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ぬらりひょんの孫 〜天狐の血を継ぐ陰陽師〜
第三十五夜 魔の都
時は数百年前…

京都は天下の往来を跋扈する魑魅魍魎どもで溢れていた。

††††

「ハァッ…ハァッ…!」

宵闇に染まった京の小路を、赤子を抱えた一人の女が駆けていた。

その容貌は恐怖に歪み、何かに怯えるように後ろを振り向き…

「うぁっ!?」

だが、その足は見えない何者かに止められた。

「通れない!?何もないのに…」

徒人《ただびと》である彼女には見えていないが目の前にはヌリカベが立ち塞がっていた。

引き返そうとするも、足下から生えるように現れた魚がその足を絡め取りそれを許さない。

「ヒッ!?」

恐怖にすくむ女の背後から漆黒と純白に染まった巨躯の狼の妖が姿を見せる。

「よくやったぬりかべに三途魚…」

女の命乞いを聞き流し、妖狼は牙を剥きだしに邪悪な笑みを浮かべた。

「赤子の肝…喰らえば百人力の妖になるという…」

ドッ、ゴォンッ!

妖狼の牙が赤子の肌へと触れる直前、ぬりかべのむこうから白銀の刃が一閃する。

「ぬ、奴良組だぁー!奴良組が出たぞーーー!」

その叫びを背景に、切り裂かれたぬりかべの残骸を越えて百鬼夜行が現れる。

その先頭を歩むのは着流しを纏い、長髪を闇に靡かせた百鬼の主―ぬらりひょん。

「さぁて今日も行こうか…お前ら妖狩だ」

その言葉に先陣を切るのは…

「牛鬼だ!捩眼山の牛鬼…」

叫び、後退しようとした白の妖狼はその刃にかかり、両断される。

「はは、やはりお前が一番の出しゃばりか…。よこせえりまきにする」

「お役に立てて光栄…」

ぬらりひょんが牛鬼と余裕の会話を繰り広げている間にも他の配下―狒々やガゴゼも京妖怪へと襲いかかった。

「ひ…引け!ひけー!!」

相棒を失った黒狼は踵を返して敗走を開始する。

「ハァ…ハァ…妖…助けて…見逃して…」

「ん…?なんじゃまだいたのか」

息も絶え絶えにそう言う女をぬらりひょんは一笑に付した。

「ゆけ…生き肝なぞに興味はない。ましてやしょんべんくせぇ赤子の肝なんてな」

そう言ってぬらりひょんは踵を返す。

「ワシは魑魅魍魎の主になるんじゃからな…」

††††

四神相応―北に丘陵、東に流水、南に窪地、西に大道を配した最も貴き土地。呪術的にも都として最もふさわしい土地だ。

しかし、同時に闇に巣食う化生達が好む土地でもあり、吹きだまりになりやすい土地でもあった。

この地に遷都した桓武帝はそれらの悪鬼や怨霊から自分や民草を守るために様々な呪術を施した。

四神相応と相まってそれらの呪術は強力な結界となった。誤って入ることはあっても決して出ることのできぬ檻。

陰陽師たちは都を、そこに住まう人々を守るためにそれらの鬼を祓うことに心血を注いでいた。

そして時は流れ、慶長年間…

都の南方に存在した巨椋池が太閤秀吉の手によって干拓され、四神相応の崩れた京は妖が巣食う魔都となった。

