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フロンティア

1 Overture

 加藤くんが運転するスズキジムニーの中では、擦り切れそうなカセットテープに録音したCJボーランドが流れていた。
仕事帰りのおれたちはハッパを楽しむためにテクノのイヴェント会場に向かっているところだ。
「やばいっすねーBCJ。めちゃくちゃ上がる」
 おれは少し笑いながら大麻をねりこんだクッキーを食べるのに夢中で、加藤くんの話はあまり聞いてない。
 イヴェント会場はビール園の一番大きいホールを借り切って行われる。テクノやハウスの重鎮たちが多数来日するそうだが、おれにはそんなこと関係ない。キマってクソみたいなおれの人生を忘れることが出来たらそれで良い。
 昼間は日常を忘れたい観光客や家族連れがラム肉なんかを焼いて食べるホールだ。同じ目的のおれたちが行ったって問題ないだろ?実際おれも昔、父親と母親とここでラム肉を食べた。こんな形で舞い戻るなんて、両親もおれも思っちゃいなかった頃だ。
 加藤くんはクッキーを咥えながら駐車場をさがしている。テープが流す割れた音は、オーバーロケットに変わっていた。交差点を曲がるたびにものすごい遠心力がおれを襲ったが、鏡の上に多彩な電球を並べたような雨上がりの高層ビル群の光がおれの視覚を奪い続けていたので、さほど恐怖は感じなかった。
クッキー中毒の加藤くんはついに立体駐車場を見つけてあわててハンドルを切った。あまりにも慌てたものだから係員をひき殺しそうになった。
係員は殺されかけたのに、やけに笑顔だった。「忘れ物ありませんか?」なんて、ポップに尋ねてくる。もしかしたら、こいつもキマってるのかもしれない。
「大丈夫!じゃあお願いします!」
加藤くんは彼に負けないくらいの陽気さで答えた。忘れてほしくないのは、今午後11時だということだ。
 会場に着くまでにジョイントを2本立て続けに吸った。もう日常はおれの中で忘れ去られようとしている。25歳フリーター、DJになるなんていうばかげた夢を隠れ蓑に借金二百万超。毎日バイト先にかかってくる催促の電話におびえる毎日。自殺をいつも考えているがそんな勇気もなく。誰かが「詩的な生活をしていますね、うらやましい」と言っていたが、よかったら変わってやるよ。
 やめだ。クソ、気が滅入る。
 やっとのことで会場にたどりついた。入り口のガラスの扉を引き開ける。パーティにようこそ!扉を開けた瞬間に熱気とすえたにおいの洗礼を受けた。ホールに入る前に何回か甘い匂いを感じて立ち止まってしまったが、どこかのバカが香を焚いているだけだということに気付き、おれたちは止まっているエスカレーターを登った。
 登り終えてすぐに何かを踏んだ。エビアンのペットボトルだ。しかも中身が入っている、タバコの吸殻入りのだ。くそう、エドウィンに少しかかってしまった。
おれはティッシュを出すためにポケットに手を入れた。そして無意識に携帯電話を取り出し、開いた。そうか、おれも携帯依存症なんだな。
 着信4件あり。全部伊達朋子。そうだおれには恋人がいたんだ。適当にだらだら付き合っていたら三年経ってしまった恋人がな。おれが言うのもなんだが、トモコは美人だ。痩せているし、頭もよくて、いい会社に勤めている。おれに時々食料なんかを買ってくれるいい女だ。ただ彼女は一つだけ人生のミスを犯している。おれなんかと三年も一緒にいることだ。早く解放してやりたいと思うがおれには別れを切り出す勇気はないし、第一揉めるのも面倒だ。おれは何をしにここに来たんだ?日常を忘れにだろ?おれはそのまま携帯を閉じた。
「どうしたんですか?いきますよ?」
 ポケットに携帯を戻すと濡れたジーンズなんてどうでもよくなり、おれは先を急ぐ。加藤くんはすでにバドワイザーを二缶持っていて、おれに左手で持っているほうをくれた。
おれはプルタブに人差し指の爪を掛け引き起こし、指先に残る鈍い痛みを楽しみながら薄いビールを飲んだ。
フロアに足を踏み入れた瞬間、おれのほほが低音に持っていかれそうになった。毎晩眠らないでハーブをやり続けたすえに手にいれたたるんだ肌。ぼろ雑巾みたいな肌だ。しかし今は最高の音紋センサーだ。どこの国のどんな魚雷も、おれのセンサーは感知してしまう。
 気付けばバカみたく大きいスピーカーの前にいる。おれは鼻血を流していた。鼻血と共におれの今までの最悪な生活の記憶が脳漿にまみれて流れ出ていく。恐ろしいほどの頭痛に襲われたが、それでもおれの負担は軽くなった。偽りの開放。おれはそれだけでよかった。

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