ぬらりひょんの孫 〜天狐の血を継ぐ陰陽師〜
第三十二夜 再び燃ゆる焔
「式神の気配を辿ってきたぞ。本家には定期的に連絡を寄こせと言ってあったろう?」
竜二はあたりを見渡して戦闘の跡が残っているのを見て鼻を鳴らした。
「ああ…“修行”か…」
そこで竜二はようやく昌彰の方へと視線を向ける。昌彰と、そしてその後ろにいるリクオを見て微かに目を眇めた。
「何しに来た竜二…」
昌彰はさりげなくリクオを庇うような位置に立つと竜二に対して射るような視線を投げる。
「何しにってお前…」
竜二は口の端を笑みの形に歪め、コートから竹筒を抜きだし…
「陰陽師は…基本妖怪退治だろーが」
昌彰の背後にいるリクオを睨みつけると竹筒から己の式神を解き放った。
「餓狼《がろう》!」
水は狼を象り、その顎で昌彰諸共リクオを噛み砕かんと迫る。
「なっ!?」
ゆらが驚愕に声を漏らす間に餓狼は昌彰達を呑みこんだ。押しつぶした勢いそのままに廃墟の壁へとぶつかり、派手に飛沫が舞う。
「昌彰!?」
「ゆら…あいつはなんだ…?」
昌彰達に駆け寄ろうとするゆらの肩を竜二が掴んで引き戻す。
「っ!そんなこと関係あらへんやろ!放して!」
ゆらは振り払おうとするが、竜二の腕はそれを許さない。
「まさか気付いてないわけじゃないだろーな…?」
(やめろ…言うな…)
ゆらは聞きたくないとばかりに目を閉じ、耳を塞ごうとするが竜二がその手を引き剥がした。
「あいつは…妖「それ以上口にするな竜二!」…ちっ…よく無事だったな」
餓狼が砕け散った水煙の中から現れた昌彰は既に刀印を結んで呪符を構えていた。
「お前は気付いていたんだろう?なのに何故何もしない?」
竜二はゆらを掴んでいた腕を放し、昌彰の方を向き直った。
「何が言いたいか知らんが人間と妖怪の区別もつけられなくなったか?花開院も随分と落ちぶれたもんだな」
挑発する昌彰の言葉に竜二は怒りを露わにしかけるがすぐに冷静さを取り戻す。
「はっ!所詮は貴様もそいつと同類ということか。この『狐の子』が…」
『狐の子』…その言葉に今度は昌彰の表情が微かに揺らいだ。
「ふん…どけ、死ぬぞ?」
一瞬の動揺。その隙をつくようにして、背後から餓狼がリクオに襲いかかる。
「っ!リクオ避けろ!」
竜二の視線からそれに気付いた昌彰が叫ぶが、背後からの奇襲に即座に対応できるはずもない。
咄嗟の事に昌彰もリクオも転がるようにして餓狼の牙から逃れるのが精一杯だった。
「(マズイッ…今離されたら…)ゆら!リクオを…っ!」
昌彰は全身が粟立つような危機感を感じた。
「めつ」
横合いから感情が抜け落ちたような平坦な声が一言呪文を紡ぐ。
「『禁』ッ!」
バジジッ!バチィッ!!
