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「レイ?」
大きな青い瞳が驚いたように見開いていた。異様に大人しく黙りこくっているレイにゼオシスは眉をひそめた。ファーストネームを呼ぶ事も嫌がる彼女が珍しい。思い出せば、先ほどからレイはゼオシスを拒まなかった。
「レイ、どうしたんだ?」
先は衝動的に肩を掴んだが、触れたら払い除けられそうだと恐々としながら、ゼオシスはレイの目線まで腰を折った。そっと頬に手を伸ばす。その冷たい指先がレイを我に返らせた。
「あ、……総督」
「どうしたんだ、そんな呆けた顔をして」
「呆けていた? 私、そんな顔してないけど……」
「いや、貴様が大人しいと不自然だ」
「なんかムカつくなぁ」
「とりあえず、そんな事はどうでも良い。私はどうしたと聞いている」
抑揚の少ないゼオシスの声音は冷たく聞こえた。確かに怒られていたのだが、平素でも圧迫感がある。加えて表情の変化も乏しいのだ。余計に威圧感はあるだろう。よって冷徹との噂に拍車が掛かるわけである。元より、それは彼が今まで聖十字で感情を押し殺してきた為だろう。
本音を言うと、ゼオシスも頭では総督職を失った大きさに着いていけていないのだ。
アスタロトの行方を探らなければならないという自発的な行動にも、まずはレイ達反乱軍とべリアルやアスタロトの関係を知らなければいけない。肝心のレイについて情報を聞き出そうにも本人が介入を拒否するので、物事はまだ当分進みそうにない。
これら二つの巨石にゼオシスの身動きは取れずにいた。
一方のレイはというと、彼がそういう風にしか喋れない背景も知る由もない。またしても突っぱねる事になってしまうのだった。元敵の前で自分が放心していたのをレイは取り去りたくなった。このどうしようもない憤り。お世辞にもレイは色に富む自分の感情を抑えるのは得意とはいえない。
その結果、かっとなって咄嗟に頬に触れていたゼオシスの手を振り払ってしまったのだった。
「煩いな! 何もないって言ってるじゃないか!」
パンッと鋭い音が空間に響く。
払われた白い手はほんのりと赤い。僅かに揺らぐ赤紫の瞳。そこでレイは初めて総督と呼ぶ男と目を合わせたのだ。ほんの一瞬、ゼオシスの整いすぎた顔が歪んだ気がした。
振り返れば、レイはまともにゼオシスと話をしようとしなかった。紅茶を引っ掛けたり、嫌いと連発して会話を遮ったり、思い出すだけでもあまりに幼稚な行動にレイは恥ずかしく思う。
さらに一瞬揺らいだ瞳を見たのにレイは驚きを隠せず、そのまま止まってしまったのだ。ゼオシスといると、自分のペースが掴めなくなってしまうらしい。
そもそも、てっきりレイはゼオシスをマシンの様に感情がないものだと思っていたのだ。事実、もうゼオシスは平然と変わらぬ無感情さだ。しかし、ほんの僅かな感情の変化――例えば伏せられる睫毛、物言いたそうにして結局は真一文字に結ばれる唇――が、ある。一秒経てば顔の筋肉はまた元の位置に戻っているせいか、偶然でもその瞬間を見止めなければ感情の有無があるという発見には繋がらないだろう。
或いは見止めたとしても幻に見えて、そのまま過ぎ去ってしまう可能性もある。
「……本当におかしな奴だ。私を毛嫌いする割りには凝視する」
淡々と言う口調に感情は読み取れない。レイは憎き総督の中を見た気がした。
自分でも何を思い立ったのか分からない。ゼオシスの手を掴んで、赤くなった肌を見詰めた。
「……痛かった?」
「は?」
「だから、痛かったかって聞いてるの。あぁもう、総督があんな顔するから!」
「なんだ、私のせいなのか。ちなみに、私は総督職を失ってるから総督では――
「そうだよ、全部総督のせいだよバカ! 総督といると調子狂うんだ。ぶった時に目が揺れるなんて、聞いてないよ」
ゼオシスの言葉を遮ってレイは怒鳴った。一方でレイがあまりに総督を連呼するのにゼオシスがヒヤリとしたのは別の話だ。外に聞こえたら面倒なことこのうえない。
ゼオシスはやれやれと歳の離れた小娘に返答した。
「揺れた? 冗談を言うな。私は三世紀前にそんな柔い感情はどっかに棄てたはずだ」
「知るか! とりあえず、表情を揺らす総督も悪いんだからな。無表情な奴だと思っていたら、単に分かりにくい奴なだけなんだな。そうだな?」
「私は自分の顔がどう動いてるか分からないが、そうなのか?」
「私に聞くなよ! 私だって、一々傷付くような奴に強い事言わないし……」
語尾の威勢が段々萎んでいく。そんなレイの顔は薄暗い中でも分かる程に赤かった。ゼオシスの手を握るその手も気のせいか熱を持っている。
高いとは言えぬ体温にぬくもりを感じるのは実に三世紀ぶりだった。
「レイ、」
「なんだよバカヤロー……」
やはり口が悪いのは忌めない。見た目ぐらいこの街では整えさせるべきか。ゼオシスはまだ堅い顔の下で密かに思った。
「前言撤回しよう。貴様は十年前に私が将来の再会を楽しみにしていた子供だった」
「……それ、どういう意味よ」
「いや、レイは覚えていないような昔話だ」
訝しげにレイは首を傾げた。ゼオシスは宥める為に頭を撫でた。艶やかな髪は掌を滑るように通り過ぎて行く。
レイはまたしても誤魔化された気がした。アスタロトも、総督もレイにやたら言い濁すことが多い。アスタロトは最後に本音を垣間見せたが、総督はまるで子供扱いだ。
レイは真一文字に締めた唇を震わせた。
「私、多分それ覚えてるよ……。イスラーフィルがナイル川の畔にいたのを。
アンタが、みんなの為に十字を切ってくれたこと。泣いてくれたこと。アンタは私なんか通過点かもしれないけど、私は、小さい頃の私にとっては、総督が綺麗に見えたんだ。総督は、昔、私にとって空から来た天使みたいに見えたんだ」
レイは俯きながら弱々しく言葉をしめくくった。
三百年の時に、再会するというのはあり得そうであり得ないのだろう。レイは思った。人間が、ゼオシスより先立って行く。ひょっとすると、総督とは意外と孤独な存在だったのではないだろうか。
その後ゼオシスは何も言わなかった。
レイは終始俯いていたから見えなかっただけかもしれない。そっと優しく、ぎごちないが笑みを零したのを。
「一度別荘で服をあわせよう。今の服装は目立つからな」
ゼオシスが寄り添って手を引くのを、レイは黙ってそれに甘んじた。
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