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ぬらりひょんの孫 〜天狐の血を継ぐ陰陽師〜
第三十六夜 都を覆う闇
―京・夜明け―

「帰さないのかと思っていました」

屋敷の簀子《すのこ》で珱姫は意外そうにそう言った。

「約束は守るさ。ワシは嘘をつく妖ではないからな」

むしろ玄関から堂々と入る妖だとぬらりひょんは笑みをこぼす。

珱姫はそんなぬらりひょんから眩しそうに顔を伏せ、背を向けた。

「珱姫…」

そんな珱姫をぬらりひょんは後ろから静かに抱きかかえた。

「なぁ…一緒になろう。ワシはやがて天下を取る…その為にはお前が必要なんじゃ」

「…ごめんなさい…」

私はあなたが思うような人じゃないと、珱姫はぬらりひょんの腕から抜けだした。

「誰でもわけへだてなく救ってきたわけではないのですから…」

どうか…私の力が欲しいのならお引き取り下さい…そう言う珱姫にぬらりひょんは静かに告げる。

「あんたの力が欲しいんじゃねぇ…側にいろって言ってんだよ」

明日、また来るぜと言い残してぬらりひょんは踵を返す。

「こ…困ります!!」

頬を染め、逃げるように部屋へと駆けこんでいく珱姫をぬらりひょんは穏やかな瞳で見つめていた。

††††

同日・申の刻

「なんなんだ…あれは…」

前後を四騎の騎馬で守られた駕籠が何の前触れもなく屋敷の前に現れたのだ。

「な…何者だ!?」

門の番を任されている舎人《とねり》の一人が誰何の声を上げる。

それに応えるようにして駕籠の御簾が上がって大小二人の男が降りてきた。

「我々は豊臣家の家臣。屋敷の主にお取次願いたい」

その衣に描かれるは五七桐…豊臣家の家紋。

「はっ、失礼仕りました!只今…」

豊臣の名を出され、浮足立つ若い舎人をもう一人の壮年の舎人が抑えた。

「御屋形様に御取次いたしますので、しばしお待ちいただけますかな?」

「構いませんぞ。こちらも用意がありますので…」

そう言って笑う使者を横目に二人して門の中へ戻った。

「(お前は花開院家の方に報告しろ)」

壮年の舎人は若い方にそう指示を出した。

そもそも豊臣家程の者が何の先触れも無しに直接来ることがあろうか?