視界が白く染まるほどの雷撃が昌彰の障壁とぶつかり合う。
「安藤昌彰…。お前の相手は…このボクだ」
閃光が治まり、視界が回復した昌彰の前には長身の影―魔魅流が立ち塞がっていた…
―――
「魔魅流が勝手に動くとはな…。まあいい、まだ正体を現す気はないか?」
指示も無く魔魅流が動いたことに竜二は軽く驚きながらリクオの方を向き直る。
(昌彰さん…一体なんで?…それに)
それに対してリクオは今の状況が把握できないでいた。
いきなり現れた二人の陰陽師。さらに昌彰がその一方と戦闘を繰り広げ始めたことが混乱に拍車をかける。
「人の姿のままでは心が痛むが…絶対悪は滅するのみだ」
竜二はそう言いながらリクオへと式神を叩きつける。
水の塊がリクオへと放たれ、衝撃の余波で周囲の瓦礫が崩れ落ちた。白い水煙が立ち込める。
「これでいい…。後は魔魅流の奴を止めて…なっ!?」
「え?」
竜二とリクオは思わず驚きと疑問の声を漏らした。
リクオの前に浮かぶ幾枚もの護符。刀印を結んだゆらが竜二の攻撃を防いでいたからだ。
「おいおい…ゆら、何のつもりだ?(あいつの考えに染まったか…)」
理由は一つしかないと思い至りながらも、竜二はゆらへと問う。
「……」
ゆらは竜二の言葉には答えずに、油断なく印を構えながら背後のリクオへと問いかけた。
「奴良くん…一つだけ答えて…。…奴良くんは人間やんな?」
「……っ」
背中越しの問いにリクオは答えあぐねた。
気付いていないはずがない…その思いがリクオの喉をしめる。
「人間で…私と昌彰の友達やもんな?」
ゆらはそう問いながら振り返った。
(花開院さん――)
まっすぐにリクオを見るゆら。その眼に見えるのは…疑いの色。
…だがそれ以上に…信頼の色が見て取れた。
「(花開院さん…)ボクは…二人の友達で…仲間だよ!」
「うん!」
その言葉を聞いてゆらの眼から迷いが消える。
「竜二兄ちゃんきいたやろ。リクオくんは敵と違う!」
「(チッ…)自分がやったことがわかっているのかお前は…」
立ち上がったゆらを竜二は舌打ち交じりに睨みつける。
「妖怪を庇うのは花開院家の掟に背くことだ。この兄を信じられんのか」
「私は奴良くんと昌彰を信じる…。奴良くんはウチらの仲間やもん」
ゆらの言葉に竜二苦々しく顔を歪めた。
「倒さなあかん敵じゃない!!わからんのやったら…竜二兄ちゃんといえども私が倒す!」
刀印を結び、呪符を構えて相対するゆら。
「倒す…?……自分の言葉に責任を持てよ……」
竜二もそう言うと、先程までとは比べ物にならないほどの気迫を滲ませてゆらと対峙した。
††††
「『百鬼破刃』!」
昌彰の呪文と同時に幾つもの氷の礫が放たれる。一つ一つが拳よりも大きく鋭利な切っ先を持つ刃となって魔魅流へと襲い掛かった。
「…」
迫る氷の刃に魔魅流は顔色一つ変えることなく右手を翳す。
バジジジッ!
漏電を起こしたような音を立てて、氷の刃は全て弾け飛んだ。
魔魅流の右手からパシッとパルスが爆ぜる。電磁場を障壁のように前面に展開し、昌彰の百鬼破刃を防いだのだ。
「(厄介な…)『臨める兵 闘う者 皆陣列れて前に在り』!」
加減していたとはいえ、なんの予備動作も無しに防御され、顔を顰めながら間髪を入れずに九字真言による白銀の刃を叩きつける。
「めつ」
魔魅流は飛来する白銀の刃に右手を向けてまた一言呟いた。
それと同時に刃の輝きが霞むほどの雷撃が放たれる。
「っ!?」
昌彰は咄嗟に横に飛んだ。瞬きの後に先程までいた場所を雷撃が通り抜ける。
崩れた体勢を立て直そうとする隙に魔魅流が動いた。凄まじいまでの速さで昌彰へと間合いを詰める。
『昌彰!』
顕現した朱雀が割って入り、魔魅流を押しとどめる。理により人間に害為すことはできないが、主に害為そうとする存在を放ってくことなどできるはずがない。
「『困々々、至道神勅、急々如塞…』」
その間に体勢を立て直した昌彰は巨門に放ったのと同じ縛魔術を詠唱する。
「じゃま」
それに気づいているのかいないのか、魔魅流は自らを邪魔する朱雀を見下ろすとその頭部を掴まんと腕を伸ばす。
十二神将といえど、先程のような電撃を直接浴びせかけられてはただでは済まない。
朱雀はその腕を掻い潜ると、魔魅流の懐に潜り込んだ。
繰り出された右手を左手で掴み、そのまま魔魅流を背負いあげ、投げを放つ。
完全に捕らえた背負い投げは魔魅流を地面にたたきつけるはずだった。だが…
「なっ…」
朱雀の口から驚愕による呻きが漏れる。拘束を逃れた魔魅流が左手を目の前に突き付けていたからだ。
返し技でもなんでもない。ただ純粋な膂力だけで魔魅流は神将である朱雀の投げを振りほどいたのだ。
「めつ」
その左手から迸る強烈な雷撃はそのまま朱雀の意識を灼いた。
「っ!?」
朱雀がやられたのを見て昌彰は思わず声を漏らした。並の人間が神将に膂力で勝ることはありえないと言っていい。
(魔魅流…一体何を…っ!)
