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(冴えないのが、なんか、また…)
『あゆりん、店長知らないかなあ…』
『…何であたしが店長の所在知らなきゃなんないのよ』
ここはとある喫茶店【cafe・arrow-field】特に人気がある訳でもないけれど、オフィス街に店を構えているから人の出入りはまあまあ多い、普通の喫茶店。あたしのお気に入りは店内が全て堅い木の椅子ではなくてソファーである事。白い壁に焦茶色の木製柱…内装が至ってシンプルなだけにオレンジのソファーが映えて、座り心地も良いのでOLや主婦等女性陣には結構人気。
因みに人気メニューはきつね色に焼いた、マーガリンをたっぷり塗った食パンにゆで卵と珈琲か紅茶どちらか選べるモーニングセットA 350円、スイーツ系で攻めるなら掌サイズの大きさのパンケーキ2枚にたっぷりのメープルシロップと四角のバター、仕上げに生クリームを乗せたスイーツセット。勿論こちらもお好きな飲み物を付けて560円。割とお得な値段のメニューばかりなので人は入るけれど、座席数は30席でお昼過ぎはマダム…基、主婦達の貸し切り状態なのでそこまで忙しくもない。
そんな【cafe・arrow-field】に勤めるあたし、時田 歩莉 22歳は高校時代からこの店でアルバイトとして働き、卒業と同時に正社員。この店での歴は、もう6年になる。そんな長年働いているあたしだから何でも知っていると思われているのか、否…店長の事をあたしが一番知っていると思われている為、同じ歳の正社員である真希は店長の事となると必ずあたしに聞いて来るのだ。
『あたし今からテーブル片付けに行かないとだから、あゆりん店長呼んで来てね』
『いや、片付けならあたしが…って、真希…』
あたしが返答するより早く、真希はトレイを片手に調理場から出て行ってしまった。うちの店長は何と言うか、店長のくせに冴えないしサボり癖があるし、兎に角一言で言えば面倒臭がりなのだ。そんな面倒臭がりな店長を粘り強く…というか半強制的に連れ戻すのはあたししかいなくて、何かと店長の事を頼まれてしまう。
『…まったく……。…どうせ、店の裏で煙草吸ってんでしょ』
暖かい店内から裏口の…陽の光が当たらない上に寒風の吹く場所に行くのはかなり億劫。だけど、どれだけ悪態吐いたって結局店長を迎えに行かなければならなくて、じゃあ最初から言わなければ良いって話だけど、こうも毎度毎度呼びに行くこっちの気持ちにもなって欲しい訳で。
『店長…てんちょー……矢田店長ー……』
裏口の扉を少しだけ開けて、見える隙間から店長を探すけれど、どこに隠れているのか店長の姿は見当たらない。これ以上開けるなら外に出た方が辺りを見回せるのだけど、寒いし出来たらこれ以上外には出たくないのが本音。だけどさっさと店長連れ戻さないとあたしも仕事出来ないし…
『店ちょ………』
『あ、見付かっちゃったよ』
内側から覗くと死角になる扉の裏側に、見付けたのは煙草を銜えながら不味そうな顔で笑う矢田店長。
『良い歳して見付かっちゃったとか言っても可愛くないですよ。さあ仕事に戻って貰いますからね』
『歩莉は頑張り屋さんだねェ。俺はもう良い歳だからさ、ちょっと休まないとほら…』
店のカップで煎れただろう珈琲は勿論うちの店の珈琲。店の商品タダで飲むってどうなの…と思いながらも、そんな事に一々突っ込んでいたらあたしも疲れるので、敢えて触れないようにする。店の珈琲云々より、先ずは仕事。思うより早く店長の腕を掴んで店内に引き入れようとすれば店長も負けじと耐える。
『ちょっとっ、早く入ってくれないと店内は暖房付いてるんですからね…ッ』
『待って待って、煙草後少し…ちょ、痛い痛い…ッ』
店内には聞こえないように小声での争いが始まる。店長の足元にはどれだけサボっていたのか4、5本の吸殻が落ちている。店長は歳と言っても未だ40歳手前…あたしの力なんて屁でもないだろう、あたしが腕を引っ張ったところでびくともしない。
『店長っ、もう良い加減に…っ』
店長との小さな争いは意外にも早く終了となってしまった。あたしが少し力を弱めた瞬間、店長の力強い腕に引かれて、あっという間に外へと引きずり出され、どこにその俊敏さが隠れていたのか、店長はあたしの後ろ…つまり扉を背に立ち、後ろからあたしを抱き締めた。
『店長……何ですかこの状況は』
『んー、スキンシップかなあ…』
指に挟んでいた煙草を路地に落とし、踵で火を消すと、店長はあたしの後頭部に鼻を押し付けて来る。あたしの身体からは店長の好きなANNASUIのsecret wishの香りがする。店長が好きと言ってから、ずっとこの香り。何故かって、店長の好きな香りはあたしの好きな香りだからだ。
『あたしの事、好きなんですかね店長は』
『勿論。歩莉が好きだよ俺は』
店長の好きは、あたしの好きとは少し違う。もしかしたらあたしの好きが、違うのかもしれないけれど。あたしが今在るのは店長のお陰だ。一度店長に命を救われ、それから何度店長に救われたかは分からない。店長と出会ってから、あたしは変わった。どれだけ憎まれ口を叩こうが、
『だからってサボりは駄目ですからね』
『あはは…やっぱり…』
あたしはきっともう、店長…矢田 峻さんから離れる事が出来ないのだ…
(君の名前を教えてくれるかい)
店長はあたしを受け入れてくれた人だから…
20130212めぐ
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