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ぬらりひょんの孫 〜天狐の血を継ぐ陰陽師〜
第四夜 一番街へ〜誓いを果たすために〜
―日曜日―

「帰りはいつごろになる?」

「わからん。清継君の気合次第やと思う」

「そうか…あまり遅くなるなよ?」

 玄関先で交わされる二人の会話。これだけ聞いているとどこの新婚夫婦だと突っ込みたくなる義理の兄妹の会話である。男女逆転ではあるが…

 …まぁ、昌彰とゆらは婚約者だからあながち間違ってはいないとは思えるが…

「わかってる。一緒に行けたらよかったんに…」

 昌彰と一緒に行けない事実にゆらは表情を曇らせた。

「仕方ないだろ?今日、俺の荷物が届くんだから」

 昌彰はいきなり修行に出たゆらを追いかけてきたため、必要最低限の荷物しか持ってきていなかった。

 故に花開院本家から今日、荷物が送られてくることになっている。

「終わってからでも来れへんの?」

「昼過ぎに届くはずだからな…片付けが早く済めば行くかもしれん」

 パァッとゆらの顔が明るくなる。

「ほなら、私も手伝う!」

「いや、待て。清継はお前もしくは俺のどちらかから話をしてもらいたがってるんだぞ?二人とも来れませんじゃさすがに可哀そうだろ」

「あ…そやな」

 ゆらは見た目にもわかるほどシュンとなった。

「ほら、そろそろ出ないと遅くなるぞ?」
 
 玄関に置いてある時計を目で示しながら昌彰はゆらを促した。

「あ、うん。ほな行ってきます!」

「いってらっしゃい。リクオのところに迷惑かけるなよ」

「わかってる。それじゃ」

 そう言ってゆらは制服で出かけていった。

(すまない、ゆら…)

