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 カーテンの隙間から入る光に照らされて、レイは目を覚ました。
 眩しそうにやや短めな眉をひそめて、シーツをもう一度引っ掴むと頭から被った。
 すると、レイの鼻を凛とした香水の香りがくすぐった。どこで嗅いだことがある香りだ。しかし自分の周りにいる人間は香水など着けない。
 誰だったろうか。
 寝返りをうって枕に顔を沈めてみる。懐かしい香りだ。河辺、星、砂漠――浮かんでくるのは見知った景色。そんなぼんやりとした頭に次に浮かんだのは銀髪と赤紫の瞳だった。

「――総督っ!」

 レイは咄嗟に跳ね起きた。何故目覚めが総督を思い出してなのかということに頭が抱える。憎むべき相手をなぜ思い出したのか。いや、あの頃、幼い頃は無知であり無垢だったために総督である男と知らずに話していたのだ。
『土は土に、灰は灰に、塵は塵に……』
 腰を折って幼い私の目の前で十字を切った総督の姿。紫水晶の様な、しかし深い悲しみを湛えた瞳が潤んでいるのを覚えている。

 ……あの時は綺麗だとさえ思ったのだ。それが総督だったとは危うくかつての愚かさに自己嫌悪に陥りそうなところ、レイの髪をシーツが滑って手元に落ちた。

 滑らかな手触り。純白の生地が眩しい。これは紛れもなく最高級シルクだ。レイは並のシルクすら知らないが、確かにこのシーツは高価さを感じた。こんな高級品のベッドにいるのは何かの間違いじゃないか。
 しかし、服はお世辞にも清潔とは言い難い、いつものままだ。どうやら現実らしい。

 不思議にレイが首を傾げているその時、ドアノブが回される音がした。

「起きたのか」

 抑揚の乏しいせいで冷たく聞こえる。入ってきたのはレイの敵、第二エリア支部総督、ゼオシスだった。
 白いワイシャツに、黒い細身のズボン。戦場とは打って変わった姿に驚きを覚える。戦場での苛烈さはどこへ行ったのか。静かな流れるような動作に見入ってしまったレイははっと我に帰った。

「あっ、あれ? 銃がない!」

 慌てるレイの姿をよそにあくまでも総督たるイスラーフィルはティーポットに煎れた紅茶をゆっくりとカップに注いで香りを堪能しながら言った。

「あぁ、あのリボルバーは私が持ってる」
「返せ!」
「返したところで、レイは私を撃つだろ? 撃たれると私は悲しい」
「ちょっと、待て待て。言いたいことは沢山あるけど、まず、なんでアンタが私の名前知ってるんだよ!」

 しかもファミリーネームではなく、ファーストネームだった。レイは憤慨したが、ゼオシスはそれを右から左へと流してしまうだけである。
 総督は煎れた紅茶の香りに頷くと、ベッドの脇に座ってレイに差し出した。

「毒は入ってない」
「……」
「無糖の方が味わい深い。イングランドのメーカーだ。香りはあまりきつくない、きっと紅茶を楽しむのが始めてでもストレートな味わいに納得出来るはずだ」

 レイがむっつり黙っているとゼオシスは紅茶の香りを再び味わっていた。彼にはまともな話の流れはないらしい。
 総督服でなく、ラフな白い純白のシャツにレイはその紅茶をぶっちまけたくなった。しなしゼオシスが無表情ながらも時折困ったように口をつくむ。この停滞した雰囲気がいい加減面倒なので、レイは一応ながらカップを受け取りはした。

「で、何なの?」
「何がだ」
「なんで私の名前を知ってるんだって話! あと、ここはどこ?」

 怒鳴るレイだが、やはり総督は表情を動かさないままだ。少し総督は考えたあと、流れるように答えた。

「一つ目の問いに答えると、アスタロトがファーストネームだけ教えてくれた。ファミリーネームは知らない。二つ目は、ここはカイロ。私の拠点だったところだ」
「……つまり、私はアスタロトに売られて今や聖十字<クロスロード>の手の内ってわけか」