「(俺はその間、あいつらをここに足止め…)「いかんな〜半端に聡いものは…」っ!?」

背後からの声に気づき、振り返った舎人達が見た物。

それは自分たちを喰らわんと迫りくる巨大な歯と口だった。

「気付かねば命までは取らなかったものを…」

鬼一口に呑まれた舎人達を憐れむように覚は微笑を浮かべたまま呟き、背後を振り返った。

「この者達の皮を被れ(・・・・)。そして屋敷の者に取り次ぐのじゃ。豊臣の使者が参ったとのぅ…」

そう言う覚の両手には先程の舎人達の表皮だけが残されていた…

††††

内裏・夕刻―逢魔ヶ時

【応《いら》え…】

影がいる…。くり返しくり返し夢に出てきた影が。

顕子は手にしていた勾玉を握りしめ、必死で目を閉じ、その声を拒絶する。

夢殿に顕れた影から顕子を守るため、昨日新たに安藤の陰陽師より与えられた夢見封じの呪具だ。

【応え…】

だが、ここは夢ではない。夢殿での対策を施すのを見計らっていたかのように夢の影は現《うつつ》となり現れた。

「姫宮様?」『どうしたの姫宮?』

折悪く風音は賢所へ席を外しており、他の女房がいるために神将達は顕現できずにいた。

【応え…】

顕子にしか見えぬ影が、顕子にしか聞こえぬ声で呼びかける…

【応えば…よび…してやろう…そな…の……】

「っ…!?」

必死に耳を塞いだ顕子の心に影が放つ言葉が忍び込む。

【応え…そなたの力が……をよび………のだ…】

影の言葉に顕子はゆっくりと顔を上げた…。御簾と几帳に遮られた簀子のむこうには顕子を守るために織られた聖なる壁がある。

その先に潜む闇にとけ込んだ影…

―応えばよびもどしてやろう…そなたの母を…―

その言葉が顕子の心を絡め取った。

「――――っ!!」

声にならない悲痛な叫びが飛香舎に響き渡る。

「姫宮様!?」『姫宮!?』

突然雷に打たれたように全身を強張らせた顕子に女房達は慌てて駆け寄るが…

ベキッ…

『っ!結界が…』

鈍い音を立て、飛香舎を覆っていた結界が砕け散る。

「っ!?」

同時に流れ込んだ濃密な妖気になんの力も持たぬ女房達が声もなく崩れ落ちた。

『内裏の中に…これほどの妖が侵入してくるなど…』

目を眇めつつ、六合、青龍、太陰、朱雀が顕現する。

赤く染まった前栽《せんざい》の影から溢れるように多数、いや無数というべき異形がその姿を現していた。

††††

「っ…なんで結界が…?」

より強固な守りを施すために風音は八咫鏡《やたのかがみ》が祀られている賢所に赴いていた。

だが、先程飛香舎に起こった異変に気づき、蔵人所にいた明浩に帝の守護を任せ立ち戻ったのだ。

「顕子様!六合!」

あちこちに倒れている女房達に結界を施し、風音は顕子のいる居室へと急いだ。

「『謹請し奉る、降臨諸神諸真人、縛鬼伏邪、百鬼消除、急々如律令』!」

部屋に入った風音の耳に真言が轟く。

詠唱と共に放たれた符は閃光となり、触れた異形達を闇に帰す。

『昌晴《まさはる》!』

六合の声に身を翻す。その一拍後に先程昌晴の首があった位置を銀色の刃が通り抜け、昌晴へと迫っていた異形の鎌を弾き返した。

残光たなびく銀色の刃はそのまま翻ると異形の首を刈り取る。

『チィッ!』

青龍が舌打ちと共に大鎌を一閃させる。群がる妖異はまとめて斬り飛ばされるが如何せん数が多い。

通力に物を言わせ、叩き潰そうにも内裏の中であるがゆえに下手に強い力を振るう訳にはいかないのだ。

火将である朱雀も建物への被害を出すわけにもいかず、大剣のみで応戦しているが数の多い相手に苦戦を強いられている。

「『この声は神の声、この息は神の息、この手は神の御手…』」

神将達が全力を振るえていないのを見て風音は神咒を詠唱する。

それはこの場を隔離するための術。内裏から切り離してしまえば神将達は全霊を以て妖異に対峙することができる。

それゆえに風音も気付くことができなかった…

「『降りましますは高天原の風、神々の息吹よ…』っ!?顕子様!?」『姫宮様!?』

天一の結界に覆われていた顕子が突然立ち上がり、結界の外へ歩み出でた事に。

―――

(ここは…?)

考えて顕子は気付いた。

ただ暗闇の広がる空間。あの影がいた夢殿と同じ場所…

【応え…】

幾度となく己を呼んだ声がする。応えれば自分の望みがかなう。

顕子はその声に応じてそちらへ行こうとした。

(顕子様…)

どこからか声が聞こえて顕子は動きを止めた。懐から柔らかな温もりを感じて、その源を取りだす。

【…忌々しい…どこまでも我らの邪魔をするか…】

光を放つそれは先日渡された勾玉。そしてもう一つ、碧い輝きを宿した出雲石の丸玉。

【童《わっぱ》…汝が力で…『我らが管轄を犯すのは看過できんな…』!?】

影の言葉を遮るように新たな声が割り込んだ。

漆黒。それが新たな声の主を形容するに相応しい。

闇を織り成したかのような墨染の衣に漆黒の髪。

長身にして細身の身体は人のそれと変わらない。だが…

『冥府の理に触れるならば、誰を相手にするかということを忘れるな』

甚大な霊力と共に、無造作に振るわれた直刃の太刀が影を両断する。

【貴様ァ!!】

影は怒りの咆哮を上げるが、所詮は幻影でしかないが故に何もできずに消えてゆく。

『内親王よ…』

断末魔の絶叫が消え、静寂を取り戻した夢殿に漆黒の男―冥府の官吏の声が響く。

その威圧感を含んだ声音に顕子は身を固くした。

『情に流され、その身に流れる血の定めを見失ったか…』

国の要として荒ぶる神を鎮める、天照の末裔たる帝の血筋が負う責務。

その力は顕子にも脈々と受け継がれている。だが、その心は人のものだ。

冥官は微かに目を細める。

自らもかつては人であった。故にわかる、人はその情ゆえに道を誤ることがあると。

『その身に幾多の命の定めが関わっている。その事を努々《ゆめゆめ》忘れるな…』

その言葉を残して冥官は踵を返した。


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あきゅろす。
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