 ゆらを見送りながら昌彰は心の中で謝った。

 昌彰は最初から奴良家に行くつもりはなかった。行けば氷麗や青田坊とも会うだろう。今会えば無用な諍いを起こしかねない。そう考えたのだ。

「さてと…天后、手伝いを頼む」

『承知いたしました』

††††

―その頃の奴良家―

『だから…若、な〜んでワシらがそんなコソコソせにゃ〜ならんのです?!』

『人間の友達が来るから…隠れろだぁ?!』
『はぁん!?』
『ワシらは妖怪一家なんですがね―――!!』

 リクオは必死で家にいる妖怪を説得していた。当然納得されるはずもなくブーイングが起こる。

「事情はわかるけど、頼むよ…君らのためでもあるんだから」

『ワシらは人間から畏れられてナンボ!そいつらが何者だっつーんですかい?』

 さらに激しくなる抗議の声。だがそれはリクオが発した次の言葉で水を打ったように静まった。

「陰陽師の末裔…」

『さーみんな、隠れるぞ!』
『そうだな!あ、若。他の連中にも言っときますんで!』
『急げ!若の命令だ!』

 掌を返したように慌てて隠れ出す妖怪たちにリクオは思わず深い溜息を吐き出した。

「若、陰陽師というとあいつもくるんですかい?」

 横から青田坊が訊ねてきた。

「あ、いや。来るのは花開院さんだけみたい。昌彰さんは、なんか引っ越しの荷物が今日届くとか言ってたから」

††††

「さてと…青龍、段ボールを運ぶのを手伝ってくれ」

 運び込まれた段ボールは十数個。衣服などは軽いが陰陽術関連の書籍やらもごまんと詰め込んであるのでそれらはかなりの重さがある。

『…なんで俺だ?』

 青龍は深い蒼の瞳をすがめた。

『私がお願いしました』

『天后…ふっ、お前も変わったな』

 青龍は軽く天后を睨みつけたが不意に口元を綻ばせた。平安の時代より千年。悠久の時を生きる十二神将も多少なりとも変化を示すようである。

『あなたもですよ、青龍』

 かつてなら即座に謝ったであろう天后も今は穏やかに微笑んで青龍の視線を受け流すことができる。

「…二人とも終わってからにしてくれるか?」

 ちなみにこの二人も天一と朱雀ほどあからさまではないが恋仲である。

 朱雀曰く、「千年くらい前からそういう空気はあったけどお互い意地っ張りだったからな〜」らしい。

 最近になってようやく恋仲であると認めるようになったらしい。

『承知いたしました』『言われるまでもない』

 二人の神将は揃ってそう答えて荷物を運び始めた。

「…こう考えると身の周り、恋人同士が多いな…」

 天一と朱雀しかり、青龍と天后しかり、他にも騰蛇と勾陣、玄武に太陰あたりか…

 昌彰は自分も段ボールを一つ抱えて自分の部屋へと入って行った。

 未だ天一と騰蛇や勾陣、太陰は召喚できていないため、実際に揃ってみたのは青龍と天后だけだが、朱雀の天一との惚気話や、玄武の太陰との苦労話を聞くになかなか個性的なカップルであることは想像に難くない。

 勾陣と騰蛇に関しては勾陣の親友である天后から聞きかじった程度だが最強とそれに次ぐカップルとは…

 思わず、喧嘩したらすさまじいことになりそうだなと漏らすと天后は笑って、騰蛇が勾陣に手をあげることはないと言った。

 あの二人には他の者にはない絆があると、千年前は騰蛇を嫌悪していたらしい青龍までがそう言うのだから相当なものなんだろうなと昌彰は感じていた。

『昌彰様、この服は?』

「えっ?」

 作業しながら思考に没頭していた昌彰は不意に後ろから声をかけられた。

『何故か女物の服が入っておりましたが…』

「ああ、それはゆらのだ。あいつパジャマ以外私服持ってきてなかったみたいだからついでに送ってくれるように頼んだんだ」

 昌彰に女装趣味があるなどというわけでは断じてない。

††††

…一方、奴良家では…

「なんかものすごい妖気を感じるの…でもわからない…」

 ゆらは清継達を連れだって奴良家の廊下を歩いていた。家のあちこちから微弱な妖気が漂っているので感覚が狂ってしまっているのだろう。

「え?ど…どういう意味だい?」

 清継がそう問うた時にようやくリクオが追いついてきた。

「この家って妖怪屋敷なんじゃぁ…?!」

「(既にほとんどバレてる―――?! そんな…ぼくの平和な生活が〜〜)みんな〜戻って妖怪の話しよ〜よ〜」

「だめだ! 奴良君…君にはあとでじっくり話を聞かせてもらおう」

 必死にリクオは戻らせようとするが、清継がバッサリと切り捨てた。

「大浴場…水場か…奴良君、失礼を承知で覗かせてもらうわ」

「え!!」

 止める間もなくゆらは脱衣所を抜け、大浴場の扉を開けはなった。

「…」

 ゆらの目の前に広がるのは温泉顔負けの大浴場。それだけで何もいない…

「ね…っ、ホラいないでしょ?」

 実際には浴槽のなかやら飾りの岩の陰に色々と隠れているのだが…

「…おらんみたいやね…」

 ゆらも多少の違和感を覚えつつも素直に引き下がった。

 だが、それで留まるはずもなく…

「ここから妖しい臭いがする!」

 次は仏間の戸を開けはなった。

「おぉ‥すごい」「金ピカの仏像が…」

清継達が感嘆の声をあげる。

「うん?この仏像…」

 その中の一体にゆらは目をつける。

(!!!)

 リクオの背中を冷や汗が流れる。その仏像の中に納豆小僧や小鬼が隠れているのが感じ取れたからだ。

「う〜ん?」

 ゆらは何かを感じるようでしきりに唸っている。

「す…すごいでしょ、それ…」

 悪趣味だよね〜と続けるリクオであるが実際はゆらが気付かないかヒヤヒヤしている。

「触るとじいちゃんに怒られるからさ。ね、ほら何もいないじゃない。戻ろうよ」

 リクオはゆらを押すようにして部屋から出そうとした。

「そうやね…とりあえずお札はっとく…」

(ひぃぃ!若ぁ、はがして下さいぃ)(あ、後でねぇー!)

 中にいる納豆達の悲鳴が聞こえたが後でどうにかするとしか言えなかった。

「ここは!」

(そう言えば…前にもこんなことがあった様な…)

 家の中をあちこち探し回るゆらと清継達にリクオは前回の旧校舎探検を思い出した。

「なんだいないじゃないかー」

「お…おかしいなぁ…」

(昌彰さん!助けてください!っていうか何で来てくれなかったんですか〜?!)

††††

「ん?」

『どうした?昌彰』

 不意に声をあげて本を並べる手を止めた昌彰に青龍も段ボールを開ける手を止めて訊ねる。

「いや、誰かに文句を言われた気がして…」

††††

(無事に終わった〜〜)

 清継達四人を見送った後、リクオは大きく息を吐いた。

 座敷には先程まで隠れていた妖怪たちが精根尽き果てように転がっている。

「まったく…ワシを見習わんかい。たかが陰陽師の小娘一人に大慌てしよってからに…」

 一段高くなったところでリクオの祖父、ぬらりひょんがぼやいた。

「ワシなんか大昔は陰陽師の本家に行ってメシ食って帰って来たこともあったぞ」

「それは総大将しか出来ませんよ」

 側に控える木魚達磨がツッコんだ。

「とはいえ、みなも妖気ぐらい消したり出来なくては…付喪神ならモノに戻るとかいくらでも方法はあるだろうに…」

 木魚達磨が言うとその辺に転がっている妖怪が一斉に喚きだした。

(あぁ、疲れた〜)

「リクオ、ちょっと来い」

 毛倡妓に団扇で扇いでもらいながら安堵していたリクオはいきなりぬらりひょんに呼ばれた。

「なに、じいちゃん?」

「青と雪女から報告を受けたんじゃが…正体がばれたんじゃと? それも陰陽師に」

「!…」

「何ですと?!それでは…「最後まで話を聞け、達磨」…申し訳ありません」

 ぬらりひょんの言葉に木魚達磨が声をあげるが、ぬらりひょんはそれを制した。

「で、どうするんじゃ?リクオ」

「え?」

 祖父の意外な言葉にリクオは反応に困った。てっきり責任を追及されるとばかり思っていたからだ。

「バレっちまったもんは仕方ない、問題はそいつをどうするかだ」

「どうするって…」

「見逃してくれるように頼むのか、脅してでも口止めするのか、最悪口封じに殺すのか。もっとも、そうなるとこちらにも被害が出るじゃろうがのう」

 殺すという単語を口にしてはいるがぬらりひょんはそうするつもりはなかった。

 既に、その陰陽師とリクオが和解していると聞いていたからだ。だからこれはその時に言ったリクオの言葉『人に害を為すつもりはないし、させない』、その真意を確かめるための問い。

