02



 なるべく揺らさないように俺の部屋に運んで、朝起きぬけのままのシーツに紘を横たえる。保健室の掛け布団、あとで返さないと。


「ん……」


 責任持って看病するとは言ったものの、風邪はほんとうに酷いらしい。寝苦しそうな表情をしている上、顔も火照っている。


「み、かげ……」


 語尾がわずかに上がる形。見ると、薄目を開けた紘がこちらを心もとない表情で見上げている。どうやら連れてきたときは完全に眠っていたらしく、この状況がよく分かっていないらしい。

 すこしだけ汗で張りついた前髪をかきあげるように撫でた。


「俺の部屋。もう少し寝てな」

「ん……なんで」

「なんでも」


 恋人だからだよ、なんて言ったらうぶな紘のことだからますます熱が上がる事態になりかねない。うぬぼれではなく、根拠に基づいた事実だ。

 紘をすきになって、紘を落とした自覚させて、俺もすきだよと恋人になってから月を重ねたが、未だに紘は俺のいる日常に慣れない。

 それがまた、撫でくり回して抱き潰したくなるくらい、かわいい。

 紘が俺をすきになるように仕向けたのは俺だ。紛れもなく紘が俺を好きなことは知っている。

 それでもそばに置いておかないと不安で、顔を見られなくなると中学生じゃあるまいのにそわそわと落ち着かない。ほとんど、初めての気持ち。


「みかげ……」

「どうした。水、欲しいか」

「うん、喉からから」

「待ってろ」


 小さな冷蔵庫から、常備してある冷えたミネラルウォーターを出す。寝室に戻って紘に渡すと、コクコクとゆったりとしたペースで飲んだ。それでもコップが空になったということは、ほんとうに喉が渇いていたのだろう。

 それにしても、仕草ひとつひとつがいじらしいほどかわいいのに、どこか上品で。


 不思議な魅力。


(ほんと、骨抜きっていうか)


 俺はばかみたいに、気づけば紘のことばかり考えている。

 ……なんか、変な気分になってきそうだ。無防備に紘がぽやんとしているのはいつものことだけど、それ以上にベッドとその赤い顔が、なんというか。


 いかん。

 今度こそ真柴に暗殺される。


 ぼうっとこちらを見つめてくる紘をひと撫でして、コップをその手から奪うように取ると、ベッドのそばを立った。紘の視線が、追いかける。


「なんか、飯作る。……食欲ないかもしれないけど、柔らかい消化にいいもんなら食べれるだろう」

「み、みかげ……」

「ん?」

「……なんでもない」


 ゴソゴソと紘が布団の中に潜り込んだのを確認して、踵を返す。リビングに立って、深呼吸した。どうも、風邪の紘はタチが悪いことに気づいた。

 ……真柴のやつ、万が一にもなにもしてないだろうな。あんなかわいい紘を目の前にしたら誰だってこう、むらむらとするというか。


(いや)


 思い直して、冷蔵庫の中を確認しながら邪な絵図を打ち消す。

 万が一にも、ない。というかあの二人がどうにかなるなんて、軽く百合だ。

 世話焼き体質の真柴にとって、突如現れた、例の転入生事件で巻き込まれた先例もありかつぽやんと無防備で放っておけないオーラを出す紘の存在は、カモがネギをしょってきたようなものだったのだろう。俺にもガルガル言うくらいだ。

 それでも会計にはふいっと冷たくするんだもんなあ。分かんないよな。フツウ甘やかしたくなるだろうに。いや、どっかで甘やかしてんのか。


「み、かげ」

「……紘?」


 すっかりもの思いにふけっていたからか、案外近くでしていた音に全く気付けなかった。布団に入っていたせいだろうよれた制服とすこしだけクシャクシャになった髪の毛のまま、紘がふらふらと俺の方へ歩いてくる。
 慌てて、その体に近寄ると、紘の体が俺の胸の中に迷うことなく舞い込んでくる。

 ぽすん、と、胸に紘の額が当たった。抱きとめるには軽い衝撃。


「どうした」


 ぽんぽんと肩を叩いてやる。


「みかげ」

「いつもこんなことしないのに、熱のせいか」


 俺に触られてピクリとしながらも抵抗しない、というのが基本の紘のスタイルなのに、自分からこうして近寄るのは、珍しい。

 ぎゅう、と、いつもよりも高い体温の両手が、縋りつくように背中に回される。


「みかげ……今は、はなれないで……」


 胸の中で小さく聞こえた声に、勝手に口元がほころんだ。


 素直で、恥ずかしがり屋で、でもたまにすごく甘えん坊で。とんだ男殺しだ。


(あーもう。かわいくてしょうがないですよ)


