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2 The Lastresort

 気付いたら、雪原にいた。
 みたこと無いか?植村直巳物語。映画だよ。直巳役は、ほら、浜ちゃんだよ。釣りバカの。
 まあいいや。そんな感じの雪原。
 もっともおれはあんなサバイバルな格好はしていない。準備する暇なんて無くてさ。ほんとにいきなりの話だから。ニット帽にN-3B(軍用コート。フードについたボアが最高)、バートンのセーターにディーゼルのジーンズ。
 今が冬でよかったよ。夏にTシャツ一枚で気付いたら雪原でした、なんて目も当てられないからな。
 グレゴリーのバックパックに入っているのはソニー製の携帯電話にMDウォークマン。MDが何枚か。駅前でもらったティッシュ。
あとは無意味すぎて確認する気にもなれない。
 携帯電話は圏外。加藤くんすら呼べやしない。このままここにいても仕方が無いので歩こうとしたが、今度はどっちに進めばいいか、まったく見当もつかない。
 クソ、寒いな。裸で冷凍室にいるみたいだ。何もかもが面倒だから、違う世界に逃げて一からやり直したいとは常に思っているが、こんな氷の世界に来たいなんて願ったことは一度も無い。

 とにかく、歩くか。辺りを見回すと小高い雪の丘が、彼方に見える。あの向こうに何かあるかもしれない。まずはあの丘を越えよう。早く家に帰らないとバイトに行けない。クソ店長にまた嫌味を言われてしまう。それに反抗できないおれも情けないものだがな。
 おれには音楽がある。やばいくらいに研ぎ澄まされた耳を持っている。メジャーデビュー前の下積み時代と言うやつだ。いつかテレビでおまえのこと面白おかしく話してやる。
 おれも黙って会社員になっていれば、落ちぶれDJにイヤミのひとつでも言えたのだろうがな。
 まったく夢ってやつは恐ろしい。夢、やりたいことがある、と言えばみんなが納得し、どんな行為も正当化できる。
 たとえばおれだ。25歳、定職無し。機材(CDJとか)を買うために、致死量の借金をする。返済に困ったら朋子に借りればいい。アルバイトを急に休む。ドラックでへべれけ。コカインとラムのブレンド。タバコの代わりにハッパを嗜む。
 なんで、そんなんなの?と聞かれたら、おれは遠い目をしてこう答える。
 「おれには夢があるんだ」
 
確かに音楽は好きだし、芸術性も感じる。そのバックにある精神(スピリット)も大好きだ。それで金を稼いで生活したいという目標もあるが、もうそんなことを言ってられないのも確かだ。
 おれは夢に逃げこんだ。もうどうにもならなくなってきているし、今更人に使われて一生を過ごすのもうんざりだ。社会はこんなおれを復帰させてくれるほどやさしくは無い。現実は厳しく、冷たいものだ。
 
 現実は忘れよう。太陽は雪に降り注ぎ、天文学的回数で乱反射している。まるで海。水晶の海だ。もしジョディフォスターがここにいたら、「ここにくるべきだったのは詩人だったのよ」と歓喜の顔で言うだろう。
 こんなに美しい世界だ。ここはいい所に決まっている。身動きできなくなったおれの街よりは。
 
 結構な距離を歩いたが、丘を越えるところか、その麓にすらついていない。腕時計の時間は17:45。もう夜がくる。気付けば沈みかけた太陽が雪原を赤く染めている。ルビーをまぶしたように真っ赤な雪原。
 夜になればさらに寒くなる。そうだ、穴を探そう。雪の中はわりと暖かいはずだ。ディスカバリーチャンネルで観たから間違いない。
 幸いにもおれが入れそうな空洞をすぐに見つけた。歩いていたときには気付かなかったが、ここは雪原ではなく、氷河のようだ。所々に大きなクレパスがある。
 空洞に下りてみるとおれが横に慣れそうなスペースを見つけた。その横では空洞が下まで続いている。この下は河なんだろうな。零下でも凍らない河。
 すでに空洞の中は真っ暗だった。気温はどんどん下がっていくようだ。おれは体をこすったりして体温をあげようとしている。
 急に子供の頃に観たアニメを思い出した。武将が山奥に落ち延びて、洞窟で暮らす話だ。ある晩入り口が塞がってしまい、敵を呪いながら死んでいく(なんて話だ)。
 もしかしたら入り口が塞がっているかもしれない。おれは怖くなって慌てて外に出た。
 
 想像したことも無い星空だ。すべての恒星がおれを無視して瞬いていた。そしておれが出てきた瞬間に恒星はおれの目にその光を一斉に流し込んだ。おれはめまいがした。この世界は、おれが存在してはいけないくらいに美しかった。




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