「なっ!? 殺すなんて…昌彰さんはボクが人間に害を為さない限り手を出すことはないっていってくれたんだ!」

 リクオの言葉に木魚達磨は一瞬ぽかんと固まった。ぬらりひょんは驚いてはいないが何か引っかかるような顔をしていた。

「な、何を生ぬるいことを! 相手は陰陽師ですぞ?!」

「待て、達磨」

 声を荒げる木魚達磨を再びぬらりひょんが抑えた。

「総大将?!「リクオ、その陰陽師の名前は?」…」

 なおも抗議の声をあげる木魚達磨をぬらりひょんは黙殺した。

「昌彰、安藤昌彰だけど…どうしたのじいちゃん?」

 名前を聞いた途端黙り込んでしまったぬらりひょんにリクオは怪訝そうに声をかけた。

「総大将?」

 先程まで声を荒げていた達磨もぬらりひょんの態度を疑問に思ったのか静かに次の言葉を待った。

「安藤か…」

 氷麗と青田坊からの報告には陰陽師の名前が無かった。

「リクオ、その言葉は信用に足りるのか?」

「総大将?!」

「え…あ、うん」

 陰陽師の誓いは言霊だ。決して違えることはない。そう言ったのは昌彰であった。

「ならいい。達磨、話は後でする。もういいぞ、リクオ」

 まだ何か言いたそうな木魚達磨を黙らせてぬらりひょんはリクオを下がらせた。

 そのまま木魚達磨を連れて奥の私室へと入った。

「総大将…安藤とはまさか…」

「そうじゃろう…あれ以来接触がなかったが…」

――――

「どうしちゃったんだろ。じいちゃん」

「若〜、ご飯ですよ〜」

「あ、今行く〜」

 祖父の態度に困惑しながらも氷麗が自分を呼ぶ声に応えて座敷へ向かおうとした。

『若…リクオ様』

 リクオはそれとは別に自分を呼ぶ声が聞こえて振り返った。

「ん…?(ネズミ…の妖怪?)」

『お初にお目にかかります。私、旧鼠組の下っ端の使いの者でございます…』

 ネズミは小さな頭を下げて名乗った。

「旧鼠組…?(知らないな…)」

『ハイ、浮世絵町の一番街に住む者です。実は…』

††††

−話はここで少し遡る−

(あかん、なにやってんやろ私…)

 ゆらは一人で繁華街を歩いていた。

 あれだけいると思って探し回って、結局何も見つけられなかった。

 ゆらはそう考えながら普段見慣れぬ道を歩いていた。

(お兄ちゃんからも迷惑かけないように言われとったんに)

 そのことも相まって、少し一人で考え事をしたくてワザと遠回りして帰っていたのである。

「お譲ちゃん、制服着てどこ行くの―――?」

(…どこやここ?)

 無駄に派手な男から声をかけられてようやくゆらは思考の海から帰還した。

 派手なネオンに彩られたビル。あんまりいい雰囲気ではない。

「どうしたのー?」

(あかん、はよ帰ろう…)

 軽薄そうな優男が再び声をかけてきた。ゆらは極力無視して歩く。

「ゆらちゃん!」

「あ…家永さん」

 ゆらが聞き知った声に名前を呼ばれ振り返るとそこにはカナがいた。

「この時間は危ないよ。この辺」
 
 確かに女子中学生がうろつく場所ではない。だが何故、カナもここにいるのか?

