「……寒っ……。」
座った格好のまま身じろぎひとつしなかった青紫の青年は、まだまどろみの中なのか目は開けずに、ぶるっと体を震わせて声を漏らした。
寝返りを打とうとしたのか、体を捻る。
ところが自身の体勢を認識していない無意識の動きは全体のバランスを崩し、青年は額から勢いよく頭を床に打ちつける羽目になった。
ゴン、と強かに鈍い音が響く。
だがすぐに、それよりも大きな音が轟くことになる。
「っ痛ぁーいっ!」
それが、記念すべき目覚めの第一声だった。
「……何よここ。 アタシまだ寝ぼけてるのかしら。」
寝ぼけ眼の男性は、辺りを見渡してまず疑問符を浮かべる。
次に自身の頬をつねったりして現実逃避に入るが、残念ながら頬の痛みは現実への覚醒を促進させただけだった。
アタシ何してたんだっけ。
歩いてた記憶があるわ。 そう、この道よ。
やたらと身体中痛かったような気がするけど、怪我……してないわよね、何で痛かったのかしら。
我慢して歩いてたけど、耐えきれなくなってきたから少し休憩しようとして、そしたら女の子が心配そうに覗きこんできて……。
……女の子…? ええ女の子だったわ。 栗色の長い髪に赤い瞳が記憶に残っ……
…………………………………………………。
「イヴッ! どこにいるの、イヴ! 返事をして!」
記憶のピースが繋がるや否や、青年は大声で名前を呼び、記憶に残る少女の姿を探す。
だがそこには他人どころか自分以外の存在すらない。
むなしい叫びは無音の空間に吸い込まれ、再び静けさを現実と共に押し付けた。
青年は自身に落ち着きなさいと言い聞かせる。
少女に「先に行って」と指示したのは自分だ。
あの時、身体中に走る痛みが、もうすぐ自身の命が摘みきられる事を示唆していた。
その瞬間を、心優しき幼い少女に見せたくない。
だが嘘を吐くことも憚られた。 だから言ったのだ。
本当の事は言いたくない、嘘もつきたくない。
だから、先に行って。
後から追いかけるから。
あれからどのくらいの時間がたったのか解らない。
そもそもこの空間に時間の概念があるかどうかは疑問だが、それでも少女が遠く離れられる程度の時間が経っているらしいのは直感で感じ取れた。
「結局、嘘をついちゃったんじゃない…。」
ため息混じりに自虐を吐いて、世話無いわね、と苦笑する。
そのまま歩き出そうとして、靴ごしに何かを踏んだような感覚を感じた青年は、ふと足元を見て絶句した。
青い薔薇の花弁。 この世界での自分の命の残骸。
なぜ自分が倒れたのかを失念していた。
あぁそうだったわ。 アタシ、自分の薔薇をメアリーに差し出して。
花占いの声が聞こえるたびに体に痛みが走っていったわ。
おそらく10回目の声が聞こえたときに、意識が無くなってしまったのかしら、そこからの記憶が無いもの。
薔薇の花弁が無くなったら死んでしまうはずだったわよね。
でも、それなら、何で、
「アタシ今、生きてるの?」
最大の謎は、無惨に散った薔薇の残骸ではなく。
身にまとうコートの胸ポケットに差し入れられた、活ける一輪の青い薔薇だった。