月夜竜
ニ
『人に聴かせたことは無いのですが…』
小十郎はそう言うと古びた横笛に優しく息を吹き込んだ。
梵天丸は息を飲む。
小十郎が奏でる美しい音色に心を奪われた。
先程まで部屋に居なかった筈の千代が隣に来ていた事にも気付かぬほどに集中した。
そしてその音色は心を落ち着かせ癒してくれるようだった。
母の冷たい視線も、衝撃的だった竜との出会いもこの時は頭の中から消えていた。
『いい音色だったな』
縁側で空を見ながら呟いた梵天丸。
隣では千代も共感の意を込めてコクコクと頷いていた。
勿論その手にはお茶菓子がある。
色々と聞きたいことがあったが、一曲終えた小十郎は他の者を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
『また聴きたい…、なぁ千代?』
千代はニコリと笑って頷いていた。
それから数日の雨の日のこと。
梵天丸は縁側で軒から滴り落ちる雨を眺めていた。
何を考えるでもなく、ただぼんやりと。
そこに一つ、足音が近づいてくる。
『…兄上』
振り返ると弟が居た。
廊下の角から頭だけ覗かせこちらを見ている。
『…一人ですか?』
梵天丸は見るからに一人だった。
『一人だ、みたらわかるだろー?』
恐らく目には映らない妖怪たちの事を聞いているのだろう
一人とわかると竺丸は兄の側まで来て膝をついた。
そして恐る恐る口を開く。
『城の者達がみんな言ってる…兄上には異形なものが見える、と』
『本当なの…ですか?』
竺丸は梵天丸の顔を窺うようにチラリと視線を向けた。
自分とは違い大人しい弟
自分とは違い臆病な弟
自分とは違い、両の目に光を映せる弟
そんな弟が嫌いではないのに時々、腹立たしく感じる。
自分とは違い、母に愛されているから
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