9話 浩介は目を覚ました。机の上には分厚い資料。 「夢じゃなかったか」 戸部さんもこない。 時刻は午後3時。あれから約6時間は眠ったわけだ。目の前の分厚い資料を見ると気が重たくなってくるが、とりあえず読むことにした。 白い表紙には黒い字で「HP計画」と書いてある。浩介は一息ついて読み始めた。 1944年に始まった不死の人間、パーフェクトヒューマンを作り出す研究、通称「HP計画」はその過程で発見されたアレンジの技術により思わぬ終末を迎えた。 日本はアレンジを使い、様々な著名人を生み出した。戦後以降に誕生した有名なアイドル、スポーツマンにアレンジで生まれていない者はいない。21世紀に入る頃には世界中でアレンジは行われるようになっていた。よって日本はその特許により、救われていくはずだった。 しかし、国民も知らぬところでアレンジは世界中で進化を遂げていた。日本以上の成長を可能になった国。日本以上に細かい顔の設定ができるようになった国。 そんな国に比べれば日本のアレンジは荒っぽい、品のないものと捕らえられるようになった。そのため、今となっても日本は世界から遅れをとっている。 その打開策を未だに日本政府はとっていない。 そこで、HP社長闇又はアレンジを使い、日本を立て直す計画を立てた。 アレンジの子供たちを育て、未来の日本を担う者をつくる。 それこそがHP計画なのだ。 ちょうど、冒頭を読んで、浩介は一度目をとめた。ここまで読んでみると、なんともスケールの大きな話であろうか。すごく現実感がない。 だが、これが本当に実現できたなら本当に今の日本を変えられるかもしれない。そんな期待もある計画に加わることができるとは、人生はわからないものなのだ。 もう一度資料を読もう。読み出したとたん、 しかし という言葉が目に入る。しかし、なんだ。 しかし、この計画には決して行なってはいけないことがある。 それは、子供たちに感情を入れること。 日本を担うものに最も不必要なものは感情。子供たちは感情を捨て、日本に最善の道を歩ませる必要がある。そこに自己的な感情は邪魔なものだ。 そのため、子供を教える教師は子供に余計な知識、および感情的なことを教えてはいけない。もし、子供に感情があらわれた、およびこの敷地から逃げ出した場合、子供とその教師は破棄される。 ここまで読み終えると、浩介は一気に落胆した。 期待を込めた計画は恐ろしきものだった。子供たちは未来の日本を救う。その代償として感情を失う、というのか。感情なき子供たちが政治を動かす姿が目に浮かぶ。 そのことにもぞっとするが、こーすけをもっと恐ろしくさせることがあった。 感情があらわれた子供とその教師は破棄される、という文だ。 もしかしたら 戸部さんも・・・・ ж ж ж 突然の辞表を出された次の日。 浩介は普段よりかなり早い時間に起きた。二日酔いの頭痛もない。体調は絶好調なのだが、それが浩介には悲しく思えた。体のだるさが懐かしい。 スタッフルームに入ると、昨日の扉の前で神崎が待っていた。 「これを常にもっておけ」 神崎は浩介にプラスチックのカードを渡した。キャッシュカードみたいでカードの表には「1944 6 19」と言う数字がある。思い出すのに少しかかったが、これは正規の「HP計画」が始まった日にちだ。 「これでいつでもここに入れる。だが敷地内から出れば、」 「すぐにわかる、ですか」 浩介は言葉を続ける。そうだ、と神崎は肯定した。 「わかっているなら、仕事を始めるぞ」 神崎はカードをいれ、パスワードを入力し、入っていった。それに続き、浩介も入る。 昨日見た新しい自分の職場にはもうたくさんの親子がいる。基本的に母親と娘、または息子といった感じだ。父親の姿はほとんど見られない。 「今日からお前が教える子供に会わせる。ついてこい」 神崎は浩介を連れて親子たちのところへ進む。 浩介は進みながら母親たちと子供たちを見た。