「いこっ。どこ住んでんの?あ、お兄さん、昌彰さんも一緒だっけ」

「……。私って…まだ修行が足りひんわ」

 屈託なく話しかけてくれるカナの態度が今のゆらにはありがたかった。自己嫌悪に陥りかねない状況では少しでも誰かに話してしまった方が楽になれる。

「本当にいると思ったのに…奴良くんに失礼なことしてもーた…」

「…ゆらちゃん」

「わっ、女のコが落ち込んでるよ〜〜」

 ゆらとカナの会話に突如として別の声が割り込んできた。

 金髪に派手なスーツ、どこからどう見ても夜の街の華(笑)、ホストだった。

「ひーろった。オレの店まで持って帰っちゃおーっと」

「えっ」

 ゆらは素早く身を引いた。

「それともどっか行く? いーねそれも!! ボクと一緒に遊ぼうよ〜」

「……いこう…ゆらちゃん」

 カナはそのホストを睨みつけ、相手にしないようにそっぽを向いて歩きだした。しかし、

「え…ちょっと…何よ…」

 カナとゆらはホストの取り巻きたちによって周りを囲まれてしまう。

「下がって…家永さん」

「ゆら…ちゃん…?」

 ゆらの声音が固くなった。微かに漏れ出る妖気…それを感じ取ったのだ。

「つれなくすんなよ、子猫ちゃん

 ニヤニヤと最初に話しかけてきたホストが笑いかけてくる。

 だが、その顔は徐々に人のそれから変わり始めていた。

「アンタら…三代目の知り合いだろ? 夜は長いぜ。骨になるまで…しゃぶらせてくれよォォ

「か…顔が…化物ッ…」

 カナが目の前にいるネズミに悲鳴を上げた。

「さぁ、長い夜の始まりだ」

 満月をバックにそのネズミ−旧鼠は告げた。

「ひっ…あ…いやぁぁあっ!」

 カナは耐えきれずに背を向けて逃げ出した。唯一塞がれていない背後の裏路地へ。

「家永さん!ダメッ!」

 ゆらはそれが相手の狙いだと気づいてカナを止めようとするが一瞬及ばず、カナは路地へと飛び込んでしまう。

「っく!」

 ゆらも急いで後を追う。

「逃がすな」

 旧鼠は罠にかかった獲物をいたぶるように追い込んで行った。

 路地はさほど長くなく、すぐに行き止まりに追い詰められてしまう。

「キャッ、いや…! なに…何なのこれ…?」

「家長さん落ちついて…こいつらは昼間話した獣の妖怪や…」

 知性はあっても理性はない。ただの血に飢えた邪悪な存在。

「おとなしくしてりゃあ…痛い目見なくてすむぜぇー」

 ジリジリと旧鼠の配下のネズミたちが詰め寄って来る。

「…ねずみふぜいが粋がるんちゃうわ」

 ゆらはその脅しを鼻で笑った。

「何?」

 人間の姿なら旧鼠の額に青筋が浮いたであろう。

「後ろに下がって、家永さん」

「え!?」

 ゆらは財布を取り出しながらカナを下がらせた。

「やれ、お前ら」

 旧鼠の命令が下り、配下のネズミたちが一斉に襲い掛かる。

「『禹歩、天蓬』」

 ゆらが前へと足を踏み出す。

「『天内、天衝、天輔、天任』」
 
 独特の足運びで一歩ずつ言葉に合わせて。

「『乾坤元享利貞』出番や! 私の式神!」

 ゆらは人型の呪符を放つ。

「『貪狼』!」

 名前と同時に召喚されたのは巨大な狼。その圧倒的な威圧感に配下のネズミたちは二の足を踏んだ。

「ゲッ」「うわっ」「わわわ…」

 一瞬にして正面にいたネズミたちは吹き飛ばされる。

「貪狼、あいつらネズミや。食べてしもて」

 ゆらの命令の下、貪狼はネズミたちに牙をむいた。

「くそっ!」

 鉄パイプを振り上げて応戦しようとする鼠だが…通じるはずもない。

「ギャァアアア―――!」「ひぃぃいいっ!」

 瞬く間に三匹ほどが貪狼の牙にかかって消しとんだ。

「なんだこいつぁ―――!?」「翼ー!優ー!!」

 路地の闇にネズミ妖怪の断末魔が響き渡る。

「こいつ…式神を使ってやがる…術者だ!」

 ようやく気付いたのか、旧鼠は一旦配下のネズミを退かせる。

「陰陽師だ! それも…生半可ねえぞ!!」

 その声をBGMにして、貪狼は目の前に残っているネズミを余さず喰らいつくした。

「いい子やね、貪狼」

 その声に貪狼はゆらの下へ舞い戻る。

「兄貴〜」「聞いてねーぞ」「旧鼠さん。この女一体…」

 取り巻きも下がって口々に旧鼠に問いかける。

「旧鼠か…仔猫を喰う大ねずみの妖怪…人にバケてこんな路上に出るなんて…」

 ゆらはネズミ−旧鼠を睨みつけた。貪狼も再びその牙を突きたてんと身構える。

「こいつぁ…三代目はそうとうな好き者だな…」

 そう言いながら旧鼠は顔を人間に戻した。長めの前髪をかき上げる。

「そんなぶっそうなモノはしまいなよ」

 文字どおりの猫なで声でそう言いながら旧鼠はゆらの頬へ手を伸ばした。

「さわるなネズミ」

 そう言ってゆらはその手を払いのける。

「……あ?」

 その瞬間再び旧鼠の顔が一瞬ネズミに戻った。コートのポケットからハンカチを出してゆらに叩かれた手を拭った。

「…?(なんなんやこいつ?)」

「あぁ…やべえな…こいつ終わったわ」

 ゆらがその行動が理解できないでいるところに旧鼠はぼそりと呟いた。

パチン

 無駄にかっこつけて指が高らかに鳴らされる。

「キャアア!」

「家永さん?!」

 背後のカナの悲鳴にゆらは驚いて振り返る。

「いやっ…ネズミが!?」

 その辺にいるようなネズミがカナにまとわりついていた。

「その娘に何するんや! 貪狼!」

 咄嗟にゆらはカナの下へ貪狼を向かわせる。しかし、一瞬後にその判断を後悔した。

(!しもた)

 背後から首筋に旧鼠の爪が突き付けられていたのだ。

「やめとけ…ネズミはいくらでも増やせる。おとなしく…式神をしまえ」

「いやっ…ちょっと…ど、どこ入って」

(ぐっ…)