「ん。ごめん」


 軽く抱きしめて、つむじにキスを落とす。くたりと弛緩した紘の体が、一瞬だけ緊張した。顔を上げた紘が、安心したようにへにゃっと笑う。

 風邪で弱って、ますます隙だらけになって、その笑顔は毒だ。

 理性で振り切って、紘の体を抱きあげる。いつもなら恥ずかしがって暴れるのに、今日はぎゅうっと離れないように首に両手を回してくる。


「紘」

「なに……?」

「苦しいだろう。もうひと眠りしようか。……それまで、そばにいる」


 ベッドに横たわりながら上目づかいでこちらを見上げた紘が、こくりと大きく頷いた。


「おまえが寝たら飯作って、起きた頃に一緒に食べよう」

「うん……ありがとう」


 顔が半分以上隠れるまで布団を引き上げた紘が、すこしだけはにかむ。


「風邪引いたら、御影に甘えられるんだ。すこしだけ、よかったかも」


 かわいい。死ぬほど。

 すき、が、限度を知らなく膨張していく。こんなに愛しいと感じるなんて。

 すこしだって離れていたくないと思うのが紘も同じなら、怖くない。


 軽く上半身だけベッドに乗り上げて、紘の体に負荷を与えないようにその視界を遮りながら、頭のてっぺんにキスを落とす。ちゅ、という音に、紘が顔を赤くする。ぽわんと。

 湯気が出そうだ。


「み、みか……」

「こっちは、俺は移ってもいいんだけど、紘の体温がこれ以上上がったら困るから、な」


 指先を自分の薄い唇にかけられた紘が、「い、いじわるだ!」と恨めしげに見上げる。口元が、柄にもなくやさしく三日月を作っているのが自分でも分かる。

 死ぬほどめんどくさがりな俺が、紘だけは放っておけない。危なっかしさに目が離せない。

 弾けることを知らないでふよふよと浮かび続けるシャボン玉のような、安心感。


「ねえ、御影」

「ん」

「ちょっと、こっち、きて」


 布団から片手を出した紘に誘われるようにして、顔を近づける。紘の表情がさっきよりも赤くて、なぜか怒ったようなよく分からないぐちゃぐちゃの顔をしていて。

 どうした、と言いかけたくちびるが止まる。



 ぐいっと渾身の力で俺の後頭部を引き寄せた紘が、――ほんの一瞬、俺のくちびるを掠める。



 音もしない、合うだけの、キス。


「……う、うつ、たら……ごめん」


 ああ。ほんとう。もう。どうしてこの子はこんなに愛しいんだろう。俺の心を掴んで離さない。


「ひーろ」

「う……なに」


 いれたての紅茶のような、熱い、熱い、甘い、紘の頭を押さえこんで、額を寄せる。


「俺の理性、試してるだろ」

「ち、ちが!」

「嬉しい」


 言いかけたくちびるに、やり返す。ちゅ、という音を立てて、すこしだけ吸うようにそれに重ねてやる。これ以上しないように理性を総動員して、すこし距離を取る。

 紘の表情は、可哀想なくらい真っ赤だ。

 風邪とあいまって、とんでもない火災地帯のようになっている。


「紘からのキス、初めて」

「う……寝る!」


 俺を突き放すようにして、寝苦しいだろうに、紘は頭から布団をすっぽりとかぶってしまう。ぎゅう、と小さくなった布団の塊を見ながら、ふう、とため息を吐いた。

 いつもなら逃がしてやらずに強引に二度三度くちびるを奪っているが、一応風邪である。高揚する心を抑え込んで、紘を逃がしてやった。

 それにしても今日の紘は、甘えたがりで積極的で、死ぬほどかわいい。


「紘」

「……」

「おやすみ、すきだよ。早く元気になれ」

「……ん」


 やがて動かなくなり穏やかそうに上下する塊を見ながら、こんなかわいいのが見られるなら二三ヶ月に一回風邪をひいてくれてもいいのだけど、なんてひどいことを考えている自分に、また、苦笑する。


そ ん な き み に む ち ゅ う


( とりあえず風邪治ったら俺のこの暴走しかけたけどなんとか抑えこんだ心を称えて、紘には頑張って色々と付き合ってもらわなきゃなあ )

知らぬが、仏

――End――

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