「くそ…なんという無双集団…これが奴良組か…」

闇に紛れ、敗走しながら黒狼は呟く。

「南国からも北方からも日本中の妖が京に集まっとる…もっと力をつけにゃ…もっと大きな力を…」

『させると思うか?』

冷たい声音と共に三日月の光が先頭にいた妖犬を両断した。

白銀の刃が己へと伸びるのを黒狼は間一髪飛びあがって回避する。

「『謹請し奉る、降臨諸神諸真人、縛鬼伏邪、百鬼消除、急々如律令』!」

言上と共に飛来した符が空中で回避できない黒狼を捉えると眩い閃光と化した。

「がっ…」

閃光を受けて配下の大部分を失いながら黒狼は見た。

三日月型の大鎌を携えた青い髪の男に、鳶色の長髪をなびかせ、銀槍を構えた男。

そしてその二人を従える、闇にとけ込むような濃紺の狩衣を纏った少年の姿を。

「『必神火帝、万魔拱服』!」

新たに放たれた符から霊力が迸り、黒狼を呑みこむ。

そのまま霊力は白き焔と化し、灰すら残さずに焼き尽くした。

††††

―とある公家屋敷―

結界に覆われたその屋敷に一匹の妖が結界を破り、奥深くへと潜り込んだ。

「生き肝よこせぇ〜!」

地蔵のような妖が狙うのはこの屋敷の主の娘―珱姫。

「ごめん」

脇から飛び出してきた禿髪の男が無慈悲な刃を以て妖を両断した。

「生き肝…生き肝…」

呻きを漏らしながら斬られた妖は息絶える。

「花開院殿!このようなモノに入られては困る!なんのためにそなたらを雇っているのだ!?」

「…わかりました。さらに花開院の手練を呼び、結界を強く張らせましょう」

声を荒げる屋敷の主に対して是光は冷静に応じる。

(妖どもの生き肝信仰か…日に日にその数が増している―――)

古来は中国の三蔵法師が生き肝を狙われたように…

赤子、巫女、皇女のようにより尊い命には妖の力を増幅させる力があると妖達は信じ、それを求めた。

††††

―内裏・禁中―

―――

『応《いら》え…』

闇の中から声がする…。いくら目を凝らしたところでその声の主を捉えることはできない。

だが…

(駄目…応《こた》えちゃいけない…)

少女は必死にその声を拒絶する。直感でわかる、この声の主がいかに恐ろしいか…

『応え…』

「(いや…)いやぁっ!!」

―――

もがく様にして少女の意識が覚醒した。

「顕子《たかこ》様!大丈夫ですか?」

目の前にあるのは物心ついた時より見知った女房の顔。

「雲居…。ありがとう大丈夫よ…少し夢見が悪かっただけ…」

心配そうに見下ろしているその表情を見て、どうにか落ち着きを取り戻した顕子は茵《しとね》から起き上がった。

「最近は毎夜うなされているようですが…。一体どのような夢をご覧になっておられるのですか?」

そう言いながら雲居は起き上がった顕子に袿をかけた。

「…わからない…けど…」

顕子はその先を口にするのを躊躇った。

“人の放つ言の葉には力が宿ります。それを言霊と言うのです…決して不用意に言葉を放ってはなりませんよ”