 目の前ではカナがネズミにまとわりつかれている。

「もちろん違う式神もだめだ」

「……」

 無言でゆらは式神を解いた。

 鈍い音がして旧鼠の拳がゆらの頬を捉える。

「グゥッ…」

 ゆらは倒れたはずみで持っていた財布を取り落とした…

「なんで…私たちを…」

「ゆらちゃん!?」

 人気のない路地裏にカナの叫びが木霊する。

「おまえら丁重にあつかえよ…こいつらは大事なエサなんだからな…」

「…禄…存…」

 ゆらは薄れゆく意識の中、小さくその名を呟いた。

 その呟きに倒れた時に落とした財布から一枚の呪符が反応する。

「ゆらちゃ…」

 必死に呼びかけていたカナも腹部に拳を叩き込まれ、声も無く崩れ落ちる。

「ちっ、よくもここまでてこずらせてくれたな…」

 旧鼠は吐き捨てるように呟いた。

「行くぞ。次はいよいよ自称三代目・・・・・のお出迎えだ」

 旧鼠がそう言うと配下のネズミ妖怪たちはカナとゆらを担ぎあげ、その後に続いた。

(三代目…? 何の…ことや…?)

担ぎあげられた状態で霞みゆく思考の中、ゆらは必死で考えを巡らせた。しかし、それ以上何の言葉も聞き取ることはできない。

(禄存…どれくらいかかる…?)

 ここがどのへんかはっきりとはわからない。禄存の足で家まで辿りつけるか…

(あかん…ゴメンね…お兄ちゃん…)

 その言葉を最後にゆらの意識が途絶えた。

††††

(お兄ちゃん…)