 思わず舌打ちした。
 カップを握る手に力が篭った。下唇を噛み締めて、無力化した自分に失望せざる得ない。
 それを知ってかしらずか、ゼオシスは首を傾げて語った。

「おかしな事を言う。アレクサンドリアは陥落した。私も総督としての地位はない。私がレイをカイロに連れて行ったのに聖十字<クロスロード>は関係ない。私の独断だ」

 紅茶は嫌いか。カップを持ったまま一向に紅茶を飲まないレイをゼオシスは案じた。

「折角考えて私なりに煎れたのだ。感想が欲しい。険しい顔をするな」
「……総督の癖に馴れ馴れしいんだよ」
「馴れ馴れしい? 馴れ馴れしいといえば私にすがるように寝ていたのは貴様だろう、レイ」
「うっ……」
「やはり反乱軍に紅茶は高尚なものだったか」
「は、反乱軍なんて言うなっ。私たちはレジスタンス、ヴァチカン奪還を掲げる戦士だ! あぁもう、総督って奴はムカツクな!」

 レイは怒号すると、怒りに任せて紅茶をゼオシスに引っかけた。
 白いシャツは明るい茶色に染まり、毛先から滴が垂れる。前髪が下がって表情が伺えないまま、ゼオシスは沈黙した。嫌悪な空気が漂う。シーツには赤茶色のシミがポタポタと水玉をつくった。

「あ、アンタが悪いんだ……早くアレクサンドリアを渡せば良かったのに……あっ」

 レイがまごつきながら言い訳をしている。だがゼオシスは沈黙のまま、レイを見据えると、ベッドに押し倒した。
 レイの黒髪が広がり、目の前の目と目が絡み合う。シーツには紅茶の染みが滲んでいた。

「何すんだ!」
「それは私の台詞だ。用意した飲み物をいきなり怒りに任せてふっかけられたのだ。私は元来気は長い方ではない」
「アンタが悪いんだろっ、私を助けるから」
「……気紛れだ」
「はぁ?」
「レイ、貴様は私の気紛れに生きている。気紛れに私は貴様を助けた。よって、私はレイの命を握っている。その煩い口を閉じろ、今からお前を犯しても良いんだが?」
「やっ、やめろ……」

 レイは嫌だと首を振った。しかし、顎を掴まれてしまい、更には身動きも取れない。
 赤紫の瞳がギラギラと光っている。これがかつて幼少の頃に焦がれた瞳だろうか。知らない内に目が潤んでいった。
 そして、銀髪と黒髪が重なりあう。どこを見てるか分からないゼオシスの視線。この男に自分は映っていない。違う自分を見ている。
 レイは恐ろしさに目を瞑った。総督の体温が近付く。部屋の影に二人がかさなる。

「まさか本気に捉えるとはな」
「……え? 総督――」

 目をうっすら開ければレイの長い黒髪を指に絡めながらゼオシスは横に寝そべっていた。黒髪に混ざる群青の髪を不思議そうに見て髪を弄っているだけだった。レイは思わず赤面した。てっきり乱暴にされるかとすら思ったのだ。

「フン、私がそんな卑しい真似をするわけないだろう。潤んだ目で見てくれるな、それは汚らわしい人間の欲だ。それとも、何だ。期待したか?」
「っ、そんな訳ないだろ!」
「それは結構。私のベッドを貸してる女が、卑下た奴では困る」
「何だと〜っ」

 先程のはどこへ行ったのやら、ゼオシスはさっさとレイから身を引いた。それはそれで、あまりの淡白さにレイは女性として少しむっとした。あまりの美しさに息を飲んだとは言えるわけがない。そんなレイに、紅茶で濡れたシャツを脱ぎ捨てたゼオシスは眉をひそめた。

「何だ、膨れっ面をして……」
「別に。ていうか! 何で脱ぐんだよ」
「貴様が私に紅茶を浴びせたからだろ。忘れたのか」

 惜し気なくさらされた上半身は白くきめ細かな肌に包まれていた。細身の割りに筋肉はしっかり付いていて、レイは妙な気恥ずかしさを感じた。
 そもそも、レイはこういう知識に疎い。シーツを握りしめて、レイは視線を泳がせた。

 切に、レイは貧しいながら楽しかったレジスタンスが恋しくなった。総督が近くにいる、それだけで気が張りつめるのだ。
 しかし、それも今や自分を置いて無くなってしまった。
 アスタロトの言葉が蘇る。



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あきゅろす。
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