魔魅流が己に右手を向けるのを見て、思考に潜りかける意識を昌彰は必死で呼びもどした。
既に縛魔術の詠唱は途切れ、間に合うものではない。反射的に宙へ五芒を描き、障壁を成そうとするが…
「滅」
「ガァッ…!」
障壁が完成する前に白い稲妻が昌彰の身を焦がす。
『昌彰!』
崩れ落ちる昌彰を顕現した白虎が寸前で受け止めた。
『あんたねぇ…いい加減にしなさいよ…』
先程まで隠形していた太陰までもが顕現し、魔魅流を睨みつける。
白虎に抱えられた昌彰は辛うじて意識を保っていた。
障壁が張られる直前であったことが、幾分雷撃の力を削り取っていたらしい。
だが、昌彰の身に宿るは土の性。木行である雷撃は木剋土の理に則り、決して軽くないダメージを与えていた。
「ウ…、グ…」
昌彰はどうにか立ち上がろうともがくも、指の一本すらまともに動かすことはできずに終わる。
『無理をするな昌彰。天一に移し身を…』
「無様だな昌彰…」
動けない昌彰を魔魅流は無感情に見下ろした。
「ゆらを守るのはボクだ。お前じゃ(・・・・)ゆらを(・・・)護れない(・・・・)…」
††††
「『術式改造、散!』」
散弾と化した水銃砲が雨霰と降り注ぐ。
(っ…予想より手数が多い…威力も上がってやがる…。障壁もいつまでももたんか…)
護符に込めた霊力が著しく消耗していくのを感じ、竜二は微かに眉をしかめた。
数枚の護符の霊力が尽き、撃ち落とされたところでようやく散弾の弾幕が止んだ。
「随分と成長したな、ゆら。だが…まだ甘い!」
呼吸が乱れ、大きく息をしているゆらを一瞥し、竜二は竹筒から式神を解き放つ。
「“餓狼”“喰らえ”」
竹筒から放たれた水は狼に似た獣の姿をとるとその牙でゆらを喰らわんとばかりに正面から襲いかかった。
「っ、貪狼!」
ゆらの呼びかけに応じて貪狼が顕現し、餓狼の腹を噛みちぎる。
『ガ…』
断末魔の声を漏らした餓狼は水へと還りその一部がゆらへと降りかかった。
消耗を抑えるためにゆらは貪狼を呪符へと戻す。
「相変わらず同時に複数の式神を使う精神力はめちゃくちゃだな…。さすが安藤の“血を受ける器(・・・・・・)”と言われるだけはある」
「っ!!」
竜二の言葉を聞いてゆらは微かに動揺を見せる。
「餓狼」
その隙を逃がすような竜二ではない。二体の式神が正面と左からゆらへと飛びかかっていく。
「くっ…」
反応の遅れたゆらは二体をまとめて防ぐために散弾を放とうとする。しかし…
「それは“偽物”だ。見えぬか?本物は“右”だよ」
竜二の言霊を受けて、ゆらの意識が右方へと逸らされる。
ほんの刹那の間。しかし動揺で反応が遅れていた状態では致命的な遅れとなってしまう。
「キャアアッ!」
咄嗟に放った散弾で正面の一体は防いだものの、左からの直撃を許してしまった。
「どーしたゆら…次は“左”から来るぞ」
受けたダメージのせいでゆらは些か冷静さを欠いていた。竜二の言葉に過敏に反応し、咄嗟に左へと銃口を向ける。
だがその先には何も存在しない。
(っ!また…)
そう思ってゆらは背後を振り向くがそちらにもなんの気配も無い。
「ゆら…言霊に縛られ過ぎだぜ」
竜二のその言葉と同時に頭部への衝撃がゆらを襲った。
「花開院さん!」
思わずリクオは声を上げた。
「おまえ花開院さんの兄だろうが!なんでそこまで…」
「キレイごとをぬかすなよ妖怪のくせに」
リクオの言葉を竜二は一睨みして抑え込んだ。
「だ…大丈夫や奴良くん…私は餓狼になんか喰われたりせぇへんよ…」
どうにか立ち上がったゆらにリクオは安堵の息を漏らす。
その様子を竜二は静かに見ていた。
「餓狼に(・・・)…喰われる(・・・・)?何を言ってる?こいつにそんな芸当できるわけないだろ?」
