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 新聞を広げ、燃えるアレクサンドリアの写真を見詰めた。忌々しいといわんばかりにカインは紙面上の炎を睨む。
 いつか見たことのある光景だったのだろうか。カインは舌打ちした。

「第二支部総督は我が兄、イスラーフィールだ。兄さんが負けるわけないんだよ。それに兄さんは俺たち兄妹の中でも、戦闘に特化している。普通の人間相手にどこにも負ける要素がない」
 カインは腰を落ち着けると、足を尊大な態度で組んだ。まるで自分に言い聞かせるようだった。カインにとって、兄の行方不明は偽りに留めておきたかったのかもしれない。

 グラスをテーブルから取ると、従者に差し出す。従者は黙って赤ワインの栓を空けるとグラスに注いだ。上品な香りが部屋に広がる。カインは鼻を近付けてた。

 しかしカインの頭はきっちり動いている。カインは従者に語った。
「これは裏に何か潜んでるぜ。この写真の趣味は胸糞悪ぃにも程がある。直に原因を調べる必要があるな」
 そう言うと、グラスを傾けてワインを口にした。その味を口の中でじっくり堪能し、瞼を閉じて息を吐く。

「……あぁ、良い味だ。兄さんに持って行けばきっと喜んでくれる。後で同じ銘柄のを用意しておけ」
「は」
 従順な従者は頭を下げてカインに敬意を払う。
 本人はグラスのワインを光に当てながら、その反射を眺めていた。どこか嬉しそうな面持ちであった。


 カインは兄妹を愛してる。特に次兄ゼオシスを盲目的に慕っているのだ。兄弟愛も程度があるが、カインはそんなものは気にしない。
 好物のワインを持って行った時の兄を想像しているのだろう。カインの苛烈な瞳は兄妹だけに和らぐ。

 第二エリアの冷血と名高い総督にそんな態度を取れるのは、やはりカインが弟に位置付けされているからだろう。従者は仮面の下で思った。


「恐れながら、カイン様」
 そんな空気を割って、従者の男は呼んだ。機嫌が良いらしいカインは素直に従者に応じる。
 機嫌が悪ければ、側近と言えども後々に酷い目に合わされるのだ。

 すると、カインはくるりと首を向けた。
「あ? 今日は珍しいな。そんな自分から物言うなんて。まぁ、言ってみろ」

 兄を思い描いていたためか、従者に向けられたカインの表情は温和だった。先ほどより上機嫌なようで仕えるこちらも嬉しい。
 カインの気分屋は群を抜く。苛立ったような眉も弧を書くその顔は、無垢で純粋だ。

 しかしその表情が向けられているのは自分ではない。今回行方不明になった第二支部の総督に向いている。
 十年ほど仕えているが、未だカインの瞳に自分が映らないのを従者は知っていた。それでも従順なペットとして傍に居させてもらうのだ。

 それが至上の幸せ。生きる証である。
 従者は仮面の下で思ったが、けして口には出さなかった。そして、分かりきった虚言だけを吐き並べる。

「つまり、イェスラエムにお戻りになるのでしょうか?」
「分かってんならさっさと用意しろ。久々にヴァチカヌスに来たけど、もう用はないしな。あとは職員にでも任しとけば良いだろ」
 本当なら聞くまでもなかったが、従者は返答に頷いた。

 早く飛行機の手配をしなければ、主人の機嫌を損ねるかもしれない。
 主人を満足させるために従者はいる。主人に不満があるのは、従者の力量不足だ。
 よって従者はカインの良き僕であり続けた。

 従者の主人は気紛れだ。感じたままに行動する。着いて行くのは容易くない。自由気儘だが、知識量は一般人より遥かに多い。
 彼は一見見かけ相当の青年であるが、正体はより複雑だ。人間より長い時を生きている。

 そんな従者の主人は聖十字<クロスロード>第四エリア総督兼開発機関総責任者、カイン=アズリエル。
 聖十字<クロスロード>の誇る、大天使、セラフィムの化身だ。



 朝靄がアレクサンドリアを覆っている。寒い夜の名残を肌に感じる中、瞳は朧気に開いた。徐々に覚醒していく。
 すると、目に入ったのは荒廃した街並み。摩天楼の如き高い支部が靄に影を落とした。

 そこで気を失う前に起こった出来事を思い出した。
 アスタロトやべリアルとの再会。彼らは何らかの思惑を持って動いているような気がした。それによって、自分は地位を失ったのだ。
 聖十字<クロスロード>に彼らの動きを伝えたいが、ヴァチカヌスに戻るにも、地中海が阻む。

 一方で、彼らの存在は聖十字<クロスロード>の汚点だ。聖十字<クロスロード>本部にこの旨を伝えることは、世界に汚点を晒すことになる。
 ここは自分で動くべきだろう。

 さて、どうしようか――。

 息を吐いたら冷たい空気が難なく喉を通るのが分かった。喉の傷は完治したらしい。貧血も感じない。
 そして腹の重みに気付いた。
「……貴様、」
 そこにいたのは十年前は少女だった女。確かアスタロトがレイと言っていたような。ゼオシスは上半身を起こすと、その女に手を伸ばした。

 頬に手を添えると冷えているがまだ温かい。よく見れば涙の跡があった。
「……」
 暫し沈黙にゼオシスは考える。生きているのは自分とレイだけらしい。殺すにも哀れだ。

 しかし、何もなくなったアレクサンドリアに良いベッドがあるとは思えない。自室に戻る手もあるが、支部のエレベーターも止まっているだろう。
 自室に人を担いで行くのは得策でない。後の処分に困る。

 ゼオシスはレイを起こさないように抱き上げた。ふとメフィストの言葉がよぎる。

『蛇の分身に撃たれないようにね』

「……まさかな」
 アスタロトやべリアルも考えられたが、知人をそんな呼称で呼ぶものか。消去法で考えうるのはレイしかいない。
 銃口を向けてきた彼女の姿を思い出した。しかし、涙の跡を残した彼女がそんなものとは到底思えない。

 黒に混じる青い髪がかかる顔を、ゼオシスは眺めた。
 目覚めたら第一声は何だろうか。憎しみか、それとも悲しみか。

 とりあえず、先ずは休める場所を探そう。当ては全くないが、このままよりましな筈だ。
 レイが目覚めぬまま放ってておくのは、女性に悪い。アスタロト達の行方を追うのはそれからだ。

 ゼオシスは考えをまとめると、レイを抱いて、朝靄のアレクサンドリアに踏み出した。





<*last>

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