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(知ると、不思議と)




『三浦ァ…て、め、ェ、はァ…』


『す、すすすすみませんっ』


三浦 歩、本日も変わらず朝から説教を食らっています。否、今から食らうところです。


『…あ』


『え』


今日は何で怒られるのだろうかと、びくびくしながら伊澤さんのデスクに向かう途中で、何故か伊澤さんの動きが留まる。それに合わせて眉間の皺が少しばかり深くなったかと思えば、手に持った書類を繁々と眺めている…忙しい人だ。


『あ…これ、お前に任せた書類じゃねェわ』


『えええええ…っ』


どうやら他の人に任せた書類にミスがあり、あたしが作った書類だと勘違いしたらしい。あたしが怒られない事も珍しいけれど、伊澤さんが勘違いというのも珍しい。…と、いうよりこの前の一件から、伊澤さんを良く観察するようになったからか、意外な一面を知るようになった。


例えば、デスクに置かれている観葉植物の水遣りを欠かさなかったり、マイカップにトイプードルの模様が描いてあったり、未だ38歳だと言うのに最新トレンドには滅法弱かったり…あの強面でこのギャップは狡いと思うぐらいに可愛らしい一面を持っている。


『三浦、納品チェック行くぞ』


『あ、はい』


勿論、伊澤さんばかり見ているだけで給料が貰える訳がないので、伊澤さんの観察は取敢えず終わり。足早に倉庫に向かう伊澤さんの後ろを急ぎ足で追い掛けながら、伊澤さんを見ると、今度は伊澤さんの身長が高い事に気付く。


『伊澤さんって背が高いんですね』


『男なんだから普通だろ』


淡々と、伊澤さんは振り返る事なく答える。折角なので伊澤さんと仕事以外の事で盛り上がったり…なんて少し思ったけれど、伊澤さんは容赦なく早歩きで倉庫に向かっているので、温和しく続く事にした。


倉庫と言っても、使われていない会議室を倉庫代わりに使っているので、埃っぽくもじめじめしている事もない普通の部屋。部屋に入るのと同じ様に扉を開けて入ると、10箱ぐらいの段ボールが無造作に置かれている。その他は書類棚と会議用テーブルにパイプ椅子、棚が幾つか…本当に唯の物置といった部屋。


『ったく…せめて納品は綺麗に並べとけってんだ…』


伊澤さんは自分のデスクこそ傾いた書類の山だけれど、こういった物は綺麗に置いておきたいタイプだ。ぶつぶつと小言を並べながら、まずは段ボールの整列から始める。あたしが1箱段ボールを並べている間に伊澤さんは2、3個並べていく、男女の力の差を見せられる。


『お前は向こうからチェックしていけよ。俺はこっちからする。この量なら2時間ありゃ充分だろ』


『分かりました』


それからお互い背を向ける形で互いの納品チェックを始める。延々と、黙々と作業をしていると、沈黙の中で段ボールとその中に入った箱とが擦れる音やチェックリストの紙を捲る音、チェックする時のボールペンの掠れた音だけしか聞こえない。普段は無言が嫌いで、何かと会話探しに没頭してしまうけれど、今は何故だかこれらの音が心地良い。


心地良かったからか、普段の自分からは想像も出来ない程にチェックは早く終わり、伊澤さんにも珍しく怒られたり嫌味を言われたりする事はなかった。本当、雨どころか雪でも降るんじゃないかと思うぐらい、自分でも驚きだ。伊澤さんは伊澤さんで、やっぱり何か言わないと気が済まない…という訳ではないだろうけど、調子狂うじゃねェかと呟いただけだった。


『…しゃあねェ…さっさと終わっちまったし、休憩すっか』


『あ、じゃああたし珈琲買って来ます』


あたしが立ち上がると伊澤さんも数瞬後に立ち上がって、


『ばァか。部下に奢らせる訳にはいかねェだろ』


座っとけ、と付け足して伊澤さんはさっさと部屋を出て行ってしまった。こんなところで律儀に上の立場を見せて来る伊澤さんは何だか格好良い。言い方はぶっきらぼうだけど、然り気無く且つさらりと言葉が出て来るところは流石上司とも言うべきか。伊澤さんがさっさと出て行ってしまったので、追い掛けるタイミングを逃してしまったあたしは、温和しく伊澤さんの帰りを待つ事にする。


『…伊澤さんってきちんとしてるなァ……』


あたしと、伊澤さんのチェックした納品の整頓の仕方は一目瞭然。恐らく10個を一山に並べている伊澤さんと違ってあたしの一山は数が疎ら。自分のデスクもこれぐらい綺麗にしたら良いのにな、と一人苦笑いを零しながらパイプ椅子に腰を降ろす。


壁に掛かった時計を見ると時刻は15時半過ぎ。陽当たり良好な上に昼過ぎでお腹がいっぱいだから椅子に座った途端に眠気がやって来る。伊澤さんは誰かとばったり会って話し込んでいるのか、未だ帰って来ない。今、この部屋にはあたししかいなくて、先程まで聞こえていた音は皆無。


『伊澤さん未だかなあ…』


特にする事もないし、暇な時間だけが過ぎて行く。


『やっぱり一緒に行けば良かった…』


タイミングとか、気にするからこうやって一人の時間を持て余す事になる。伊澤さんと一緒だと時間があっという間に過ぎるぐらいに一瞬で、暇を感じる暇もない。それが証拠に今現在、あたしは時計の秒針が煩わしくて仕方がない。


『ああ…暇…』


大きく伸びをして、身体に酸素を取り入れる。身体を弓反りにして、パイプ椅子の背凭れに思い切り凭れ掛かって景色を反転させると浮かんで見えたドアがゆっくりと開く。


『おいおい…、そのまま後ろ倒れんなよ』


『あっ、伊澤さ…っ、わ、わ、……ッ』


逆さまに映る伊澤さんの登場に、パイプ椅子に凭れ掛かっている事も忘れて思わず力むと一瞬身体が浮いたような気がして…


『三浦…っ』


伊澤さんの声が聞こえた時には身体が逆さまに落ちる途中、それはもうスローモーションのようにゆっくりで、伊澤さんの驚いたような焦ったような顔がとても印象的で。ごとり、と何かの鈍い音が二つ聞こえたと思ったら


ふわり、と男性物の爽やかな香水が鼻を掠めた…


『だから後ろ倒れんなっつったろうがッ、こんの馬鹿…ッ』


『いざ…わ、さ…』


今一状況把握が出来ていないまま、伊澤さんの腕の中にいた。一瞬視界が切れる前の焦ったような伊澤さんの表情は今はなく、いつも通りに眉間の皺が多くなっていた。視線をずらすと床には鈍い音の正体、珈琲の入ったアルミ缶が二つ、転がっている。


『っとに、お前なァ…隙が有り過ぎんだよ』


『す、すみません…』


漸く、あの時椅子に凭れたまま後ろに転けそうになって、伊澤さんに助けられたと気付いた時には伊澤さんに抱き起こされていた。伊澤さんは倒れたパイプ椅子を元に戻して、あたしを座らせると転がっている缶を二つ拾って、軽く拭いてからあたしに一つ手渡してくれた。倒れた直後だったからか、頭はぶつけていないけれど少しだけぼんやりとするからか、上手く言葉が出て来なくて…あたしは有難うございますと告げると受け取った珈琲缶のプルトップを引き上げる。


『…はァ…甘い…幸せェ…』


『……』


甘い甘いホット珈琲に思わず甘い吐息が漏れると伊澤さんからは呆れたような溜め息が漏れる。


『お前見てると飽きねェわ…色んな意味で』


今度は鼻で笑って、珈琲を一口。少しだけ肩を揺らしながら笑って、珈琲を片手で飲む仕草がやけに格好良く見えて、思わず見惚れてしまう。伊澤さんって普段は眉間の皺に目が行ってしまうけれど、良く見たら顔は怖いけれど、目鼻立ちの整った顔をしている。どちらかと言うとイケメンに入る部類だ。


『何ぼうっとしてんだよ』


『…っ』


缶を額に軽く当てられて、心臓がどきりと高鳴った。どうしてなのか、今まで何とも思わなかったのに、急に伊澤さんが格好良く見える。何で、どうして、…頭の中に急に疑問符が浮かび上がって来て、それらは風船のように膨らんで行く。


良く分からないままに首を振って、珈琲を一気に飲み干す姿を伊澤さんは不思議そうに見詰めている。何で急に伊澤さんが格好良く見えたのか、自分の感情なのに良く分からないなんて本当に不思議だ。それに加えて急にドキドキしてるなんて、あたしはどうかしてしまったのかも、なんて…


頭の中がパニック状態で、気付いた時には自分のデスクに戻っていたのだから、本当、今日のあたしは少しおかしいのかもしれない…




(急に鳴り出す心の音)


それを止める術が見付からない

























20130407めぐ



あきゅろす。
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