若い母親が多い。肌が黒く日焼けしているギャルの母親、かなり落ち着いた和服の女性。様々だ。 「あの親子だ」 神崎が手である親子を指した。浩介はその親子を見て、愕然とした。相手の母親もこちらに気づいて驚いたようだ。 なにせ、その親子は、浩介がデパートで出会った、あのガムを買った少年とその母親だったのだから ж ж ж 「ちょっと!どういうことこよ!!」 ひとりの母親の金切り声が響く。もちろん、ガムの少年の母親である。 「どうして!?どうして修也の教師がノンアレンジなのよ!」 へえ、修也っていうのか。賢そうな子だな。ただ、感情のない目が悲しさをかきたてるのだが。 修也の母親は浩介と神崎をなんども見ながら、すごい勢いで様々なことを言ってくる。母親は長身な浩介と神埼に比べたらかなり背は低い。だが、すごい迫力に圧倒される。浩介なら完全に負けてしまいそうだ。 しかし神崎は瞬きひとつせず、 「しかし、坂崎様のすべてのご要望を満たしており、しっかりとした経歴も持っています」 「なっ」 さすが、鷹。あの母親を一瞬で黙らせた。アレンジだからなのか。 「それに要望欄には教科プログラム、日程だけが書かれておりました。それならばノンアレンジが講師としてつくこともありえます」 完全な正論だが、まだ母親の怒りは収まっていないようだ。「でも・・」母親は先程よりは怒りを抑えて言い放った。 「また、この子に変なこと吹き込むなんてことはしないわよね」 浩介はその言葉に体をびくっと震わせた。また? 「そうそう、あのバカ教師。ちゃんと消去したんでしょうね?」 バカ・・教師・・? 「修也ちゃんにわけのわからない、グリグリを教えるなんて。はあ、馬鹿らしい」 まちがいない。戸部さんだ。戸部さんをバカ教師と言われ、怒りがグツグツと煮えたぎっているが浩介はそれを顔に出さず、必死に押さえ込んだ。 神崎はその言葉に淡々と返す。 「鈴木もどうなるかは理解しています。ご安心ください」 「名前なんてどうでもいいわ。さっさと授業に入ってちょうだい」 いや、あなたがいろいろ言っていたから、ということが頭に浮かぶが、頭の奥に押しやった。 そういえば、さっきまでいた親子の列が消えて、親が部屋から出ていっている。案外時間が経っていたのかもしれない。 「かしこまりました」 神崎は母親にそう言うと今度は鈴木の方を向き、一枚の紙を渡した。 「今日のノルマだ。おわったら追加する。私のところに来い。あとはわかっているな?」 「はい」 余計なことは吹き込むな、だろ?わかったよ 「修也、行ってらっしゃい」 「はい、お母様」 修也がこちらに歩いてくる。浩介は修也の小さな手を握った。だがその瞬間、母親が金切り声を上げた。 「ちょっと、なに手を握ってんのよ!」 「鈴木、手を離せ。D-34ブースだ」 浩介は別に彼氏の浮気現場を見たわけじゃあるまいし、と思いつつ修也の手を離し、D-34ブースへ歩き始めた。修也はそれにトコトコとついてくる。浩介はそれを見てふっと笑うと、またブースへ歩を進め始めた。 D-31、D-32、D-33・・・ 「あった」 D-34ブース。部屋の幅はだいたい浩介が両腕を広げた位。ドアはガラスで出来ていて、中の様子が外から丸分かりだ。もちろんほかの壁は白で浩介から見て真正面に生徒用の椅子と机があり、その前の壁にはホワイトボードがついている。あれがここでの黒板がわりというわけだ。 浩介はドアを開けて、先に修也を中に入れた。修也は無言でなかには入り、椅子に座る。その姿はとても5歳とは思えなかったが、浩介はもう考えないことにした。こう見えても浩介は一時は教師を目指していたこともあったのだ。途中で挫折してしまったものの、その時の勉強法をこの子に注げばいいのだ。浩介は一度深呼吸をして 「では始めます」 とはっきり言った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |