[携帯モード] [URL送信]

ぬらりひょんの孫 〜天狐の血を継ぐ陰陽師〜
第三十七夜 二人の陰陽師
「………」

痛いほどの静寂の中、顕子は一人黙していた。

先程気付いたが自分の後ろへと続く細い金色《こんじき》の糸のようなものが見える。

額から伸びているこれを辿れば無事にもといた場所へ戻れると、顕子は感じていた。

だが顕子の足はまるで根を生やしたように動かない。

「……このままここにいたら…『顕子…』…っ!?」

ポツリと呟いた顕子は自分の名前を呼ばれて硬直した。

かつて幾度となく耳にした声。かつて幾度となく名前を呼んでくれた声。

「…ぁ…さま…」

だがもはやその声を聞くことは出来ないはずだった。いくら願っても届かぬ願いだったはずだった…

『顕子…』

だから顕子はあの影の言葉に耐えることができなかった…

「母…様…」

堪え切れずに顕子は振り返る。

そこにあるのは顕子の名を呼んだ声の主…亡き母の姿だった。

「母様!!」

駆けよろうとした顕子だったが、二人が触れ合う寸前でその手は止められた。

「なんで!?どうして!母様!」

顕子はどうにかして手を伸ばそうとするが、目に見えぬ壁が二人の間を隔てている。

『駄目なのです顕子…』

本来ならば、死した者が生きる者と相まみえることさえ許されない。

今ここにこうして二人が会っているのも先程去った男の温情である。それでも…

『また会うことができて嬉しかったわ。寂しい思いをさせてしまって…ごめんなさい…』

そう言って儚げに微笑む母親の姿に顕子は言葉を詰まらせる。

「母様…私は…」

『顕子…あなたはあなたのいるべき場所に…』

顕子の額から伸びる金色の糸がその輝きを増した。

『あなたを護り、あなたを想ってくれる人がいる…』

その光と比するように眼の前の母の姿が薄れていく。

『また再び会うことは叶わないけれど…』

どうか強く…私の愛しい子…

「母様…」

金色に輝く糸が脈打つ。まるで鼓動を刻むように。

母の姿が消えると同時に顕子の意識も静かにその輝きに呑まれていった。

―――

顕子が去り、静寂を取り戻した夢殿…

そこに二つの影が差した。

『美しきは子を想う母の心か…そうは思わぬか? 安藤の当代…』

顕子が去った方向を見ながら冥官は明浩に問う。

「さようですね…。ですが…」

微かに微笑み、安堵の息を漏らした明浩だったが…

「あなたがこのようなことを見過ごすということの方がよほど気になりますが…」

明浩は口元に笑みを貼りつかせたまま冥官に視線を向ける。

『此度の件はただの気まぐれだ…もうひとつに警告に来たのもあるがな…』

「警告…?」

明浩は剣呑に目を細めた。先代の時、それ以前からそうらしいが、この男がもたらす警告は碌なものがない。

『冥界にて不穏な気配がある…輪廻の環にそぐわぬ闇の眷族。それも相当なものだ…』

微かに冥官の顔に険しさがにじむのを明浩は見逃さなかった。

冥府の王の官吏たるこの男が手強いと感じるような存在…

『だからこそ内親王をそやつらにくれてやるわけにはいかん…。安倍の当代よ、早急に現世《うつしよ》にある要因を討て…』

鋭い眼差しを明浩にむけた後、冥官は踵を返し、今度こそ姿を消した。

「現世にありし…要因…」

一人残された明浩は呟く。それの見当はついている…。しかしそれを討つとなると厳しいということは考えるまでもない。

「刻限はあまり残されていないか…」

その言葉を残して明浩もその場から掻き消えた。

††††

同日・寅の刻 花開院本家

「秀元!秀元いるか!」

息も切れ切れになりながら是光は妻戸を開けはなった。

「相変わらず騒々しいな是光殿…」

駆けこんだ是光を出迎えたのは縁側で碁を打っている二人の男。

一人は是光の弟にして第十三代目花開院当主秀元。そしてもう一人が…

「明浩殿…来ていたのか…」

秀元と同じく直衣を纏い、烏帽子を被った男―第十二代帝守護陰陽師、安藤明浩。

年の頃は是光より幾つか上に見えるが、十四歳の息子がいるので実際は四十近いはずだ。

「その慌てぶり…そちらもか…」

何もかもを見透かしたような瞳で見据えられ、是光は微かに顔をしかめた。

「…本家の者がだいぶやられた…あの狐の仕業だ…」

是光は忌々しげに吐き捨てる。

珱姫の屋敷に張っていた結界は破られ、警護についていた術者の大多数が倒された。

幸いに命に別状のない者もいるが、しばらくは動けないだろう。

是光の話を聞いて今度は明浩が顔を顰める。

「まあ、そうやろうな…あの狐が直接動かしたとしたら幹部級。ウチの普通の術者たちじゃ束になっても厳しいやろうし…」

そう呟きながら秀元は黒い碁石を盤に置いた。

「あの刀もせっかく作ったのに使わへんかったしな」

秀元の言葉に対して見ていたのかと苦々しげに呟く是光から視線を外して、明浩は秀元に向き直った。

「だがここまで堂々と攻めてきたとなるともう刻限が近いということだろう…あまり余裕はないぞ…」

そう言いながら明浩は白い碁石を盤に置く。

花開院と安藤が本拠を置く京にまでその手を伸ばし、あまつさえ直接守護している皇女や姫に対して襲撃をかけてきているのだ。

「……おまえが気にしていたあの妖が…大阪城へ追いかけていったぞ」

是光が告げた事実に秀元と明浩は顔を見合わせた。

「『彼』か…面白い奴や。無茶なことばかりいて…」

「だがこれは好機か…」

安藤に花開院、両家が羽衣狐の本拠である大阪城に攻め込めないのは一重に大阪城にいる人間の兵力がバカにならないからだ。

「そやな…妖同士の戦いに普通の人間は介入できひん。叩くならこの機を逃す必要はない…」

だが、そこに別の妖が入るとなると話が変わってくる。秀元が言うように妖同士の戦闘に一般人が入り込むことは不可能だ。

「例の剣は?」

明浩は立ち上がりながら秀元に問う。

「さすがにまだ無理や。いくら君んところが礎になるものを提供してくれたって本体がはるか昔に失われてるんや。そうそう創れるもんやないで」

苦笑混じりにそう言って秀元も立ち上がった。

「まあ、今回はどうにかなるやろ?ぼくの造った“祢々切丸”と式神“破軍”それと…」

そう言って秀元は明浩の背後を見やる。

「君の“十二神将”がおるんやから」

††††

―大阪城・天守閣―

「珱姫ぇぇ――!!」

咆哮を上げ、ぬらりひょんが羽衣狐へと刃を振るう。

だが…

「がっ…」

羽衣狐の九本《・・》の尾はその刃を受け止め、弾き、逆にぬらりひょんへと襲いかかる。

未だ致命の傷こそ受けていないが、あちこちを切り裂かれたぬらりひょんの身体は鮮血にまみれていた。

「芸がないのう…一方的に向かってくるだけでは…」

なおも立ち上がるぬらりひょんを見て羽衣狐は愉快そうに顔を歪める。

「ほう…この地に住まう妖のわりには気骨に満ちた奴よ…さあ、妾をもっと興じさせてみせよ!」

その言葉と同時に再び九本の尾が動き出す。

††††

「羽衣狐は普通の妖とは違う。八代前の花開院妖秘録によれば…」

空をゆく牛車の式神に揺られながら是光は書を紐解く。

乱世に現れ、めぼしい幼子に憑いて体内で育つ。そして宿主の心が絶望や怒り、憎悪と言った負の感情に染まった時に身体を奪い、成体となる。

「成体となった奴は政《まつりごと》の中心に潜り込み、溢れる負の情念を糧にその力を増す…」

御簾の外で白虎の風流に乗った明浩が続けた。

「最初に確認されたのは今から約六百年前、後一条帝の御世《みよ》の時…」

それ以後は武家政権の中枢に潜り、安藤家との対立を繰り返してきた。

幾度にもわたる戦いの中で安藤家が敗北した歴史もある。

「問題なんは奴が転生するたびに力をつけていくことや…まるで枷から解き放たれるようにな…」

お陰さまで倒すこっちとしては面倒極まりないわと笑う秀元。

本体を封じてしまわなければイタチごっこを繰り返すだけで根本的な解決にはならない。

だが、羽衣狐は依り代を喪うとその本体をどこかに隠してしまう。

「お前の気にしていたあの妖は…そんな奴に勝てるのか?」

「絶対に勝てんと思う。万に一つも…や」

是光の問いに秀元はそう返す。

「でも…あいつは何をするかわからん…」

可能性の塊みたいな奴やからなあと秀元は笑う。

「まあ、私達が着くまでは大丈夫だろうな…」

「そやな…あいつも百鬼夜行を率いる器。従う百鬼もなかなかのもんや…」

それこそ羽衣狐に引けを取らんくらいのな…。

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!