忙しさがたび重なれば真柴の目をくぐりぬけて紘の元へ自分から行くこともできない。

 草野が余計なこと言うから、ますます紘に会いたくなってきた。

 打つのをやめて席を立つ。びくっと震えた草野が慌てる。


「ちょっと待ってください! どこ行くつもりですか!?」

「うるさいトイレだよ。……紘に会いたくなってきたから、ちょっと気持ちを静めてくる」

「な、な、な! 何しに行くんですか!?」

「普通にトイレ。ケダモノか俺は」


 全くほんとうに。そんなことを思いながら席を離れようとして、ふっと視界が歪む。

 やばい、と思ったときはもう遅かった。


「え!? ちょ! 委員長!?」


 どっちが上か、下か、あっという間に分からなくなって、体が揺れる。



 ――みかげ。



 紘の声が聞こえた気がした。幻聴だ、きっと。だって風紀室に紘はこない。俺、いよいよ末期なのか。



     *



 ――そりゃ仕方ないよなあ。

 ――すみません。

 ――なーんで紘が謝んの? まあ、確かに今回はこいつもぶっ倒れギリギリだったんだろうなあ。天下の風紀委員長サマサマもこの辺が限度ってことだよなあ。

 ――なんか……志野先輩ちょっと嬉しそう……。

 ――こいつマジで嫌味なくらいデキる仕事人間だもんなあ。このくらいで倒れてくれた方が可愛げあるよ。


 ふわふわ、視界が歪んでいる。だけど、分かる。すぐ近くに、触れたくて仕方がなかった体温がある。


 ――とにかく仕事は俺にまかせなさい。起きたら風紀室くるなって言っておいて、どうせあと一日だし。

 ――大丈夫なんですか?

 ――ああ、……水無瀬がいるから。

 ――水無瀬先輩……生徒会だけど……。

 ――なんとかなんだろ。じゃあな。


 真柴あいつ、紘の前だからかっこつけやがったな。きっと、復帰したら紘のいないところで体調管理がどうこうとか言われるのだろう、絶対。

 水無瀬も巻き込まれるのか、かわいそうに。


「御影、起きないな……」


 紘の声だ。

 というかなんで俺倒れたんだ。……連日の睡眠不足か? 腹には何か入れているはずだし。


「水、とってこよ……」


 そばにいた影が、動く気配がする。とっさに鉛のように重たい手を動かす。


「御影?」

「……ん、起きた」


 ワイシャツの袖ごと、細っこい手首を掴む。驚いたように俺を見下ろす紘と、目が合う。ぼんやりとした視界の中で、紘がほっと安堵したようなため息を吐いた。


「御影、大丈夫? 気分、悪い?」

「ああ……」


 白い病人ベッド。ふかふかとしているのに、どこか不安定なこれは、保健室のものか。そう考えて、ようやく自分がしっかりぶっ倒れたことを自覚する。睡眠不足の影響か。


 体を起こそうとすると、近づいてきた紘が支えてくれる。

 ぐいっと背中に回された手は、まぎれもなく紘の体温。


(やばい、俺。自分が思っていたよりもずっと、紘不足だった)


「ひーろ」

「え、ふ……わああ!」


 そばにあった体をひょいっと掴んで、そのまま華奢な体に覆いかぶさるように乗り上げる。


「え? え、み、御影!?」


 目を白黒させながらも、必死に今の状況に追いつこうと俺を見上げてくる紘。ベッドに散らばった髪、すこしくしゃっと歪んだ制服。今やっと自分が押し倒されていることに気づいたのか、たちまちその顔が朱に染まっていく。

 あーあー。あっというまに、ぽーってなるんだから。


「ひろー会いたかった」

「……んう……御影? ど、したの?」


 無防備な肩口に頭を擦りつけるようにして、力いっぱい抱きしめる。首筋に鼻をあてて、紘の匂いを堪能する。


「いい匂い……」

「御影……それ、なんか変態くさいよ……ん、くすぐったいってばあ……」


 癒される。

 その姿も、声も、体温も、連日ご無沙汰で生きてこれた自分に戦慄するほどだよ、ほんとうに。


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あきゅろす。
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