 荷を解き終え、片付けを神将達に任せた昌彰は夕食の支度にとりかかっていた。

「…? 何だ?」

 昌彰は夕食の支度をしていた手を止めた。

『昌彰様。段ボールは…どうされました?』

 報告のために天后が台所に顔を出す。後ろには黒髪に黒曜の瞳を持つ少年の神将、玄武が控えていた。

「いや…誰かに呼ばれた気がして…」

 昌彰は手を拭いながら辺りを見渡した。

 辺りにそれらしき気配はない。気のせいだろうかと昌彰は呟いた。

『本当にそうか? 昌彰』

 玄武は納得していないように訊ねる。陰陽師の直感は何物をも超越する。現に彼ら十二神将は傍らでそれを見てきたのだ。

「…違う、と思う。やっぱり誰かが呼んでた…」

 少しの間目を閉じて考えていた昌彰はおもむろにベランダに出た。特に考えての事ではない…強いて言うなら直感だ。ここは二階、誰もいるはずがない。

「いるわけないか…ん?」

 昌彰の視界の隅に白いモノが微かに映った。

「…これは…」

 それは、ゆらの式神−禄存を宿した呪符だった。

「まさか…ゆらに何かあったのか?」

 式神は術者が倒れれば召喚を解かれる…何かを伝えようとここまで式神を飛ばしたと考えるのが妥当だ。

「…リクオの家で何かあったとは考えにくい…だとすると、帰る途中で何かあったか…?」

 昌彰は冷静に考えられる可能性を列挙していく。

「くそっ、式盤は別に送られてくるからまだ届いてないし…星占は…ここじゃ無理だな…」

 繁華街にほど近いこのアパートの周りには住宅や街灯が多い。夜といえど必要以上に明るいのである。こうなっては星が見えにくい。

 しかも、それなりに雲が多く、間の悪いことに満月だ。月の光で星が翳ってしまう…

「…なら虱潰しに『昌彰』…どうした六合?」

 滅多なことでは口を出さない六合が隠形したまま今にも飛びだしていきそうな昌彰に待ったをかけた。

『その式神…禄存といったか…召喚できるか?』

「できないことはないだろうが…」

 他人の式神を召喚するには多少無理がある。例え召喚できても全能力を引き出すことはできない。

『ならば問題ない』

 その言葉と共に六合は顕現した。昌彰と違い低い位置で束ねた鳶色の髪が風を受けてなびく。

「どういうことだ?」

 昌彰は六合に問いかける。

『その式神に訊けばいい』

「へ?」

 禄存は元々エゾシカの式神。人語を解することはない…はず。

『通訳する。早く喚べ』

「できるのか?」

 急かす六合に昌彰は確認する。

『騰蛇はかつてしていた』

「…わかった」

 あの騰蛇が…と昌彰は一瞬想像してみたが今はそれどころじゃないと打ち消した。

「来い、式神『禄存』!」

 風圧を伴って召喚された禄存はベランダの柵の上にいた。

「…小さ!?」

 思わず昌彰は叫んだ。ちょうど手乗りサイズのシカがこちらを見上げている。

『…構わんだろう。禄存、お前の主はどうした』

 六合はたいして表情を変えずに禄存に問いかける。

『…何だと?』

 「キュィー」とか「カゥッ」とかが入り混じった声で鳴かれても昌彰にはさっぱりだったが神将達にはわかったようだ。六合だけでなく後ろにいる玄武や天后まで顔色を変えている。

「一体何があったんだ?」

 しびれを切らした昌彰が訊く。

『ゆら様が…拉致された、と』

「なっ?! どこでだ?!」

『案内すると言っている』

 再び泣き声で答える禄存とそれを訳する六合。向こうは人語を聞くことはできるらしい。まぁ、そうじゃなければ命令がわからないか…

「わかった。天后、戻ってくれ。白虎を喚ぶ」

『承知しました』

 即座に天后が隠形し霊符に戻る。

「白虎! 風を頼む」

『承知した』

 亜麻色の総髪にくすんだ灰色の瞳を持つ壮年の神将が顕現した。昌彰、玄武、六合の周りで風が渦巻く。

「禄存! 案内を頼む!」

 昌彰の声を聞くと禄存は闇夜へと跳躍した。小さくなっても脚力は健在なようだ。

「白虎!」

『御意!』

 白虎の風を駆り、昌彰は禄存に続いて夜空を舞った。

††††

(ホスト…? 何それ…“拉致”…?)

 その頃、リクオは夜の街を駆けていた。先導は先程家に来たネズミである。

(なんでそんな…あの二人が!? 何したっていうんだ?!)