「え?…な…なんや…コレ!?」
ゆらはいきなり口の中に湧きだした水に驚き、廉貞の召喚が解けてしまう。
「ゆら、お前は言葉に振り回されすぎだ…」
竜二が滔々と講釈しているがゆらはそれを聞く余裕などなかった。
呼吸すらままならない中、必死に自分が使える術の中から使えそうな術を探す。
だが元々ゆらは戦闘に特化した術を扱う。昌彰から教えられた術の中にも体内に潜り込まれた式神を排除するようなものは含まれていなかった。
「“言言”走れ」
竜二が命じるとゆらの身体から水が迸った。
「“言言”は身体中の体液を自在に暴走させることができる…」
竜二が刀印を振り抜くとさらに言言の勢いが増した。
「ガ…ァ…」
ゆらはそのまま崩れ落ちる。
「フン…向こうもどうやら本性を現したようだな…」
突如として吹き上がる、凄烈にして苛烈なまでの畏。
思わず身体を動かすことさえ忘れるほどのその畏を、ゆらとリクオは知っていた…
††††
「ゆらを守るのはボクだ。お前じゃ(・・・・)ゆらを(・・・)護れない(・・・・)…」
ドクンッ…
魔魅流のその言葉を聞いて、昌彰の胸の奥で脈動が起こった。
(まも(・・)、れない(・・・)…?…ふざ、けるな…!)
『昌彰?』
表情の消えた昌彰の顔を白虎が訝しげに見るが昌彰の目にはそれは映っていなかった。
ドクン…
昌彰の身体から青白い焔が零れ出す。
『っ…!?この焔は…』『昌彰っ…』
白虎に太陰が声をかけるもそれは既に昌彰の耳には届かない。
「俺は…」
青白い焔はゆっくりと立ち上がった昌彰の全身を包み込む。
(誓ったんだ…。俺は…この身に…この命に代えても…)
再び開かれた昌彰の眼に宿るは天狐の焔。
「ゆらを…護るっ…!」
昌彰の纏う漆黒の狩衣が焔の波動を受けて翻った。
「『降伏《ごうぷく》!』」
鋭く呪文を唱えると右手で組んだ刀印を一閃させる。
刀印の描いた軌跡がそのまま風の刃と化し、魔魅流へと迫る。
魔魅流は咄嗟に右手を翳し、電磁場による障壁を張った。だが…
「!?」
先程の氷の刃を容易く撃ち落とした障壁。しかし風の刃はその障壁に触れてなお、撃ち落とされずに拮抗している。
「『風斬っ!』」
放たれるは霊力によってなされた風の刃。風は金行《ごんぎょう》、すなわち金剋木の理にのっとり電磁場の壁を切り裂いた。
(護る…俺は…)
昌彰はただひたすらに思う。脳裏に浮かぶのは四国戦の折に目にした光景。己の無力さゆえにゆらはその身を敵の刃に晒した…。
そして先程は朱雀が…。
力を…。ゆらを護るために。これ以上自分のために傷つく者がないように。
††††
「まさ…あ、き…」
濁った意識の中でゆらは昌彰の名を呟いた。四国戦の折に見せた青白い焔。それが再び昌彰の身体を覆っている。
(おいおい…なんつー力だよ…)
竜二は引き攣る頬を抑え、強引に視線を目の前に倒れているゆらへと戻した。
「ゆら、お前は素直すぎる。だからここまで言霊に縛られ、つけ込まれるんだ」
意識の朦朧としているゆらを、狩衣を掴んで抱えあげる。
「あいつに関してもそうだ!お前は…!」
竜二は身体のすぐ脇を通り過ぎた黒い影に言葉を途切れさせた。
一瞬の交錯、それだけで竜二の手からゆらの姿が消えていた。思わず後ろを振り向いた竜二の視線の先には…
「ゴメン…昌彰さん、花開院さん…だけど…」
逆手に握られた宵闇に煌めく刃。漆黒を溶かしたような黒い羽織。その背に宿る“畏”の代紋。
「花開院だか陰陽師だか知らねぇが、仲間に手を出す奴ぁ…ゆるしちゃおけねぇ!!」
白き長髪を靡かせ、赤き瞳に怒りを滲ませた百鬼夜行の主―リクオの夜の姿があった。
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