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(好きにさせないで)




『佐々ちゃん、今日の資料ちゃんと持ったか』


『ばっちりですっ』


今日、あたし、佐々木 ゆかは超絶機嫌良しの気合い十分である。


『ほんなら行こか。ちょっと歩くで』


何故なら仕事とは言え、愛しの小谷さんと二人きりで他社訪問。故に小谷さんと一緒に歩いたり電車乗ったり…つまり、小谷さんの横を占拠出来るのだ。勿論、小谷さんに恥を掻かせる訳にはいかないので資料も部数もばっちり。身嗜みも小まめにチェック済み。


『今日は挨拶だけやから気ィ楽にしてな。何かあっても俺がおるし』


『が、頑張りますっ』


小谷さんのこういう一言に良い加減慣れたら良いのに、相変わらずドキドキしてしまうのは考えものだ。恐らくどんな後輩にも言っているだろうに、あたしってば一々ドキドキして、期待し過ぎだ。だって、小谷さんのこういう言葉って、必ずあたしの緊張を解してくれる温かさと安心感があるのだから。


『佐々ちゃん寒ないか』


『何故かほっかほかです』


きっとそれは、ちょっぴりの緊張と小谷さんの隣にいられるというドキドキで寒さどころじゃないから。きっと、他社訪問が終わったら緊張の糸も解けて、一気に疲れがやって来るんだろうけど、今は兎に角仕事モードだ。…と、意気込んで小谷さんを見上げると小谷さんはぷるぷると震えている。そう、完全に笑いを堪える顔…


『…何で笑い堪えてるんですか』


『いや…佐々ちゃん、思ってる事が顔に出過ぎや』


どうにもあたしの緊張や意気込み等々の気持ちが全て表情に出てしまっているようで、小谷さんは完全に楽しんでいたようだった。本人はまさか顔に出ているなんて思っても見ない訳で、小谷さんに指摘されると急に恥ずかしくなって、頬っぺたが熱くなるのを感じた。


『大丈夫大丈夫。何があっても俺が何とかしたる。後輩のケツ拭くんが俺の仕事やから』


『小谷さん……っ』


言って、小谷さんはあたしの頭を撫でてくれる。ああ…やっぱりこの手が一番安心出来る。そしてこの、小谷さんの力強い言葉。決して口だけじゃない小谷さんの言葉は、小谷さんに惚れているあたしじゃなくても惹かれてしまうだろう。小谷さんの言葉にあたしは大きく頷いて応える。


『お。電車来た。』


『わ…出勤時間とっくに過ぎてるのに混んでますね…』


乗車駅から目的地までは7駅。時間にすれば凡そ20分ぐらい…各駅でしか止まらない駅の為、この電車に乗らないといけないのだけど、見る限りどの号車も混んでいて、少しだけ気兼ねしてしまう。小谷さんは電車が停止する少し前にこちらを向くと、


『あ…っ』


『俺の傍から離れたらあかんで。』


あたしの肩を引き寄せて、扉から人が降りたのを確認するや否や、ぎゅうぎゅうの人混みに負けじと押し返し、奥の扉側まで進んで行く。奥の扉は目的地まで開かない事を知って、あたしを人混みから守ってくれる為の行動。そんな小谷さんの力強い腕に抱かれながら、何も考えられない…胸のドキドキは最高潮で、あたしは何も出来ないまま奥の扉へと到着した。


『ふう…佐々ちゃん潰れてへんか。いきなり肩掴んでごめんな。あ…セクハラでも痴漢でもないで』


『だ、だ…大丈夫、です…っ』


小谷さんはあたしを扉側に立たせて、扉と自分であたしを挟む形で立つ。後ろから押して来る人達からあたしを守るように片手を扉に着けていても凄い人混みに略密着状態を強制されていて…気を抜いたら倒れてしまいそうなぐらいに頭がくらくらして、小谷さんの冗談にも上手く返す事が出来ない。


『佐々ちゃん、苦しかったら言うんやで。』


『は、はい…あの、小谷さんは苦しくないですか…』


ある意味胸が苦しい状況だけど、実際は背中を容赦なく押されている小谷さんの方が苦しいのは明らか。少しだけ顔を歪ませる小谷さんは、俺は大丈夫やからと答えて、あたしに笑い掛ける。どうしてこの人は、こんなに優しいのだろうか。こんな行動をされたら幾ら望みの薄い片想いでも期待してしまう。小谷さんの優しさが嬉しいのに悲しくて、


『え、佐々ちゃん…もしかして気分悪なったん…』


小谷さんのコートをぎゅっと握って、俯く。こうでもしないと小谷さんへの想いが溢れてしまいそうで、堪えるように唇を噛む。7駅…たかが20分程度…少しだけなら、許されるだろうか。小谷さんの香水の匂いが、電車が揺れる度にふわりと香る…まるで、小谷さんに抱き締められているかのような錯覚。俯いたまま、ゆるゆると首を振って、だけどコートを離す事は出来なくて、今更ながら電車を降りた時に話す、今の行動の言い訳を考える。


『…ちょっと、揺れ激しいもんな。転けると危ないから、ちゃんと持っときや』


『…っ』


恐らく小谷さんは、あたしの出てしまった行動の意味に気付いているんだ。なのに、気付かない振りをしている事に直感で気付いた。相変わらず優しい声が頭から降り注ぐのに、あたしの気持ちに気付いていながら気付かない振りを見せる小谷さんがどんな顔をしているのか、怖くて見る事が出来ない。それは、やっぱりあたしは小谷さんに恋愛対象として見られていないという事で、認めたくない気持ちと、認めなくてはならない気持ちが混じって目眩がする。


だけど、小谷さんが…小谷さんの優しさがこの20分間あたしに時間をくれるというのなら…


『ごめんなさい…少しだけ、甘えさせて下さい…』


小谷さんはそれ以上何も言わなかったけれど、振って来た優しいいつも通りの手が、小谷さんの返事。電車を降りるまで…降りたらまたいつも通りの態度でいようと、心の奥で誓って、あたしは小谷さんのコートを強く握った…

























(これ以上、優しくしないで下さい)




好きが、止まらなくなる前に…

























20130219めぐ



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