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月夜竜


小十郎はつい先ほどまで梵天丸を抱えていた手を見つめたまま動けずにいた。

自分の肌の色、着物の色を隠してしまうほどの赤、その全てが梵天丸の血だった。

騒ぎを聞き付けて集まっていた家臣や女中たちは慌ただしくその場を去り残されたのは門番と小十郎、成実だけだった。

目の前では成実が取り乱し、怒鳴り付けるように何かを言っていた。
けれど、その大きな声も小十郎の耳には届いていなかった。

その放心状態の小十郎に近づいて来る大きな影があった。

鬼庭綱元
伊達家の家臣でも大柄な彼は側で見るととても威圧感があった。

成実はその大きな影を見上げ押し黙ったが、小十郎は綱元に気づいていないのか相変わらず一点を見つめたままだ。

綱元は小十郎の前に立つと容赦なく横っ面をひっぱたいた。

あまりの衝撃に小十郎は尻餅をついた。
この時初めて自分の前に綱元が居ることに気づいた。

頭が覚醒し頬に残る痛みにも気づく。

『成実、小十郎には色々聞かなきゃならないことがある。が、先ずは身を清めんとな』
綱元は成実にそう言うと、今度は小十郎に向かって手を差しのべた。

『気をしっかり持て、小十郎。身を清めて着替えたら部屋で待ってろ。いいな?』

小十郎は綱元の手をとり、消え入りそうな声で返事をした。

いつもは背中が丸くなることなどない小十郎が今は小さく見えた。

『…小十郎。』
綱元が声をかけた。

その声に小十郎は力無く振り返った。


『…その、悪かったな。力を入れすぎた。』
綱元は自分の頬を指差して罰が悪そうに言った。

言われた小十郎の右頬は僅かに赤くなっていた。

『いえ…、…では、…失礼します』
頬に残る痛みも気にならない。
こんな僅かな痛みなど、今の梵天丸の苦しみに比べたら…

小十郎は重い足取りで井戸へ向かった。


『大丈夫かよ、小十郎のやつ…』
ふらつく小十郎の後ろ姿に成実が呟いた。

『どうだかなぁ。奴のあんな姿は初めて見たしなぁ』

綱元も成実も小十郎の姿が見えなくなるまで見守っていた。



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