―――

『実は私…見てしまったんです。御友人であられる花開院ゆら様と家長カナ様が…』

 旧鼠組の使いというネズミが告げたのはゆらとカナがホストに拉致されたというものだった。

「なら、組のみんなに頼んで…」

『ダメですリクオ様…。カナ様はともかくゆら様は陰陽師。みなが進んで助けるはずがございません』

「ならどうしたら?!」

『大丈夫…私の組の者がおりますからどうかお一人で…』

 ネズミにそう言われてリクオはただ一人で誰にも告げずに一番街へと向かったのだ。

―――

『あ! ここの店です!!』

 その声にリクオは視線をあげる。その目に映ったのは派手なネオン、そしてホストクラブの看板だった。

「大人の店だ…どういうこと?」

 その瞬間、リクオを鈍い痛みが襲った。

「え…」

 一瞬呆気にとられたリクオは背後から先導していたネズミに殴られ、気を失った。

††††

「ここか…」

 昌彰は禄存の案内で白虎の風を駆り、リクオより先に一番街に到着していた。

『昌彰よ、どうするんだ?』

 白虎が訊いてきた。派手に突っ込んで暴れ回ってもいいのだが、こういう場所にはそれなりのスポンサーが付いていると後々面倒なことになる。

 人間相手では十二神将はその理によって手を出すことができないから下手に荒事を広げたくはない。

 禄存からの情報でゆらとカナをさらったのが旧鼠という大ねずみの妖怪であることは分かっている。

 ただ、その目的が分からなかった。ゆらはまだわかる、天敵の陰陽師を仕留めるいい機会になるのだから。だが何故カナまで…

『昌彰、考え込んでいるところ悪いが…どうやら招待客が来たようだ』

 向かいのビルの入り口を見張っていた六合が昌彰を呼んだ。

「どういうことだ?」

『あれを』

 そう言って六合はビルの前にいる人影を指差した。

「リクオ? なん…なっ!?」

 昌彰が見下ろす目の前でリクオは背後からネズミ妖怪に殴られて気を失った。

††††

「う…ん…」

 しばらくしてリクオは眼を覚ました。

「ここは……?」

 最初に目に入って来たのは無駄に派手な装飾が施された部屋だ。

「よぉ、お目覚めかい。自称…三代目さんよぉ…」

 次にリクオが目にしたのはその部屋にふさわしく無駄に派手なスーツを着た優男だった。

 ご丁寧に座っているソファーの隣にシャンパンタワーまで作られている。

「誰だ…? 君…(三代目…?)っ、まさか君、妖怪? 奴良組のひとな…ガッ!」

 リクオが思い当って問いただそうとした途端取り巻きにいた黒スーツの男に思い切り蹴り上げられた。

「いたい…」

「今てめー旧鼠様を“下”に見やがったな! 誰がてめーなんかの“下”につくかよバーカ」

 痛みを堪えるリクオに蹴り上げた男が罵声を浴びせる。

「旧鼠様はこの街の夜の帝王なんだよ!!」

「帝…王…?」

 配下のネズミ妖怪が喚く。

「おいガキ…よく聞け」

 旧鼠が威圧的に語り出した。だが、その言葉はリクオの耳に入っていない。その後ろに囚われている二人の人影に気づいたからだ。

「カナちゃん! 花開院さん?!」

「組のためだぜ。てめぇの率いる古い妖怪じゃこの現代は生き残れねぇ。俺たちが奴良組を率いてやる。おめーは手を引け…三代目を継がないと宣言しろ!!」

 いいな! と旧鼠がすごむがリクオの耳には聞こえていない。

(三代目…そんなことのために花開院さんを…無関係のカナちゃんまで…)

「おい! 聞いてんのか?!」

 何も言わないリクオにしびれを切らしたのか旧鼠がソファーから立ちあがりリクオの方へ歩いてくる。

 リクオはそれを睨みつけた。静かな怒りを燃やしながら…

「ふざけるな…」

 その身体から微かに妖気が迸り始めた。

「なにっ!?」

 予想外の言葉に旧鼠は足を止めた。

「ふざけるなと…」ガシャァッアァン!

 リクオの言葉を遮るように、窓ガラスを打ち破り、突風がなだれ込んできた。

「何もんだてめぇ!?」

 旧鼠の周囲を囲むネズミたちが色めき立つ。風を纏って飛び込んできたのは亜麻色の髪を持つ屈強な男。だが、当然人間ではありえない。

『雑魚がほざくな。リクオ殿!』

「えっ?」

 いきなり名を呼ばれて何が何だかわからないリクオにその男は駆け寄って来た。完全にさっきまでの気配は霧散している。

『リクオ殿、ここはお引きください』

「ちょっ、待ってよ、君は一体!? それにカナちゃん達が!」

 そう言っている間にもリクオは壮年の猛者の腕に抱えあげられていた。

『我が主、昌彰の命です。いずれ必ず助けます。今はどうかお退きください!』

「……わかった…」

「おめおめと逃がすか!」

 とりまきのネズミが飛びかかって来るが、

『行きますぞ!』

 その男とリクオを取り巻いた風によって散り散りに吹き飛ばされてしまう。そのままの勢いで、男とリクオは夜空へと駆け上がった。

「チッ! 忘れんな! こいつらが人質だ!」

「っ!」

 それでも旧鼠の遠吠えがリクオの耳朶を抉ったのだった。

††††

『昌彰よ、これでよかったのか?』

 白虎はリクオを奴良組本家へと送り届けた後、再び一番街−昌彰の下へ帰還していた。

「ああ、世話をかけたな白虎」

『構わん。だが、何故ゆらともう一人の少女まで助けん?』

白虎は自分に命じられた「リクオを助け出せ」という命に従った。本心としては二人も一緒に助けたかったのであろう。言葉に出さずともその憮然とした表情に全て出ていた。

「お前が言ったろう? あいつらはゆら達を取引の材料にしようとしているって」

 昌彰は白虎に風読みで窓から漏れ出る中の会話を拾わせていた。

「つまり、身の安全は保障されているわけだ。少なくとも今夜一杯は大丈夫だろう。それと…」

『それと?』

「リクオの力を見てみたいじゃないか…あの時に見せたあの力…」

 口元に薄く笑みを湛えて次に昌彰が漏らした言葉は風に紛れた。

「リクオ…あの時の誓い…確かめさせてもらうぞ」


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