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 メフィストの血がゼオシスの白い手を赤く染める。確かに心臓を掻き抉った感触はある。心臓独特の臭いと、時々つっかえる刃の滑りだ。しかしメフィストには効いていないようで、心臓に異物が食い込んでいるにも関わらず、薄笑いを浮かべてゼオシスを嘲った。
「言っただろう、効かないって」
「お前の心臓を抉らなきゃ俺の気が済まない」
 唸るように吐き捨てたゼオシスは、小刀に入れる力を強めた。メフィストの唇の端から血が縷と零れる。大理石の床に赤い水溜まりが出来た。

「フフン、そうかい。まぁ……、坊っちゃんも今は忙しい身、アレクサンドリアを今すぐにでも守らなければいけない。少しアタシも長居をし過ぎたようだ。邪魔したね」
 そう言って小刀の刃を握りると、メフィストは構わず胸から抜いた。ゼオシスの手から肉を切るの感触が消えた。血が刃を伝う。メフィストはそれを舌で掬った。

「坊っちゃん、良いのかい? 外はエライ事になっているよ」
「……貴様のせいだろう」
 ほとぼりが冷めたのだろう。ゼオシスは文句を静かに呟いた。しかし、メフィストが言う通り、先ほどから背後で爆発や発砲の音がする。司令室を兼ねるゼオシスの部屋に応答するようにとライトが何度も点滅していた。戦況は芳しくはなさそうである。
 ヨハネスが居ないのは解せないが、仕方ないのでゼオシスは自ら外套を取った。メフィストを睨みながらホルスターに愛銃を入れて、着々と準備をする。

 何より、一刻も早くゼオシスは戦場に行きたかった。自ら得物を手に、戦況を立て直す必要がある。だがメフィストがいるお陰で司令室が操作でもされて、放っておいたら、誤ってた情報でも流されかねない。メフィストはそんな男だ。

「坊っちゃん」
「その呼び方はやめろ。そんな年じゃない」
「良いじゃないか、昔を思い出すだろう」
 そう言うと、メフィストはステッキを抱いて、爪先で一回転してみせた。小刀を弄ぶ手が危なっかししい。危うく落ちそうになった小刀をメフィストは慌てて取り止めた。

 勿体ぶって、メフィストは咳払いをする。
「ゴホン。……さてさて、坊っちゃん。アタシ、お土産が欲しいんだが」
 拍子抜けした。なんて場違いかつ、空気の読めない男なのか。ゼオシスは不機嫌な顔になって、一オクターブ声を下げて言った。
「ふざけるな。ここは戦場だ。欲しかったら死体ならくれてやる」
「そうだね」
「は?」
 思わぬ返答に知らずと気の抜けた声が出てしまう。メフィストは相変わらず危なっかしそうに小刀を扱いながらぼやいた。
「そうだなぁ……。例えば、坊っちゃんの血が欲しいなぁ」

 次の瞬間。肉が切れる音がした。ゼオシスの右腹に深々と先の小刀が刺さっている。別に彼は死ぬわけではない。不死身の体だ。直ぐにでも再生が始まる。
 しかしメフィストに劣らぬ大量の出血だ。ゼオシスの唇から血が垂れる。
「この、……貴様っ!」
「おや、どうした事だろうね。総督だというのに、唇から血が流れてるよ。まさかアタシが小刀も使えないとか思ったかい? 甘いねぇ」
 図星である。現にメフィストは慣れない手付きで小刀を弄んでいたではないか。
「……クソッ! 図ったな。最初からそれが目的か!」
「イヤだねぇ、そんな言い方しないでよ。まぁ、血が欲しかったのは確かさ」

 メフィストは右腹を抑えるゼオシスに近付いた。胸から出した得体の知れぬ小さな物体をそっとゼオシスの血に浸す。
「な、何をしている」
「お土産。蛇の分身に、ね」
「蛇の分身?」
「フフン。楽しみにすると良いよ」
 十分に採取したのだろう、メフィストは胸の内に物体をしまった。

 そこで、呆気に取られているゼオシスの唇に指を置いて、垂れる血を絡めた。そのまま紅のようにゼオシスの唇に朱を塗る。
「フフ。キレイだよ、坊っちゃん。やっぱり坊っちゃんには赤が似合う。イイ子だ。アタシが飼いたいところだけど、……もう始まりの鐘はなっている。坊っちゃんも心臓に気を付けな。その、蛇の分身に撃たれないように、ね」
 冷たい物がゼオシスの唇に触れた。メフィストはゼオシスの顎に手を置いて放さない。包み込むように、交い摘まむように、メフィストはゼオシスの唇を堪能した。

 一瞬驚きを見せたゼオシスだが、黙ってメフィストの行為を受け入れる。
 ゼオシスに触れる者は三百年いなかった。いるとしたら、同じような時間の中で生きる者だけだ。メフィストはゼオシスの前身の体を持つ。
 どんな憎まれ口を叩こうと、仄かに懐かしさがあった。ゼオシスはメフィストの服を掴んで迫った。肉厚がいとおしい。久方ぶりに触れる人肌は、ゼオシスを淡い童心に返らせた。

 しかし、すんでのところでメフィストはこれ以上深く口付けるのを止めてしまった。
「……じゃあね、可愛い坊っちゃん」
「メ、メフィスト」
「ニ百五十年ぶりに会えて良かったよ」
 そう言うと、メフィストは闇の中に消えて行った。メフィストを引き留めようとゼオシスは思ったが、彼が待つわけがない。ゼオシスは声を飲み込んで止めた。
 冷たい唇の感触だけが残る。


 部屋に残ったのは腹に小刀を刺したゼオシスだけになった。
「は……くっ」
 ゼオシスは小刀を乱暴に抜いた。血は治まり始め、貧血の気だるさだけが残った。しかし、その重い体も直ぐに元に戻るだろう。

 何度目の応答だろうか。ライトが点滅している。ゼオシスはふらつきながら、無線を掴んだ。
「何事だ……」
 何か異常があったのを知られてはならないと思い、ゼオシスはあくまでもポーカーフェイスを努めた。
 幸運な事に悟られなかったのだろう。無線の向こうから切羽詰まった声が聞こえた。それを聞いた時、ゼオシスの顔は青ざめる事になる。

『総督、このままでは危険です! 第一部隊、第二部隊、第五部隊、第九部隊は壊滅。第三部隊、第四部隊はもうすぐ全壊を待つのみしかありません! 残りの部隊は退却させ、支部の周りを守らせていますが、このまま我々の力では持つかどうか……。総督、どうか我々にお力をお願いします!』
 背後から総督と叫ぶ声が沢山ある。ゼオシスは目を見開いた。メフィストの狙いはこれにあったのだ。




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あきゅろす。
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