かつて教えられた言葉、自らにとって祖父と言ってもいいほど信頼していた者からの言葉だった。

「………怖いの…。闇の中から…、何かが私を呼んでる…」

慎重に言葉を選びながら話す顕子の瞳から堪え切れずに涙が零れおちる。

幼い身体を震わせて涙を堪えようとする主に雲居は思わずその身体を抱き寄せた。

「安心してください。ここにいる限り、何人たりとも顕子様には指一本触れることさえできません。安藤の陰陽師が護ってくださいます」

そう言って雲居は顕子の背を撫でさすった。

徐々に顕子の呼吸が落ちついていく。

「………」

雲居は小さく何かを唱える。それと同時に顕子の意識は夢すら見ぬ深い眠りへと落ちていった。

「…彩?…」

立ちあがって几帳の後ろへと下がった雲居―いや、女房装束を纏った風音が六合の二つ名を呼ぶ。

『ああ…あの時と同じだ…』

隣に顕現した六合はそう言って顕子の方を見やる。

それはかつての主が護ると誓った少女の事…。

内親王である顕子の身は母親である皇后が亡くなった後も内裏の飛香舎に置かれている。

内裏の中でも最も強力な結界が施された場所だ。さらに周囲には六合を初めとした十二神将が六人も配されている。

強力な結界に護られた顕子を妖が攫うことは難しい。正面から力任せにぶつかっていけば、出来ないことはないだろうが多くの犠牲を出すだろう。

「だから…」

『………』

しかしさほどの労なく結界を無効化する方法がある。それは内側から招かせればよいのだ。

人の心は繊細で脆弱だ。母親を喪った顕子の心は不安定、このままではいずれ…

『明浩《あきひろ》に対処を急ぐよう伝えなければな…』

六合はそう呟いて隠形した。

††††

―大阪城・城内―

―――

満々たる光を湛えた望月を背に対峙する二人の人影。

「見つけたぞ晶霞…」

一方は闇と見紛うほどの漆黒の髪を靡かせ、口元には笑みを浮かべた女―羽衣狐。

その背に顕れるは白き九本の尾。

それに対するは白銀の髪を持つ痩身の女。その胸元には光り輝く白い珠が下がっている。

「…その尾…奴《・》の眷族か…」

その青灰《せいかい》の双眸には険しさはあっても僅かな焦りも見受けられない。

「そなたには何の恨みも無いが…我が眷族のため…討たせてもらうぞ…その命」

晶霞も微かに背後を振り仰ぎ、己が力を解き放つ。辺りに満ちるは凄烈なまでの神通力。

青白い光が天珠から放たれ、それは瞬く間に燃え上がる白い焔と化す。

交錯は一瞬。

羽衣狐の九本の尾は全方位から晶霞の急所を貫かんと迫るが、晶霞の通力がその全てを弾き返す。

逆に晶霞の放った焔は羽衣狐の全身を瞬く間に覆い尽くした。

―――

「淀殿。どうされました?」

かけられたその言葉に羽衣狐はハッと我に返った。

(…白昼夢か…。また忌々しい記憶が…)

羽衣狐は夢の内容を思い返して眉根が寄るのを自覚した。

「淀殿、御加減が悪いようでしたら少しお休みになられては…」

お付きである女房がそう勧めてくる。

普段滅多なことでは表情を崩さぬ淀君。それが今は不機嫌そうな表情を隠そうとしていない。

「大したことではない。下がっておれ」

羽衣狐は即座に表情を戻すと女房へ下がるように告げた。

「しかし…」

「よい。下がれと言っておるのじゃ!」

なおも言い募ろうとする女房に今度は容赦のない叱責が飛ぶ。

「っ…それでは失礼いたします。何かございましたらお呼びください」

その剣幕に怯えたように女房達は部屋から退出していった。

「ふぅ…」

「羽衣狐様…」

羽衣狐が溜息をつくと同時に女房と入れ替わるように新たな影が現れる。

「うむ…」

その声に応じて羽衣狐は部屋を出た。

普段なら付き従う女房たちの姿は今はない。

羽衣狐を先頭にした一行が行きついたのは城内の一室。

徒人ならば見通すことのできない闇に包まれた室内で無数の影が蠢いている。

「まさか秀吉が死んで“豊臣”がこれ程早く滅亡への道を歩むとは思わなんだ…」

上座に坐した羽衣狐は忌々しげに呟く。

旗印たる秀頼は天下をとるような器ではなく、このままいけば徳川の天下は免れない。

「して…集まったのか?」

「はっ…ここに…」

配下の一人がそう言って壺を差し出した。

「おお…それじゃそれじゃ」

羽衣狐はそれを受け取ると喜々として蓋を開けた。

中から引きずりだされるのは、赤黒い肉の塊―生き肝…

どす黒い血の滴るそれを羽衣狐は一飲みに口に入れる。

「…まだ足りぬ…。生まれるこのやや子のためにも…もっと大きな力を…」

探し回れ…より貴き生き肝を…より尊き命を集めよ…

羽衣狐の命を受けて配下の百鬼が動き出す。

全ては羽衣狐とその胎に宿る存在のために…



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あきゅろす。
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